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『右翼と左翼はどうちがう?』(雨宮処凛) [読書(教養)]

 「世界はやっぱり矛盾にあふれている。 それを身をもって知った時、それについての怒りが湧いてきた時、あきらめないで、声をあげてほしいと思う。たぶん、その瞬間、あなたはこの世界のまぎれもない当事者だ。(中略)そして覚えておいてほしいのは、世界は、絶対に変えられないものではなく、きっと少しは変えられるものだということだ」(文庫版p.201、226)

 「ミニスカ右翼」としての街宣活動から、「ゴスロリ作家」としての貧困問題への取り組みまで、右も左も中の人、雨宮処凛さんが若者のために右翼と左翼の活動家について語った「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。単行本(河出書房新社)出版は2007年5月、文庫版出版は2014年3月です。

 政治思想としての右翼と左翼について、フランス革命からロシア革命、冷戦、といった世界史上の位置づけ、日本における戦前戦後の位置づけ、など広い視点から書かれた一般向け解説書としては、例えば『右翼と左翼』(浅羽通明)といった好著があります。本書が気に入った方には、併読をお勧めします。

 本書が一味違うのは、政治思想の解説よりも、実際に闘争の現場にいる右や左の活動家にスポットライトを当てているところ。実際の活動家たちへのインタビューを通して、なぜ闘うのか、何を目指しているのか、今の日本をどう見ているのか、などを明らかにしてゆきます。

 もう一つの特徴は、著者自身の体験について詳しく語ってくれるところ。右も左もよく知っている、実際に活動に参加してきた、当事者ならではの迫力が、「世の中の矛盾を正すために闘う」といった言葉に対してともすれば斜に構えがちな若い読者の心をも強くとらえるに違いありません。

 全体は六つの章に分かれています。

 「第1章 右翼と左翼と私」では、著者の体験が簡単にまとめられます。

 「右翼時代に自分が望んでいたことが、実現しつつあった。居心地が悪かった。なぜなら、絶対にそんなことが起こるはずがないという前提で言っていたことだからだ。今の世の中を認めていないぞ、というアンチテーゼとして言っていたことが実現しつつあるのだ。それが私には気持ち悪かった」(文庫版p.21)

 社会が右傾化するに従って、だんだんと息苦しくなってゆく元右翼活動家。世の中がそれで良くなっているという実感がない。むしろ労働問題、格差問題など、若者をとりまく状況はひどくなってゆく一方。こんな、若者を使い捨てにするシステムが許せない。支援団体に参加する。デモで声をあげる。一般的にいうと、これは左翼活動ということになります。

 「どちらも見てきた中、お互いの言い分は、どっちもよくわかる。そしてどっちも真剣に日本のこと、世界のことを考えていることも知っている」(文庫版p.24)

 「第2章 右翼って何?」では日本における右翼の歴史を簡単におさらいします。といっても、どうしても著者自身の体験談が面白くてそちらばかりが印象に残ってしまうのですが。

 「私自身、あの時期、右翼団体に入っていなかったら、そして愛国的な思想がなければ、ただの漂うフリーターとして死んだように生き、自殺でもしていたのではないかと思う」(文庫版p.55)

 「街宣だけではあきたらず、私は愛国パンクバンド「維新赤誠塾」を結成した。バンドという形でライブをすれば若者たちが聞いてくれるのではないかと思ったのだ。(中略)途中でギターが抜け、代わりに入ったのは左翼だった」(文庫版p.38)

 「どうして右翼と左翼が一緒に愛国バンドを? と思うだろう。が、私たちのバンドのお客さんには右翼も左翼もいて、そんな人たちの社交の場のようになっていたのだ。左翼のメンバーの存在は私にいろいろなことを教えてくれた」(文庫版p.38)

 「私たちのライブはイラクのテレビで全国放送された。数日後には大統領宮殿に招待され、サダム・フセインの息子、ウダイ・フセイン氏と会見してきた。 そんなイラクでの経験から、03年には、イラク戦争開戦を阻止するため、空爆などの攻撃をさせないよう、“人間の盾”としてその場に身を置いて抵抗するためにイラク入りした」(文庫版p.40)

 「第3章 左翼って何?」では、日本における左翼の歴史を簡単におさらいします。といっても、前章と同じく、やはり著者自身の体験談が面白い。

 「こんなに世界は腐敗しているのに、私ひとりの力では何もできないのだ。(中略)私も社会の矛盾について怒りたかった。火炎瓶を投げたかった。(中略)一番悲しかったのは、そんなふうにこの社会に怒っているのは現代では私くらいで、どうやら仲間などいないらしい、ということだった」(文庫版p.60)

