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『歯車vs丙午』(疋田龍乃介) [読書(小説・詩)]

 「丙午が食べる!/ 歯車が消化される!/年越したら丙午消える!/ でも歯車まわると!/  一瞬で60年経って!/丙午また襲い掛かる!/   歯車と丙午!/  同時に赤ちゃんちゃんこ着用!/いつも遠方には唐繰だけが曖昧だ!」
 (『歯車vs丙午』より)

 狂騒感に包まれた弾けまくる詩集。単行本(思潮社)出版は、2012年10月です。

 言葉の洪水、強烈なタイポグラフィ、記号の乱打まで、あらゆる技法を駆使して表現される狂騒感が凄まじい詩集です。どんな感じかというと。

 「ぶんぶんぶんぶんぶーんぶんぶぶーぶーんぶーぶー風風ふわふわふわふわっふーわっふーーわっふーーーーーーーんわっふーーーふわっふーんぶんぶぶぶーーん部分べちゃ部分べちゃべちゃお尻に付着させながらハチミツつけつけさせちゃいながらぶんぶんぶぶん歩こうぷーんぶんぶん歩歩歩ミツバチのすきっぷーーんぷんぷーんすきっぷーんぶーんすきっぷーーーーーんぷん粉ぷんぶぶぶんぷーんぶん文武ぶんぶんぶんぶんぶんぶぶ舞舞舞ぶいんぶいんぶいんぶんぶんおいしいミツバチぶん分ぶん分ぶぶぶぶ相応ミツバチ相応ぶんぶんミツバチぶぶぶぶぶぶミツバチぶぶぶついでにおならもぶーんぷーんぷんするミツバチ撫撫撫ミツバチ撫撫ミツバチ撫ミツバチなでミツバチなでなでなでかわいいミツバチのかわいいなでなでしたいミツバチのかわいいミツバチのだいじに思ってるミツバチのかわいがるだいじなミツバチのだいじなだいじなハチミツを。。。。。。。
 
 
  いきなり強奪!」

 (『ハニーシロップ・オン・ザ・ロード』より)

 間違えないよう慎重に書き写している最中で後悔してきましたが、やめときゃよかった、とにかく、こうした頭がくらくらしてくるような言葉の奔流がすごいのです。いきなり強奪!

 ミツバチだけではありません。例えばムカデについての描写はこうです。

 「美味しい卵の透けて見える脚のすらすらする脚の眼のする一脚につき十二本の指のゆったり上下するする付け根の脚の奥を凝視すればまたまたどう見ても全く違う種類の脚がもはや集まりすぎてもう脚だかなんいだかわからない感じの脚が、とにかく脚が、脚が、脚よ、脚よ、脚なのよ!」
 (『百脚御殿』より)

 すべり台はこう。

 「すべり台生誕時の肉声、
  「ぱぱやぱやぱぱぱ」
  すべり台を造った人の辞世の言、
  「立派なすべり台を造れたと思います」」
 (『犬でもできる。』より)

 蕎麦なんかこうですよ。

 「嵐の後の連れてこられた極秘の空間/アレルギー性蕎麦粉飛び散る巨大工場/また理不尽な往復蕎麦ビンタが炸裂する/蕎麦でできた猿轡が味覚以外全て圧迫/しなやかな蕎麦の鞭はO脚に敏感だ/眼球を粉のみで覆う力技に続いて/舞踊する鋭い蕎麦の針・・・/膨れ上がる蕎麦の焔・・・/執拗な蕎麦の鉤爪・・・/こうやって何度繰り返したか/改めて蕎麦道拷問が再開される/同胞たちはすでに絶滅させられた/痛烈に美味しいことは認めるが/答えるべき情報はなにもない/本当になにが望みなんだ/もう蕎麦はやめてくれ・・・・・・/頼むからこのくらいにしてくれ、」

 (『蕎麦道拷問』より)

 虫や料理ならまだイメージもわきますが、そうかしら、歯車と丙午の死闘、たぶん、となるともう想像のしようもなくて、考えるな、感じるんだ、の世界に。

 「よく見ると桜吹雪すりつぶす歯車/桜の森の満開の下A左右L上下丙午/まわる歯車の荒い吐息の60年/標本鮫から丙午と見せかけて歯車女/お義母さんが巻いた歯車すら輪姦の丙午/湯豆腐の襞からはぐはぐする歯車」
 (『歯車vs丙午』より)

