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『カソウスキの行方』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「好きになったということを仮定してみる。「好きになる」とか「恋に落ちた」より文字数が多いが大丈夫だろう。仮想好き。これで文字数も減った」(文庫版p.41)

 会社からの理不尽な扱いを耐え忍んでいる女性が、元気を出すために仮想好き、カソウスキに取り組む表題作など、三篇を含む短篇集。単行本(講談社)出版は2008年02月、文庫版出版は2012年01月です。

 将来の展望なんてなく、職場ではパワハラまがいの嫌がらせ。生活のために色々なことをじっと我慢し、恋愛にも夢や希望が持てない。そんな働く女性のリアルな心理を、切なさと妙な滑稽さを込めて表現し、読者の共感を呼ぶ作品が揃っています。


『カソウスキの行方』

 何の落ち度もないのに左遷され、撤去が決まっている郊外の倉庫で働くはめになったイリエ。男の幼稚な妄想じゃあるまいし「倍返しだ!」とか叫んでどうにかなるわけもなく、生活のためにひたすら耐えて雑用をこなす毎日。

 「勤務中に、ごくたまにそのことを思い出すと、雄叫びを上げながら、座っている椅子を窓から投げたくなる。あの仕事もあの仕事もあの仕事もごまかし、あの備品もパクればよかった、あの子もいじめておけばよかった。やり損ねた悪事に思いを馳せると、無性に泣きたくもなる」(文庫版p.13)

 「これからの生活の不安を現実逃避で上塗りしつつ、しかしそれも袋小路に迷いこんで、もう何もかもがどうしようもない、自分の部屋に戻って布団に潜りたい」(文庫版p.30)

 つまらない雑用をこなす虚しさを耐え忍び、古アパートに帰れば、あまりの寒さに頭から布団をかぶって震えながらひたすら朝を待つだけのイリエ。救いは、ハロゲンヒーター。

 「頭のてっぺんからヒーターの暖気にあずかっていると、うれしくて涙が出そうで、そのまま泣いてしまおうかとも思ったが、二十八にもなって何がハロゲンがあったかくて泣きそうだよ、と考え直し、逆にがっくりきた」(文庫版p.39)

 「よくわからない理由でこんなとこに飛ばされて、そんなふうに会社に見くびられたって、働かなければいけない。帰るところはないから。(中略)今まで、そんなこというもんじゃないよ、と言ってくれた男の人はいた。皆いい人だったし、彼らが正しいことはわかっていた。けれどこみ上げるように、あなただって大切にされてきたんだろう、これからもそうなんだろう、とねじ込みたくなることがあり、そうしないために、いつも自分から距離を置いてきた。申し訳なかった」(文庫版p.67)

 切ない。

 そんなイリエが、元気を出すために思い付いたのが、仮想好き。つまり、手近な男を「好きになった」と仮定して行動してみる、という遊びだった。恋愛の面倒くさいところをカットして、何かこう、効用だけを期待する。

 そういうわけで、「ブログを書いていたら読むだろうけど、付き合いたいかというとそれは謎」(文庫版p.43)である森川なる男の健康診断票をコピーしたり、彼がパートの女性と話していた内容を調査したりと、カソウスキを進めるイリエ。

 「アプローチの仕方が間違っているような気がしないでもなかった」(文庫版p.44)、「わたしがしているのは、好きごっこというより興信所ごっこではないかとたまに思うが、それには気付かないふりをしているイリエだった」(文庫版p.45)

 観察しているうちに、自分に何か「悪いこと」があった日には、森川にはささやかな「いいこと」が起きていることに気付くイリエ。ある日、商店街のくじ引きで一等賞を引き当てたとき、イリエはとっさに走って逃げる。必死で。息を切らして。

 「自分にいいことがあってはいけないと思ったのだった。(中略)自分にいいことがあっては森川に悪いことが起ってしまうと考えたのだった」(文庫版p.88)

