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『とっぴんぱらりの風太郎』(万城目学) [読書(小説・詩)]

 「ことの始まりはおよそ四百年前、西暦1615年、舞台は大坂城----」(『プリンセス・トヨトミ』より)

 ときは慶長。伊賀の里を放逐された若き忍者が、とてつもない任務に挑む。ざっと十万の徳川勢を敵に回し、焼け落ちる大阪城からの脱出なるか……。

 数百年後に大阪全停止を引き起こすことになるあの「秘密」はどのようにして始まったのか。その起源がついに明かされる大長編がKindle化されました。単行本(文藝春秋)出版は2013年09月、Kindle版の配信は2013年12月です。

 「時は過ぎゆき、万物は流転する。古きは新しきに生まれ替わり、大事な教えもやがてないがしろにされる。らっきょうはいつしかにんにくに変化し、忍びの頭も悪くなる。いずれも長い平穏の時間がもたらした、致し方ない副産物である」(Kindle版No.39)

 出来のよくない忍びの風太郎(ぷうたろう)は、卒業試験でらっきょうとにんにくを取り違えるというしょーもないミスで、伊賀の里を放逐されるはめに。金もなく、仕事もなく、暇を持て余していた彼の前に、因心居士と名乗る謎の老人が現れた。

 「風太郎よ、どうじゃ、これですべてわかったろう? 儂は果心居士のもとへ行かねばならぬ」(Kindle版No.2742)

 自分を果心居士のところへ連れてゆけと命じる因心居士。そんな因果な話は御免だと逃げ回る風太郎。それとは別に、舞い込んできた忍びとしての仕事。楽勝と思えた簡単な仕事のはずだった。だが、彼の前に立ちはだかる凄腕の達人。

 「絶対にあの男には敵わない、と確信した。人を斬ったばかりなのに、あんな表情のない目をする奴に勝てるわけがない」(Kindle版No.3419)

 宿敵から命からがら逃げ延びたものの、その後も二転三転する宿命に翻弄される風太郎。集まってくる仲間たちとの腐れ縁。そして起こる大規模な戦乱。世にいう「大阪冬の陣」である。

 「長い間、自分が伊賀に戻りたいと願っていたのか、それともどこかであきらめていたのか----。いや、そもそも戻りたいと本当に思っていたのかすら、ようわからんようになってしもうた」(Kindle版No.5444)

 「どちらに真に仕えるべきか、ときどき、儂はわからなくなる」(Kindle版No.5383)

 「伊賀とも、忍びとも、すべてと縁を切って、ただのひとりになる----。柘植屋敷にいたときから、ずっとそれだけを考えていた」(Kindle版No.6548)

 「もう、伊賀は忍びの国ではない。忍びよりずっと役に立たぬ侍のほうが、よほど偉い国になってしもうた」(Kindle版No.5480)

 「これからは、いくさのない、まともな世が来るはずじゃ。忍びが忍びとして死ぬ時代は終わったのだ。もはや、己の命を賭けてまで成し遂げる仕事などない」(Kindle版No.7233)

 それぞれに屈託を抱えて生きる風太郎と仲間たち。しかし、時代は容赦なく動き続ける。迫り来る「大阪夏の陣」、そして豊臣家滅亡のときを前に、風太郎たちは途方もない任務を引き受けるはめに。

 「死ににいくようなもんさね」(Kindle版No.6998)

 「儂はおぬしに希望を託したのだよ----、風太郎」(Kindle版No.2075)

 「みんなさっさと死んでいく。儂だけが、まだ生き残っている。風太郎、おぬしは長生きせえよ」(Kindle版No.6037)

 「儂が無理強いして、たどり着ける場所ではない。おぬしが己で行く気持ちを確かにせねばならぬ。要は覚悟という話じゃな」(Kindle版No.7103)

 「こんな命懸けの仕事を引き受ける理由など、どこを探したって見当たらない。いちばん肝心な金の話だって何もしていない。にもかかわらず、俺はきっと、とうに己の為すべきことを選んでいた」(Kindle版No.7076)

