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『わが盲想』(モハメド・オマル・アブディン) [読書(随筆)]

 「ぼくはうれしくなって、それだけでもう日本へ行ける気がした。うちへ帰るバスのなかでも、日本のことが頭から離れない。どうしよう。家族にはいつ打ち明けたらいい? ぼくは「日本留学」というこれまでの人生で最大レベルの不思議なネタに完全に支配されていた」(単行本p.16)

 遺伝性疾病で視力を失ったスーダンの青年が、家族とわかれて単身日本へ。ありとあらゆる苦難を乗り越えて日本で生活するスーダン人の盲目作家が、音声読み上げソフトを使って日本語で書いた感動の自伝。単行本(ポプラ社)出版は、2013年05月です。

 「食」を通じて在日外国人の生活を探った傑作ルポ、『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』(高野秀行)を読んだ方なら、作中に何度も登場するあの奇妙なスーダン人、アブディンのことを覚えていることでしょう。同書の「おわりに」では、後日談として次のように書かれています。

 「スーダン人のアブディンは、作家としてデビューを果たした。現在はポプラ社のウェブマガジンで『我が盲想』というエッセイを連載している。実はこの連載、私がプロデューサー役である」(『移民の宴』Kindle版No.3438)

 「今のところ、彼は期待通り、いや期待を上回る素晴らしい文章を書いてくれている。いずれ彼は日本の文芸界に一石を投じるほどの作家になるかもしれない」(『移民の宴』Kindle版No.3443)

 その『我が盲想』が、ちょっとだけタイトルを変えて、ついに単行本化されました。それが本書です。

 何しろ、日本語も点字もろくに勉強しないまま勢いで日本にやってきたのですから、とてつもない苦労が待っています。目が見えない、言葉が通じない、習慣が違う、でもイスラム教の戒律は守らなければならない、というより、まず寒い。

 日本語の授業にまったくついてゆけないショック。成績が良くなければ故国へ追い返されてしまうというプレッシャー。一人では電車に乗ることもままならない不便さ。しかし、持ち前の呑気さと粘り強さで、困難を一つ一つ乗り越えてゆくアブディン。克服したときの喜び。例えば、靴ひもを一人で結んだときの描写はこうです。

 「その日の夜、ぼくは思わず母に国際電話をかけて知らせた。だれより先に知らせたかったのだ。興奮冷めやらぬまま、この大事件について報告すると、そのテンションになんと母が驚いていた。どうも母は、靴ひも結びがぼくの人生最大の山場だということを知らなかったらしい」(単行本p.91)

 並大抵の苦労ではなかったでしょうが、文章がユーモラスなので、あまり深刻にならずに気軽に読むことが出来ます。

 ただ、故国スーダンの情勢についてはさすがのユーモアも影をひそめて。

 「ちょうどそのころ、大学時代の先輩で兄の大親友が学生デモをリードしたとして秘密警察に暗殺され、遺体が首都郊外の林に捨てられた」(単行本p.144、145)

 「友人のほとんどは、1995年から1997年にかけて命を落とした。(中略)ぼくが物心ついたころには、スーダンの第二次内戦は始まっていた。それまでにおよそ200万人の命が紛争によって奪われていた。紛争のない祖国を想像することは容易ではなかった」(単行本p.188、189)

 寿司と広島カープと近代日本文学が大好きなアブディンですが、就活の理不尽さなど、日本社会の歪みについては辛辣です。

 「2001年9月に9.11テロがあってから、メディアがイスラムに対する偏見を平気で並べ立てるようになっていた。(中略)周囲の日本人と9.11テロについていろいろ話したかったのだが、まったくと言っていいほど聞く耳を持ってもらえず、断念した」(単行本p.154)

 「スーダンでは政府の悪口を言っただけでも命がけになることさえあるのに、人々はそれに屈せず、政府の腐敗や国のあるべき姿について語り合っていた。日本では、自由に話せる環境があるというのに、だれも真剣に意見を交わそうとしない」(単行本p.155)

 「人間をがらりと会社都合で練り直せる企業の恐るべき力に脱帽した。この刷り込みぶりは、どのカルト宗教にも引けを取らない洗脳力だと感心した。強いて言えば、これに対抗できるのはスーダンのバシール政権くらいじゃないか」(単行本p.198)

 その皮肉はキツすぎる。と思いながらも、日本は例えばスーダンと比べて本当に自由な社会なのか、抑圧の形が見えにくいだけではないだろうか、などと考え込んでしまいます。

 本書のクライマックスは、故国の女性とのスピード結婚、東日本大震災でしょう。このくだりは、『移民の宴』の「震災下の在日外国人」と読み比べてみると面白さが倍増します。

 例えば、アブディンが高野秀行に電話をかけて原発事故への対処について相談するシーン。アブディンは「自分は沈着冷静に話しているのに、相手はわけのわからないことを口走るばかりで役に立たなかった」というように書いているのですが、高野さんもまさに同じように書いていて、人間の記憶というのがいかに自分に都合よく編集されているか明らかになったり。

 また、本書は娘が生まれたところで終っていますが、その後日談は『移民の宴』の「震災直後に生まれたスーダン人の女の子、満一歳のお誕生日会」で語られています。アブディン一家のその後が気になる方は、そちらもお読みください。


タグ:高野秀行
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