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『厭な物語』(クリスティー、ハイスミス、シャーリィ・ジャクスン、訳:中村妙子、他) [読書(小説・詩)]

 「羽毛で包み込むように読み手の心を癒す小説があれば、傷口に塩をなするような読後感で心を逆撫でする小説もある。本書は、後者を愛する読者----そう、今この本を手に取っているあなたのためのアンソロジーである」(文庫版p.255)

 人間の心に秘められている狂気や冷酷さ、ほんのささいな出来事がきっかけで起こる悲劇など、読後に厭な後味を残す名作短篇ばかりを集めたアンソロジー。文庫版(文藝春秋)出版は、2013年02月です。

 厭な小説といっても色々ですが、本書には、超自然的な脅威が登場するホラーや、どぎつい残酷描写を見せびらかすような小説は含まれていません。クリスティ、ハイスミスから、ソローキン、カフカ、オコナーといった具合に、どちらかといえば古典的、文学的といってよい、人間の暗い面を描いた作品が大半です。

 名作として知られている短篇が多いので、海外小説の入門書としてもお勧め。


『崖っぷち』(アガサ・クリスティー)

 「これからはあの人、すっかり落ち着いて幸せに暮らせると思いますわ」(文庫版p.43)

 密かに想っていた男を奪った美女を憎む語り手の女性。ふとしたきっかけで美女の浮気を知った彼女は、他人を破滅させることが出来る立場に酔いしれて・・・。誰にでも覚えがある心理を巧みに描き、破局に向けてサスペンスを高めてゆく手際はさすがミステリの女王だけのことはあります。


『すっぽん』(パトリシア・ハイスミス)

 「彼はとてもおとなしく、言われるままに何でもしたし、きかれたことにもちゃんと答えた。が、答えたのはきかれたことだけだった。すっぽんのことはきかれなかったので何も言わなかった」(文庫版p.70)

 自分の言うことをちっとも聞いてくれない母親に不満を覚えていた少年が、ある日、母親が買ってきた「すっぽん」に心ひかれる。厭短篇の名手、ハイスミスによる心理スリラー。実際にこういう事件はありそうだと思わせるリアリティが凄い。


『フェリシテ』(モーリス・ルヴェル)

 「彼女はフェリシテという名前だった。貧しい女で、美人でもなく、若さももう失われていた」(文庫版p.73)

 絶望に慣れ、逆境に耐えてきた女性を、ついに打ち負かした出来事とは。薄幸の女性が辿る悲劇的運命を淡々とした筆致で書いた古典。


『ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ』(ジョー・R.ランズデール)

 「デイリークイーンの駐車場でレナードのインパラのボンネットにもたれ、ウイスキー・コークをちびちび飲みながら、退屈と憂鬱と性欲を持てあまし、ニガー主演の映画を観にいく以外とくにすることもないまま犬の死骸を眺めていた」(文庫版p.88)

 退屈を持て余していた二人の白人少年に襲いかかる狂気と暴力。米国の南部を舞台とし、登場人物すべてが厭な奴という、理不尽な人種差別と暴力に満ち満ちたマキシマム厭短篇。


『くじ』(シャーリイ・ジャクスン)

 「サマーズ氏は、おりにふれて村人たちに、新しい箱をつくってはどうかと持ちかけているのだが、その黒い箱に代表される程度の伝統をすら、だれもくつがえしたがらないのだ」(文庫版p.119、120)

 村人たちが全員集まって、くじを引くという儀式を執り行う。長年くり返されてきたその伝統行事のクライマックスとは。シャーリイ・ジャクスンの代表作で、真相を知ってから再読しても、そのブラックユーモアに感心させられます。どんな時代のどんな社会にも存在するであろう一面を見事に描き出した古びることなき名作で、個人的には「わが国の伝統」といった言葉を目にするたびに、この短篇のことが脳裏をかすめるのです。