 「不思議と恐れはなかった。一銭の金にもならぬ、割が合わぬにもほどがある頼まれごとなれど、ねね様や因心居士や果心居士に導かれ、己がここに立つ理由を今なら不思議と了解できた」(Kindle版No.8327)

 因心居士の助けを借り、仲間と共に闇を駆け抜ける風太郎。だが彼らを待っていたのは、さらなる難事だった。しかも、負傷した風太郎の前に、ついに現れる宿敵。

 「忍びとして他より抜きん出た資質など、俺には何ひとつ備わっていなかった。刀の腕は平凡、口が立つこともない。手先は不器用で、きっと頭の動きも鈍かろう」(Kindle版No.9003)

 「どれほどの出来損ないであれ、とうに伊賀では用なしになった身であれ、たとえ忍びとして生きることはできずとも、忍びとして死ぬ勝手はあるはずだ」(Kindle版No.8923)

 取り巻くは十万の徳川勢、目の前には決して勝てぬ宿敵。仲間は散り、因心居士も去り、ただ一人、血を流しながら炎のなかに立つ風太郎。勝算も、退路も、希望もないこの状況で、笑みを浮かべて刀を構えたとき、最後の対決が始まった。

 というわけで、時代劇というか、忍者ものです。ただし、セリフなどほとんど今の若者口調で書かれており、どちらかというと「専門学校を卒業したものの、就活に失敗してくすぶっていたプータローが、うまい話にまんまと乗せられて、気がついたらブラック企業でこき使われていた」という感じです。

 最初の方は、いかにも無責任で、いい加減な「今どきの若者」らしい風太郎が、ふらふらしているうちに、色々な試練を受けて次第に覚悟が定まってゆくところが印象的。他の登場人物も、忍者小説の類型ながら、魅力的です。後半はノンストップで見せ場が続き、思わず手に汗握って読み進めることに。

 なお、第三長編『プリンセス・トヨトミ』の前日譚にあたる(といっても400年前ですが)話なので、独立した作品とはいえ、やはり先に第三長編を読んでおいた方が本書を感慨深く読めると思います。『プリンセス・トヨトミ』の紹介については、こちら。

    2013年04月15日の日記:『プリンセス・トヨトミ』
    http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-04-15


タグ:万城目学
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『現代台湾鬼譚 海を渡った「学校の怪談」』(伊藤龍平、謝佳静) [読書(オカルト)]

 「台湾の学生たちも、日本の学生と同じように、不思議な話、恐い話を好む。そして彼ら彼女らが口にし、耳にする怪談には、数知れない鬼たちが登場する。それらの怪談は、筋だけを追うと現代日本の怪談と共通する部分が多いが、話し手・聞き手が抱く「鬼」イメージの相違という点に注目すると、また新たな問題点を提供できる」(単行本p.50)

 台湾の学校ではどのような怪談が語られているのか。トイレの花子さんは、コックリさんは、70年代オカルトは、そしてトンデモ本は。日本の怪談と似ているようで、やはり異なるところもある台湾の鬼譚に関する興味深いレポート。単行本(青弓社)出版は、2012年08月です。

 「本書の目的は、台湾の学校の怪談を紹介し、台湾の鬼伝承の現在を活写することにある。そうすることによって、日本の事例との共通点・相違点が明らかになってくるはずである」(単行本p.18)

 台南の学生たちに対する聞き取りを中心としたリサーチにより、現代台湾における「学校の怪談」を、特に対日比較という観点から明らかにしていく本です。ちなみに、中国語における「鬼」は、日本語における「幽霊」に近いイメージの言葉だということに留意して下さい。

 全体は8つの章に分かれています。

 最初の「第1章 陰陽眼の少女」は、台湾における怪談を理解するための基礎知識を紹介してくれます。例えば、「風水が悪い場所には鬼が出る」というのは、日本でいうと「心霊スポットには悪い霊が集まってくる」というような感じ。

 「陰陽眼」というのは「鬼を見る能力」のことで、日本ではまあ「霊能力」とか「霊視」とか呼ばれているもの。「八字」は道教の概念ですが、「八字が軽い(八字很軽)」と鬼を感じやすく、憑かれやすい、と云われており、日本だと「霊感体質」といったところでしょうか。鬼を見る力、というのと、鬼を感じる力、というのは区別されています。