 というわけで、こういう感じで延々と続く言葉の爆弾低気圧、読んでる途中で思考力を喪失して、ぱぱやぱやぱぱぱ、ぶんぶんぶん、となる法悦の書。痛烈に美味しいことは認めるが、本当になにが望みなんだ。

 「いいのかしらいいのかしら/こんなにはしゃいじゃって/ときにはすごく意地悪いこと考えたりして/いいのかしら/こんなことやあんなことしながら街に入ってしまっても」

 「音符と味覚が跳びはねている/ああっ あんあっ/あんこよりやわらか蜂の蜜/こんな疑いようのない楽しい喜悦/感じちゃってもいいのかしら」

 (『ハニーシロップ・オン・ザ・ロード』より)

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『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方』(監修:コンピュータ将棋協会) [読書(サイエンス)]

 「2005年に檄指がアマ竜王戦に出場した際には『惨敗しなければよいが』と心配していたのだが、現在は『人間側が惨敗しなければよいが』と心配する事態になっている。わずか数年のことであるが、まさに隔世の感がある」(単行本p.27)

 いまや現役の名人に勝つのも時間の問題とされるコンピュータ将棋ソフト。その急激な進歩の背後にあるアルゴリズムの革新について詳しく解説。単行本(技術評論社)出版は、2012年11月です。

 2007年に行われた渡辺明竜王とコンピュータ将棋ソフト「ボナンザ Bonanza」の対局は、NHKのドキュメンタリー番組として放映されました。それを見たときは、けっこう衝撃を覚えたものです。何しろボナンザの指し手が極めて自然で、背後に高度な大局観をも感じさせたのです。将棋ソフトもここまで進歩したのかと驚きました。

 しかし最も印象的だったのは、ボナンザの開発者が将棋にはさほど詳しくない、ほぼ初心者だということ。それはつまり、将棋ソフトというものが開発者の知識やノウハウの結晶ではなく、学習により自ら強くなってゆくアルゴリズム、特化型とはいえ立派な人工知能である、ということをはっきりと示していました。

 その後、2010年10月には「あから2010」が女流王将に、2012年01月には「ボンクラーズ」が元名人に勝利し、もはや現役の名人が将棋ソフトに負ける日が遠くないことは確実な状況になっています。

 本書は、この急激な進歩の背後にあるアルゴリズムの革新について解説したもの。将棋ソフトの歴史や基本概念から始まって、著名ソフトの開発者が様々な工夫について具体的に語ってくれます。

 全体は11章から構成されています。まずは、「第一章 負け続けた35年の歴史」と「第二章 コンピュータ将棋のアルゴリズム」で、これまでの歴史と基礎知識をまとめてくれます。αβ木探索、反復深化、トランスポジションテーブル、全幅探索、実現確率探索、評価関数、自動学習、といった将棋ソフト界の基礎を学びます。

 第三章から第八章までは、著名な将棋ソフトとして、檄指、YSS、GPS将棋、Bonanza、あから2010、習甦を取り上げて、それぞれ開発者自身がその特徴や工夫について語ります。

 「評価関数の自動学習を実用的な意味で初めて成功させ、プログラマ自身に深い将棋の知識がなくても、また、手作業によるチューニングに多大な時間をかけなくとも、優れた評価関数を自動的に作れることを示した」(単行本p.87、88)

 「当然のことであるが、最適に学習されたBonanzaの評価関数に乱数を加えれば、プログラムは弱くなる。しかし、面白いことにそれを多数決合議させると単体のBonanzaよりも強くなったのだ」(単行本p.155、156)

 インターネットから大量の棋譜を吸い上げ、評価関数を自動的に進化させてゆく。複数のソフトを合議させることで、単体のアルゴリズムを超えた強さを持たせる。将棋ソフトの急激な発展の背後には、こうした工夫と革新があるのです。

 技術面だけでなく、開発者の苦労話や所感も読みごたえがあります。また、今年中に名人を倒すぞ、などと気負っている開発者は一人もいません。というか、それはもう終わっている感が強く、皆が感じ考えているのは、目標を達成してしまった一抹の寂しさであり、新たに何を目標とするかの模索なのです。

