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『永遠の出口』(森絵都) [読書(小説・詩)]

 「アイスバーの当たりはずれに一喜一憂し、自転車を主な移動手段にして、触れもせず恋にすべてを投げだすことのできたあの頃、私は未来をただ遠いものとして捉えていたけれど、それは果てしなく広いものでもあった。あっちへも行けたし、こっちへも行けた。誰もがものすごい量の燃料を蓄えていた」(Kindle版No.3712)

 ささいなことに悩み、苦しみ、傷ついていたあの頃。思春期に向かう少女の揺れ動く心理を活き活きと描いてみせた森絵都さんの連作形式長篇(電子書籍版)を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(集英社)出版は2003年03月、文庫版出版は2006年02月、Kindle版出版は2013年09月です。

 紀子というごく平凡な少女を語り手に、小学校低学年から高校卒業までに彼女が体験した様々なエピソードを時系列順に並べた、連作形式長篇です。一つ一つのエピソードは短篇小説として完結しており、個別に読んでも非常に面白い。書かれているのは特別な出来事というわけでもないのに、思わず語り手に感情移入してしまう。その、読者の気持ちを引っ張り込む仕掛けと構成が実に巧みです。

『永遠の出口』

 「私は、<永遠>という響きにめっぽう弱い子供だった」(Kindle版No.18)

 まだ世界の広さも実感できない小学校低学年の紀子。友達を仲間外れにしたことで自分自身がひどく傷つき、何とか関係修復できないかと幼いながらに考えるが。

『黒い魔法とコッペパン』

 「普通のおばさんなんだ。学校の先生もおばさんなんだ、という発見は私にとって大きな衝撃だった」(Kindle版No.713)

 小学校高学年になった紀子のクラス担任は、黒魔女と噂される陰険な中年女性だった。彼女に支配された教室はとげとげしい雰囲気になり、やがて友達が陰湿なイジメの対象に。紀子は幼なじみの男子に助けを求める。

『春のあなぽこ』

 「十二歳の私はこの一瞬、自分の立っている今だけに集中し、何の混じりけもないさびしさだけに砕けて散りそうだった」(Kindle版No.1135)

 中学に進学する直前の春休み。紀子は友達たちと一緒に買い物に出かける。初めての「別離」を前に怯える彼女たちは、そのときを少しでも先送りしようとして、帰りにわざと間違った電車に乗ってしまう。どこへ行くのか分からない特急列車は、未来への不安を乗せてひた走るのだった。

『DREAD RED WINE』

 「堅物でも、ものわかりが悪くても、話が通じなくても、うっとうしくても、それでもやはり両親には正しい人間でいてほしかった。正義であってほしかった」(Kindle版No.1531)

 無意味な校則も、説教してくる両親も、正論ばかり吐く友達も、何もかもがうっとおしい年頃をむかえた中学生の紀子。親への反発と、どうしようもないいらだちから、不良少年の誘いに乗ってしまうのだが。

『遠い瞳』

 「夜遊びも、飲酒も、喫煙も、さぼってばかりの学校も、上っ面だけの友達関係も、私の十四歳は無駄だらけだ」(Kindle版No.1736)

 不良のたまり場にいりびたるようになった紀子は、くだらない万引きで捕まる。自分は何をしているのだろう。やり場のない虚しさに沈む紀子を支えたのは、上っ面だけの付き合いだったはずの一人の友達だった。

『時の雨』

 「家族なんていらない。両親なんてうざったいだけ。一人きりになれたらどんなにすっきりするだろう。 ずっとそう思っていた。昨日までは。いや、ついさっきまでは」(Kindle版No.2009)

 紀子が不良化して荒れている間に、家族には崩壊の危機が迫っていた。紀子の姉は、何とか両親の仲を修復させようと家族旅行を計画する。だが、父の鈍感さ、母のしたたかさ、大人の事情というのは子供の思惑でどうこう出来るものではないことを思い知らされる。

『放課後の巣』

 「十六歳の私はまだ未熟で、人との距離の取り方を知らなかった。幼い幻想を勝手に押しつけて勝手に失望し、自由であることのリスクも背負わずに甘い蜜だけを求めていた。 今、思うとすべてが恥ずかしい」(Kindle版No.2685)

 高校生になって、初めてのバイトに出た紀子。社会に出て働く、ということを甘く見ていた彼女は、職場の人間関係に翻弄されることに。

『恋』

 「一瞬のときめきよりも毎日の会話が、二人をつなぐとぎれることのない糸が大事だと思ったから、それを大事にしようとした。私がそれを守り続けるかぎり、二人の仲は永遠だろうとかたくなに信じた」(Kindle版No.3169)

