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『未闘病記 ----膠原病、「混合性結合組織病」の 〈前編〉』(笙野頼子)(「群像」2014年4月号掲載) [読書(小説・詩)]

 「本当の難病を、リアル、真性難病患者が書く。でもね、私は作家だよ、難病とは知らず、人と同じと思って放った言葉を人に通じさせて、三十年以上来てさ、それを語りなおす。今までの笙野頼子の全作品の裏にあったものを。何かミステリー解決編のように」(群像2014年4月号p.26)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第84回。

 希少難病、混合性結合組織病MCTDと診断された著者が、これまでの全作品の再構成に挑む壮絶な膠原病文学。その前編が「群像」2014年4月号に掲載されました。

 「あの時、これでもう死ぬのって思ったのに、今、不健康に、エゴを生きている。入院でないと駄目って言われたけど通院で済むようだ。猫は投薬出来なきゃ猫心臓腫れて死ぬ」(『日日漠弾トンコトン子』より、新潮2013年5月号p.157)

 「三十二年経過……か。わー、へっへーい! 生きているよ? この作者め! それが一番奇跡!」(『三十二年後生きている!』より、江古田文学84 p.151)

 「だって今難病治療中なんですよ私、まあ病気自体は割りと早く寛解に持ち込めたんだけど、なんたって劇薬服用と血液検査はずーっと付いて回る。(中略)人間が先に死んではいけない。それをモットーに今は生きているそれにしても」(『幽界森娘異聞(講談社文芸文庫版)』後書きより。文庫版p.307、311)』

 「ふいに群像のための長編も書く事になったり、ちょっと集中力散ってるけどゆっくりでも喜んで準備しています」(『幽界森娘異聞(講談社文芸文庫版)』後書きより。文庫版p.307)』

 ここ一年くらいに発表された笙野頼子さんの作品にはどれも、難病で死にかけた今も治療中というような記述があり、とても心配していたのです。おそらく「ふいに書く事になった群像のための長編」でその事情が語られるだろう、大したことがないといいんだけど、などと思っていたら、それが、今、ついに、明らかに。

 混合性結合組織病MCTD。

 本気の希少難病。原因不明、根治不可、症状激烈、合併症があると予後不良。やばい。

 「膠原病の中でも特有の厄介さに溢れているらしくて。判らない、判らない、判らないのがこの病気の困難のひとつであって」(群像2014年4月号p.22)

 「私は三種類とこのシェーグレンを持ち、その上にSLEの抗スミス抗体をほんの少し持っている。でも一番出ている症状は多発性筋炎でなおかつその抗体はまったく持っていない。症状は四種類、抗体は三種類。さて、ああもう数えるのも面倒だわい」(群像2014年4月号p.24)

 「でも手指は腫れてSSc、関節痛みSLE。喉も痛くてシェーグレン」(群像2014年4月号p.25)

 いきなり大発作に襲われた体験が詳細に書かれていますが、これが読んでいるだけで顔から血の気がすーっと失せてゆくような、痛さ、辛さ、苦しさ、その地獄。救急車呼んでーっ、心不全おこす前に、すぐに、今すぐっ。

 「どっちにしろ痛くて動くどころではなかった。救急車を呼ばなかったのが正しいのかどうか今もよく判らない」(群像2014年4月号p.43)

 「たった数日とはいえ、一番困ったのは猫トイレの掃除と二月とて灯油の補給である。(中略)それでも三日目にはもう風呂に入れるようになっていたのだった」(群像2014年4月号p.46)

 「医者に行けない、の気持ちの中には無論、行って何か変な事言われたら不快、怖い、というのがある」(群像2014年4月号p.46)

 む、無茶です。すぐ医者に行くべきです。我慢しすぎ。危険です。

 思いつつも、そういえばこの人、手が腫れ上がっているのに医者に行けずに自室でじっと我慢している小説『なにもしてない』の著者なのでした。変わってないんだ、そういうところ。

