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『ヒュッテは夜嗤う 山の霊異記』(安曇潤平) [読書(随筆)]

 「たしかに、長い間山に通っていれば、不思議な体験や不気味な体験をすることもある。 しかし、本当のことを言えば、特に高山に登った場合、そういった恐ろしい体験にいちいち付き合っていられないというのが本音なのである」(単行本p.246)

 テントの外から足首をつかんでくる手、無人の山小屋に残されていた痕跡。登山家たちが語った不気味な体験の数々をまとめた実話系山岳怪談集。 全22話収録。単行本(メディアファクトリー)出版は、2013年05月です。

 「「山に限定した怪談をよくそんなに書き続けられるな」。顔を合わせるたびに、山仲間からそういわれる」(単行本p.3)

 登山家である著者が収集した、山を舞台とする実話系怪談集です。いないはずの登山者を見たとか、夜中にテントの周囲を歩き回る足音がしたとか、ぞっとするような体験談を登山者なら一つや二つ持っているものですが、本書に収められているのは中でもかなり怖い部類。

 冬季は閉鎖される山小屋で、厳重に板張りして誰も立ち入れないようにしているにも関わらず、春になって確認すると毎年必ず五号室の扉が開いている(『五号室』)。

 山道を歩いていると、右前足のない猫が現れる。やがて右目がつぶれた猫が竹林から現れ、さらに左の後足がない猫が出てきて、三匹で静かに後ろからついてくる(『猫の山』)。

 放棄されたスキー場跡で、錆びついたリフトを見つけた登山者。そのリフトがいきなり軋みながら動き出す。キイ、キイ、キイ、という嫌な音と共にボロボロの椅子がゆらゆらと動いて次々とこちらに向かってくる。やがて、今はまだ遠くに見える椅子に、なにかが座っていることに気付く(『リフト』)。

 かなり不気味で嫌な想像をかき立てるシチュエーションが続きます。けっこう怖いですよこれ。

 登山の途中で出会った快活で気のいい女性。ところが山小屋で一夜明けてから再会した彼女は、なぜかその面相が凶悪で憎悪に満ちたものに変容している。気圧されて見送った直後、彼女が出てきた山小屋から悲鳴が上がる。

 「個室トイレのひとつのドアが開け放されており、その前で、山小屋の若い女性スタッフがしゃがみ込んで両手で顔を覆って震えていた。 周りにトイレの掃除用具が散乱している。 もうひとりの若い女性が震える彼女の肩を抱いている。 その後ろから、三人の男性スタッフが薄気味悪そうな顔をしながら、扉の開いた個室トイレの中を覗き込んでいた」(単行本p.104)

 トイレの中に何があったのか。読者の多くが、さっき再会したはずの女性の遺体があったのでは、と思うのではないでしょうか。しかし、本当に怖い怪談というのは、そんな誰でも想像するような生やさしい展開じゃないわけです。(『豹変の山』)

 怪異それ自体もすごいのですが、余韻の作り方が強烈なものも。

 尋常でない恐ろしいものに出会った登山者が、必死に逃げてきて、自分が車を停めておいた空き地に戻ろうとする。日が暮れる前にあそこまで戻れれば・・・。

 「今日中に、車を停めたあの空き地に戻ることができるだろうか。(中略)この山で体験した恐怖と関係あるのかどうかはわからないが、あの空き地に放置されていた、くすんだブルーのワンボックスカーの存在が、私は妙に気になった」(単行本p.118)

 「私は妙に気になった」。そこで終らないでーっ。
 「くすんだブルーのワンボックスカー」がどうしたのか、何がどう気になるのか、あの怪異と関係があるのか、ないのか。何ひとつ説明がないまま、ここでぷつりと話が途切れるのです。ああ、嫌。

 さすがご自身も登山家だけあって、山登りや山の風景の描写はとてもリアルです。登山ルートや登山装備の説明も詳しく、各話の前半では読者も一緒に山を登っているような気分になります。こうして感情移入させておいて、後半で・・・。

 また、音の使い方がうまい。トンネルに響く「ぴちょん ぴちょん」という雨音、背後からついてくる「カサ・・・カサ・・・」という笹藪の揺れ、真夜中の無人の公園から響く「キイ・・・キイ・・・」というブランコを漕ぐ音。怪異の予兆として見事な効果をあげています。

 他にも、「臭い」がつきまとってくる話、濡れて皮膚にぺったりと張りつく衣服の感触や温度感覚が予兆となる話など、五感をフルに刺激して怖がらせます。「山の怪談の第一人者」と呼ばれるだけのことはあります。

 というわけで、著者が「そんなに怖い目にあいながら、よく山を続けていられるね」(単行本p.246)と言われるのも無理はない、かなり本気で怖い実話系怪談集。物理的に危険な上に、心霊的にもこれほど恐ろしい山という場所に、それでも登ってゆく登山家の情熱、そして登山家だけが触れることの出来る山の神秘に、心打たれる一冊でもあります。


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