 「檄指が弱かったころは、檄指の指す一手一手に一喜一憂し、悪手を指さないことを手に汗握って祈ったものだった。(中略)そこには、手作りの楽しさが存在した。今の檄指が指す将棋には、筆者が見ていて気が付くような悪手はほとんど存在しない。(中略)以前のように、改良の効果をダイレクトに感じられることはもうないだろう」(単行本p.93)

 「実力が向上した現在はそのような指摘は少ないが、もし神の視点から見れば欠点は依然として存在するはずであり、人間が現在までに名前をつけた欠点に該当しないので指摘を受けないというだけであろう。もし未来の技術で棋譜を分析すれば、まだ知られていない改善の余地がコンピュータと人間の双方にあって、それぞれ徐々に克服されてゆく過程を分析したり、微妙に形勢が揺れ動く名局を適切に言語化したりできるようになるのではないかと期待している」(単行本p.131)

 「第九章 プログラムの主戦場Floodgateの切磋琢磨」では、テストや改良のために将棋ソフトを互いに戦わせるためのインターネット上の対局場、Floodgateが紹介されます。

 「第十章 コンピュータ将棋の弱点を探る」では、現在の将棋ソフトが一般的に抱えている弱点を整理し、そこを突く人間側の戦略について考察。「第十一章 女流王将戦一番勝負」では、清水女流王将vsあから2010の激闘を解説します。

 面白いのは、開発チームが清水女流王将の対戦棋譜をすべて分析して、コンピュータ側の戦法を決める過程。あえて「コンピュータが苦手な作戦として関係者の間では有名であった」(単行本p.262)という戦法を選び、コンピュータ将棋について徹底的に勉強している相手の裏をかこうという、何だかめちゃくちゃ人間くさい番外戦があったのですね。

 コンピュータ側が指した、誰もが予想外だった一手。それを予想していたという清水女流王将の「だって、どれだけ対コンピュータ研究したと思ってるんですか? この日のために」(単行本p.285)という言葉。

 「6六金打ちは本局で一番驚き、また時間が経つにつれ感動が深まった一手である。数々の修羅場をくぐり抜けてきた清水女流王将の将棋観を表した手である。清水女流王将の胸中を思い、心が熱くなった」(単行本p.277)という、佐藤九段の言葉。

 というわけで、将棋ソフトが人間を超えても、将棋そのものの価値が失われるわけではない、いやむしろ新しい魅力を見い出せるかも知れない、という気持ちになる一冊です。個人的には、次の一節が心に残りました。

 「人間は既成の定跡や手筋に捉われ過ぎて、本来持っている将棋の世界のほんの一部しか垣間見ていないのかもしれない。(中略)「人間に勝つコンピュータ」が作られることで、人間の戦術や将棋の理解度がより一層高まることを信じている」(単行本p.212)


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『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原万里) [読書(随筆)]

 「嘘つきアーニャは、どうしようもない嘘つきであることも含めて私たちに愛されていた。それは、アーニャが優しくて友達を大切にする女の子だったからだ」(Kindle版No.1355)

 プラハの中学校に通っていた著者は、友人たちの消息を探す旅に出る。米原万里さんの作品が電子書籍化されたので、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読んでみました。文庫版(角川書店)出版は2004年06月、電子書籍版の出版は2012年06月です。

 三篇の短編から構成されています。いずれも世界各国の共産党大物の子女が集まるプラハの中学校の思い出から始まり、そこで知り合った友人のことが述べられ、彼女たちがその後どうなったのか消息を確かめるために旧共産圏の国々へ足を運ぶ、という展開になります。

 共産党の有力者を父親に持つというのがどういうことか。例えば、幼い頃の著者とアーニャが交わした会話はこんな感じ。

 「私の父も戦前から戦中にかけて16年間も地下に潜って活動していたのよ。いろんな職業や偽名を使い分けて、母に逢ったときの偽名は、ヒロセ・テツオだったんだ」

 「へえー。私のママもパパに出逢ったのは、非合法時代でね。一番上の兄をおんぶして、おむつの中にビラを隠して運んだそうよ」(Kindle版No.1096)

 女子中学生のあどけない日常会話がこれですよ。また、後に親友となる女の子が故国について説明するシーンにおける著者の感想はこう。

 「他民族に蹂躙された自国の歴史を語るときに、他の国の子どもたちは、もっと怒りや悲しみや憎しみの感情を露わにするのだった。それを見慣れていた私には、淡々と冷静に事実を突き放して語るヤスミンカがとても新鮮に映った」(Kindle版No.2284)