 ヒロインが必死で走る場面が登場する恋愛ドラマは数多いのですが、ここまでいじましく、切なく、滑稽な、そんなクライマックスは他にないと思う。胸にじんと来ます。


『Everyday I Write A Book』

 好きだった男の結婚相手のブログを読むのが習慣になってしまい、止めようと思っても止められない野枝。

 職場で上司からパワハラまがいの嫌がらせを受け、何をする気もおきず、連帯感を感じていた部下にまで八つ当たりしてしまった野枝。もうどうしようもなくなって、つい習慣で例のブログを読んでしまう。新婚で、仕事も順調らしく、明るく華やかな彼女の「正しい」言葉を。

 『やっぱり、日常を愛でるように生きていかないと駄目ですね。そうでないと、生きている意味がないですよね』(文庫版p.126)

 「野枝は、深い溜め息をついて、頭を何度か抱えなおし目をつむった。すすり泣く声が自分のものとは思えず、しかし喉に詰まる痛みは現実のものだったので、手で口を塞いだ。涙は後から後から溢れてきて、野枝の頬を汚した。もう化粧を直す気力も残っていないのに」(文庫版p.126)

 職場のいじめ。見なければいいのに、読んでもろくなことがないと分かっているのに、ついつい見てしまうネット上の言葉。これまた強い共感を呼ぶ話です。

 そんなどん詰まりの野枝にも、付き合っているんだかいないんだか微妙な男友達がいます。残業後に会っても、夜10時になるとさっさと帰ってしまう彼。野枝が助けを求めて自宅にやってきた夜、彼はついにその秘密を明かしてくれるのですが、それは脱力というか何やそれ、なもので……。

 
『花婿のハムラビ法典』

 「そこでハルオは決意したのだった。サトミの不義理と自分の不義理の回数を合致させようと。そこまではいかなくとも、せめて月間平均不義理回数を、三ポイント差までには縮めようと」(文庫版p.154)

 割とルーズなところのある恋人に振り回され気味なハルオが、「目には目を」方式による、こまめでいじましい報復を律儀に実行する。彼女が遅刻した分だけ、次回は自分も遅れていく。デートをドタキャンされたら、自分だって。

 「問題は、サトミが時々、ハルオには到底返しきれないほどのボーナスポイントを稼いでしまうことだった」(文庫版p.156)

 恋人からあまりに理不尽な目に合わされ、こんな巨大なボーナスポイントを返すにはどうすればいいのか、途方にくれるハルオ。悩むポイントはそこなのか?


タグ:津村記久子
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『我が心はICにあらず(小田嶋隆全集 第1巻)』(小田嶋隆) [読書(随筆)]

 「マッキントッシュが30歳になったということは、私がこの仕事をはじめて30年が経過したということでもある。(中略)57歳の私は、27歳の自分に圧倒されている。なさけないような、誇らしいような、不思議な気持ちだ」(Kindle版No.3386、3400)

 80年代後半にコンピュータ文化情報誌「Bug News」に掲載されたコラムを中心とした初期エッセイ集。その電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(ビー・エヌ・エヌ)出版は1988年03月、文庫版(光文社)出版は1989年08月、Kindle版配信は2014年02月です。

 パソコンまわりのあれこれや、社会現象、会社組織、政治、時事、とにかく何やらかんやらの駄目なところを、いい具合に脱力した感じで愚痴る。身も蓋もない事実をぼそっと指摘する。思わず失笑してしまう比喩。話題の対象の「しょぼさ」を表現することにかけては右に出るものがない、そんなコラムの原点たる一冊です。

 掲載されたのが80年代ですから、内容的にはもちろん時代遅れというか、若い読者には意味不明なことになっています。

 「先日、あるハッカーにマックと98のどっちが好きかと尋ねたところ、彼は「へっへ。僕の88markIIなんかね、立ち上げると諸行無常の音がしますよ」と言ってへらへら笑った。彼は何にも信じていないのだ」(Kindle版No.2603)

