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『英子の森』(松田青子) [読書(小説・詩)]

 「英語ができると後でいいことがある。先生が言った。テレビが言った。広告が言った。母が言った。だからますます英語のことが好きになった。英語はわたしを違う世界に連れて行ってくれる魔法。新しい世界につなげてくれる扉。そう信じていた。英語は魔法。英語は扉。じゃあなんで今のわたしはこんなところにいるんだろう」(単行本p.15)

 英語ができればラクラク就職、高収入、グローバル人材。そんな甘い幻想を打ち砕く表題作など、鋭い皮肉と風刺でまたもや小説の枠をぐいぐい広げてゆく魅惑の六篇を収録。単行本(河出書房新社)出版は、2014年02月です。

 「素晴らしい傑作です。大声でとにかく読め読め叫んで回りたい。ふるふるふる」などと叫んで回った(そして著者名を“まつだせいこ”と連呼して恥をかいた)『スタッキング可能』から一年、いや私の個人的な恥はどうでもいいんですが、ついに出版された待望の第二単行本です。

 ちなみに前作『スタッキング可能』の単行本読了時の紹介はこちら。

  2013年02月19日の日記:『スタッキング可能』(松田青子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-02-19

 本書も期待を裏切らない素晴らしい出来ばえ。まず、表題作『英子の森』からして激烈。英語学習サイト「英語の森」とか、児童向け英語塾「えいごのもり」を連想させるタイトルも挑発的です。

 「たった50円。末尾に添えられた一文に今日も体の力が抜けていくような気持ちになった。英語を使う仕事と英語を使わない仕事、その差50円。なんだこれ。笑ってしまう、でも笑わなかった。一つも笑えなかった」(単行本p.18)

 英語ができれば仕事は選び放題、英語くらい出来ないとグローバル時代に取り残されてしまう、英語はあなたの可能性をひらく。そんな幻想を信じて英語学習に打ち込んできた主人公、英子。だが、現実はちっともそうではなかった。

 「英語学校も留学を斡旋する旅行会社もいい部分だけ見せて、後は責任取りませんって感じで、勝手すぎますよ。グローバルなんて都市伝説と一緒。信じた方がバカみたいっていうか」(単行本p.71)

 手に入る仕事は、国際会議の受付とか、手荷物預かりとか、タイムキーパーとか、そんな定型文を繰り返すだけで事足りる「誰にでも出来る」時給の少ない短期派遣業ばかり。

 「「お名前は?」「あと10分で時間です」「時間です」「良い一日を」 同じフレーズの無限ループ。いつかこのループから抜け出せる日がくるんだろうか。このまま努力し続けたら」(単行本p.26)

 来ねえよ。嘘だよ。騙されてたんだよ。ほとんどの人にとって英語なんて何の役にも立たねえよ。そんな言葉をぐっと飲み込んで(口にすると、英語しか取り柄のない自分に絶望しそうで怖いから)、今日も森へ帰る英子。

 そう、母親と二人で暮らす家というそれなりの居場所がある英子にとって、家は森。花が咲き、小鳥が歌い、小川が流れ、そよかぜが吹く、そんな森。誰もが自分の森に住んで、何とか一日を過ごしている。でも、今週の出勤先は有楽町のビル。ようこそ、こちらです、良い一日を。

 「不思議だった。いいね、かっこいい。うらやましい。英語ができると言うと、英語を使う仕事に就いていると知ると、みんなそう言う。けれどそのときその人たちの頭の中に浮かんでいるのはイメージの英語だ。本当に恵まれた状態で働けている人たちはほんの一握りで、一方の娘は、今、電話代も出してもらえない」(単行本p.55)

 英子が手にしたグミの袋にはみずみずしい果物の絵が描かれており、いちみりもグミではないその絵には、「写真はイメージです」と書かれています。森はイメージです。英語はイメージです。グローバルはイメージです。

 「写真はイメージです。この写真はイメージです。青い空はイメージです。白い雲はイメージです」(単行本p.85)

 イメージです、という世の中に氾濫しているあの無責任すぎて不条理レベルに達している謎フレーズを極限まで繰り返すことで、小説を新たな地平(イメージです)に持ってゆく『*写真はイメージです』。何もかもイメージです。個人の感想です。

