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『台湾から嫁にきまして。』(接接、ジェジェ) [読書(随筆)]

 台湾のゲーム会社に勤めていた女の子が、日本から出張してきたかなり駄目なオタク青年に一目惚れ。何もかも投げ捨てて日本に行って結婚したものの、不思議な国、日本での生活はあれこれ戸惑うことばかり。

 2010年に台湾で発売された『接接在日本』の日本語翻訳版です。電子書籍版をKindle Fire HD 8.9で読みました。単行本(中経出版)出版は2013年5月、私が読んだKindle版は2013年6月に出版されました。

 「一緒に台湾には住めないからジェジェが日本に来なよ。また遠距離は俺は嫌だよ」
 「「また」!! 誰とだよ!←そこ重要」
 「私は旅費をためて両親に別れを告げ、大好きなゲーム会社を辞めました」
 「(豚血餅、揚イカ団子、タピオカミルクティー、特大フライドチキンを握りしめて泣きながら歩くジェジェ)。空港についてもまだ食べている」

 いつもゲームばっかりやってて人の話もロクに聞いてない駄目ーな感じのオタク青年に惚れてしまった台湾娘、ジェジェ。書かれている彼の言動があまりにロクでもないので、読者も「悪いこと言わないから止めときな。すぐ別れて故郷に戻りなよ」などと親心が芽生えてしまうのですが、何しろ台湾の女の子なので決断力も行動力も生活力もハンパなく、言葉も通じない日本へさっさとやってきて結婚してしまいます。ああ・・・。

 というわけで、かわいらしいイラストと文章でつづるジェジェの日本日記です。日本の生活習慣をあれこれ不思議がったり、台湾と比べて不満を持ったり、逆に妙に感心したり。

 嫁視点で書かれた『中国嫁日記』(井上純一)みたいなものですが、個人的に面白く感じたのは、もともと台湾で出版された本なので、対象読者も台湾人だということ。つまり、「ね、日本って変でしょう」という「読者の共感を呼ぶべきポイント」が、(当然ながら)日本人から見ると妙に可笑しいのです。

 「チキンカツサンド約75元。75元のサンドイッチ~~~うあああああ!!!」
 「コーラ一本、約38元。コンビニのアイスは約65元」
 「驚くべき高価格のものがもっとたくさんあるの(ほぼ毎日驚きっぱなしの生活)」

 「日本にはお月様を指さしちゃいけないって禁忌はないの。だから日本人が思いっきりお月様を指さしているのを見て、台湾人がよく叫んでいたわ」

 「他に台湾人が絶叫することと言えば、お冷やに関してね。なんでか知らないけど、日本の飲食店では、春夏秋冬、老若男女問わず、常に冷たいお水が出てくるのよ!!」

 「日本では食べ残しを包むのは恥しいことなの!」

 「日本のトイレットペーパーは水に溶けやすく作られているの。だから使用済のものはそのまま便器に捨てていいのよね」

 「日本には台風がきたらお休みっていう考えがないの。私は上司の服にしがみついて「明日は本当に、本当に台風休みじゃないんですか!?」って何度も確認したの」

 「日本でおしゃべりしやすい話題で、堂々たる第1位は、お天気の話。どうやら、日本人は特にプライバシーとか、相手に気をつかったり、上下関係に敏感な「外仏内弁慶」のとても繊細な国民だからと思うの。でも私はゴシップな話題がたっぷりの蘋果日報を読みすぎている台湾人だし・・・・・・」

 「鶏の足とか頭とか原型が残ってるものは無理だろ」
 「日本人の方がもっと怖いわよ! 生きたままのお魚さんを食べるのよ!」
 「(水族館で芸能人が「わーお魚いっぱい、おいしそう」と言ってのを見て)このシーンを見て冷や汗が・・・。台湾人には到底理解できません・・・」

 「もう! お前のことなんか知らん!!」
 「はい? あなたの一番きつい言葉はそれなの? 台湾のドラマを見てごらんなさいよ!」

 個人的には、もう何十回も台湾を訪れたことがあるので、ジェジェの言ってることもよく分かるのですが、それでも「絶叫するほどショックなのか・・・?」という、いぶかる気持ちが先に立ちます。異文化理解は難しい。