 とはいえ、まるで人面犬が世をすねたポーズで吐く捨てゼリフのような、独特の言い切り文体の魅力は今なお衰えていません。

 例えば、都会の食生活に関するコメント、というか斜に構えた毒舌はこうです。

 「私の理解するところではドライブインレストランは矮小化された東京なのである。(中略)平たく言えば東京というのは「うどんにサラダをつけてしまえるセンス」のことなのだ」(Kindle版No.164)

 「西麻布では、時給650円のバイトに兄ちゃんが30秒で盛り付けた原価50円のケチな菜っ葉屑を「シェフサラダ」と称して1600円で売っている。まだ知らなかった人はおぼえておいた方がいい」(Kindle版No.1039)

 「貧困とは昼食にボンカレーを食べるような生活のことで、貧乏というのはボンカレーをうまいと思ってしまう感覚のことである。ついでに言えば、中流意識とは、ボンカレーを恥じて、ボンカレーゴールドを買おうとする意志のことだ」(Kindle版No.2333)

 「余談だが(はじめっから余談だけどさ)デニーズでは皿洗いを「ディッシュウォッシャー」、調理士見習いを「キッチンヘルパー」、ウェイターを「ミスターデニーズ」、ウェイトレスを「ミスデニーズ」、牛の糞を「ハンバーグ・ステーキ」と呼んでいる」(Kindle版No.2772)

 「昭和30年代から40年代にかけて、日本は高度成長の時代だったということになっているが、私にとっては、単に脱脂粉乳の時代だった」(Kindle版No.2792)

 「そば屋は翌年の初夏になると、昂然と「冷し中華始めました」の張り紙を掲げる。ここに私はそば屋の純潔のようなものを感じる。「始めましたって、それじゃいつ終わってたんだよ」などと、そういう野暮は私は言わない。(中略)そば屋が「始めました」と言うのなら、客は「そうですか、始まりましたか」と食べる。これは旨い不味いの問題ではない(だって不味いんだから)」(Kindle版No.667)

 掲載されたのが「Bug News」なので、ハッカー(技術オタク)やパソコン業界に関する記事が多いのも特徴です。

 「ハッカーは体質だ。性格とか行動様式とかそういう柔軟なものではない。ハッカー体質というのはひとつの宿命なのだ。 ワニが生まれたときに既にワニであるように、ハッカーは生まれつきハッカーなのであって、ハッカー以外のものではありえない」(Kindle版No.1844)

 「ハッカーという連中の、これまたやっかいな金銭感覚について語るのは容易なことではない。私はなるべくならこんな「トカゲの結婚観」みたいなテーマはやりたくなかったのだが、編集部の意向は堅かった」(Kindle版No.2304)

 「年期の入ったハッカーの多くは、業界側の裏切りに対する鉄壁の諦観を身につけるようになる。彼らは98のUを買った直後にUVが出ても「PC-100買った人よりましですよ」と言って笑っている。「つぼ八」で人造イクラを出されても「いいんですよ、どうせゲロになるわけだし」と、腹を立てない」(Kindle版No.2596)

 「本当のところ、私はコンパチ、クローン、イミテーション、コピー、レプリカ、複製、毛ガニ、いかもの、まがい、焼き直し、にせ、パクリ、似非、もどき、といったあたりの言葉をきちんと区別できないでいる」(Kindle版No.2810)

 そして、オシャレだったり、知的でセンスが良かったり、効率的だったり有能だったり、世間からもてはやされていたりするもの、その全てに対する妬み僻み嫉みを直截的に表明する、ほとんど言いがかりのようなネガティブパワー。

 「ここまで読んでみて、よく分からない人は浅田彰の著作を読んでみると良いかも知れない。私は読んだことはないが、私見を述べれば、なんとなくあいつは嫌いだ」(Kindle版No.245)