 イメージです、イメージです、果てしない繰り返しの途中にこっそり「昨日嫁が出ていったのはリアルです。空前絶後のダメージです」(単行本p.88)などと、くすぐりを入れてくる著者のサービス精神にも惚れ惚れ。小説もイメージです。子供番組もイメージです。うたのおにいさんもイメージです。

 「ねえ、おにいさんってなんなの。こわい。よしき、こわいよ、おにいさんがこわいよ~」(単行本p.99)

 大人なら「イメージです」で済ませられるところを、子供は納得できません。世の中に溢れる「暗黙の了解」の気持ち悪さに気付いてしまった子供が泣きわめきます、『おにいさんがこわい』。

 よしき君はすぐにスタジオから連れ出され、最初から「なかったこと」にしてリテイクされる子供番組。しかし、すでに気付いてしまった子供たちが、次から次へと泣きだし、その度にリテイク。段々と子供たちの人数が少なくなり、ついにプレッシャーに耐えかねた「うたのおねえさん」も逃亡。スタッフも離脱。でも、おにいさんは、おにいさんだけは、逃げることが出来ない。だって。

 「おにいさんにはおにいさんだけに用意された台本がある。いつも笑顔で、自分の意見なんて決して表明しない、みんなのおにいさんであることを強要する台本が」(単行本p.112)

 「セットが撤収され、カメラがただの黒い塊に姿を変えても、おにいさんは立ち続けた。スタジオの照明が落ちて、真っ暗な闇の中に一人取り残されても、おにいさんはそこに立っていた」(単行本p.115)

 英語はイメージです。うたのおにいさんはイメージです。職場はイメージです。スカートの絵柄のようなものです。そこから出ることは出来ません。

 「会社がカーテンのように波打って揺れた。よく起こる現象なのだけど、理由はよくわからない。別に仕事には何の支障もない。ときどき会社が折り畳まれるときがある。くしゃくしゃになっているときがある。水の中で、ぐわんぐわん会社が回転するときもある」(単行本p.126)

 「うたのおにいさん」どころか、「A」とか「B」とか「C」といった記号になって、誰でもいい置換可能な存在あつかいされているのに、しかもオヤジ上司の仕打ちがあまりといえばあまりに理不尽なのに、会社はイメージです、というかスカートの柄に過ぎないかも知れないのに、それでも黙々と仕事をする女性たちをえがいた『スカートの上のABC』。まるで『スタッキング可能』を10ページに圧縮したような高密度の傑作です。

 「博士、私、この世界が嫌いです。この世界が大嫌いです。こんなだれでもなんでも言えちゃう世界がすごく嫌です。ちがうんです、なんでも言えちゃうことが嫌なんじゃないんです。(中略)私たち、いつの間にか言葉に使われている。利用されてる。なんでも書いてもいいよって、でも私たち、少しも自由になってなんかない」(単行本p.141、142)

 イメージでも嘘でもうたのおにいさんでもない「真実」が、「自由」が、ネットにはあるのでしょうか。『博士と助手』は奇妙な言語療法を通じてネットの真実に迫ろうとします。心が温かくなる言葉、泣ける言葉、自分を勇気づける言葉、絆を確認して心安らぐ言葉、そういった「ちょっといい言葉」で、世の中の嘘に対する拒絶反応を治療しようと試みる博士。

 「博士のそういうところ、ヘドがでそうです」(単行本p.147)

 そして最後に置かれた『わたしはお医者さま?』では、世界の終末が迫るときになって、ようやく「仕事」や「職場」についての希望が語られることに。

 「皆思った。〈ペンギンナデ〉はいい仕事だと。自分もやってみたいと。ペンギンの濡れた毛の手触りを、小さな後頭部の愛しさを、羽から落ちたしずくが〈ペンギンナデ〉である自分の履いた長靴にぽとぽとと落ちるのを想像しては、うっとりした」(単行本p.166)