 ちょっとした誤解から男子と付き合うことになった紀子は、たちまち彼にのぼせ上がってしまう。彼との関係にありったけの情熱と執着を注ぎ込むが、それがまったくの逆効果であることに気づくには、あまりにも未熟な紀子だった。

『卒業』

 「十八歳のひたむきさと、融通のきかないかたくなさ。あんなにも懸命に自分のことを考えたのは、あとにも先にもあれっきりかもしれない」(Kindle版No.3505)

 定まらない未来を前に、刹那的な生活を送っていた紀子は、この世に「永遠」はなく、何もかもすべてはいずれ失われてしまう、ということについて真剣に考え始める。それは、思春期の終わり、「永遠」からの出口だった。

 最後に置かれた「エピローグ」で、その後の紀子の人生がざっと語られ、現在の紀子が、あの青くさい、思い起こせば恥ずかしいことばかりの、悩み苦しみ傷ついた日々を振り返ります。同時に読者も自らのそれを思い出し、様々な感慨(個人的には、イタさ、恥ずかしさ、いたたまれなさ)に打たれることに。

 「あの青々とした時代をともにくぐりぬけたみんなが、元気で、燃料を残して、たとえ尽きてもどこかで補充して、つまずいても笑っていますように----」(Kindle版No.3734)

 というわけで、誰もが経験する思春期の悩みと恥ずかしさを見事にとらえた青春小説です。あの頃の気持ちがありありと蘇ってくる一冊。


タグ:森絵都
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『ワンクリック ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛』(リチャード・ブラント) [読書(教養)]

 「ベゾスはテキサスの山岳地帯の私有地に桁外れに巨大な一種の鳩時計を建築中だ。何トンもある錘りが150メートルの垂直なトンネル内を降下していくのを動力として時を刻む(中略)この鳩時計はなんと向こう1万年動作することを目標にしている」(Kindle版No.3325)

 インターネット商用利用の黎明期、大量に生まれたいわゆるドット・コム企業のうち生き残ったのはほんの一握りの企業だけ。そのなかで常にトップをひた走り、成功を積み重ねてきたのがネット通販最大手のAmazonである。そのAmazonを率いるジェフ・ベゾスとはどんな人物なのか。なぜAmazonはこれほどまでの成功をおさめることが出来たのか。

 ジェフ・ベゾスの伝記の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(日経BP社)出版は2012年10月、Kindle版の出版は2013年08月です。

 高速検索、ワンクリック注文、カスタマーレビュー、履歴に基づくお勧め機能、さらには電子書籍リーダーの使い心地に至るまで、細部に行き届いたサービスと使い勝手のよいインタフェースでネット通販最大手となったAmazon。

 「細かな点への配慮こそがアマゾン・ドット・コムを成功に導いた原動力でもある。アマゾン・ドット・コムを使いやすくするためなら、ジェフ・ベゾスはどんなことでもするのだ」(Kindle版No.257)

 「業界2位の10倍になるには、実は10パーセントだけ優れていればいいのです」(Kindle版No.275)

 一方で、出版社に脅しをかけ不当に値下げを強要する、独立系書店を駆逐している、社員を洗脳してこき使うカルト的ブラック企業である、姑息な手で課税を逃れている、などと非難されることも多い巨大帝国、Amazon。この類まれな企業は、どのようにして生まれ、成長してきたのでしょうか。その歴史をひもといた一冊です。

 全体は17個の章に分かれています。

 最初の「第1章 ワンクリックではまだ不満」は導入部となっており、「第2章 生い立ち」から「第4章 ベゾス、インターネットを発見する」までは、Amazon創設に至るまでのベゾスの人生を扱います。

 「ベゾス」がスペイン語で「キス」という意味だという話から、ねじ回しでベビーベッドを分解してしまった赤子期、ガレージにこもって「ラジオを修理したり、様々な実験装置を製作したり、電気掃除機をばらしてホバークラフトを作ったりした」幼少期、「プログラミングが大好きなオタク」となった少年期、といった具合に、若きベゾスの姿が描かれます。典型的なハッカー気質、並ぶものなき天才。

