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『時を生きる種族 ファンタスティック時間SF傑作選』(中村融:編) [読書(SF)]

 「これらの作品が忘却の淵にあったのは、中短編が軽視されるわが国の翻訳SF出版事情の弊害。作品の出来が悪かったからではないのだ」(文庫版p.359)

 1970年代から1980年代にかけてSFマガジンに掲載されたきりだった時間SFの古典的傑作を書籍初収録したアンソロジー。文庫版(東京創元社)出版は、2013年07月です。

 『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』に続く時間SF傑作選です。ヤングのロマンチック冒険SFから、タイムカメラが巻き起こす騒動を描くシャーレッドの傑作まで、全七篇を収録しています。


『真鍮の都』(ロバート・F・ヤング)

 「むかし、ビリングズという男がおりました。この男はまだ妻がなく、自動マネキン会社の時間旅行員をなりわいとしておりました。(中略)ある日のこと、このVIPP誘拐員は、麝香と沈香とジャスミン水、大魔神とジンとジニー、スルタンと彼の後宮と宰相の娘たちのいる時代に行き、そして・・・恋に落ちたのです・・・」(文庫版p.14、15)

 千一夜物語の語り手として名高いシェヘラザードを誘拐するため、過去にタイムトラベルした主人公。首尾よく彼女を後宮から連れ出したはいいが、タイムマシンが故障して帰還不能に。しかも、二人は魔神たちが支配する「真鍮の都」に迷い込んでしまう・・・。

 SF的に味付けしたアラビアン・ナイト風の恋と冒険の物語。波瀾万丈で大雑把でロマンスがあってハッピーエンド、つまりヤングらしい作品。


『時を生きる種族』(マイケル・ムアコック)

 「時間に関して奇怪な概念をいだいている彼らが、空間のある一点に存在できるのとまったく同じように、時間のある一点に思いどおり存在できると示してくれたのだから。そういうことは可能だと知ればいいだけの話だ」(文庫版p.118)

 神話的世界を旅する若者が、時間は流れるものではなく、あらゆる瞬間は独立して存在しており、意識を正しく使用するだけで時間の中に自由に存在できるということに気付く。

 『10月1日では遅すぎる』(フレッド・ホイル)にも似た思弁的時間SFですが、その神話世界の雰囲気はさすがムアコックです。


『恐竜狩り』(L・スプレイグ・ディ・キャンプ)

 「像の体重は----そうですね----四トンから六トン。旦那が撃ちたいとおっしゃる爬虫類は、体重が像の二倍か三倍で、はるかにしぶといんですよ。だから、シンジケートの決まりで、600をあつかえない人間は、もう恐竜狩りへはお連れしないんです。旦那方アメリカ人流にいえば、つらい目にあって学んだんです。不幸な事故がありましてね・・・」(文庫版p.129)

 タイムトラベルにより白亜紀での恐竜ハンティング旅行に出かけた一行。だが、傲慢でわがままなハンターの軽はずみな行動が原因で、彼らは絶体絶命の危機に陥ってしまう。

 ほとんど何のひねりもないタイトル通りの作品ですが、巧みな話術により最後まで楽しめます。


『マグワンプ4』(ロバート・シルヴァーバーグ)

 「ぼくは無関係な第三者だ。電話をかけようとダイヤルを回しはじめたとたんに、いきなりだれかが電話に出て、ぼくにオペレータ9号かと聞いた。それだけのことなんだ」(文庫版p.183)

 突然の電話機異常。現れた三人の「黒服の男たち」。彼らは「人類打倒をめざすミュータント秘密組織」だったのだ。スパイ容疑をかけられた語り手は、タイムマシンで数百年後の未来へと追放される。そこで捕まった語り手は、「さてはきさま、ミュータントのスパイだな」との嫌疑をかけられて・・・。

 人類とミュータントの戦いに巻き込まれ、時空をあっちこっちピンボールのように飛ばされる哀れな男を主人公とするドタバタコメディSF。お馬鹿な会話と展開が軽快に続いて、ラストでちょっとぞっとさせる。個人的には本書収録作で最も気に入った作品。


『地獄堕ちの朝』(フリッツ・ライバー)

 「わたしは時空連続体から死体を掘りだし、四次元の自由をあたえる。あなたを蘇生させたとき、あなたが<いま>だと考える時点のそばで、あなたをあなたの生命線から切り離したのよ」(文庫版p.224、225)