 〈衿〉デザイナー、〈左利き〉被害対策局、〈鼻歌作曲家〉、〈木曜大工〉、〈夢プログラマー〉、〈無趣味の店経営〉、〈切手専門の額装屋〉、〈猫社長の秘書〉など、みんなで互いに語り合う、いい仕事。どうして私、自分が望む仕事じゃなくて、今こんな仕事をしているのか。時給が50円だけ高い仕事のために英語をあんなに勉強して。

 「私だけじゃなくて、皆やりたい仕事じゃない仕事をしていたのか。どうしてやりたい仕事がこんなにないのか。どうして何かにならないといけないのか。漠然とずっとそう思ってきたが、その気持ちが消えることが一度もないまま年を重ねて生きてきたが、皆そう思っていたのか」(単行本p.172)

 いい仕事について語れば語るほど、切なさが満ちてくるのはなぜ。私だって〈猫社長の秘書〉をやりたい。「研修」はもう何年も続けています。

 というわけで、おにいさんがこわいと泣き叫んだり、世の中なんてみんな嘘まみれピュアな俺には耐えられないといって引きこもったり、そんなことが許されない女たちは、嘘に飲みこまれないように、でもそれを指摘する言葉は飲み込んで、今日も黙々と仕事をしています。そこに、ささやかな希望がないとも限りません。そんな第二単行本。著者名を、まつだせいこ、と発音してはいけないことを今の私は知っています。

[収録作品]

『英子の森』
『*写真はイメージです』
『おにいさんがこわい』
『スカートの上のABC』
『博士と助手』
『わたしはお医者さま?』


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『もっと厭な物語』(夏目漱石、他) [読書(小説・詩)]

 「恐怖にまさる愉しみはない。それが他人の身にふりかかったものであるかぎり」(文庫版p.160)

 人間の心に秘められている狂気や冷酷さ、ほんのささいな出来事がきっかけで起こる悲劇など、読後に厭な後味を残す名作短篇ばかりを集めたアンソロジー、その第二弾。文庫版(文藝春秋)出版は、2014年02月です。

 「前作では海外作品のみを収録しましたが、本書は国産作品も加えたラインナップとなっています。選定基準はただひとつ----バッドエンド100%、これです」(編者解説より)

 前作である『厭な物語』、文庫版読了時の紹介はこちら。

  2013年07月26日の日記:『厭な物語』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-07-26

 続篇である本書も基本路線は同じですが、日本作品も収録したこと、そして今回はスプラッターホラー的な残虐描写のある作品も含まれていることです。


『夢十夜』より 第三夜(夏目漱石)

 「六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた」(文庫版p.11)

 眼の潰れた我が子を背負って雨の夜道を歩く語り手。どこかへ捨ててやろうと思っていると、子が大人びた声で言う。「丁度こんな晩だったな」。

 「こんな夢を見た」で始まるショートショートを集めた『夢十夜』のなかでも、怪談要素の強い第三夜。怪談の定型として有名なのですが、オチに持ってゆくまでの不安を盛り上げる文章が素晴らしい。


『私の仕事の邪魔をする隣人たちに関する報告書』(エドワード・ケアリー)

 「どうやら、人の興味をいちばんそそる類の音というのは、神経の衰弱している気の毒な人たちが考えるような夜に聞こえてくるのではなく、仕事でだれもが家を留守にしていると思われる昼の時間帯に起きるようだ」(文庫版p.18)

 語り手が住んでいるアパートには、奇妙な住民たちがいる。変装趣味、女スパイ、頭蓋骨蒐集者、猿の赤ん坊を母乳で育てている女、魚の病気にかかっている女、煙草をこっそり吸っている犬。気にかかって仕事が進まないんだ。

 ありがちな奇行から始まって、次第に内容が常軌を逸してゆく愚痴。果たしてアパートの住民全員がおかしいのか、それとも狂っているのは……。


『乳母車』(氷川瓏)

 「私はふと乳母車の中でよく眠っているらしい子供の寝顔が見たくなった」(文庫版p.35)

 夜道で出逢った女性が押している乳母車。どうやら眠っているらしく、物音を立てない赤ん坊。そのとき夜空が晴れ、月の光が差し込む。青く照らしだされた乳母車の中には……。