 インテル、ベル研究所、アンダーセン・コンサルティングといったトップ企業からの勧誘を次々と断り、投資銀行の通信ネットワーク設計という仕事に就いて、10ヶ月後にはバンカース・トラストの最年少の副社長になってしまったベゾス。そこで「年率2300パーセントで成長している」インターネットに注目した彼は、あっさり辞めて独立してしまうのです。

 「ベゾスには優秀な人材を集められる人脈があった。それだけではない。ベゾスにはモハメド・アリの自信とジョン・F・ケネディの熱意、トーマス・エジソンの頭脳があった」(Kindle版No.954)

 「第5章 ガレージの4人組」から「第13章 アマゾンは書店を駆逐しつつあるのか?」では、Amazonの創設から驚くべき急成長を遂げた歴史が語られます。

 利益を出さずひたすら成長を続けるというドット・コム企業のビジネスモデルをどのようにして実現したのか、そして事業が曲り角に到達し、上昇を続けてきた株価が暴落し、膨大な累積赤字に押しつぶそうになったとき、どのようにして黒字化に成功し、成長を続けたのか。その奇跡のような経営手腕には目を見張るばかりです。

 「第14章 おかしな笑い方をするクールな男」と「第15章 では、ベゾスはどういうマネージャーなのだろうか」では、ベゾスの下で働いたことがある社員から業界誌のインタビューまで様々な証言を元に、ベゾスの人となりを探求してゆきます。この男はいったい何者なのか、何を考えているのか。

 「病的なまでに幸福感が強く、その情熱には強い伝染力がある」(Kindle版No.2706)

 「他人に対する共感はベゾスが不得意とするところだ」(Kindle版No.2747)

 「計算高い誇大妄想狂ではなく、ナイーブと言えるほど楽観的なギーク」(Kindle版No.2776)

 「社員を思いやることもない。ベゾスは、ガレー船を奴隷にこがせた人も顔負けというほど社員を働かせる」(Kindle版No.2753)

 「ベゾスには茶目っ気もある。(中略)技術勘があり、どの機能は会社のためになり、どの機能はならないのかわかるのも、ベゾスの強みである。技術も問題も解決策も、すべて理解できる」(Kindle版No.2777)

 「1万年後に思いをいたすために日本円で32億円もかけて鳩時計を作ってしまうベゾスはたしかに笑顔のエイリアンだ」(Kindle版No.3335)

 「ベゾスを過小評価するのだけは避けなければならない」(Kindle版No.2866)

 並外れた頭脳と情熱を持った、人を動かす天才。常人には狂気の沙汰としか思えないことに真面目に取り組み、ひたすら我慢強く着実に進めてゆく頑固さ。他人の気持ちや、自分がやったことがどういう影響を及ぼすか、一顧だにしない傲慢さ。

 ベゾスに対する評価はばらばらで、分かりやすい通俗的な人物像をイメージすることが難しいことがよく分かります。全員の意見が一致しているのは、「彼を過小評価するのだけは避けなければならない」という一点。

 「第16章 頭をクラウドに突っ込んで」では、今や業界最大手となったAmazonのクラウドサービス事業について、「第17章 一歩ずつ、果敢に」では、将来に向けた投資としてベゾスが力を入れている宇宙開発プロジェクトについて、それぞれ教えてくれます。

 個人的には、ベゾスが本気で「安全・低価格な宇宙旅行ビジネス」を目指しているという話には胸が躍りました。彼なら、本当にやってのけるかも知れない、と。

 「高校時代のジェフ・ベゾスは宇宙旅行に夢中だった。彼にとってSFは単なる娯楽ではなく、未来に向けて自分の思考を高めてくれるものだった。卒業生総代あいさつでも、宇宙への移住こそが人類の運命だと語っている」(Kindle版No.601)

 「多くの人が宇宙へ行けるように、また、人類が太陽系の探査を継続できるように、我々は、辛抱強く、一歩ずつ、宇宙飛行のコスト削減に取り組んでいます」(Kindle版No.3059)

 「事業として成立する日が来たら、そのとき、ベゾスにとってはアマゾンよりも大事な事業になるだろう。人生最初の大望は、おそらく、宇宙探査だったのだから(中略)彼は仕事を続け、再発明する、新しいものを試す、星に向けて手を伸ばすなどするだろう。 そしていつか、本当に到達してしまうのかもしれない」(Kindle版No.3096、3114)


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『手袋を買いに』(新美南吉:作、黒井健:絵) [読書(小説・詩)]