 アルコール依存症に苦しむ語り手の前に突然現れた謎の女性。それは時空を超越した謎の組織「スパイダー(蜘蛛)」のスカウトだった。「チェンジウォー(改変戦争)」シリーズの一篇。全体に漂う陰鬱な雰囲気は、解説によると著者自身の体験を反映しているためらしい。


『緑のベルベットの外套を買った日』(ミルドレッド・クリンガーマン)

 「もし時間旅行者がいて、自分の妹の親友がつけていた日記を未来で発見したいとします。自分もその日記に登場するのはまちがいないとします。先に読む機会をどこまで他人に譲ればいいんでしょう?」(文庫版p.244)

 高価な緑のベルベットの外套を思い切って買った女性。帰宅途中でふと立ち寄った古書店で出会った謎めいた青年に、その外套を渡すのだが・・・。『時の娘 ロマンティック時間SF傑作選』に収録されていてもおかしくないような「時に隔てられた恋愛」もの。


『努力』(T.L.シャーレッド)

 「きみたちはどんな世界に住みたいんだ? いや、住みたくないんだ?」(文庫版p.330)

 過去の任意の場所を撮影できるカメラを発明した男たちが、歴史大作映画を作って大儲け。資金と名声を手にした彼らが挑む真の目標とは。『過ぎ去りし日々の光』(クラーク/バクスター)と『テクニカラー・タイムマシン』(ハリイ・ハリスン)を合わせたような話で、能天気でノリのいい前半の展開に浮かれていると、やがて物語は理想と現実の衝突を描くシリアスな方向へと突き進んでゆきます。

 ゆうに長篇に匹敵する内容を詰め込んだ傑作で、1947年に発表されたとは思えないその現代的な内容に驚かされます。むしろ、ウィキリークス、スノーデン、アノニマス、といった言葉がニュースに頻出するハクティビズムの時代にこそふさわしい物語。もっとも、インターネットがあれば、全く違った展開になるでしょうけど。


[収録作品]

『真鍮の都』(ロバート・F・ヤング)
『時を生きる種族』(マイケル・ムアコック)
『恐竜狩り』(L・スプレイグ・ディ・キャンプ)
『マグワンプ4』(ロバート・シルヴァーバーグ)
『地獄堕ちの朝』(フリッツ・ライバー)
『緑のベルベットの外套を買った日』(ミルドレッド・クリンガーマン)
『努力』(T.L.シャーレッド)


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『「つながり」の進化生物学』(岡ノ谷一夫) [読書(サイエンス)]

 「コオロギを透明な箱に入れ、他個体の様子は見えるけれど、他個体と直接相互作用できないようにして飼っておくと、とても凶暴になり、喧嘩に強いコオロギになるそうです。長尾さんはこのように飼育したコオロギを「インターネットコオロギ」と呼んでいます。(中略)コオロギの喧嘩では、通常、相手が逃げてしまったところで決着がつきますが、インターネットコオロギは相手を執拗に追い続け、殺してしまうといいます」(単行本p.264)

 動物と人間のコミュニケーションはどこが同じでどこが違うのか。言語、感情、意識はどこから来たのか。専門家が高校生のために行った特別講義をまとめた一冊。単行本(朝日出版社)出版は、2013年01月です。

 『さえずり言語起源論』の著者が、高校生のために、コミュニケーションと意識がどのようにして進化してきたのかを論じます。話題は非常に幅広く、また最新の研究成果がそれこそ惜しげもなく投入されており、実にエキサイティング。

 「高校生たちの熱意にひきずられ、1回の講義に、本1冊分くらいのネタを惜しげもなく入れてしまいましたし、まだ研究の途中経過であっても、アイデア段階であっても、必要であれば勇気を出して紹介してみました。(中略)私は、心やコミュニケーションのことは、高校生に伝わらないような言葉で語ってはいけないと思っています」(単行本p.8、9)

 全体は四つの章に分かれており、各章がそれぞれ一日分の講義に相当します。

 最初の「1章 鳥も、「媚び」をうる? 進化生物学で考えるコミュニケーション」では、動物のコミュニケーションがどのようにして行われているのか、それは人間のものとどこが同じでどこが違うのか、そもそもコミュニケーションの定義は、といった話題を扱います。

