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『家族進化論』(山極寿一) [読書(サイエンス)]

 「化石から類推することのできない社会の進化を解明しようとする霊長類学にとって、人間の家族はとても不思議な存在だった(中略)。世界のどの社会をみても、家族を下位単位としないコミュニティはないし、コミュニティをもたずに単独で存続できる家族もない。そして、このような特徴は人間以外の動物には認められないのである」(単行本p.329)

 霊長類のなかで人類だけが持つ「家族」を基盤とする社会システムは、どのようにして生まれ進化してきたのか。この「日本の霊長類学がその草創期からめざしたもっとも重要な課題」に最新の知見をもとに取り組んだ大作。単行本(東京大学出版会)出版は、2012年06月です。

 夫婦と子供、ときにその複数の組み合わせによって構成される「家族」という存在は、それが説明を必要とする謎だということに気付くのが困難なほど、私たちにとって自然に感じられます。ところが、このような社会システムを作る霊長類は他にはいない、これは人類だけの特徴だ、というのだから驚きです。

 しかもこの家族という存在は、たまたま歴史的な偶然で生まれた制度で便利なので今日まで受け継がれてきた、というような浅いしろものではなく、どうやら人類の根深い本性のようなのです。

 「人口や集団の規模が大きくなるにしたがって社会の構造や社会関係が変わっていくなかで、家族という社会単位はあまり大きな変化をこうむらなかった。首長制社会や国家は富や権威を集中させるとともに、繁殖の権利を独占し、人々の生殖を操作してもよかったはずである。家族を解体し、社会の階層によって子孫のつくり方に制限を加えるほうが効率のよい組織をつくれたはずではないかと思われる」(単行本p.333)

 「ところがそうはならなかった。(中略)これが人間の繁殖における平等を保証する最良の組織とみなしているからである。人間は経済における不平等は受け入れても、繁殖における不平等は受け入れなかったのである」(単行本p.334)

 なぜ、人類にとって繁殖の平等がそれほどまでに重要なのか、そのための「家族」とは何で、どのようにして進化してきたのか。本書は、霊長類学の権威がこの難問に挑んだ一冊です。最新の研究成果がこれでもかといわんばかりに大量に詰め込まれており、通読するだけで霊長類学の全体像を把握できそうな勢い。

 全体は六つの章に分かれています。

 最初の「第1章 家族をめぐる謎」では、社会進化論の歴史をざっと振り返り、霊長類の社会システム研究、そして人類社会がどのように進化してきたのかをめぐる議論の概要を紹介します。

 「第2章 進化の背景」では、霊長類の社会進化の生態要因、特に食物の質と量に注目します。食物をめぐる競合関係など、捕食(および被捕食)環境により霊長類の社会制度がどのような淘汰圧を受けているかを詳しく見てゆきます。 

 「じつは、類人猿も食物条件と捕食圧ではなかなか説明できない社会の特徴をもっている。それは人間の食と社会の関連にもつながる問題である」(単行本p.82)

 「第3章 性と社会の進化」では、繁殖戦略の競合、インセスト(近親婚)回避など、生殖をめぐる淘汰圧が霊長類の社会システムに及ぼしている影響を見てゆきます。その複雑でバラエティ豊かな内容には感嘆の他はありません。

 「霊長類の性の特徴は、生理的な周期性をもつという点では驚くほど共通している。だが、その表現形は種によってじつに多様である。これは、霊長類がその社会構造とともにさまざまな繁殖戦略を発達させてきたことを反映している」(単行本p.134)

 「第4章 生活史の進化」では、成長、繁殖、子育て、老化、といった生活史の違いが社会システムに与える影響を見てゆきます。つまり、誕生してから成熟するまでにかかる時間、どのくらいの頻度で子供を作るか、子育てに誰がどのくらいの時間とコストを費やすか、子育て修了後どのくらい生きるか、といったポイントが種によって大きく異なり、それが社会システムの差を生み出しているわけです。

 「近年、各地で類人猿の長期研究が進み、個体の成長や繁殖について多くのデータが蓄積されるようになった。そこで、類人猿の生活史の特徴を地域や種間で比べてみると、どういった要因が成長や繁殖を早めたり遅らせたりしているのか推測できるようになったのである」(単行本p.168)

 なお、個人的にこの章で最も興味深いと思えたのは、霊長類の「子殺し」に関する最近の研究成果と、それが社会システムに及ぼす大きな影響が明らかにされてきたという解説です。

 「オスによる子殺しは、哺乳類のなかでも霊長類にもっとも多くみられる行動である。いままでによく調べられている種のうち約三分の一に報告されている。(中略)これまで食物の量や分布と捕食圧という環境要因だけでは説明できなかった霊長類の群れを、子殺しという内在的な社会要因によって解釈することを可能にした」(単行本p.185)

 「第5章 家族の進化」では、霊長類の認知能力に関する最近の研究成果を通じて、社会進化の原動力を探ります。同調、共感、自己認識、他者への思いやり、心の理論、父性行動、コミュニケーション、歌、言語。かつては人類特有だと思われていたこれらの能力を、霊長類がどのくらい持っているのか、それが社会システムの進化にどう関係しているかが解説されます。

 最終章「第6章 家族の行方」では、これまでの研究成果を元に、人類がどのようにして社会システムを進化させてきたか、そして家族がどのような役割を果たしたのかを考察します。特に大きく扱われているのが農耕と牧畜。これが狩猟採集で生きていた人類の社会システムを劇的に変化させたということが強調されます。

 というわけで、主に類人猿との比較から人類の社会システムの進化史を探るというテーマを軸に、霊長類学や人類学の最新の研究成果をふんだんに盛り込んだ大作です。記述は難しくはありませんが、何しろ内容が濃いので、新書のようにすらすらと読んで結論に向かう、というわけにはいきません。個々の論点に意識を集中させ、じっくり腰をすえて読み進めるべき一冊です。霊長類学における最近の研究成果に興味がある方にお勧めです。

 「家族というのはこれまで人間がつくりあげた最高の社会組織だということを忘れてはいけない。(中略)そこには食の共同と性の隠ぺいという類人猿にはなかった規範が隠されている。繁殖における平等と共同の子育てこそが人間の心に平穏をもたらす源泉であった。現代の社会もその原則を失ってはならない。それが音を立てて崩れ落ちたとき、私たちはもはや人間ではなくなっているだろう」(単行本p.347)


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