 「要するに広告業界は消費者を馬鹿だと思っているのだ。そして、これはかなり思いがけないことだが、消費者は馬鹿なのである。(中略)時代の風俗に何らかの変化があったとしたら、私はそういうことを全部電通のせいにして片付けることにしている」(Kindle版No.1164、2352)

 「「金は天下の回りもの」と言っても、金が回っているのは「天」の方で、「下」の方には決して降りてこない(中略)金で買えないものなんて貧乏ぐらいしかないんだから」(Kindle版No.2325)

 「テニスというスポーツはもっぱらアフターテニスのために存在している。このため、ある種のサークルのテニス合宿では、テニスが省略されてしまう。テの字抜きで、いきなりペの字に移行して行くのだ」(Kindle版No.3140)

 「おわかりとは思うが、私はこうした「みどり」や「つち」や「太陽」や「季節の移ろい」や「自然の息づかい」を大切にする郊外のリベラルな市民グループみたいなものが嫌いだ」(Kindle版No.2905)

 「仮に私が神だったとして、25年のローンを組んだり、1週間に12個のスケジュールを入れているような奴を見たら、なめられたような気がすると思う(中略)結局、牛乳ビンのふたがうまくあけられなかった子供は、大人になってもそういう生き方しかできないのだ。そして一日中眼鏡を探しているじいさんになって、最後にはモチをのどに詰めて死ぬのだ」(Kindle版No.2239)

 「曇りガラスをひっかく音を相手に向かって発信できるような電話機が発売されたら、私は5万までは出す。ぜひカシオあたりに商品化してほしい」(Kindle版No.2210)

 もちろん多くの記事については内容がとうに時代遅れになっているわけですが、ときどき、妙に「予言」的に感じられるというか、今の世相を見透かしたようなコラムも混じっていたり。

 「今のところは、もっぱら深夜の受話器や同好会のサークルノートにたたきつけられている、青春の情熱や個人的な愚痴や妄想や表現欲求が、大量に出版され、あるいは通信回線を通じて不特定多数の読者に向かってバラまかれるのだとしたら、これは相当に鬱陶しいことになるに違いない」(Kindle版No.691)

 「私は芸能界こそが現代の日本で行われている最も大がかりなシミュレーションゲームなのだと考えている。あそこには我々庶民の退屈で単調な日常に欠けているすべてのものがある。(中略)で、僕たちはポップコーンをもぐもぐやりながら芸能人諸君の必死のアクロバットを見物し、安全で衛生的な客席から彼らの栄光と堕落と悪徳と破滅を疑似体験するというわけだ」(Kindle版No.1112)

 というわけで、明らかに読者を選ぶところがあるエッセイ集ですが、好きな人はハマります。PC98と一太郎とユーミンの時代を覚えている方は、読んでみるといいことがあるかも知れません。ないとは思いますが一応。


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『史上最強の台北カオスガイド101』(丸屋九兵衛) [読書(教養)]

  「小籠包は出てきません!」
  「「癒し」も「ほっこり」もありません!!!」
  「カラスミ屋さんも載ってません!!!!!」

 パワフルでエキサイティングで、クールかつヒップなカルチャーが躍動する街、台北。「そんな台北は見たくない」という方は、どうか他のガイドブックに行ってください。101項目も載ってないけど最強の台北ガイドブック。単行本(スペースシャワーネットワーク)出版は、2014年02月です。

 クールでヒップな台北を楽しむための旅行ガイドブック。全体は四つの章から構成されており、見どころがぎっしり詰め込まれています。ファンキーな写真も多数収録。パラパラめくっているだけで興奮してくるところがミソ。