 登場する話題は、キンカチョウの三角関係、ハダカデバネズミの鳴き声、ジュウシマツの歌、など。実験に使っている動物への愛着丸出しなのが印象的です。

 「見た目はグロテスクだといわれるけれど、しばらく観察していると、誰もが(とは言い過ぎかな)この動物の可愛らしさのとりこになるはずです。(中略)ハダカデバネズミの声は、小鳥のように可愛らしくて、いろんな鳴き声を出します。まず、個体同士が出会って、身体が触れると「ぴゅう」と鳴き合うのですが、僕らはこの声を「弱チュー鳴き」と呼んでいます」(単行本p.42、46)

 「2章 はじまりは、「歌」だった 言葉の起源を考える」では、人間の言語がどのようにして進化してきたのかを考えます。その起源が動物の「歌」にあると考えられる理由が詳しく紹介されます。登場する話題は、チンパンジーの認知能力、ネアンデルタール人の言語、ジュウシマツの歌学習、など。

 「ジュウシマツのほうが、人間よりも相対的には脳が大きいのです」(単行本p.107)

 「霊長類は約220種類いますが、発声学習するのは、人間だけです。これは不思議でしょう。(中略)人間が霊長類で唯一、発声学習することと、人間の赤ちゃんだけが大きな声でしょっちゅう泣くことには、このように対応関係があるのではないかと考えています」(単行本p.109、119)

 「3章 隠したいのに、伝わってしまうのはなぜ? 感情の砂時計と、正直な信号」では、表情などの非言語的コミュニケーションと情動や感情の起源について考えます。登場する話題は、魚類の痛み、昆虫の恐怖心、サルの嫉妬心、ネズミのメタ認知、人間の情動表出、など。

 「昆虫が感情をもっているかどうかは、まだ議論がつづいていますが、最近、ハチは恐怖心をもつのではないかという研究が発表されました」(単行本p.159)

 「ネズミにとっては、不正解して30秒待たされるより、キャンセルして次に進むほうがいいからですが、キャンセルすると、エサはもらえません。 エサがもらえないのにキャンセルするというのは、自分が正解できるかどうかの判断を、自分でしているということなんじゃないか。(中略)自分の状態を自分でモニターするのだから、これはメタ認知であるといえる」(単行本p.172)

 「不思議に感じるよね。自分では意識していない情動の表出が、自分よりも相手に伝わっているということです。だから、声や表情で相手を欺こうとしても、欺かれるのは相手ではなく自分になってしまう」(単行本p.211、212)

 最終章である「4章 つながるために、思考するために 心はひとりじゃ生まれなかった」のテーマは、心と意識の起源。「心の他者起源説」を紹介しながら、コミュニケーションと心の関係を考えます。登場する話題は、ダンゴムシの心、カプグラ症候群、哲学的ゾンビ問題、サリーとアンの課題、ミラーニューロン、インターネットコオロギ、など。

 「僕も、自分に意識があることは否定しません。けれど、意識という、厳密には自分にしか存在が確認できない特殊なものを基盤として考えるのではなくて、進化生物学の考え方で、意識、そして心がどんなふうにできるかを考えてみたいのです」(単行本p.232)

 「2009年、アメリカの心理学者たちが、YouTubeにアップされている動画を使って、踊っている動物の調査をしました。(中略)彼らは約4000件の動画を調べました。 すると、厳密な意味でダンスしている、つまりリズムが刻まれるタイミングと、体の動きが最大になるタイミングが対応しているのは、人間と鳥とゾウだったそうです」(単行本p.245)

 言語、心、情動といったものの起源と、それらがコミュニケーションとどのような関わりを持っているのかを、進化生物学から考える。そういう講義ですが、中心となるテーマはもとより、あちこちに仕込まれた生物学の話題が驚くほど多様で面白い。動物行動学や心理学に関する最新の論文や、ご自身の研究内容もどんどん出してきて、飽きさせません。

 自分の心や感情、そして他者との関係性に悩む年頃に、こういう講義を受けられた高校生たちが実に羨ましい。

 「自分の心は、他者の行動を理解するための情報処理過程で生まれたのではないか。つまり、自分たちの心でさえ、他者とのやりとりがないと、出てこなかったんじゃないかと考えています。 心はひとりじゃ生まれなかった、コミュニケーションが心をつくったということです」(単行本p.251)