 「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」

 新美南吉さんの名作に、黒井健さんが美しい挿絵をつけた素敵な絵本。単行本(偕成社)出版は、1988年03月です。

 雪遊びに夢中になってかじかんだ小狐の手を心配した母狐が、町へお使いに出します。小狐の片方の手を人間のものに変えて、「ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目よ」と言いふくめます。でも帽子屋を見つけた小狐は、戸の隙間から、うっかり狐の手を出してしまったのでした。

 有名な児童文学です。甥っ子にプレゼントするために買いましたが、懐かしくて何度も読み直してしまいました。ぼんやりとにじんだような、心が温かくなる色調で描かれた黒井健さんの絵が素晴らしい。

 私も子供の頃に読んで、最後に二度繰り返される母狐の問いかけに、大人になったらきちんと答えられるようになろう、と思って生きてきました。多くの人がそうではないでしょうか。

 今、この歳になって読み返してみると、「人間ってほんとに恐いものなんだよ」と言いながら自分では行かずに子供をお使いにやる母狐の露骨な保身、相手が狐だと知ってまず「先にお金を下さい」という帽子屋のちゃっかりした打算、といった大人のリアルが身に染みます。

 最後の母狐の有名なセリフも、「ほんとうに人間は(そんなにひとの)いいものかしら。ほんとうに人間は(騙しても)いいものかしら」と、早くも次の手を考えているように読めて、そのたくましさに感銘を受けます。そもそも母さん、子狐に与えた本物のお金(白銅貨)は、いったいどこから調達したの。

 というわけで、大人になった私の答えは「個々の人間や狐の性根が良かろうと悪かろうと関係なく商取引が成立してしまう社会って、やっぱりいいね」というものです。でも・・・。

 ほんとうに自由貿易はいいものかしら。ほんとうに規制緩和はいいものかしら。


タグ:絵本
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『これからお祈りにいきます』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「サイガサマは、人間の体にとても興味があって、本気で何かを右から左へ動かす時は、願をかけた者の体の何かを取っていく。人間の体の一部から力を得て、その願いを叶えるという、ほとほと下等な神様なのだ。祈願する人は、どこを捧げるかは指定できないけれども、どこを取られたくないかは申し出られる」(Kindle版No.116)

 他人のために必死に祈る。自分にとって大切なものを犠牲にして、他人の幸福を願う。人生ではじめて真剣な「祈り」を体験する若者の姿を、瑞々しい筆致で描いた二篇。津村記久子さんの小説の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(角川書店)出版は2013年06月、Kindle版出版は2013年07月です。


『サイガサマのウィッカーマン』

 冬至の日になると、巨大なヒトガタの檻を作って、そこに身体の一部をかたどった供物を入れて燃やすという奇祭が行われている地方都市。そこに住んでいる高校生のシゲルは、そんな迷信じみた田舎くさい信仰や伝統行事を嫌っています。

 「サイガサマが、請願成就と交換に、人間の体の一部を持っていくという行為は、たましいを売らせるという悪魔的な契約とは異なる。サイガサマは、神様の中ではとても力が弱く、そうやってもらいものをしないと、力が発揮できないからなのだった。でも、手当たり次第に体の一部を持っていかれると、命がなくなってしまう場合もあるので、「基本これだけはやめてください」という意味で申告物を作り、年に一回それを捧げる」(Kindle版No.268)

 タイトルにある「ウィッカーマン」というのは、古代ドルイド教における「供犠・人身御供の一種で、巨大な人型の檻の中に犠牲に捧げる家畜や人間を閉じ込めたまま焼き殺す祭儀」(Wikipediaより)で使われる巨大なヒトガタの檻のこと。どっからどうなってこうなったのか、古代ドルイドの儀式が、何だか妙な形でこの町に伝わっていますよ。

 あからさまに邪教的というか、「それってけっこうな邪神じゃねえか」(Kindle版No.830)と思えるのですが、町の人々は、ごく自然にそんな土俗信仰を受け入れています。祟りを恐れて、というより、どこか軽んじているというか、神様の至らないところを微笑ましく思っているというか、そんな感じ。

 身体の一部を取らないと願いを叶えることができないということも、「サイガサマはできない子だから」(Kindle版No.826)で納得したり、「サイガサマは、物事をあんまりよくわかっていない様子なのだが、とにかくできる範囲でやってみよう、という意識のようなものを持っている」(Kindle版No.1711)、「最近は願い事の判別の精度が上がってきたんちゃう」(Kindle版No.1781)などと、どっちかっていうと、上から目線で温かく見守っている様子。