 著者の教え子で、「姉は陰陽眼、妹は八字很軽」なんていうケースもあったそうです。視てしまう姉、とり憑かれやすい妹。まるで『もっけ』(熊倉隆敏)のようで、何となく分かる気がします。

 「塾の帰りの夜道、いつものように公園を歩いていたところ、急に周囲の街灯が赤くなった。と、向こうから青いズボンに白い服の老人が歩いてくる。すれ違いざま、老人の体は林さんの肩をすり抜けた」(単行本p.35)

 「姉は無口な人で、鬼について多くを話さない。ただ、「あ、あの人、足がない」とか「手が半分しかない」などと、陰陽眼で視た鬼の姿を断片的に口にする」(単行本p.39)

 「第一寮には「並行世界(パラレル・ワールド)」になっている部屋があるという。同じ時間、同じ部屋に二人でいても、互いの存在が見えないそうだ」(単行本p.27)

 台湾では、少なくとも台南では、鬼や奇現象との遭遇はそれほど珍しいものではなく、また非常に現実的なものだと考えられているようです。

 「台湾の「鬼」と日本の「幽霊」の相違点は、何よりも話し手・聞き手が抱くリアリティの度合いなのではないか(中略)台湾の怪談について考える際、鬼が生々しい現実感をもった存在とみなされていることは忘れないでおきたい」(単行本p.51)

 「第2章 「鬼」の絵を描いてみてください」で扱われるのは、学生たちに絵を描いてもらうことで、「鬼」の視覚的イメージ、「鬼」を特徴づける記号について探ろうという研究です。

 「整理すると、「細身の女性」で「長い黒髪」「足元が不明瞭」、そして「白い服を着ている」----これが平均的な台湾の鬼の姿である。これらの記号は、日本の幽霊にも共通するものである。一方、「長い舌」「充血して飛び出した眼」などの記号は、日本の幽霊にはあまり見られない。同じく「赤い服」という記号も、日本の幽霊にはあまり聞かない」(単行本p.60)

 鬼と幽霊のイメージ、似ているようで微妙に違いがあるようです。

 以上を基礎知識として、「第3章 学校に棲む鬼たち」では、いよいよ学校の怪談が語られます。

 「東光小学校(台南市)には「七不思議」があり、そのうちのひとつが「トイレに出る女の鬼」だという。この女鬼の名前が「花子」で、林さんも「トイレには花子がいて……」と話していた」(単行本p.80)

 他にも「ひとりでに鳴りだすピアノ」(単行本p.81)とか、学校の「七不思議」の共通性には驚かされます。しかし、同じだ、同じだ、と油断してはいけません。

 「ある女の子がトイレに行ったときに、もともと開かないトイレのドアが突然、ドンと開いた。女の子が入ると、ごみ箱のなかに血まみれの赤ちゃんの頭があって、「ママー!」と叫んだ」(単行本p.86)

 「ある人が夜中に学校へ行った。翌日、その人は死体で見つかった。孫文の像の手で心臓を取り出されたのだそうだ」(単行本p.96)

 「揺さぶられる感じがしたから、誰かがいたずらをしていると思ってしゃがんで見たら、鎧を着た日本人の鬼がいる。その後ろに中国人の警察がいて、鬼を護送している。そのとき、ちょうど生徒はその日本人の鬼と目があって、驚いて叫んで机の上に飛び上がった。そして、その中国の警察が日本人の鬼を窓の外に護送して行くのを見た」(単行本p.121)

 日本では、せいぜい誰もいないトイレから返事がしたり、校庭にある像が夜中に動いたりするくらいなのに、台湾だとこういうことに。最後の話など、台湾の過酷な近現代史が露骨に反映されていて、ちょっと気が滅入ります。

 「第4章 鬼譚の背後にあるもの」から「第7章 植民地統治と軍人鬼譚」までは、台湾における怪談について民俗学的に考察してゆきます。道教の影響、御祓い、キョンシー、林投姐(リントウジェ)、こっくりさん、軍人怪談、などが話題として登場します。