 教室内の子どもたちには、歴史問題だけでなく、もちろん政治問題が常につきまといます。

 「毎日、ソ連人の子どもたちと机を並べて学んでいた私は、ソ連共産党機関紙『プラウダ』と日本から半月遅れで届く日本共産党機関紙『アカハタ』とを目を皿にして読み較べた。お互いを罵り合う、その憎悪の激しさにショックを受けた」(Kindle版No.2449)

 「私がヤースナに近付きたかったのは、ヤースナ自身の魅力もさることながら、もうひとつの理由が明らかにあった。世界の共産主義運動の中で、左派に位置すると見られる日本共産党員の娘である私が、最右翼に位置すると思われているユーゴスラビア共産主義者同盟員の娘のヤースナと仲良くなることで、論争と人間関係は別なのだということを、なんとしても自分と周囲に示したかった」(Kindle版No.2479)

 友達を作るだけで、13歳の少女がここまで「政治的」に考えて行動しなければならない状況というのも、ちょっと想像を絶しています。

 しかし、状況がどうあれ、そこは13歳の女の子。やがて何人か友達が出来て、親交を結ぶことになります。つらいこともあるけどやっぱり楽しい学校生活。やがて著者は両親とともに帰国して、それから長い歳月が流れます。

 プラハの春、ワルシャワ条約機構軍のチェコ侵攻、ソ連崩壊後の混乱、各国の共産党政権の瓦解、吹き荒れる民族紛争、勃発する内戦。

 「再びプラハ時代の学友たちのことが、むやみに心をかき乱すようになったのは、80年代も後半に入ってからのことである。東欧の共産党政権が軒並み倒れ、ソ連邦が崩壊していく時期。もう立派な中年になっている同級生たちは、この激動期を無事に生き抜いただろうか。いつのまにかクラスメート一人一人の顔が浮かんでいることが多くなった」(Kindle版No.387)

 「無事に生き抜いただろうか」というのは軽々しい言葉ではありません。何しろ両親ともども反政府軍の手で処刑されたとか、空爆で吹き飛ばされたとか、強制収容所に収監されてそれっきりとか、そういうことがあっても少しも不思議ではない境遇の学友たちなのです。

 ロシア語の通訳になった著者は、こうして旧共産圏の国々を回ってかつての友達の消息を尋ね歩くことになります。ユーゴやブカレスト、日本人にはあまりなじみのない都市の様子がつぶさに描写され、息をのむような迫力を生み出しています。

 やがて再会した友人たち。かつて 「男の善し悪しの決め手は歯である」(Kindle版No.147)と教えてくれた快活なリッツァ。共産主義に心酔し「大げさな革命的言辞を異常に好む」(Kindle版No.1055)アーニャ。 「常に冷静で誰に対しても何事に対しても程良い距離を保った覚めた目で、ちょっと嘲笑するように見つめる」(Kindle版No.2387)ヤスミンカ。

 彼女たちはその後、どのような人生を送り、どのように変わったのか、あるいは変わってないのか。何気ないエピソードで登場人物の昔と今を表現してみせる手際は素晴らしく、一人の人間としての彼女たちのイメージが生き生きと伝わってきます。だからこそ、著者がアーニャに語る次の言葉が身に染みるのです。

 「抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」(Kindle版No.2189)

 というわけで、どうしても縁遠く感じられてしまいがちな旧共産圏の国々やそこに住む人々のことが、身近に感じられるようになる好著です。ルーマニア革命、ユーゴ多民族戦争など、旧共産圏の激動を「内側」から見た作品としても素晴らしい。それにしても、日本がぬるーい国で良かった。

[収録作品]

『リッツァの夢見た青空』
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
『白い都のヤスミンカ』


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『パオアルのキツネたいじ』(原作:蒲松齢、絵:蔡皋、翻訳:中由美子) [読書(小説・詩)]

 「へやのなかには かみを ふりみだした おかあさんが いました。ふとんのなかで ないたり、わらったりしています。なんだか 気が へんになったようでした」

 『聊斎志異』の一話を原作とした絵本。単行本(徳間書店)出版は、2012年10月です。

 『聊斎志異』といえば清代の中国で書かれた怪異譚集。幽霊や妖怪が登場する不思議な物語が500篇ほど収録されています。個人的な印象だけでいうと、割と色っぽい話が多いです。妖艶な美女に誘惑されて夜な夜ながんばっていた若者がどんどん衰弱してゆき、ある日たまたま通りかかった道士にこのままでは命はないと警告されて、とかそんな感じ。