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『オタク的翻訳論 日本漫画の中国語訳に見る翻訳の面白さ 巻十一「機動戦士ガンダム」』(明木茂夫) [読書(教養)]

 日本の漫画やアニメなどを中国語に翻訳するとき、頻出する文化依存の文脈(ネタ)を翻訳家はどのような創意と工夫で乗り越えたのか。中京大学教授である明木茂夫先生の好評シリーズ『オタク的翻訳論』、その十一巻が出ました。出版(東方書店)は、2013年06月です。

 今巻の研究対象はガンダム、それも基本的にファーストガンダムの中国語翻訳を、同じく英語翻訳(吹き替え版、字幕版)との比較により分析してゆきます。

 もともと七井コム斎先生による「ガンダム講談」の幕間トークコーナー「外国語版ガンダム翻訳研究」において明木先生が披露したネタの一部を掲載したものだそうで、そういう経緯のせいか、この巻は特にアカデミック色が薄くなっています。

 まずは軽く『逆襲のシァア』漫画版に触れた後、本命であるファーストガンダム(劇場版三部作)の中国語字幕を紹介。なお、英語版と並記されますが、以降では中国語版のみ書き写します。まずはタイトル。

  「鋼弾屹立大地」(ガンダム大地に立つ!!)

  「攻撃敵軍補給艦」(敵の補給艦を叩け!)

  「核心戦闘機、脱離吧」(コアファイター脱出せよ)

  「復活的夏亜」(復活のシャア)

 どうですかこの直訳っぷり、そしてその違和感の無さときたら。セリフの翻訳を見ると、ますますそう感じられます。

  「連邦軍的MS是怪物嗎?」(連邦のモビルスーツは化け物か!)

  「真是不想承認・・・ 因為自己年軽而犯下的錯誤・・・」
  (認めたくないものだな、自分自身の、若さゆえの過ちというものを)

 そのまま直訳するだけで、原文の風味まで忠実に再現されています。ガンダムのかっこ良さの多くが、その大時代的ハッタリめいた物言いにあるわけですが、これはつまり漢文(書き下し文)のそれなんですね。漢文書き下しの響きが軍記物に活かされ、軍記物のノリがガンダムへと受け継がれていった。だからガンダムを漢文に直訳しても違和感がない。なるほど。

 「やはりガンダムというのは大ネタで、詳しいファンが多いだけに、私などが論ずるのはあまりに僣越である。ぬるい冊子となったこと、平にお許し願いたい」

 とのことですが、ネタやツッコミがぬるいというより、このシリーズの魅力は「言葉遊びや時事ネタなど、とうてい翻訳不能と想われる日本語をどうやって無理やり中国語に翻訳したのか(時にとんでもない勘違いもあったり)」という面白さにあるにも関わらず、今巻にはそれがほとんどない、自然な直訳で何の問題もなかった、というあたりに、他の巻と比べて「ぬるさ」が感じされる原因がありそうです。

 なお、次巻では、まるで今巻の「ぬるさ」を挽回するかのように「全編これガンダムネタ、そして全編これ日本語の言葉遊び、という作品」の中国語翻訳版を取り上げて分析するそうなので、期待したいと想います。


タグ:台湾
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『家族進化論』(山極寿一) [読書(サイエンス)]

 「化石から類推することのできない社会の進化を解明しようとする霊長類学にとって、人間の家族はとても不思議な存在だった(中略)。世界のどの社会をみても、家族を下位単位としないコミュニティはないし、コミュニティをもたずに単独で存続できる家族もない。そして、このような特徴は人間以外の動物には認められないのである」(単行本p.329)

 霊長類のなかで人類だけが持つ「家族」を基盤とする社会システムは、どのようにして生まれ進化してきたのか。この「日本の霊長類学がその草創期からめざしたもっとも重要な課題」に最新の知見をもとに取り組んだ大作。単行本(東京大学出版会)出版は、2012年06月です。

 夫婦と子供、ときにその複数の組み合わせによって構成される「家族」という存在は、それが説明を必要とする謎だということに気付くのが困難なほど、私たちにとって自然に感じられます。ところが、このような社会システムを作る霊長類は他にはいない、これは人類だけの特徴だ、というのだから驚きです。

 しかもこの家族という存在は、たまたま歴史的な偶然で生まれた制度で便利なので今日まで受け継がれてきた、というような浅いしろものではなく、どうやら人類の根深い本性のようなのです。