 「第一章 台北を歩こう。」は、まずは西門町からスタート。

 映画館、タウゥー屋、ピアス屋(看板には「特殊部位OK 秀秀の店」)、ゲイショップ、街を彩る大量のグラフィティ、ストリート系ファッション、「やたら巧い」ラッパーがぶいぶいゆわせる街頭パフォーマンスのメッカなど。

 続いて、忠孝エリア、信義エリア、華山1914創意文化園區、松山文創園區、という具合に、台北に行ったらとりあえず迷い込んでおけ的なスポットを紹介。他のガイドブックにはあまり載ってない情報満載です。

 お次は、「なあ、ここは台北だぞ。ナイトマーケットに行かずにどうするのだ?」という煽りとともに、夜市を紹介。

 「第二章 台北を食べよう。」では、とにかく「外食産業、世界最強! 世界に冠たる肉食都市! 台北は肉の街」という有無を言わさぬ勢いで、羊肉のうまい店、鶏肉のうまい店、さらにはガチョウ・カモ・鶏モモ・鶏ムネ・ターキー・ダチョウの味の違い、カエル肉の美味さ。というか、ダチョウ肉が喰えるというのは知らんかった。

 「台北デザート界の真の王者」たる豆花、「タピオカくんが行く! カエルくんも行く!!!」ということでQQなタピオカドリンク、「見るがいい、これらの便當を!!!!! 弁当!BENTO!便當!」という気迫で便當、「最大の難関」たる臭豆腐。

 「台北の路上には、ところどころに赤いシミがある。最初は血痕かと思った」という導入で、台湾が誇る(誇ってないけど)合法ドラッグ、檳榔(ビンロウ)の話へ。街でよく見かける「半円・放射線状になったネオンサイン」は、あれは檳榔を売っているというサインだということを初めて知りました。檳榔西施のセクシー写真はないものの、看板やポスターは載っています。

 「第三章 台北を見て、読んで、萌えよう。」では、故宮博物館、宝石市、といった硬派な話題から始まり、「不要なアイテムや不要な知識の蒐集に燃えたり萌えたりするのは、我々アジア人の宿命」という謎の断定とともに、ヲタク向けショップのやや詳しすぎる紹介、「台北っ子も「知らない」とうろたえるマニアックな場所」、「台湾人の宅男魂 リスペクト!」。

 そして誠品書店、さらに何と4ページにまたがって中山地下書街の連続写真をずらりと掲載するという快挙もしくは愚挙。「書店街としては世界最長か? そんな規模に反して、いつ来ても賑わってないので心配になる」というのは、それはわしもそう思っていた。

 「第四章 台北を感じよう。」では、アメリカ西海岸ヒップホップ界で愛されたがその後消えてしまったDADAが「台北を歩けばDADAにあたる状態」だというレポート、「ヒップホップをこよなく愛する台北っ子が作った地元ブランドDSSENT」の紹介、「厳選! ライブスポット&クラブ」、そして「あなたの知らないヒップホップ大国、台湾」と題する熱い熱い紹介記事。

 さらには、章の合間にも、「華麗なる中文タイトルの世界 漢字に慣れ親しんでいる我々日本人だからこそ悶絶必至! 中文タイトルたちに打ちのめされろ!」とか、「めくるめく日本語看板の世界 ひらがな「の」の登場率は並大抵ではない!」とか、「ストリート壁画のクオリティが見る者の魂を鷲掴みにする!」とか、脳内麻薬どばどば的な写真コラムがぎっしり。

 というわけで、小籠包や足つぼマッサージの情報は載っていませんが、クールなネタが満載されたイケてる台北ガイドブック。台北リピーターの方々にお勧めします。読めばまた訪台したくなる一冊です。


タグ:台湾
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『ランチのアッコちゃん』(柚木麻子) [読書(小説・詩)]

 「来週一週間、私のお弁当を作ってくれない? こんな感じの和食でいいから。(中略)もちろんお礼はするわよ。私の一週間のランチのコースと取り替えっこするの」(Kindle版No.78、87)

