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『アレグリアとは仕事はできない』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「ミノベは怒っていた。いつも怒っているではないかというのならば、ミノベは激怒していた。それは個人的な怒りという以上に、義憤だった。誠実さを欠くものと関わる、関わるのでなくても、そういうものが存在する、のうのうと目の前にある、ということに対する怒りだった」(文庫版p.25)

 職場に置いてあるコピー機の不調を訴えても誰からも相手にされないミノベ。理解されない悔しさと怒りを機械にぶつけるしかない彼女だったが……。会社における理不尽と孤立をえがいた表題作ほか一篇を含む作品集。単行本(筑摩書房)出版は2008年12月、文庫版出版は2013年6月です。

 「アレグリアはどうしようもない性悪だった。快調なスキャン機能で、それを主に使う男性社員の歓心を買い、そのじつ怠惰そのものの態度をミノベには示し、まるで媚を売る相手を選んでいるようにも見える。メンテナンスの人間がやってくると、ぐずっていたそれまでの様子を覆し、突然ちゃんと動き始めたりもする」(文庫版p.16)

 「道具をうまく使うことを愛し、ときどきは道具そのものを愛することもあるミノベだったが、アレグリアとだけは一生和解できないだろうと思いつめていた」(文庫版p.16)

 職場に導入された複合機アレグリアは、なぜかコピー機として使うときにだけ不調を起こす。コピー機能を使う女性社員であるミノベはイライラしているが、プリンタ機能やスキャン機能を主に使う男性社員たちはミノベの苦境を全く理解しようとしない。

 同じ女性社員であり、アレグリアをコピー機として使っているはずの先輩も、なぜかミノベとは距離を置いて男性社員側に立っている。そのことが辛い。

 職場で孤立する、というか、孤立していることさえ誰にも気付かれないミノベ。相変わらずアレグレアは男性社員とメンテナンス担当者の前では愛想よくいそいそと働き、ミノベが使うときには不調を起こす。

 「自分が最も受け入れがたいことはいったいなんなのだろうかと。それは結局、たった一人でこの機械はおかしい、と主張し続けることで、それに一切の共感を得られないことだった」(文庫版p.46)

 サポセンの女性オペレーターも、残業時間になってからやってくる(それまでミノベは待たなければならない)メンテナンス担当者も、誰もがミノベを、やっかい者、うるさいクレーマー、としか思ってないらしい。みんな敵。スキャン機能が不調になるとミノベに文句をつけてくる男性社員たちも、導入責任者のくせに被害者づらしているあいつも、みんな敵。

 「ミノベは、アレグリアの内部を覗き込みながら、自分がいったい何に怒ったらよいのかよくわからなくなってきていた。アレグリアに対してか、アレグリアを直しに来ても直しに来ても着実な結果を出さないアダシノに対してか、それともこんな機械を会社にねじこんできたコピー屋だかその子会社だかの営業の男に対してか、そいつと取引したシナダに対してか。すべてをどうしようもないとミノベは思った。けれどその連中のうちで、ノミベが今どうにかできるのは、目の前のアレグリアだけなのだ」(文庫版p.70)

 最初は「職場あるある」で笑っていた読者も、次第にノミベの怒りと孤独感に共感を覚えるようになってゆきます。

 そして、ついにミノベの我慢が限界に達するときが。

 「アレグリア。おまえは人を弄ぶんだな、そうなんだな?」(文庫版p.67)

 ミノベは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の機械を除かなければならぬと決意した。ミノベには技術がわからぬ。ミノベは、女性社員である。コピーをとり、資料を整える仕事をしてきた。けれども不実に対しては、人一倍に敏感であった。

 「三十分で事足りるはずだった。あいつをやるのは。あいつを」(文庫版p.68)

 自分一人でアレグリア殺害計画を実行しようとするミノベ。だが、彼女は誰かに先を越されたことを知る。いったい誰が、どうして。状況を把握したメンテナンス担当者アダシノが静かに言う。

 「いっそのこと、あいつを葬りましょう。この機会に」(文庫版p.88)

 自分だけではなかった。アレグリアを憎んでいる人がここにもいた。すべての人が敵ではなかったのだ。

 「少しだけ、油田から延びたパイプに穴を開けて石油を吸い上げるように、らくをしようとしたり、自分にだけ有利なようにことを運ぼうとしたり、ちんけな自尊心を満足させたりしようとするやつがいる。けどわたしたちはわかってる。そういうやつらの顔も罪も。わたしたちにはわかっちゃいないとやつらは間抜け面を晒してケチなことをし続けるけども。 この人はその、「やつら」ではない、とミノベは思った」(文庫版p.91)

 それまでため込んできた鬱積と義憤が噴出するように、ミノベの思考はやたら大仰になってゆく。なんだか、切ないなあ。

 アレグリアは単なる機械ですが、それは世の中の、会社の、理不尽さ、弱い立場の者に面倒を全部しわ寄せしておいて知らぬ顔を決め込む人々、反撃できないよう周到につくられている組織の仕組み、同じく弱い立場のはずなのに強い側にすり寄る卑屈な態度、そういった私たちを取り巻く腹立たしい現実を象徴しているかのように思えてきます。

 併録されている『地下鉄の叙事詩』は、通勤電車を舞台にした中篇。

 電車が二駅ほど移動する間の出来事を、別々の四人の視点から描きます。多視点の技法が冴え渡り、満員電車における殺伐とした人間模様がぞっとするほど立体的に浮かび上がって。

 「電車は暴力を乗せて走っている、とミカミはときどき思う。自動車のような、ある種能動的な暴力ではなく、胃の中に釘を溜め込むように怒りを充満させ、乗客はそれぞれに憎み合いながら、死に向かうトンネルの中を走っている」(文庫版p.162)

 「会社でどれだけ理不尽な目に遭っても、子供がぐれるといいだとか、次の身体検査の結果が劇的に悪くなってうろたえるがいい、と呪ったりはするが、さすがに殺したいだとか死ぬがいいとは思わない。なのに通勤の間だけは、いとも簡単に相手の死が頭をよぎる」(文庫版p.159)

 「自分たちは何なのだろう。暑苦しい箱に詰め込まれ、その中でひどくいがみ合い、お互いへの無関心に乗じて薄汚い欲望を満たす連中が、閉まったドアの隙間から滲み出す膿のように入り込んでくる」(文庫版p.175)

 読んでいるだけで、あの、暑苦しくじっとり湿度の高いしかも臭い空気、イライラ感をあおる誰かの舌打ちの音、みんなの殺伐とした無関心と拒絶、充満するマイナス陰怨。満員電車のいやーな雰囲気が伝わってきて、気が滅入ります。

 こうして読者に嫌気分を満喫させたところで、被害者と目撃者の視点からある痴漢事件の顛末が語られることに。被害者の自尊心を一方的に踏みにじる卑劣な犯罪。男性が読んでも、生理的嫌悪感でぞっとします。

 というわけで、人を侮った理不尽な扱いに打ちのめされ、悔しさに身を震わせ、涙を堪えて、それでも卑屈にはなるまいと仕事に誠実に向きあおうとする人々に、共感をこめてお勧めする傑作会社員小説です。


タグ:津村記久子
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