 本書は、その『聊斎志異』のなかから『賈児』という短編を取り上げて、子供向きに脚色して絵本にしたもの。商人が留守の間に、その夫人の様子がおかしくなる。キツネの仕業だと見抜いた子供は一計を案じ、母親をたぶらかしていたキツネを見事に退治してしまいました、というのがあらすじ。

 こう、夫がいない間にこっそり忍んで来る者の正体は必ずしもキツネではないんじゃないかとか、母が寝室で嬌声を上げているのは別に気がふれたせいではないんじゃないかとか、大人が読むと色々と考えてしまいます。問答無用で殺されてしまうキツネたちもちょっと気の毒。

 絵はいかにも昔ばなし風で、さっと見は滑稽、じっくり見ると何だか不安を感じさせるという、いい按配になっています。解説にも書いてありますが、黒が多用されているのが特徴的で、闇夜はもとより、部屋の四方も闇に沈んでいる感じが、ちょっと怖いのです。

 饒舌に語りながら肝心の点が書かれてなかったり、緻密に展開してきた物語が唐突に断ち切られたりと、原作の『聊斎志異』が醸しだす不安感や怖さがうまく表現されていると思います。『聊斎志異』は何種類か翻訳が出ているので、この絵本を気に入ったら、そちらも読んでみることをお勧めします。


タグ:絵本
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『NOVA9 書き下ろし日本SFコレクション』(大森望:責任編集、宮内悠介) [読書(SF)]

 「本書には、日本SF第一世代から第六世代まで、デビュー年に半世紀の開きのある作家たちが集い、短編を競作しているわけですね」(文庫版p.5)

 「×」と「ぱ」が大活躍、巨大信長とメロン熊は大暴れ。悟りに達するサポセン、炭酸水の発明に至る壮大な嘘歴史、聴衆の反応をフィードバックする記録動画、土星衛星のうごめく氷塊。日本SF第一世代から第六世代の作家が勢ぞろい。全篇書き下ろし新作の日本SFアンソロジー『NOVA』、11篇を収録した第9巻。文庫版(河出書房新社)出版は、2013年01月です。

 さて、季刊『NOVA』の第9弾です。今回もホラー、法螺、駄洒落、すこしふしぎ、ゆるキャラ、そして宇宙SFからバイオSFまで幅広くそろっています。

『ペケ投げ』(眉村卓)

 「人間、自分でもわからないうちにいつペケ投げになるか知れたものではないのである」(文庫版p.30)

 他人の行動にちょっとイラっと来たとき、無意識に相手に「×」を投げつけてしまう事件が多発。「私」はたまたまその現場を目撃するのだが・・・。すこしふしぎ系の話で、特にSF的に発展するわけでもなく、淡々と終わってしまうのに驚きました。

『晩夏』(浅暮三文)

 「「は」は受け取った輪を右肩の上辺りに器用に担いだ。すると「は」は「ぱ」になった」(文庫版p.40)

 あるとき道端で「。」を拾ったところ、家に「は」がやってくる。そして半濁音一族の間で議論されている「ぱぴぷぺぽ」の右肩にある記号は他のものに変えた方がいいのではないか問題について大いに語るのであった。例によって例のごとく。

『禅ヒッキー』(斉藤直子)

 「入道に関するお問い合わせは1番を、ID滅却に関するお問い合わせは2番を」(文庫版p.66)

 サポートセンターに電話したときに流れるあの自動応答。あれが常に無限ループになるのはどうしてか。実は、あれは悟りを目指す修行だったのだ。恒例の落語SF。

『本能寺の大変』(田中啓文)

 「あの秀吉が最後の一匹とは思えない。わしが今、秀吉を倒したとしても、必ずや第二、第三の秀吉が現れるだろう」(文庫版p.115)

 本能寺がそれはそれは大変なことに。編者は「明らかに、最後の駄洒落はないほうがいい気がしますが、みなさんはどう思いますか」(文庫版p.82)と書いていますが、もはや駄洒落の有無とかそういった問題ではないと思う。

『ラムネ氏ノコト』(森深紅)