 「人口や集団の規模が大きくなるにしたがって社会の構造や社会関係が変わっていくなかで、家族という社会単位はあまり大きな変化をこうむらなかった。首長制社会や国家は富や権威を集中させるとともに、繁殖の権利を独占し、人々の生殖を操作してもよかったはずである。家族を解体し、社会の階層によって子孫のつくり方に制限を加えるほうが効率のよい組織をつくれたはずではないかと思われる」(単行本p.333)

 「ところがそうはならなかった。(中略)これが人間の繁殖における平等を保証する最良の組織とみなしているからである。人間は経済における不平等は受け入れても、繁殖における不平等は受け入れなかったのである」(単行本p.334)

 なぜ、人類にとって繁殖の平等がそれほどまでに重要なのか、そのための「家族」とは何で、どのようにして進化してきたのか。本書は、霊長類学の権威がこの難問に挑んだ一冊です。最新の研究成果がこれでもかといわんばかりに大量に詰め込まれており、通読するだけで霊長類学の全体像を把握できそうな勢い。

 全体は六つの章に分かれています。

 最初の「第1章 家族をめぐる謎」では、社会進化論の歴史をざっと振り返り、霊長類の社会システム研究、そして人類社会がどのように進化してきたのかをめぐる議論の概要を紹介します。

 「第2章 進化の背景」では、霊長類の社会進化の生態要因、特に食物の質と量に注目します。食物をめぐる競合関係など、捕食(および被捕食)環境により霊長類の社会制度がどのような淘汰圧を受けているかを詳しく見てゆきます。 

 「じつは、類人猿も食物条件と捕食圧ではなかなか説明できない社会の特徴をもっている。それは人間の食と社会の関連にもつながる問題である」(単行本p.82)

 「第3章 性と社会の進化」では、繁殖戦略の競合、インセスト(近親婚)回避など、生殖をめぐる淘汰圧が霊長類の社会システムに及ぼしている影響を見てゆきます。その複雑でバラエティ豊かな内容には感嘆の他はありません。

 「霊長類の性の特徴は、生理的な周期性をもつという点では驚くほど共通している。だが、その表現形は種によってじつに多様である。これは、霊長類がその社会構造とともにさまざまな繁殖戦略を発達させてきたことを反映している」(単行本p.134)

 「第4章 生活史の進化」では、成長、繁殖、子育て、老化、といった生活史の違いが社会システムに与える影響を見てゆきます。つまり、誕生してから成熟するまでにかかる時間、どのくらいの頻度で子供を作るか、子育てに誰がどのくらいの時間とコストを費やすか、子育て修了後どのくらい生きるか、といったポイントが種によって大きく異なり、それが社会システムの差を生み出しているわけです。

 「近年、各地で類人猿の長期研究が進み、個体の成長や繁殖について多くのデータが蓄積されるようになった。そこで、類人猿の生活史の特徴を地域や種間で比べてみると、どういった要因が成長や繁殖を早めたり遅らせたりしているのか推測できるようになったのである」(単行本p.168)

 なお、個人的にこの章で最も興味深いと思えたのは、霊長類の「子殺し」に関する最近の研究成果と、それが社会システムに及ぼす大きな影響が明らかにされてきたという解説です。

 「オスによる子殺しは、哺乳類のなかでも霊長類にもっとも多くみられる行動である。いままでによく調べられている種のうち約三分の一に報告されている。(中略)これまで食物の量や分布と捕食圧という環境要因だけでは説明できなかった霊長類の群れを、子殺しという内在的な社会要因によって解釈することを可能にした」(単行本p.185)

 「第5章 家族の進化」では、霊長類の認知能力に関する最近の研究成果を通じて、社会進化の原動力を探ります。同調、共感、自己認識、他者への思いやり、心の理論、父性行動、コミュニケーション、歌、言語。かつては人類特有だと思われていたこれらの能力を、霊長類がどのくらい持っているのか、それが社会システムの進化にどう関係しているかが解説されます。

 最終章「第6章 家族の行方」では、これまでの研究成果を元に、人類がどのようにして社会システムを進化させてきたか、そして家族がどのような役割を果たしたのかを考察します。特に大きく扱われているのが農耕と牧畜。これが狩猟採集で生きていた人類の社会システムを劇的に変化させたということが強調されます。