 これも有名なショートショート。怪談や都市伝説として様々な形で語られているのでオチはすぐに分かるでしょうが、やはり雰囲気の盛り上げ方が凄い。


『黄色い壁紙』(シャーロット・パーキンズ・ギルマン)

 「あの壁紙には、わたししか知らないことがある。他の誰も知ることはないだろう。表の模様の向こうでぼんやりしていたものの形が、日に日にはっきりしてきている。いつも形は同じだが、ただ、すごく数が多い。表の模様の向こうで、女の人が手足をついて這っているように見えるのだ」(文庫版p.54)

 屋敷の広い子供部屋に閉じ込められている女性。外に出たい、部屋を変えたい、せめてあの厭な黄色い壁紙を剥がしたい、などと切々と訴えるも、思いやり溢れる優しい夫はまったく聞いてくれない。

 自主的に行動することが一切許されず、厭な部屋で嫌いな壁紙を眺めて過ごすうちに次第に心が押しつぶされ、衰弱してゆく妻。やがて、壁紙の複雑な模様のなかに、くびり殺された顔、奇怪な眼、キノコ、そして這い回る女の姿が見えてきて……。

 君のためだよと言いながら、妻の自由を奪って支配する夫。誰にも話を聞いてもらえず、閉ざされた家のなかで次第に気がふれてゆく妻。狂気の進行がリアルに書かれていて、息が詰まります。個人的に、本書収録作品中で最も気に入った作品。


『深夜急行』(アルフレッド・ノイズ)

 「夜の静けさと寂しさのなかで、少年は本の魅力に抗うこともできなければ挿絵を見ることもできなかった。それで、うっかり挿絵を開いてしまわないよう、長い二本のピンでそのページを閉じ合わせた」(文庫版p.74)

 幼い頃に手にした大人向けの本。どんな話だったか、そもそも読み通したのかも覚えてないのに、その挿絵が怖くて仕方なかったことだけは覚えている。やがて大人になった語り手は、ある夜、ふと自分があの挿絵に描かれていたはずの情景のなかにいることに気付く。

 本好きなら誰もが覚えのあるエピソードを使って、読者を不条理な世界に引き込んでゆく好短篇。


『ロバート』(スタンリイ・エリン)

 「ロバートにこれ以上口をきかせてはいけない、と内部の声が叫んだ。この子はまたわたしを危険な罠にかけようとしている」(文庫版p.103)

 ロバートという教え子から恐ろしいことを言われた女教師。だが、騒ぐたびにロバート少年は自分が一方的な被害者であるかのように涙ながらに訴える。校長も父兄もクラスの他の生徒たちも、誰もがロバートの嘘を信じている。次第に追い詰められてゆく女教師。

 悪魔のような狡猾さと演技力で周囲を味方につける「恐ろしい子供」の罠にかかり、周囲の誰にも信じてもらえず、精神的に追い詰められてゆく親や教師。いかにもサイコホラーの基本パターンですが、話が終わった後になってさりげなく付け足された描写が、この定型パターンをゆるがせ、何とも言えない居心地の悪さを残す印象的な短篇です。


『皮を剥ぐ』(草野唯雄)

 「生き物の祟りがあるとかねえとか口先だけで議論し合っていても決着はつかねえ。そこでおれがあの犬をぶっ殺してみて、そんなものはねえってことを証明してやろうじゃねえか」(文庫版p.123)

 祟りなんて信じねえと言ってわざと犬を殺してみせる男。「うんと祟りやすいように」といって、生きたまま犬の皮を剥ぐ。犬の生き皮剥ぎの描写があるので、スプラッターが苦手な方、そして犬好きは、読まない方がいいです。警告しましたよ。


『恐怖の探究』(クライヴ・バーカー)

 「あの男には、悪意に裏打ちされた何かがある。そう、悪意以外の何物でもない。心の奥深くに悪意を秘めた人間のように思われた」(文庫版p.173)

 他人を拉致監禁しては、心の奥底に隠している「恐怖」を引き出す忌まわしい実験を繰り返す男。危険だと分かっているのに、引き寄せられるように集まる犠牲者たち。猟奇犯罪をテーマとした短篇で、この著者にしてはスプラッター描写は控えめで、血しぶきが苦手な方でも読めます。本当に苦手なら、最後の数ページだけ読みとばすことをお勧めします。