 いいのかそれで。

 家族のことも、町のことも、世の中のあれもこれも、何もかもウザい、と感じて、イラついている、そんな思春期まっさかり高校生、シゲル。もちろんサイガサマのことなど気にしてなかったのですが、次第に町の人々が、声高には言わないものの、自分の大切なものを犠牲にして、他人のために祈りを捧げているのだということに気づいてゆきます。どんなに神様として「できない子」でも、サイガサマはサイガサマなりに、人々の真摯な祈りに懸命に応えているらしい、ということも。

 やがて冬至の祭りの日がやってきて、その準備の手伝いに駆り出されたシゲルは、友人(「幼なじみの女の子」ですよ)のために、心から祈りを捧げようとします。それによってシゲルが得たもの、そして失ったものとは。

 奇妙な信仰のある町を舞台にした青春小説だと思って読んでいると、これが実は「回心」をテーマにした作品だということに気づきます。重苦しい不穏な感じとユーモラスな感じ、不可解さと感傷、それらが混じり合って奇妙な印象を残します。土俗信仰というものを、それで静かに救われている人々のことを、たくみに表現してのけた傑作だと思います。


『バイアブランカの地層と少女』

 「失恋のタイプとしては別種なのが、なんだか救いがないような気がした。どちらもそれぞれに辛いのだ。どちらかがましだったら、まだそちらのほうに特化するという人生の指針も持てたであろうものの」(Kindle版No.2111)

 容貌は悪くないのに、どうもフラれてばかりの大学生が主人公。心配性で、地震のこと、テロのこと、ミサイルのこと、年金のこと、いつも何だかクヨクヨしつつ、「どうしてもトランクスの中にシャツを入れると落ち着く作朗だった」(Kindle版No.2079)。

 トランクスの中にシャツを入れるとモテない問題について相談すると、「なんやろ、あえてハンカチ持たんかったらえんちゃうの、そしたらシャツの裾で手拭くやろしさ」(Kindle版No.2086)と素敵に的外れな助言をしてくれる友人。「そういう隙を求めてる女の人はけっこうおるし、心配せんでもたぶんもててるよ」(Kindle版No.2357)と冷静に評してくる女子中学生。

 そんなあるとき、作朗はひょんなことからブエノスアイレスに住んでいる一人の女の子とメル友になります。互いに片言の英語でメールをやりとりしているうちに、次第に彼女のことが気になってくる作朗。といっても相手は地球の裏側にいる言葉もろくに通じない相手。さあどうする。

 やがて彼女には恋人がいることが分かり、その彼が怪我をしたというメールを受け取った作朗。突然、地球の裏側にいる彼女に自分は何もしてやれない、という悔しさに打ちのめされたそのとき、やるべきことが閃く。祈ろう、心からその男の無事を祈ろう。

 「祈り」という行為を通じて成長する若者の姿を描いた、全編これユーモラスで、最後までくすくす笑わせつつ、ラスト近くに待っている、不器用で滑稽でみっともない、でも真摯に祈りを捧げるシーンに、不覚にも感動してしまう作品。登場人物たちも魅力的で、個人的には『サイガサマのウィッカーマン』よりもこちらの方が好みです。

 「自分が幸せだと感じたのは、その夜で何年ぶりだっただろうか。いや、下宿で豚汁に好きなだけごまをふりかけている時などはだいたいそう思っているのだが、そういう自力で何とかできることではなく、誰かから幸せだと思わせてもらえること。恩寵のようなこと」(Kindle版No.2669)


[収録作品]

『サイガサマのウィッカーマン』
『バイアブランカの地層と少女』


タグ:津村記久子
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『プラスマイナス 142号』 [その他]

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。

[プラスマイナス142号 目次]

巻頭詩 『雲に乗る』(琴似景)、イラスト(D.Zon)
短歌 『まだ暑い空もあって』(島野律子)
詩 『台湾の桃』(島野律子)
詩 『着せ替え人形』(多亜若)
詩 深雪とコラボ 『天然生漢方薬の夜』(深雪(+島野律子 と やましたみか))
詩 『帰り道』(琴似景)
詩 『展望』(深雪)
詩 『夏からの道』(島野律子)
随筆 『一坪菜園生活 28』(山崎純)
随筆 『香港映画は面白いぞ 142』(やましたみか)
イラストエッセイ 『脇道の話 81』(D.Zon)
編集後記
 「ふるさとを語る」 その1 mika


 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
http://shimanoritsuko.blog.so-net.ne.jp/


タグ:同人誌
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