『シーズンの始まり』(ウラジーミル・ソローキン)

 「初猟おめでとう、セリョージュ」(文庫版p.153)

 いよいよ狩猟シーズン到来。二人の男が森へハンティングに出かけ、首尾よく獲物を倒す。大自然のなかで行われる爽やかな狩猟シーンを丁寧に描写した短篇で、ある一点だけが厭。この筆致と内容の乖離が素晴らしい効果をあげていて、ロシア文学さすがです。


『判決―ある物語』(フランツ・カフカ)

 「だから、よく聞け。これよりおまえに刑を言い渡す。溺れて死んじまえ!」(文庫版p.172)

 年老いた父親とのささいな言い争い。ありふれたそんな出来事が、平穏無事な日常という欺瞞を突き崩し、語り手を不条理な状況に追い詰めてゆく。日常生活や人間関係のあれこれが、実は自分の思い込みでしかないのでは、という誰もが抱いている不安をえぐる古典。


『赤』(リチャード・クリスチャン・マシスン)

 「彼は身をかがめて拾えるものを広い、先を注視しながら歩き出した。陽光は叩きつけるように降り、彼はシャツの背と脇を汗が濡らしているのを感じた」(文庫版p.176)

 暑いなか、何かを拾い集めて袋につめながら道を歩き続ける男。どういう状況で何をしているのか読者には分からないまま曖昧な主観描写が続き、状況が分かったとき、突然、赤い色が。数ページのショートショートで、ラストの衝撃はお見事。


『言えないわけ』(ローレンス・ブロック)

 「復讐は愉しいかい? 世間で言うほどそれは甘いものかい?」(文庫版p.224)

 獄中で死刑執行を待つ殺人犯が、被害者の兄に手紙を書く。サイコパス特有の人をたらし込む能力を駆使して、相手を懐柔して死刑回避を狙ったのだ。思惑通りに事は運んだのだが・・・。見事な心理サスペンスで、二転三転するラストの攻防戦は手に汗握る迫力。小説としての面白さという点では、収録作品中、これが一番かも。


『善人はそういない』(フラナリー・オコナー)

 「森から銃の発射音が聞こえてきた。一発、続けてもう一発。そのあと、あたりは静まりかえった」(文庫版p.247)

 旅行に出かけた家族が、ささいなことからトラブルに。事態はどんどん悪化してゆき、その先には理不尽な悲劇が待っていた。運命というものの酷薄さを切れ味するどく描いた名作で、このプロットは様々な映画に流用されています。猫が助かるのが救い。


『うしろをみるな』(フレドリック・ブラウン)

 「まあ楽に坐って、ゆっくりくつろげばいい。そしてこの話を愉しむといい。あんたがこの世で読む最後の小説になるんだから」(文庫版p.265)

 ブラウンの代表作の一つ。タイトルと「仕掛け」があまりに有名になっているので、初めて読む人も、最初の段落を読んだだけで、ああ「あの話」か、と気付くんじゃないでしょうか。

 日本語に翻訳されているという時点で「仕掛け」が破綻しているのが悲しいところ。ましてや電子書籍化されたら、話として成立しないことに。何の予備知識もなく原著を新刊で読んだ米国の読者がどんな厭な気持ちになったか、何とか想像してみようとして、ただただ羨ましい気持ちに。


[収録作品]

『崖っぷち』(アガサ・クリスティー)
『すっぽん』(パトリシア・ハイスミス)
『フェリシテ』(モーリス・ルヴェル)
『ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ』(ジョー・R.ランズデール)
『くじ』(シャーリイ・ジャクスン)
『シーズンの始まり』(ウラジーミル・ソローキン)
『判決―ある物語』(フランツ・カフカ)
『赤』(リチャード・クリスチャン・マシスン)
『言えないわけ』(ローレンス・ブロック)
『善人はそういない』(フラナリー・オコナー)
『うしろをみるな』(フレドリック・ブラウン)


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