『赤い蝋燭と人魚』(小川未明)

 「人間は、この世界の中で一番やさしいものだと聞いている。そして可哀そうな者や頼りない者は決していじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。(中略)一度、人間が手に取り上げて育ててくれたら、決して無慈悲に捨てることもあるまいと思われる。人魚は、そう思ったのでありました」(文庫版p.226)

 人間の優しさと善意を信じて、子供を託した人魚。最初は人魚の娘を大切に育ててくれた老夫婦だが、やがて金のために心が荒んでゆき……。人魚の祟りをテーマにした有名童話ですが、人間の本性と哀しさがストレートに書かれていて、子供の頃よんで衝撃を受けた思い出がありありと蘇りました。


『著者謹呈』(ルイス・パジェット)

 「この本は50ページ。で、あらゆる人間の、考えうるすべての問題の答えが、この本のどれかのページに書かれている。(中略)わたしが思うに、この本の著者は人間の生というものを分析して、基本的なパターンに要約し、その方程式を文章として書いたのでしょう」(文庫版p.273)

 うっかり魔術師を殺してしまったことから、その使い魔である猫に命を狙われるはめになった男。しかし、危機に陥るたびに魔術師から奪った本が謎めいた言葉で窮地を脱するためのヒントを与えてくれる。ただこの著者謹呈本、使用回数が限られているというのが問題。しかし、使い魔の方にも時間制限がある。果たして勝つのはどちらか。命がけの攻防戦が始まった。

 ルイス・パジェットというのは、オールドSFファンには懐かしいヘンリー・カットナーとC・L・ムーアの合作ペンネーム。いかにも二人の共作らしく、魔法と論理を駆使した「悪漢と悪女の知恵比べ」の物語が、ユーモアとサスペンスを込めて語られます。このアンソロジーに収録されている時点でバッドエンドだと分かってしまうのが残念ですが、最後のページにしゃれた仕掛けがあって、読後感は悪くないというか、本書収録作品中で最も明るい話です。


[収録作品]

『夢十夜』より 第三夜(夏目漱石)
『私の仕事の邪魔をする隣人たちに関する報告書』(エドワード・ケアリー)
『乳母車』(氷川瓏)
『黄色い壁紙』(シャーロット・パーキンズ・ギルマン)
『深夜急行』(アルフレッド・ノイズ)
『ロバート』(スタンリイ・エリン)
『皮を剥ぐ』(草野唯雄)
『恐怖の探究』(クライヴ・バーカー)
『赤い蝋燭と人魚』(小川未明)
『著者謹呈』(ルイス・パジェット)


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『レッドスーツ』(ジョン・スコルジー) [読書(SF)]

 「オリジナルの〈スタートレック〉では、カークとボーンズとスポックのほかに、かならずレッドスーツを着たどうでもいいクルーが出てきて、最初のコマーシャルのまえには蒸発させられてしまうだろ。あのドラマの教訓なんだよ----レッドスーツを着てはいけない」(新書版p.173)

 これは、人類最初の試みとして5年間の調査飛行に飛び立った、宇宙船イントレピッド号の驚異に満ちた、というか脅威に満ちまくった物語である。新書版(早川書房)出版は、2014年02月です。

 銀河連邦の主力艦「イントレピッド号」では、何かおかしなことが起きていた。乗務員が毎週のように死ぬというのに、ブリッジにいる艦長を始めとする五人の上級士官はどんな危機に陥っても絶対に死なない。瀕死の重傷を負うことはあっても、一週間後にはどういうわけか完全に回復している。

 エンジンはいつもここぞというタイミングで重大な不調を起こし、有能なはずのメンバーがときおりとてつもなく愚かな行動をとる。危機的状況で、なぜか長々と過去の回想が始まる。重要な情報はメールではなく部下が直接伝えに来る。敵艦の攻撃はいつも船体の同じ箇所を破壊し、そのときはブリッジにある機器までどういうわけか火花を散らし、乗務員が吹き飛ばされる。

 だが、そんなことより大きな問題なのは、遠征に出かけた新任乗務員の死亡率の高さだった。イントレピッド号の新任乗務員である主人公たちにとって、それは深刻な問題なのだ。