 「第8章 海を渡った「オカルト」と「妖怪」」では、日本の大衆文化、特に「オカルトブーム」がどのように台湾に影響したのかが紹介されます。

 「超能力であり、宇宙人・UFOであり、未確認動物であり、超古代文明であり、異次元空間であり、ノストラダムスの大予言だった。それら1970年代のオカルト伝承は『ドラえもん』とともに海を渡っていったのである。なかんずく、アジア諸国の子どもたちにあたえた影響は大きかった」(単行本p.220)

 「台湾での「妖怪」の浸透度を端的に表しているのが、近年、南投県(中部に位置)に開園した「渓頭妖怪村」である。要するに「妖怪」のテーマパークなのだが、巨大な鼻高天狗のモニュメントに赤い鳥居、日本の古民家を模した店が建ち並ぶさまは、文化資源としての「日本」イメージの一角を「妖怪」が占めてきているのを示している」(単行本p.229)

 さらに、台湾におけるオカルト本事情などの話題に進むのですが、なぜかトンデモ本について思い入れがあるらしく、それまで学術的に冷静に記述していたトーンが急に変わるのがおかしい。

 「トンデモ本のトンデモ本たる条件は、書いている本人に悪意がなく、かつ大真面目だという点に尽きる。トンデモ本の著者たちは利害損得を勘定に入れず、ひたすらにロマンを追い求め、少年のような好奇心に突き動かされて(いろんな意味で)遠くへ行ってしまった人たちである」(単行本p.235)

 「トンデモ本の書き手は、畏敬の念を込めて「トンデモさん」と呼ばれる。トンデモ本は確信犯的に書けるものではない。真のトンデモさんは、当人が真剣であればあるほどトンデモの世界に陥っていく。ある種のセンスといっていい」(単行本p.237)

 なぜ、そこまで熱く語るのかよく分かりませんが、とにかく台湾でトンデモ本が生まれていることが嬉しくてたまらない様子です。

 「つまるところ、トンデモ本は、周囲に認知されることによってトンデモ本となる。(中略)オカルト伝承の多くがそうであるように、トンデモ本もまた時代の産物なのである。先に「台湾にトンデモ本が生まれたのは偶然ではない」と書いたのは、そういう理由である」(単行本p.236)

 「台湾の出版界では、すでにオカルトライターが一定の位置を占めるようになっている。(中略)彼らの書いたオカルト本を読んだ世代がまた、オカルトについて語るようになる。そのなかには、オカルトを「伝承」の視点から論じる書き手も出てくるかもしれない。その視点が生まれたら、台湾にも「と学会」的な組織ができる日も近い」(単行本p.239)

 台湾のトンデモ本は、本書で紹介されている限りでは、「UMAとは、地球に飛来した宇宙人が実験的に作って、失敗した生物である」(単行本p.234)と主張するような、トンデモ慣れした日本人から見ると、素朴というか基本というか、第一世代トンデモという感じですが、これからの発展に期待したいと思います。

 というわけで、学校の怪談を中心に、伝統的な怪異譚から都市伝説、通俗オカルトに至るまで、台湾で語られている様々な鬼譚とその背景について分かりやすく紹介してくれる楽しい一冊。日本のそれと似ていて、でも決定的な相違点もある。その距離感も面白いし、その背後にある歴史の違い、社会環境の違い、道教と神道の違い、など興味深い論点も多数含まれ、読んで色々と参考になります。


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『ブラジル妖怪と不思議な話50』(野崎貴博) [読書(オカルト)]

 「ブラジルには多くの妖怪がいて、ブラジル人にとって妖怪は、非常に身近な存在だったのです。(中略)本書では、ブラジルの妖怪と不思議な話、合わせて50のエピソードを盛り込みました」(Kindle版No.15、22)

 人が近づくと頭を地面に落とす妖怪、人を捕えて家族に脅迫状を送りつけてくる妖怪、近づけば近づくほど大きくなってゆく妖怪。さらには金銀財宝にあふれる秘密の王国から魔女伝説まで。ブラジルで言い伝えられている伝統的な怪異譚を50話収録した本が電子書籍化されました。Kindle版配信は2013年05月です。