 派遣社員の女性が一週間だけ体験したランチタイムの小冒険をえがいた表題作など、夢と飲食がいっぱいのお仕事ファンタジー四篇を収録した短篇集。その電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(双葉社)出版は2013年04月、Kindle版配信は2014年02月です。

 魔法の力で一定時間だけ「憧れの職業についている大人の女性」に変身して活躍するという、女の子の夢と希望が詰まった物語。今もっとも切実にそれを必要としているのは、搾取されまくり人生どんづまり感ハンパなく、恋愛に何か救いを求めても裏切られるだけだと思い知らされている、派遣業の女性ではないでしょうか。


第1話 ランチのアッコちゃん

 「営業部唯一の女子正社員である、アッコ女史こと黒川部長は四十五歳の独身だ。(中略)社内にいてもほとんど私語もなく、ひたすら業務に集中して成果を上げる彼女を、誰もが恐れている。社長にも一目置かれているらしい。仕立ての良いパンツスーツや、上質のカシミアを愛用していて、よく似合う。質素なオフィスで一人だけエグゼクティブのオーラを放っている」(Kindle版No.51)

 仕事に行き詰まり、恋人にもふられて、落ち込んでいた主人公。上司であるアッコ女史から持ちかけられた奇妙な提案を断り切れず、一週間だけランチタイムを交換することに。テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、仕事のできる正社員になあれ~~☆☆。

 「ここの常連は皆そう呼ぶよ。『ひみつのアッコちゃん』みたいに、彼女はたくさんの顔を持ってるからね。(中略)彼女と一緒に働けるなんてうらやましいよ。面白くて可愛い女性だからなあ」(Kindle版No.153)

 カレー屋で働いたり、ジョギングしたり、古書店のイベントに参加したり、社長と会食したり。ランチタイムのわずかな時間だけアッコの替わりに小さな冒険を積み重ねてゆくうちに、主人公は次第に仕事と人生に対する情熱を取り戻してゆく。


第2話 夜食のアッコちゃん

 「じゃあ、面接代わりに、私と一緒に働いてみなさい。会社勤めと重ならない時間を選ぶから、両立できるはずよ。来週一週間様子を見てあげる。弱音を吐いたり役に立たなかったら、即不合格」(Kindle版No.594)

 正社員と派遣社員の対立に疲れ切っている主人公が、今や独立して個人で移動販売の仕事をしているアッコと再会。どうか自分を雇ってほしいと申し出て、一週間だけ仕事を手伝うことに。テクマクマヤコン、テクマクマヤコン、起業してばりばり働いている自営業者になあれ~~☆☆。

 「『かたつむり食堂』や『食堂かもめ』みたいなほっこりしたこと言ってんじゃないわよ!」(Kindle版No.812)

 歌舞伎町、新聞社、病院、築地市場、映画撮影現場。夜中から早朝にかけて、あちこちに出没しては、アッコと一緒に仕事する主人公。夜の東京には知らないことがいっぱい。昼は派遣社員、夜は自営業見習い、無茶な激務をこなすうちに、わき上がってくる不思議な自信。


第3話 夜の大捜査先生

 「日焼けサロンで肌を焼き、臍にピアスをあけた高校二年生の夏。ココナツの香りのするキス、毎日のように着替えに使った109のトイレ、繰り返し聴いていた安室奈美恵、明け方の渋谷にかかる薄桃色の靄。プリクラ帳がどんどん切り替わった。あの日々は永遠に思えた。世界の中心に居るのは確実に自分に思えた----」(Kindle版No.1050)

 かつて不良少女として渋谷の街を我が物顔で歩いていたというのに、今や婚期を逃して焦り、合コンで「上品で適度に野暮ったい」お嬢様を演じたり、くだらない男に媚びたりしている自分。そんな毎日に嫌気がさしている主人公に、まさかの出会いが。