 「だれかひとりが死ななきゃならないからだ。遠征チームはそういうものなんだ。キーングが遠征チームを指揮しているときは、だれかが死ぬ。かならずだれかが死ぬんだ」(新書版p.89)

 「統計的に見て、この五人にはきわめて異常な点がある。彼らが遠征に出かけると、その任務で致命的な失敗の起こる確率が上昇する。(中略)この五人は死なない。けっして死ぬことはない」(新書版p.107)

 「わたしが調べたかぎりでは、遠征任務で多少なりとも似たような統計的パターンをしめしていた宇宙艦が一隻だけあった。(中略)宇宙船エンタープライズ号。虚構の存在だ」(新書版p.108)

 「エンタープライズ号」とやらは虚構の存在かも知れないが、主人公たちは実在しており、その死はマジなのだ。〈物語〉にスポットライトを当てられ、「レッドスーツを着たエキストラ」として抹殺されるのを避けるべく、あらゆる努力をする新任乗務員たち。しかし、いつまでも逃げ続けるには、イントレピッド号に降りかかる事件はあまりにも多すぎるのだった。

 「平均すると1年に24の大きな事象が発生する。ほかに小さな事象がいくつか。たぶんそれらはタイアップ小説だと思う」(新書版p.117)

 年に2クールの危機。アイスシャーク、金星ガニ、ランドワーム、あるいは発狂した殺人マシンといった、どうしようもなく馬鹿げた脅威によって次々と命を落としてゆく仲間たち。この任務を終えたら故郷にかえって結婚するんだ、と言っていた仲間が死ぬ。敵の正体が自分の親友だと気付いた仲間が死ぬ。お前たちと一緒にいたら殺されちまう、俺は御免だぜ、などと叫んで走り出した仲間が死ぬ。

 「結局のところ、ぼくたちに自由意志はないんです。遅かれ早かれ、〈物語〉がぼくたちを迎えにきます。ぼくたちを好きなように利用します。そして、ぼくたちは死ぬんです」(新書版p.145)

 友人が「これを止める手立てを見つけてくれ(がくっ)」と言い残して死んだとき、主人公はついに戦うことを決意する。もうたくさんだ。何としてでも、このイデオットプロット(クソ脚本)を終わらせてやる。だが、どうやって。そう、手抜きシナリオの穴を逆用するのだ。

 こうして、命がけの登場人物vs生活がかかった脚本家、その直接対決に向けて〈物語〉は加速してゆく。

 「ほらね、やっぱり再帰的でメタなのよ」(新書版p.150)

 というわけで、ファンジンやら二次創作同人誌にありがちな発想で書かれた風刺スペースオペラ長篇です。単なるおふざけに終わらず、馬鹿げたプロットとアクションは(何しろ『老人と宇宙』シリーズの作者が書いているので)実際に面白いし、安っぽいSFドラマの出鱈目さを利用したプロットのひねり具合にもわくわくさせられます。最後に置かれた複数のエピローグにはしんみり。

 SFファンがSFファンに向けて書いたメタSFなので、SFファンにウケるのは無理もありません。とはいえ、ヒューゴー賞受賞は仕方ないとしても、ローカス賞まで受賞してしまったのはどうだろう、と正直思いますが。

 「週一のドラマでもゴミじゃないものはたくさんあるんだよ、ニック。それがSFドラマであってもな」(新書版p.282)


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『オオカミ』(エミリー・グラヴェット:作、ゆづきかやこ:訳) [読書(小説・詩)]

 「作者としては、この本を作っている間、ウサギが灰色オオカミに食べられることはなかったと伝えたいのです。フィクションですからね」

 図書館で『オオカミ』という絵本を借りたウサギを待っていた恐ろしい出来事とは。様々な仕掛けが施してあるメタフィクション絵本。単行本(小峰書店)出版は、2007年12月です。

 「ウサギは図書館にいきました。借りた本は、」

 『オオカミ』という本を図書館で借りて、熱心に読んでいるウサギ。書いてある内容、つまりオオカミが、読書しているウサギの背後に大きく描かれます。きわめてありふれた表現ですね。読書しているウサギは実景で、背後のオオカミは絵本の内容イメージ、のはず。しかし、読み進めるにつれて、次第にオオカミは背後からウサギに近づいてゆき……。