 というわけで、主に類人猿との比較から人類の社会システムの進化史を探るというテーマを軸に、霊長類学や人類学の最新の研究成果をふんだんに盛り込んだ大作です。記述は難しくはありませんが、何しろ内容が濃いので、新書のようにすらすらと読んで結論に向かう、というわけにはいきません。個々の論点に意識を集中させ、じっくり腰をすえて読み進めるべき一冊です。霊長類学における最近の研究成果に興味がある方にお勧めです。

 「家族というのはこれまで人間がつくりあげた最高の社会組織だということを忘れてはいけない。(中略)そこには食の共同と性の隠ぺいという類人猿にはなかった規範が隠されている。繁殖における平等と共同の子育てこそが人間の心に平穏をもたらす源泉であった。現代の社会もその原則を失ってはならない。それが音を立てて崩れ落ちたとき、私たちはもはや人間ではなくなっているだろう」(単行本p.347)


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『提案前夜』(堀合昇平) [読書(小説・詩)]

  「見積もりの機器構成の明細の変更箇所の まだ帰れない」

  「行間を読まねば読めぬ陽に焼けた手順書だったぺらぺらだった」

  「仕様管理者(レビュアー)が仕様統括者(アーキテクト)が仕様承認者(オーナー)が日ごとに替わる サイレンが鳴る」

  「ソースコードの存在しない修正版(リビジョン)を探しつづける サイレンが鳴る」

  「ふいに詩が奔ったようで手を止める機器構成明細第2.4版に」

 ITシステムの顧客提案書は詩歌だ、母さん助けて詩歌。某コンピュータ会社の営業でもある歌人がつづった、コスト・納期・品質・要件・性能を満たすナイス提案集。単行本(書肆侃侃房)出版は、2013年05月です。

 自棄になった企画屋が捨て台詞のように吐いた仕様諸元、無能な技術屋がサービス残業の証拠として作ったシステムを、愚かな顧客を何とか騙して売りつけようとして空回りする。それがコンピュータ会社の営業というお仕事です。

  「まず何処の馬の骨かを説明せよ、製品の紹介はそれからだ」

  「ソリューション高らかに説く舌先だ醒めた空気に気づきもせずに」

  「ありきたりの言葉をいくつ並べても真実だろう売上だけが」

  「「ナイス提案!」「ナイス提案!」うす闇に叫ぶわたしを妻が揺さぶる」


 職場では、他人と目を合わさないようにして、黙々と「報告書」と「提案書」を作っています。

  「みな前を向くから僕も前を向くデスクトップの遠い草原」

  「商談確度A・B・C更にDプラス・Dマイナスと分けられて、春」

  「語気あらくして進捗を問う声は近づいてくる時計まわりに」

  「同い年の課長が増えてくる四月 体言止めで終える報告」

  「ダメだしの果てに突き放されるまで端末だけが温かかった」


 そんな、情熱あふれる仲間たちと共にIT技術で社会の未来を切り開く、やりがいある明るい仕事です。経験不要、仔細面談。

  「技術論的に無理だという奴の鳩尾をこうえぐる角度で」

  「明日もその席のあることを疑わず我が空論を去なしつづけろ」

  「褒められて育つタイプと新人が挨拶をする きらきらきらら」

  「伸びしろがある人間になりたいと伸びしろばかり伸ばした日々は」

  「引き継ぎもなく去るひとよ シャットダウン見届けぬまま閉じるPC」

  「明日もまた会社があると思うならお手元の資料をごらんください」


 そして充実した一日も終わり、また明日に向けて決意を新たにするオフタイムです。

  「結び目を解くそばから倒れたもん勝ちだよなんてつぶやいている」

  「靴ひもを整えてまた歩きだす嘔吐の跡のつづく街路へ」

  「労働の意味突き詰める友のいていまだ仕事を得たとは聞かず」

  「売れまくる啓発本のタイトルを考えながら歩く夕暮れ」

  「カップ麺啜れば骨の芯までも痺れるだめだもっと喰いたい」

  「ポークフランクを頬張りながら歩く坂道の途中でまた日が変わる」


 というわけで、IT業界のあれこれにひそんでいるリアルと抒情を丹念にすくい上げた、ISO 9000シリーズ準拠の標準歌集第2.4版R1.1です。希望に燃えてこの業界への就職をめざす若者たちに、ぜひとも読んでほしい一冊。


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