 「トゥトゥは美少年が大好きで、可愛い男の子を見つけるとコソコソと後を追う。そして欲望を抑えきれずに、ついにはペロリと食べてしまう」(Kindle版No.866)

 「フロール・ド・マトゥは、しばしば人を捕まえては無事に帰すことと引き換えにタバコをねだる。捕えた者がタバコを持っていない場合には、その家族あてに手紙を書き、パイプやタバコの葉を要求する」(Kindle版No.452)

 「クルピラは、人間の小さな子供を誘拐し、7年間、人間と自然の関係の大事さを子どもに教えた後に、子どもを親へ返す」(Kindle版No.414)

 妖怪にしてはやることがあまりに人間っぽいというか、人をとって喰らう恐ろしい魔物にしては妙な愛嬌があるというか。南米ブラジルで言い伝えられている妖怪は、やはり日本の妖怪とは一味違うようです。

 「カベッサ・サターニカに誰かが近づくと、服が裂け、頭が取れて地面に落ち、ゲラゲラと笑い始める。この頭に触れた者は気分が悪くなって死ぬ」(Kindle版No.233)

 「ピザデイラは、人々が眠った頃を見計らって、そっと天井から降りてくる。そして、ぐっすりと眠っている人の胸の上に座り、安らかな呼吸の邪魔をする」(Kindle版No.801)

 「カベッサ・ジ・クイアは、川に漂流するひょうたんにまぎれて、川で水浴びをする子どもを水中に引き込む」(Kindle版No.224)

 「ボトゥは、パーティに現れて女性をナンパする(中略)そんなときは、彼が帽子を被っているかどうかに注目するとよい。ボトゥの正体はカワイルカなので、頭には噴気孔がある」(Kindle版No.144)

 「カペロボは獰猛な肉食怪物であるが、ヘソを攻めると、この妖怪を退治できる」(Kindle版No.288)

 「体の正面に踵があり、体の背面につま先があるということになる。これだと足跡は普通と反対の方向を向く。そのため、この足跡を追いかけてもクルピラの進行方向とは逆に進むことになり、この妖怪にたどり着けない」(Kindle版No.406)

 「ブラジルのゾンビは、近づけば近づくほどに徐々に体が大きくなっていき、その大きさは手を伸ばしても届かない高さにまでなるという」(Kindle版No.880)

 いかにも日本妖怪と似ているタイプもいますが、「ひょうたんにまぎれて近づく」とか「ヘソが弱点」とか「正体はカワイルカ」とか、やはり恐怖だけでなくどこかユーモラスな明るい雰囲気が漂っている感じが魅力的だと思います。それにしてもブラジルのゾンビはあまりに独特というか、おまえは見越し入道かと。

 妖怪だけでなく、不思議な伝説も多数収録されているのも嬉しい。

 「ヨーロッパ人がブラジルへ入植してくる以前に、白人女性が女王として君臨していた王国が存在していた」(Kindle版No.80)

 「シダージ・エンカンターダは、金銀財宝の溢れる豊かな都市で、そこへ行くには秘密の洞窟を通らなければならないという。その洞窟は、セアラ州のジェリコアコアラにあるといわれている」(Kindle版No.349)

 「クカはドラゴンで、キリスト教の聖人である聖ジョージに北アフリカのリビアあたりで退治された。その後、命からがらブラジルに逃げてきたのだという。そのときにクカを導いた魔女の老婆がおり、その老婆もまたクカと呼ばれている」(Kindle版No.379)

 「7人姉妹の末娘で、生まれてから7日目までに長女によって洗礼を施されない子が、ブルーシャ(魔女)になる」(Kindle版No.180)

 「7人姉妹の次に生まれた8番目の子が男の子だった場合、その子がロビゾーメン(狼男)になる」(Kindle版No.548)