 仕掛けのある楽しい絵本。この絵本それ自体が、作中作である『オオカミ』になっていて、図書館の貸し出しカードは付いているし、貸し出し記録も張り付けてあります。ページには封筒やら何やら雑多な紙が挟み込んであり、読者はこの絵本の中でウサギが読んでいる絵本『オオカミ』そのものを自分が手にしている、という錯覚を起こすことでしょう。

 さて、絵本のなかにいるオオカミがウサギの背後に大きく迫ったところで、いきなり物語は途切れ、次のページには、ズタズタに引き裂かれた絵本が。

 どういうことでしょう。幼い読者はきっと困惑するに違いありません。どうして絵本の中にいるオオカミが、読者であるウサギを襲うことができるの? そこで利発な子は、はたと気付くわけです。この絵本『オオカミ』を今読んでいる自分はどうかと。

 フレドリック・ブラウンの著名短篇のアイデアをうまく絵本に活かしていて、感心させられます。メタフィクションを理解できる子どもなら、けっこう怖がるんじゃないでしょうか。

 さすがにこれで投げっぱなしというのはまずいのか、唐突に作者が登場。「やさしい読者のための結末はこうなります」と言って、無理やりハッピーエンドにしてくれます。その昔、筒井康隆さんの絵本でも、そういう手法が使われていましたね。

 しかし、そのハッピーエンドに登場するウサギは、千切れた絵を無理やりつないだものになっていたりして。センスのいい子どもなら、取り繕った大人の笑顔の背後にあるものを見たような気がして、さらなる恐怖を覚えることでしょう。ふ、ふ、ふ。

 作者のエミリー・グラヴェットは、他に『もっかい!』という絵本を書いています。そこでも、作中に登場するドラゴンによって絵本そのものに焼け焦げ穴があいてしまうという仕掛けがあったりして、よほどメタフィクションと仕掛け絵本が好きなんだろうなあ。『もっかい!』読了時の紹介はこちら。

  2012年07月20日の日記:
  『もっかい!』(エミリー・グラヴェット:著、福本友美子:訳)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-07-20


タグ:絵本
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『SFが読みたい! 2014年版』 [読書(SF)]

 さあ、昨年のベストSFが発表される時期がやってまいりました。「ベストSF2013 国内篇・海外篇」の発表です。 さっそく、自分が読んでいた作品数を数えてみましたが、……これがほぼ全滅。ベスト20のうち、国内篇は4冊(シリーズに含まれる冊数を合わせても7冊)、海外篇は3冊しか読んでないという寂しい結果に。

 とりあえず、読んでいた作品の紹介記事にリンクを張っておきます。

ベストSF国内篇第2位
  『ヨハネスブルグの天使たち』(宮内悠介)
  2013年05月29日の日記:
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-05-29

ベストSF国内篇第5位
  『know』(野崎まど)
  2013年10月09日の日記:
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-09

ベストSF国内篇第9位
  『日本SF短篇50 日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー』

  2013年10月15日の日記:『日本SF短篇50 (5)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-15

  2013年08月14日の日記:『日本SF短篇50 (4)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-08-14

  2013年06月12日の日記:『日本SF短篇50 (3)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-06-12

  2013年04月24日の日記:『日本SF短篇50 (2)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-04-24

  2013年03月12日の日記:『日本SF短篇50 (1)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-03-12

ベストSF国内篇第13位
  『NOVA10 書き下ろし日本SFコレクション』
  2013年07月10日の日記:
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-07-10

ベストSF海外篇第1位
  『夢幻諸島から』(クリストファー・プリースト)
  2013年08月15日の日記:
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-08-15

ベストSF海外篇第12位
  『時を生きる種族 ファンタスティック時間SF傑作選』(中村融:編)
  2013年07月24日の日記:
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-07-24

ベストSF海外篇第18位
  『ペルセウス座流星群』(ロバート・チャールズ・ウィルスン)
  2012年11月20日の日記:
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-11-20


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