 言葉の問題にも意外な落とし穴があるもので、次のようなエピソードが。

 「台湾にはおいしい食べ物がいっぱいあるらしいわね。特にあれね、“パイナップルケーキ”」
 「拍伊奈普魯Ke-Ki・・・? あ! もしかして外来語ってやつ? 拍伊奈普魯=PINEAPPLEだ! こういう食べ物ってあったっけ?」
 「(思考中空白の時間)」
 「あー分かった! “鳳梨酥”だったのね! まったく知らなかった! 日本では「パイナップルケーキ」って訳されていること」

 あと、日本人の飲酒については非常に疑問と不満があるらしく、特に普段は厳格な人が飲むと「人が変わる」ところが解せないようです。

 「とにかく、台湾のみんなに伝えたかったのは、日本へ遊びにきたら、金曜の終電に気をつけて! ・・・・・・ってこと」

 「なんで日本人は飲んだら豹変するの?」

 「なんで2次会、3次会があるの?」

 「なんで二重人格のように、オンとオフがあるの? 台湾人にはちょっと理解不能」

 確かに、ちょっと日本人は酒に甘えすぎだという気はしますが。

 こんな感じで、日本の奇妙な生活習慣のあれこれを台湾の読者に向けて語った一冊ですが、日本人読者にとってはまるで合わせ鏡ごしに自分の文化風俗を見るような感触があって、とても新鮮です。

 あらゆる困難に負けずに日本で働き、生活しているジェジェの台湾娘らしい楽観的たくましさには感心したり微笑ましく思ったりしますが、でも、いや、他人の恋愛に口を出すべきじゃないのはよく分かっていますが、でも、ねえ・・・。

ジェジェの妹さんが泣きながら
 「お姉ちゃん、なんでこんなのと結婚したの」
 「お姉ちゃん! 本当に平気? 強がらないで! 嫌なら戻ってきなよ! 強がって笑ってないでいいよ!」

ジェジェのいとこが怒りながら
 「だから気をつけなさいって言ったのよ。こんなんじゃ安心して日本に行かせられないわよ(小言が止まらない)」

 多少の誤解があるとはいえ、基本的に家族親族のいうことがもっともだと私も思うのですが、ジェジェは平然とこう言い放つのです。

 「は? 私たちラブラブだよ・・・??」

 基本的に他人の言うことをまったく気にしない台湾人気質とだめんずウォーカー気質がタッグを組むともう無敵。


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『バナナの世界史 歴史を変えた果物の数奇な運命』(ダン・コッペル) [読書(教養)]

 「これは、われらの愛すべき友、バナナの息の根を止めようとする、現在進行中の“犯罪”の解決策を探す試みである。(中略)この試みが手遅れになり、バナナが死に絶えたあとの検証作業にならないことを私は願っている」(単行本p.19)

 世界人口を支える重要な食糧であり、魅惑の南国フルーツでもあるバナナ。そのバナナが今、絶滅の危機に瀕している。知られざるバナナの歴史を詳説した驚くべき一冊。単行本(太田出版)出版は、2012年01月です。

 「ありふれた食べ物でありながら、バナナは間違いなく世界でもっとも複雑な植物である。(中略)バナナは人が栽培するようになった、もっとも古い植物のひとつである。初めて栽培されたのは七千年以上前にさかのぼり、以来きわめて重要な食物のひとつとなっている。果物としては世界最大の生産量を誇り、農作物としても、小麦・米・トウモロコシにつぎ世界で四番目に多く栽培されている」(単行本p.9、10)

 最初から最後までバナナ浸けの本です。全体は六部構成となっていますが、内容的に大きく三つのパートに分けることが出来るでしょう。

 最初のパート(第1部、第2部)では、バナナに関する基礎知識、そしてそれが原産地から世界中に伝播していった初期の歴史が語られます。エデンの園にあった「知恵の実」の正体はリンゴではなくバナナだったとか、バナナの「木」は存在しないとか、なぜ「種」がないのか、といった興味深い話題が続出します。楽しい気分になります。

 その気分は、次のパートで無残に散らされることに。中間パート(第3部、第4部)で語られるのは、中南米のバナナ大規模プランテーションで、米国の大企業がどのようなことをしてきたかという歴史です。