 どうも、7人姉妹は不吉なものと思われているらしい。

 妖怪というより、都市伝説あるいは学校怪談に分類されるような話もあります。

 1980年代半ば頃からサンパウロの学校で広まったといわれている「トイレのロイラさん(ロイラ・ド・バニェイロ)」がそれ。トイレの一番奥の個室に入って水を3回流すとロイラが鏡の中に現れる、その姿を見ると連れ去られてしまう、電話をかけて「ロイラ1、ロイラ2、ロイラ3!」と連呼すると呼び出せる、など、いかにも学校の怪談そのもの。

 タクシーが白い服を着た女性(モッサ・ジ・ブランコ)を乗せたところ、彼女はすっと消えてしまう。シートには指輪が残されている。あるいは消えたあたりは墓地だった。こうしてみると、「消えるヒッチハイカー」や「トイレの花子さん」の仲間は南米にもいる、というか、たぶん移民についてきた、ということがよく分かります。

 それから、「シュパ・カブラス」(日本ではチャパカブラと呼ばれることが多い)、「マピングァリ」(大型猿人だが、脚はロバ、踵は前後逆、口は顔ではなく腹にあり、人間を食べてしまう。UMAファンに人気があり、探検隊がアマゾンのジャングルを捜索したこともあるとのこと)、「ミニョケォン」(超大型ミミズ。地中を動くと地震が起きる)、など日本では妖怪というよりむしろUMA(未確認動物)の本に出てくる連中についても、現地でどのように語られているかが書かれていて、興味深いものがあります。

 こういう魅力的な妖怪がごく当たり前に信じられていたり、民家を普通に出入りしたりしていることを考えると、ブラジルで奇想天外な宇宙人遭遇譚が多いのも、何となく納得できるものがあります。


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『SFマガジン2014年3月号 2013年度英米SF受賞作特集』(深堀骨) [読書(SF)]

 SFマガジン2014年3月号は、2013年度英米SF受賞作特集ということで、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞などの受賞作品を翻訳掲載してくれました。また、某文芸誌の話題に便乗して、深堀骨の新作(実は塩漬けにされていた旧作らしい)も掲載してくれました。


『スシになろうとした女』(パット・キャディガン)

 「わたしたちはスシになるべく生まれついたが、スシに生まれついたわけではない。誰もが最初は二足歩行者で、二分法思考になじみ、無知の中に生きていた」(SFマガジン2014年3月号p.29)

 人類が外惑星圏にまで進出した未来。生体改造により、タコ、フグ、カニ、オウムガイなど様々な形態をとることで宇宙環境に適応した人々は、「スシ」と呼ばれていた。木星への彗星衝突という世紀の天体ショーが近づいた頃、木星圏のスシたちも準備作業に追われていたが、作業中に仲間の羽毛なし二足歩行者(伝統的人類)が負傷してしまう。治療中に彼女は自分もスシになると言い出すのだが……。

 外見を多種多様に変えた宇宙居住者たちが生み出した文化と、自分たちと異なる外見や考え方に対して不寛容な人類との間で生ずる文化摩擦と差別を扱ったシリアスな作品なんですが、なんというかこう、「スシ」を始めとするネーミングと、語り手(タコ型)がやたらと触手を強調するおかげで、どうも笑ってしまう触手モノ。


『没入』(アリエット・ドボダール)

 「その文化に生まれつかないかぎり、銀河人のように考えることなどできはしない。 あるいはそこに何年も、無感覚になるまで薬浸けのようにして浸りきってしまわないかぎり」(SFマガジン2014年3月号p.43)

 外見や振る舞いを異文化に適合させる「没入装置」が普及した未来。軌道ステーションに住む地球人は、自分たちが基準だと信じて疑うことのない傲慢な銀河人観光客のために、没入装置を常時着用していなければならなかった。しかし、没入装置に依存するあまり、自らの文化的アイデンティティを喪失して病んでしまう者もいるのだった。

 異文化間の交流と共存を支援するために開発された没入装置が、文化摩擦の存在そのものを隠蔽して、少数文化を圧殺してゆく。誰もが白人、西洋人の文化に合わせることを強いられるグローバリゼーションの実態を風刺した作品。


『九万頭の馬』(ショーン・マクマレン)