 「担任教師だった。学校で、通学路で、そしてこの渋谷円山町で、彼と数え切れないほどの死闘を繰り広げたことが、恐ろしい早さで蘇ってくる。(中略)誰もが恐れ、誰もが一目置いていた。大人なんて全員ナメてかかっていた野百合も、彼のいささか人間離れした強靱さには畏怖を感じていた」(Kindle版No.1121)

 かつての自分を思い出させる不良少女を追っかける教師、それを見て何かが吹っ切れた主人公。合コン放り出して、夜の渋谷を全力疾走するうちに、心は90年代へと。すべてに全力で立ち向かっていた無謀で愚かなあのころの情熱が戻ってきた。


第4話 ゆとりのビアガーデン

 「会社の歯車として機能するために、自分を律しようという姿勢がどこにもない。 結局のところ「ゆとり世代」のマイペースなお子様だった。まったく平成生まれなんて所詮使いものにならない」(Kindle版No.1451)

 ベンチャー起業の社長である主人公はイライラしていた。かつて自分の下で働いていた「使いものにならない無能なゆとり世代社員」だった女性が、会社が入っている雑居ビルの屋上にビアガーデンを開くというのだ。嫌がらせか。

 「上手くいかないのは目に見えているのに、胸騒ぎが消えない。何故、彼女がこれほど疎ましいのだろうか。(中略)あのゆとりモンスターめ。今に足をすくわれるがいい。彼女の失敗を必死に祈っている自分に気付き、雅之は嫌な気分になった」(Kindle版No.1582、1676)

 しょせん「ゆとり世代の甘え」と思っていた彼女の商売が思いの外うまくゆき、それどころか残業残業で追いまくられていた部下たちまでが彼を「裏切って」屋上に向かうのを苦々しく思う主人公。

 努力と根性で必死に頑張ってきた自分たちが挫折しかけているというのに、なぜこんなことに。自分のやり方が古いというか、ビジネスとして仕事として間違っていたことを思い知らされた主人公は、最後のプライドをかけて彼女に挑戦状を叩きつけた。


 というわけで、自分を導き成長させてくれる元上司、できる元部下、あるいは今の自分を全肯定してくれる元教師など、現実には決して存在しない人々がもしも目の前に現れたら、そうしたら私の俺の人生は何か変わるかも、具体的なイメージはないけど、という夢と飲食のお仕事ファンタジー短篇集。仕事に、将来に、人生に、疲弊している方々にお勧めです。


タグ:柚木麻子
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『世界に挑む 若き日本人ダンサーたち ~第42回ローザンヌ国際バレエコンクール~』 [ダンス]

 2014年2月16日(日)16:00-16:30、NHK ETVにて放映された、第42回ローザンヌ国際バレエコンクールで入賞した日本人3名を扱ったドキュメンタリー番組を視聴しました。なお、再放送の予定は、2014年2月22日(土)NHK総合 10:50-11:20、とのこと。

 毎年、5月の連休前後になると、ローザンヌ国際バレエコンクール決勝の様子をNHKが放映してくれるのですが、今年は日本人の活躍が大きな話題になったため、入賞した日本人3名のパフォーマンスだけ一足早く見せてくれたわけです。

第42回ローザンヌ国際バレエコンクールは、2014年1月26日から2月1日まで開催され、世界35カ国から295名(女子224名、男子71名)が応募しました。コンクールに出場できた70名のうち、日本人は21名(女子16名、男子5名)でした。

 2014年1月31日の準決勝で選出された20名が決勝に進みました。そのうち、日本人は男子3名、女子3名。以下の方々です。

 日本人の決勝進出者

  前田紗江さん(15歳)
  渡邊綾さん(16歳)
  森春陽さん(15歳)
  熊谷早畝さん(18歳)
  二山治雄さん(17歳)
  加藤三希央さん(18歳)