 「バナナ帝国を築きあげることには、明らかな使命感がともなっていた。それは米国のラテンアメリカに対する支配を強化する、という意思表明でもあった」(単行本p.95)

 「支配」というより、端的にいって「殲滅」といった方がいいような悪逆非道な行い。米国企業による中南米諸国に対する搾取と破壊と殺戮に興味がある方は、ぜひ本書を読んで気分を悪くして下さい。ここでは、次の箇所を引用するにとどめておきます。

 「ユナイテッド・フルーツ社がラテンアメリカの国土に与えたダメージは想像を絶するもので、キャベンディッシュに生産が切り替わってからも、回復にはほど遠い状況だった。ユナイテッド・フルーツがグアテマラとホンジュラスに据えた独裁政権はそれぞれの国を何十年にもわたって支配し、虐待や暗殺、はては集団虐殺までが幾度となく繰り返された」(単行本p.206)

 米国史の暗部と並行して、最後のパート(第5部、第6部)に向けてどんどん高まってゆく不協和音は、バナナの疫病に関する話題です。

 「バナナは歴史上かつて栽培されたことのない土地で栽培された。その結果、ほかの多くの外来種同様、耐性をもたない病原体の攻撃にさらされたのだ」(単行本p.139)

 「すべてのバナナが遺伝的に同一であるということは、すべてのバナナは等しく病気に弱いということでもある。同じ遺伝子をもつバナナが何十億本もあるということは、一本が病気にかかれば、残りの何十億本も病気になることと同義なのだ」(単行本p.14)

 「パナマ病が最初に流行ったのは、他の地域からは孤立したところだったので、自然な経過をたどってバナナが全滅するのには一年近くかかった(中略)、ブラック・シガトカ病は十年もたたずにアフリカじゅうに広まり、1980年代には、収穫効率は3分の2以上減少した。パナマ病が進化しつづけ、ますます強力になってから、およそ20年になる」(単行本p.285)

 「この、脆弱だが人類に不可欠な食糧であるバナナは、しだいに滅びゆく危険に直面している。すでに、アフリカのいくつかの場所では、ブラック・シガトカ病とパナマ病、その他十以上のおもなバナナの病気によって、生産量が60パーセント以上も減少している」(単行本p.292)

 エデンの園から、原罪と共に、人間が持ち出して世界に広めた「知恵の実」の未来を守るために、世界中の科学者が懸命の努力を続けています。品種改良、遺伝子組替、あらゆる手を尽くして疫病に強いバナナを作り出そうとする研究は、はたして間に合うのでしょうか。

 そもそも、単一種大規模栽培、世界中にプランテーションを作って消費地まで遠距離輸送するというサプライチェーン、などの世界経済システムを何とかしない限り、疫病との戦いに勝つことは出来ないのではないでしょうか。そして、戦いに負けたときには、人類は深刻な食料危機に直面することになるでしょう。

 というわけで、植物学、歴史学、農学、経済学など、様々な側面からバナナという、身近でありながら実はほとんど知られていない果物、そしてその人類との関わりを教えてくれる興味深い一冊です。シリアスな問題提起がなされていますが、単にバナナ雑学書として読んでも楽しめます。


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『終点のあの子』(柚木麻子) [読書(小説・詩)]

 「朱里にとっての終点は、向こうにとっては折り返しの始発駅に過ぎない。気づけば、細く消えていく電車を見つめ、無人の駅に独り取り残されている」(Kindle版No.2795)

 ささいなことで傷つく心、傷ついていることに気付いてもらえないときの怒り。思春期女子の激しく揺れ動く心理を丁寧にえがいた連作短篇集。電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(文藝春秋)出版は2010年05月、文庫版出版は2012年04月、Kindle版は2012年11月に出版されています。

 『私にふさわしいホテル』が非常に面白かったので、デビュー作『フォーゲットミー、ノットブルー』を含む最初の単行本を読んでみました。四つの短篇を収録した連作短篇集です。それぞれの話は独立していますが、同じ女子高を舞台としており、それぞれの作品の主役が他の作品では脇役として登場する、というゆるやかなつながりを持っています。

『フォーゲットミー、ノットブルー』

 「彼女につかみかかって顔を殴り、頭を地面に打ちつけてやりたい。心からそう思った。決めつけやがって。自分以外の人間は、いや自分に賛同しない人間はすべて凡庸だと決めつけやがって」(Kindle版No.621)