 「もし1899年にこの話をしていたら、世界の運命はどうなっていただろう? 大英帝国は月にまで領土を広げていただろうか?」(SFマガジン2014年3月号p.73)

 19世紀末の英国。ある貴族から、息子が何やら極秘に開発しているという「新型機関車」について探ってほしいと依頼された天才美人スパイ。無学なメイドに化けて工場に潜入した彼女が見つけたのは、ケロシンと液体酸素を混合させた液体燃料を爆発的に燃焼させ、短時間に9万馬力もの推力を出す驚異のエンジンだった。新型機関車の正体とは……。

 数学の天才たる美しい女性スパイが語る恋と冒険と驚異の物語。「19世紀末の英国を舞台とした、驚くべき発明をめぐる奇譚」という王道的中篇です。


『廿日鼢と人間』(深堀骨)

 「店内を抜けて厨房を抜けて裏口を抜けて路地を抜けて通りを抜けて藪を抜けて地面を抜けて土を抜けて泥を抜けて闇を抜けて底が抜けて抜けて抜けて抜けた先は地底王国だった。念の為繰り返す。地底王国だった」(SFマガジン2014年3月号p.254)

 廿日鼢(ハツカモグラ)を見つけて大金持ちにならんと欲した吾蠅(ワガハイ)は、逆にきやつらにつかまり地底王国で本田博太郎(二代目)にされてしまう。問答無用の深堀骨としか言いようがない本田博太郎SFの傑作。

 編集部による解説もノリノリ。

 「〈群像〉2014年2月号「変愛小説集」への新作「逆毛のトメ」発表と、深堀骨プチブームの機運に便乗」(SFマガジン2014年3月号p.249)

 「「あまちゃん」の大ヒットを10年前に予言していた名著『アマチャ・ズルチャ』」(SFマガジン2014年3月号p.249)

 なお、深堀骨プチブームのきっかけとなった『逆毛のトメ』を含む「変愛小説集」の紹介については、こちら。

  2014年01月09日の日記:
  『変愛小説集(「群像」2014年2月号掲載)』(岸本佐知子:編)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-01-09


[掲載作品]

『スシになろうとした女』(パット・キャディガン)
『没入』(アリエット・ドボダール)
『九万頭の馬』(ショーン・マクマレン)
『廿日鼢と人間』(深堀骨)


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『猫自慢展15』(坂田恵美子) [その他]

 地元、福生のエスニックカフェ「アルルカン」にて、毎年この時期に開催される「猫自慢展」。地元作家による、猫をテーマとした作品展です。写真、金属細工、陶器、絵画、工芸、その他さまざまな作家による作品が展示されます。今年も知り合いの坂田恵美子さんの猫写真を見るために夫婦で行ってきました。

 昼過ぎに到着して、坂田さん、配偶者の同僚、私たちの四名でテーブルを囲み、ひたすら猫話。私たちは昼食がまだだったので、ここの名物「ピラミッドパワーチキンカレー」(『立川・福生本』(エイムック2759)のp.93参照)およびタイ風チャーハンを注文して食べました。どちらも美味しい。

 坂田さんは保育士の仕事に戻って忙しくなったとのことですが、雰囲気も見るからに明るくなり、元気を回復している様子で、私たちもほっとしました。よかった。

 展示を鑑賞してから、坂田さんの絵葉書、猫ハンコ(消しゴム印)、猫小封筒(猫に小判と「わいろ」の文字)、そして猫のおもちゃ等を購入しました。おもちゃは「トム・ソーヤー工房」(『立川・福生本』(エイムック2759)のp.92参照)の作品で、親指サイズの猫面ゲジゲジというか、微小モーターが振動すると床と多数脚の摩擦でするする円を描いて走り回るというもの。帰宅後にうちの猫たちに見せたら、滑るように動くその様子が異様な注目を集め、つついたり跳び上がったり。うけた。

 「猫自慢展15」は、2月いっぱいアルルカンでやっています。地元の作家たちの手作り猫モチーフ作品に興味ある方は、機会を見つけて来店してみて下さい。

【猫自慢展15】
  http://www13.plala.or.jp/meipotti/DM.html


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