 2014年2月1日の決勝では8名の入賞者が決定し、うち日本人が1位、2位、6位を占めました。過去にも日本人が3名入賞という年はあったそうですが、1位、2位とも日本人というのは初めての快挙だそうです。さらに、日本人の男性ダンサーが最高位になるのは、1989年に熊川哲也さんがゴールドメダルを受賞して以来25年ぶりとのこと。

 入賞者は次の通り。

  1位:二山治雄(日本)
  2位:前田紗江(日本)
  3位:Precious Adams (米国)
  4位:David Navarro Yudes (スペイン)
  5位:Garegin Pogossian(フランス)
  6位:加藤三希央(日本)

 なお、今年のコンテンポラリー部門の課題は、以下の三名のコレオグラファーの作品から選ばれました。

  ヨルマ・エロ Jorma Elo
  ゴヨ・モンテロ Goyo Montero
  リチャード・ウェアロック Richard Wherlock

 ヨルマ・エロ、ゴヨ・モンテロの作品は昨年と同じで、今年はディディ・フェルトマンに代わってリチャード・ウェアロックの作品が加わりました。恥ずかしながら私はどれも観たことがないのですが、知らない作品を鑑賞できるというのも、ローザンヌ国際バレエコンクールの楽しみですね。

 番組では、クラシック部門の解説を新国立劇場の次期舞踊芸術監督である大原永子さんが、コンテンポラリー部門の解説をNoism芸術監督である金森穣さんが担当しました。

 金森穣さんはどうやら日本のバレエ教育がクラシック偏重であることにご不満らしく、各人のコンテンポラリーダンスにおける身体の使い方についてのコメントは、かなり辛口でした。

 確かに、以前に比べると改善されてきているとは感じますが、やはり若いダンサーが世界の舞台で活躍するためにはコンテンポラリーダンスを踊れることが必須なので、早めに基礎を学び、経験を積むことが出来るようにしてあげることが大切だと個人的にも思います。

 さて、番組で放映された、入賞者3名によるコンテンポラリー部門の様子です。

6位:加藤三希央(かとうみきお)さん(18歳)

 リチャード・ウェアロック振付
 『ディエゴのためのソロ』

 緊張感に満ちた導入から、次第にテンポが早くなって、躍動感がはじける作品です。加藤さんは、洒落た大人っぽい雰囲気でスマートに踊ってみせましたが、金森さんは「振付意図の解釈がまだまだ」と厳しく指摘。

2位:前田紗江(まえださえ)さん(15歳)

 ゴヨ・モンテロ振付
 『サラバンド』(『バソス・コムニカンテス』より)

 情感のひらめきで魅せる作品です。前田さんは、上品な若々しい表現で踊ってみせ、金森さんも「筋力を鍛えて、身体の調和を追求すると、もっと向上できるはず」と助言。

1位:二山治雄(にやまはるお)さん(17歳)

 リチャード・ウェアロック振付
 『ディエゴのためのソロ』

 加藤三希央さんが踊ったのと同じ作品ですが、こちらは一瞬の油断もなく、最後までカッコよくセクシーに決めてみせました。後半の盛り上がりとエネルギーの奔流には息を飲みます。金森さんも、「運動能力と可能性はずば抜けている。さらに表現を勉強していってほしい」とコメント。

コンテンポラリー賞:プレシャス・アダムスさん(18歳、米国)

 ヨルマ・エロ振付
 『ファースト・フラッシュ1』

 3位入賞に加えてコンテンポラリー賞も獲得したプレシャス・アダムスさんは、緊張感とエネルギーを極限までためて、一気に放出するような豪快な嵐のようなダンスで喝采を浴びていました。金森さんも、「多様な動きに身体が慣れているところが素晴らしい」と感心していました。

 とりあえず残りの予選通過者の決勝戦におけるパフォーマンスは、5月に放映されるであろう特番を待つことになります。今から楽しみです。


タグ:ローザンヌ
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