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『腰痛探検家』(高野秀行) [読書(随筆)]

 「本書の著者は頭がおかしい----。 久しぶりに原稿を読み返して、素直にそう思った。(中略)当時自分としては冷静に振り返っていたつもりだったが、今読めば、文体が異常だ」(Kindle版No.2832)

 誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをする辺境作家を襲った謎の腰痛。民間療法、西洋医学、鍼灸、理学療法、心療内科、さらには超能力まで、あらゆる治療を次から次へと試みるうちに、腰痛治療という深い秘境に迷い込んでゆく著者。

 高野秀行さんの腰痛探検記、その電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。文庫版(集英社)出版は2010年11月、Kindle版配信は2014年3月です。

 「腰痛持ちの感性と思考回路は独特である。腰痛持ちを取り巻く環境も独特だ。少なくとも腰痛世界を“探検”してきた私はそう思う。しかし、それが普遍的なものなのか私個人の特殊な体験なのか、他に事例がないから判断もできない。そこで私自身の腰痛探検を私小説ばりにセキララに語り、世の腰痛人間に問いかけたい」(Kindle版No.57)

 「いつの間にか「腰痛世界」という得体の知れない秘境に迷い込んでいる。わざわざ好奇心に駆られて目の見えない人の世界を探検している場合ではない。未知なる世界はここにあった。(中略)私はこうして腰痛世界の探検に乗り出して行ったのである」(Kindle版No.172)

 普通に考えれば闘病記なんですが、なぜか探検記になってしまうところがこの著者らしさ。治療を受ける場所を選ぼうとしてあれこれ調べだしたとたん、いきなり道に迷って「遭難」してしまうのです。

 「腰痛世界(民間療法業界)は、誰一人、その全体像すら把握できない「情報密林地帯」となっている。日本で腰痛治療を行っている人がいったい何万人いるのかそれとも何百万人いるのか、政府機関も大学の研究者も誰も知らない」(Kindle版No.624)

 「ようするに、高度情報社会の現代において、民間療法業界は文字通り、「秘境」状態にあるのだ」(Kindle版No.607)

 秘境、となるとずんずん踏み込んでしまうところがそもそも間違いだと思いますが、とにかく候補を二つまで絞るのに成功した著者。評判を聞いてみると。

 「どちらも微妙だ。かなり効くけど悪霊の話を聞かねばならない治療院と、効き目のほどは不確かだが安い治療院。「迷ったときは面白そうな方」を選ぶ習癖から一度ふらっと悪霊系に傾きそうになったが、今は遭難中の身の上である。面白がっている場合ではない」(Kindle版No.201)

 いきなり初手から、「悪霊が取り憑いている」と言い出す治療院を選びそうに。しかも、考え直してもう一方の治療院に行ってみると。

 「いかにも、「癒し系整体」という空気がみなぎっている。悪霊系ではないが、スピリチュアル系に来てしまったのかもしれない」(Kindle版No.227)

 で、読者の予想通り、何度治療を受けても症状が改善しない。しまいには高額の講習会に誘われたり、「うちの療法を広めるためにベストセラーを出したい。出版社に紹介してくれないか」と言われたり。それでも律儀に通って、治療費を払い続ける著者。

 「これではまるで悪い男と別れられないダメな女子みたいじゃないか」(Kindle版No.412)

 深く反省した著者は、次は宣伝チラシが「若い女性が書いたとおぼしきかわいい手書きの字で」(Kindle版No.639)書かれていた、という理由で別の治療院に移る。やっぱりそこも駄目で、次は指で触るだけでガンをも治すというカリスマ先生のところに。そこでも匙を投げられた著者は絶望して。

 「その絶望感の中に、ほんのわずかだが満足感がある。 私の腰痛は並みじゃないとやっと認められたということだ。ガンをも治したことがあるカリスマ先生も私の腰痛は治せない。 ある意味で、「ガンに勝った」ともいえる」(Kindle版No.1135)

 いえません。

 結局、西洋医学こそが王道、といって病院で検査を受けたところ、現代の医療では治療できない難病だとされた著者。

 「やっぱり難病だったのか。衝撃だったが、少し嬉しい。「あんたの腰痛は半端じゃない」と厚生労働省に認定されたような気分になる。 少し嬉しいがほとんど絶望的という、片思いの相手が自分のことを好きだと書き残して死んでしまったような異常に複雑な気持ちにとらわれた」(Kindle版No.1416)

 ところが、別の病院で再検査してみたところ。

 「愕然とはこのことだ。難病でもなければヘルニアでさえないなんて……。 ささやかな“特権意識”もブチ壊れ、あとは「ただの腰痛」という平凡で重い現実だけが残った」(Kindle版No.1475)

 いったいお前は何がしたいんだ。あまりの迷走っぷりに読者も頭を抱えそうになりますが、ここまでは序の口。まだまだ探検は続きます。お次は理学療法、その次は鍼灸、心因性ではないかと疑って心療内科に。さらには秋山眞人さんに超能力で何とかならないかと頼み込んで……。

 「道をまちがえていると気づきながら、その道を驀進してしまう癖が私にはある。引き返すのが嫌いなのだ。ドツボにハマりだすととことんハマらなければ気がすまない」(Kindle版No.2010)

 「暗黒の腰痛大陸をただただ彷徨って一年たってしまったという事実にあらためて愕然とする。新しい治療院に行くたびに期待し、効果がなくて失望し、でもずるずると未練がましくつづけ、結局諦めて次の治療院に移るという繰り返しだ」(Kindle版No.2141)

 「どうすればいいのか。どれを、どこまでやればいいのか。 すべて判断は私に委ねられている。西洋医学も民間療法もド素人の私に。「誰か決めてくれ!」と叫びたくなった。 独裁国家が民主化されても国民は幸せになるとはかぎらないとつくづく思う」(Kindle版No.2315)

 最初はシャレというか、自分の遭難っぷりを面白おかしく書いているのですが、やがて余裕が失われて、心理的に追い詰められて、だんだんとおかしくなってゆく様子に、読者もちょっと引いてしまいます。

 「情けない。心底情けない。プライドを傷つけられ、自己嫌悪に陥り、それでも腰痛を治すためだと思って頑張ったのだ。(中略)なぜこんな目にあわなければいけないのか。考えれば考えるほど怒りがこみあげて、悔し涙が出そうになった」(Kindle版No.2619)

 「「俺はね、もうやめたんだ」私は犬に笑いながら話しかけた。「もう何もかもやめたんだ」」(Kindle版No.2626)

 というわけで、最初は腰痛記だったのが、途中から腰痛依存症とでもいうべき病理の憎悪過程記録という感じに。腰痛だけでなく、民間療法院を次から次へと移り渡るような患者は、多かれ少なかれ似たような心理に陥っているのではないかと想像されます。思い当たる人に、一読をお勧めします。

 「今、腰痛時代の日記を読み返すと、その執拗さ、細かさに、狂気じみた執着心を感じて驚く。この頃、私は確実にどうかしていた。「腰が痛い」と「早く治さなきゃ」の二つしか考えていない。 まさに腰痛にとり憑かれていた」(Kindle版No.2773)


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