 他人の顔をうかがわず自由に生きている個性的な転校生。彼女に魅了されて友達になったヒロイン。しかし、その娘が自分のことを「凡庸な、いくじなし」と見なしていることに気付いた彼女は深く傷つき、そして決意する。罰を与えてやる、と。

 クラス中を巻き込んだ陰湿ないじめに走る普通の女子高生をえがいた、少女小説の王道ともいうべき短篇です。他人のことなどろくに見てないのに、他人からどう見られているかには過剰に反応してしまう。繊細で傷つきやすく、爆発すると抑制も何もきかない。そんな思春期女子の地雷心理が痛いほど伝わってきて、読者もやるせない気持ちに。

『甘夏』

 「夏の間に変身しよう。 期末試験の勉強中、奈津子は突然そう決意したのだ。クラスメイトの誰もが経験したことのない大冒険をし、二学期までに大人びた女の子に変身するのだ」(Kindle版No.964)

 自分が凡庸であることに不満を持つヒロインは、夏休みに学校で禁止されているバイトをしようと決意する。彼女にとってそれは「クラスメイトの誰も経験したことのない大冒険」であり、大人への入口でもあった。バイト先でちゃらい大学生からナンパされた彼女は、はじめて男性から口説かれたことに舞い上がるのだが・・・。

 自分が普通だということにコンプレックスを持つ凡庸な女子の成長をえがいた作品。さわやかな少女小説です。

『ふたりでいるのに無言で読書』

 「聞いているうちに、わくわくしてきた。本だらけの家で、ほとんど一人で生活している保田。人の目なんて気にせず、読書をし、猫と遊ぶ。母や姉が常に目を光らせている我が家とは大違いだ」(Kindle版No.1662)

 クラス一番の美人として「華やかグループ」に君臨しているヒロインが、図書館で「黙殺されグループ」の地味女子にばったり出会う。恋愛と化粧とファッションに余念がない彼女は、読書と漫画と猫にしか興味がないオタク女子になぜか惹かれ、友達になるのだが・・・。

 女子高の厳しい身分制度において、最上位カーストと最下位カーストの女子が夏休みのひとときだけ友達になるという、まあファンタジーです。
「やっぱ、スタジオぴえろって偉大だよね。うちのお姉ちゃんも言ってたけど、80年代のアニメって、線に迷いがない。神の領域----」(Kindle版No.1662)なんてセリフが飛び交うシーンも出てきます。

『オイスターベイビー』

 「空気を読め。皆に会わせろ。私たちの気持ちを逆撫でするな。(中略)あの頃は大人になれば、二度とこんな莫迦莫迦しい目には遇わないと思っていた。美大に合格し、絵を描く仲間に囲まれれば、すべてが解決するはずだった」(Kindle版No.2509、2512)

 他人を「凡庸な人間」だと見下すことで必死にプライドを守ってきたヒロイン。だが、自分が何の才能もない凡庸な人間だということを思い知らされ、周囲からは浮いてしまい、さらには恋人にもふられてしまう。どん底に落ち込んだ彼女は、とうとう最後まで自分を見捨てなかった親友までも失いそうに。そのとき彼女の脳裏をよぎったのは、高校時代のあの出来事だった・・・。

 『フォーゲットミー、ノットブルー』で主人公から陰惨ないじめを受けた、あの女の子のその後を描く作品。興奮すると広島弁が出るヤンキー気質の親友がすごく印象的で、松田洋子さんの『ママゴト』と並んで広島弁女子モノの傑作といえるでしょう。

 全体を通して読むと、古き良き少女漫画の香りが随所に漂っており、何だか無性に懐かしい感じがします。まあ悩んでいるだけで何も考えてない思春期男子に比べて、思春期女子の友達づきあいは本当に大変だなあ、と。

[収録作品]

『フォーゲットミー、ノットブルー』
『甘夏』
『ふたりでいるのに無言で読書』
『オイスターベイビー』


タグ:柚木麻子
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『未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる』(ちきりん) [読書(教養)]

 「人生で最も楽しい20代、30代の時間や、働き盛りで視野も世界も広がる40代、50代という期間の多くを「将来の備え」のために費やすなんてつまらなすぎます」(単行本p.5)