 「私は24歳の時、はじめての海外旅行で北朝鮮に行った。 北朝鮮で会った元赤軍学生たち(「よど号グループ」と呼ばれている)は、50代、60代で、私の父親と同世代だった。私と彼らの子どもたちは仲良くなり、以来、私は北朝鮮に通うようになる」(文庫版p.64)

 「フリーターや、正社員ではない若者たちの間でも次々と労働組合が結成されている。不安定な者同士、連帯しないと生きていけないからだ。本気で「生きていけない」「食べていけない」「マトモな職場がない」という現場の声から運動が盛り上がるということは、社会運動の原点であり、今、日本でそれが起っている」(文庫版p.88)

 「振り返って思うのは、自分の視点はほとんど変わっていないということだ。結局、モノとお金だけの価値観、人の命や生活よりも利益が優先される社会が嫌だ、ということなのだ。(中略)これは、左右の問題を超えている。「生存権」という最低限のものを賭けた闘いだからだ」(文庫版p.91)

 「第4章 両方の活動家に話を聞こう」は、本書の白眉というべきパートで、右翼左翼あわせて六名のガチ活動家へのインタビューが載っています。何しろ聞き手が雨宮処凛さんなので、皆さん、それはそれはもう、率直にあれこれ語っています。

 右翼の活動家、左翼の活動家、というと何だか恐いイメージがあるでしょうか。実際に話を聞いてみると、弱者に対する思いやり、強い正義感、熱い魂をたぎらせた情熱家ばかりで、14歳の皆さんのハートに火をつけてくれそうです。

 この不正がまかり通る世の中を「仕方がない」と消極的に肯定して、その中で自分だけがこすっからく得をしようと卑屈に行動することが「大人の対応」だと思い込まされている若者は、ちょっと火傷してみるのもよいでしょう。

 「第5章 矛盾だらけの世の中で」では、それまでの話を踏まえて、世の中にどう立ち向かえばいいのかを考えます。

 「右翼の人、左翼の人の話に、私は何度もうなずき、共感した。どちらの言い分もよくわかるからだ。(中略)世の中には、考えなくてはいけないことがたくさんある。今の日本では、考えなくても生きていこうと思えば生きていけるけれど、それはただ単に思考停止だ。現実から意図的に目をそらして逃げているだけだ」(文庫版p.194)

 「話を聞かせてくれた人たちは、みんな魅力的だった。信念を持って何かに取り組んでいる人はカッコいい。自分のポリシーがある人は素敵だ。(中略)時々、おとななのに、まったく政治などについて無関心な人がいる。そんな人と会うと、驚くと同時に、不安じゃないのかとつくづく思う。自分が生きているこの社会について知らないことは、私にとってはとてつもなく怖いことだからだ」(文庫版p.194、197)

 「終章 その後の右翼と左翼」は、文庫版で追加されたパート。年越し派遣村、脱原発デモ、ヘイトスピーチなど、単行本出版後の主なトピックを取り上げて、著者が、今、どんな問題意識で活動しているのかを語ります。

 右翼、左翼、政治思想。そんなものは自分には関係ないと思っている若者も、その闘争や活動の原動力となっている問題意識には共感できると思います。

 「学校では「頑張れば報われるのだ。だから歯をくいしばってどんなことでも耐えろ」と言われ続けていじめにも耐え、不毛な受験戦争を戦ってきたのに、自分が社会に出るころには「バブルが崩壊したので今までのことは全部嘘になりました」と梯子を外されるし、進学をあきらめてフリーターになれば、いつの間にかそこからの出口どころか社会への入口もがっちりガードされてる」(文庫版p.220)

 「いつの間にか、私は国内にいながら国際的な最低賃金競争の最底辺にいた。その意識は、確実にあった。それなのに、みんな「甘えている」「怠けている」と罵倒するのだ。どこにも居場所がないし、誰も必要としてくれないし、どこにも帰属する先がない」(文庫版p.221)

 これは他人事だとは思えないでしょう。その閉塞感、苦しみ、やり場のない怒りを、どうすればいいでしょうか。

 何らかの形で「社会を変える」ために行動する人々の歴史や言葉を知ることで、自分なりに考え、そして出来れば何らかの形で実践してほしいと思います。私がそう言ってもまったく説得力がないでしょうから、雨宮処凛さんの言葉を受け止めて下されば幸いに存じます。

 というわけで、政治思想としての右翼左翼そのものというより、自分が抱えている心の苦しみを社会運動という形に昇華させ行動してきた先輩達のことを教えてくれる、若者のための一冊。


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