 というか、デビュー単行本『なにもしてない』に書かれていた、あの症状って……。

 「一冊目の本がもうこの病の事だったの。二十二年前にも手の指が腫れたのだ。皮膚科に行ってみた。でもその時点で既に肋は痛み、思えば、移動性多発性の関節、筋肉痛があった」(群像2014年4月号p.16)

 「これに限らず、その後は病や不具合をそのまま小説に出す事が多くなっていた。本は何十冊も出しているけれど、今思えば、それらは一種関節痛や歩行困難の長記録になっている」(群像2014年4月号p.16)

 「そしてこれは、希少難病MCTDを文学的に長記録した、かつてない膠原病文学かも」(群像2014年4月号p.26)

 これまでの作品にもよく出てきた身体の不調、それが実はずっと膠原病の症状だったという衝撃的な事実が明らかに。いや、そういう体質なんだとばかり。

 「難病とは知らず、人と同じと思って放った言葉を人に通じさせて、三十年以上来てさ、それを語りなおす。今までの笙野頼子の全作品の裏にあったものを。何かミステリー解決編のように」(群像2014年4月号p.26)

 これまでも、(『金毘羅』以降の)作品群を荒神ベースに再構成したことがあるのですが、今度は『金毘羅』以前の作品も含めて膠原病の症状ベースに再構成する、というのです。すす、すごい。

 一方、ようやく病院に行ったところ、症状を聞いた医者が飛び上がって叫びます。

 「うう、わ、い、痛みが、あ、あっちこっち、あっ! だめーっ、駄目えええええ」(群像2014年4月号p.48)

 膠原病で大発作を起こして数日我慢していた独り暮らしの患者。そりゃ、医者としてはパニックを起こしても無理はありません。そのまま帰宅させちゃ責任問題、というか医療事故あつかい。

 「直接描写のまじものの私小説に突入」(群像2014年4月号p.82)した本作では、病院などのシーンでも「普段の読者には耐えがたいようなみっともない会話」(群像2014年4月号p.65)がストレートに。いや、別にみっともなくないです。いきなり、原因不明で治療法のない難病だと言われれば、おろおろするのは当然。人間なんだから。金毘羅じゃないんだから。

 医者との会話。

 「「死ぬの」?「死なない」。「でも死ぬの」?「死、な、な、い、か、ら」。「だったら保険きくの?」」(群像2014年4月号p.68)

 親切な師長さんとの会話。

 「「私、ずっとストレスとかネットで脅されたり仕事を干されたり、痛くなってそれから急になんか物凄い熱と」、「うんうん、うんうんうんうんうんうん」」(群像2014年4月号p.68)

 あまり読者を深刻にさせないようにとの配慮でしょうか。不謹慎ながら、思わず笑ってしまいます。いや、笑い事じゃないんですけど。

 こうして、治療が開始されたところで前編は終わり。笙野頼子さんの、もしかしたらはじめての「まじものの私小説」。早く後編が読みたい。

 「死ぬの? 死ぬの? ガンよりは死なない? でも突然死があるって? だったらもう猫飼えない」(群像2014年4月号p.61)

 「何も、言われ、なかった。死ぬ、の? 死な、ない。でも、死ぬの? 以外の答はとりあえず「判らない」が多い、病気。 それから今まで「死なない」の後は「判らない」ばっかりで」(群像2014年4月号p.70)

 「知ったとき、暫く飲み込めなくて、その後ふいに自分の人生はまるごと、あれだ、悔しいって、一瞬、電撃だよ。でもその次にはいつまで書ける? って、どれを書き残すかって」(群像2014年4月号p.66)

 「もし私が誰かのせいで悪化したのだとしても、私はけして、相手も、誰も、殺さない。ただ、殺す代わりにフィクションを書いて世界に残していくと思っていた。千人の敵に囲まれてでも私は書くと。電子の自費出版でもして置いてゆくと。でも、それまで肺は無事か? あと少しなのにと」(群像2014年4月号p.66)


タグ:笙野頼子
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