 世の中は産業革命に匹敵する大変革期を迎えているというのに、これまで通りの働き方で幸福な人生を送るなんて出来るはずがない。おちゃらけ社会派ブロガー「ちきりん」さんが、自らの体験も含めて自分のアタマで考えた、これからの働き方とは。単行本(文藝春秋)出版は、2013年06月です。

 様々な社会問題や時事ネタについて独自の視点で「考えた」結果を、親しみやすく楽しい文章でアウトプットし、実に面白くて刺激的な記事に仕上げてみせる人気ブロガー「ちきりん」さん。彼女の四冊目の著書です。

 様々な問題を幅広く扱ってきたこれまでの本と違って本書は、私たちはこれからどのように働けばいいのか、仕事についてどう考えたらワクワクするような未来を生きることが出来るのか、という一つの問題を徹底的に考えます。

 「「最近の若い者は我慢がない」、「考えが足りない」などという人もいるのですが、私から見れば、今の中高年の方がよほど何も考えていません。だから、未だにやりたいことが見つかっていないのです」(単行本p.192)

 こう、何となく「今は不景気だから仕方ない。いずれ景気が上向けば雇用環境も改善される」だとか、「とりあえず定年までは我慢。その後にゆっくり人生を楽しもう」だとか、自分でも薄々「嘘くさい」と感じている考えに身を任して、とりあえず今日を生きている私たち。そんな私たちの「思考停止」を、ちきりんさんは容赦なく突いてきます。

 「大半の人が、とりあえず今の場所で頑張るという、静観の道を選ぶのです。 その気持ちはよくわかります。でも、その道の先に明るい未来が約束されているわけではありません。特にこれから40代を迎える世代にとって、このまま歩き続けるのは、あまりにリスキーです。(中略)40代以下の人たちの人生は、逃げ切るには長すぎます」(単行本p.127)

 大企業に勤める50歳の会社員としては悩ましいところなのですが、迫り来る「年給支給開始年齢70歳時代」を前に、本当にこのまま「延々と続く撤退戦」(単行本p.2)につきあうことに残りの人生を費やすのかと問われれば、真剣に考え込まざるを得ません。

 というわけで、本書の前半は、従来のような働き方がなぜ出来なくなるのかを様々なデータを元にはっきりさせてゆきます。

 グローバリゼーション、少子化、長寿化、定年延長、ビジネス構造の変化、子育て環境の変化。IT革命やグローバル化の進展が原動力となって起きている世界の大変動を、分かりやすく整理してゆきます。

 はっきり見えてくるのは、私たちが直面している事態が「失われた何十年」だとか「長引く不況」といったものではなく、世界中を巻き込んでいる後戻りのない大変動であり、私たちはその変化に適応するためにこれまでの生き方・働き方を抜本的に変えるしかないのだ、ということ。イクメン、ワークライフバランス、育児休暇延長、小学校英語教育義務化、そういった小手先の対応でどうにかなるようなものではないということ。

 これを厳しい結論と見るか、大チャンス到来と見るか、読者は自分の問題として考えなければなりません。

 後半は、ちきりんさんが提唱する「最初から「職業人生は二回ある」という発想」をする」(単行本p.128)という考え方の説明です。

 「怖いのは、何があっても辞められないという不安感を人質にとられ、止めどなく伸びる定年年齢まで働いているうちに、人生が終わってしまうこと」(単行本p.163)

 「大事なことは、20年も働き、様々な条件が整った40代という時点で、20代の就活後初めて、主体的に働き方を選びなおすという視点をもつこと」(単行本p.137)

 「40代で働き方をリセットする大きなメリットは、そういった生活のすべてにおいて、自分のコントロールを取り戻せるということです。とりあえず働き始めた20代とは異なり、「自分が望ましいと思える生活スタイルをまず想定し、それが可能になる働き方はないのか?」という順番で考えられる、それが「人生で二回目の働き方の選択」です」(単行本p.183)

 それまでに築いてきたキャリアを40代で捨てて、職や働き方をリセットする。そんなリスキーなことに挑戦するなんてボクには無理です、という読者を想定して、どうしてそれが最も危険が少ない、幸せな人生への近道であるのかを説得してゆきます。

 貯金(ストック)より収入を得る状況(フロー)の方が重要、それまでの会社にしがみつくと「市場で稼ぐ能力のない人」になる危険が高まる、人生の有限性を真剣に考えよう、そもそも自分が心からやりたいことが何なのか考えたことがない人生ってどうなの。

 社会のことも自分のこともよく分からず、「大失敗したくない」という思いだけで選んだ20年前の会社や職業に残りの長い長い人生を縛りつけていいのか? 金融業界から一躍転身して「おちゃらけ社会派ブロガー」への道を進んだ著者の言葉ですから、説得力があります。

 「若者は就活なんでやめて起業せよ」とか「これからは会社に縛られないノマドな働き方がトレンド」とかいった、けっこう無責任に感じられるビジネス書と違って、「40代になって色々と判ってから働き方を見直そう」というのは、地味ながら、現実的で、説得力のある力強い提言だと思います。自分の人生を主体的に生きたいと思うすべての人、特に20代および40代の方にお勧めします。


タグ:ちきりん
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『Salves サルヴズ』(振付・演出:マギー・マラン) [ダンス]

 2013年06月16日(日)は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、マギー・マランの公演を鑑賞しました。

 舞台の上は、まるで工事現場のように殺風景な部屋。積み重ねられた板多数、そして四台のオープンリール映写機が周囲を取り巻いています。この「部屋」で出演者七名が様々な寸劇、フィジカルアクトを繰り広げます。上演時間70分。

 映写機の「かちっ」というスイッチ音が響くと舞台は暗転。数秒後にまた「かちっ」というスイッチ音がしてどれか一台のオープンリールが回り出し、すると舞台上には出演者たちが登場して何やら古めかしいサスペンス映画の一場面のような寸劇を行います。すぐに「かちっ」というスイッチを切る音がして舞台は暗転。数秒後にまたもや「かちっ」。

 これをひたすら繰り返します。つまり、様々な映画を「ザッピング」してランダムな順番で細切れに「上映」している、それを主演者が入れ代わり立ち代わりフィジカルに演じる、という趣向。セリフなし。状況説明なし。

 何人かで走って逃げている途中で倒れる女性、忙しく食器を運んでいるときに床に皿を落として割ってしまい全員が凍りつく、死体の上着を無理やり脱がせる、何やら怯えて様子を見に出てきたと思しき人物の背後から伸びて襲いかかる手、床に落ちて割れた陶器を拾い上げて元に戻そうとする、といった古典的なサスペンスシーンの数々が、細部を変えながら何度も何度も繰り返されます。

 不協和音をベースとしたサスペンス映画のサントラみたいな音楽がノイズ混じりにずっと続いているのも観客の神経を逆撫でします。

 前後の脈絡がないシーンを数秒単位で切り替えて「放映」するのですから、出演者の忙しさときたら。観客に見えない暗闇では、直前のシーンで使われた舞台道具を大急ぎで片付ける者、次のシーンのために着替える者、「部屋」に登場するタイミングを図って位置取りする者、などが時計仕掛けのように正確に、かつ無音で走り回っているはずです。

 普通の意味でいうダンスシーンもいくつかありますが、いずれもストロボ効果が使われていて、これは下手に使うとダサくなってしまう演出なんですが、さすがにむっちゃカッコいい。男性ダンサーのソロがお気に入り。

 最後は時間をとって古典的なドタバタ(パイ投げあり)が繰り広げられ、そこにイエスが再臨、おお、サルヴェーション・イズ・クリエイテッド! となるわけないです、マギー・マラン。

 全体的にはシリアスで緊張感のある雰囲気のまま、細切れ寸劇を一時間もひたすら繰り返すという不条理劇で、もしかしたら演劇として観るとさほど面白くなかったのかも知れません。

 しかし、机上から直立した姿勢のまま女性が倒れかかりそれを男性がそのままリフトする、机に横たえられた「遺体」が机と机の隙間に腰からずるずると沈んでゆく、数名の出演者が走りながら一つの家具(花瓶や絵画)を次々に渡しあう、複数の登場人物が完璧に同期して動く、しかもその人数が増えてゆくなど、ダンサーならではの驚異的な身体能力を活かした振付が頻出するところが魅力的で、ダンス作品として観るとこれがかなり楽しめました。


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