 「我々の周囲にあるものは、誰かしら、今ある如く置いた人、発明した人があり、通用するに至るまでの暗黒時代を想像すれば、そこには一篇の大ドラマがある」(文庫版p.159)

 ラムネを発明したとされるラムネー氏(ここからすでに嘘)。だが、炭酸水の発明に至るまでには知られざる壮大なドラマがあったのだ・・・。フロギストン説をめぐる科学史上の論争を元にした大法螺、嘘歴史。面白かった。

『サロゲート・マザー』(小林泰三)

 「わたしは自分とは遺伝的に繋がりのない子供を産む決心をした」(文庫版p.163)

 生殖倫理をめぐって様々な議論が展開する。今どき代理出産くらいでここまで世間が騒ぐということもないだろう、と思っていると、実は・・・。とある初期代表作を読んでいるとオチがすぐに分かってしまいます。編者の紹介文の冒頭でも言及されているので、気になる方は読み終えた後で目を通した方がいいと思います。

『検索ワード:異次元/深夜会議』(片瀬二郎)

 「動画共有サイトで検索すれば、ひょっとして見つけられるかもしれない。検索のキーワードは<異次元>だ」(文庫版p.199)

 ネットにアップされた謎めいた動画の紹介という体裁で、何とも理解不能な不気味な事件を語る「異次元」。深夜のビル内で起きた惨劇を、ちょっとした時間ループをからめて嫌な感じに語る「深夜会議」。スプラッターホラー作品二本立て。個人的には「異次元」の不可解さが印象的でした。

『スペース蜃気楼』(宮内悠介)

 「膵臓は九割を切り取っても機能するとユーセフが言うので、十枚のうち九枚を賭けた。いまになって話の信憑性が気になってきたが、後悔したところで膵臓が戻るでもない」(文庫版p.234)

 おなじみスペース金融道シリーズ第三弾。今度の取り立ての舞台は、違法カジノ宇宙船。ところが身ぐるみ剥がされた語り手は、ついに自分の内臓を賭けたポーカーに挑むはめに。果たして債権回収は成功するか、というか生きて帰ることが出来るのか。ユーモアたっぷりで大いに楽しめます。大勝負を仕掛けるための元手を稼ぎ出す手段が素晴らしい。

『メロンを掘る熊は宇宙で生きろ』(木本雅彦)

 「メロンから鼻先と目玉と耳だけが突き出しており、目を血走らせて、牙をむきだしにしている。頭のメロンは奇妙に大きくて、胴体との対比がアンバランスである。--胴体は黒い剛毛に覆われており、紛れもなく熊の身体だった」(文庫版p.320)

 もちろん北海道夕張市のゆるキャラ「メロン熊」。ゆるキャラとは思えないその凶暴な外見が見る者に多大なるインパクトを与え、ついには暗黒星雲賞を受賞。というわけでメロン熊はSFです。でも、だからといって、それを脱獄モノの宇宙SFにしてしまうという発想は普通思いつきません。

『ダマスカス第三工区』(谷甲州)

 「それは奇妙で不可解な映像だった。まるで生き物のように氷塊が移動し、既設の構造物をのみ込んでいった」(文庫版p.356)

 宇宙土木SFシリーズの最新作。土星の衛星で起きた崩落事故の調査に訪れた語り手は、事故の不可解さと現場の情報封鎖に翻弄される。ここまで順番に怪獣や半濁音やメロン熊の話を読んできて、SFっていったい何なのか分からなくなってきた読者を救済する、がちがち(文字通り)のハードSF。

『アトラクタの奏でる音楽』(扇智史)

 「いつの間にか、ログの周囲に膨大なタグ。[微妙]が[良]に押し流され、[神演]と[自演]がせめぎ合い、そのうち[泣けるナマ歌]が浮かび上がる」(文庫版p.410)

 AR(拡張現実)技術が普及し、あらゆるものにタグが張り付けられ、記録動画「ログ」が現実空間に重ねられ自動再生される近未来。周囲状況に対してインターラクティブに反応し曲調を調整する「ログ」を路上演奏させ、観客の反応をフィードバックさせるという実験を仕組んだアーティストと工学部学生。さわやかな青春SF。ひねりまくった曲者ぞろいのアンソロジー、最後にストレートな作品を置くという配慮。

[収録作品]

『ペケ投げ』(眉村卓)
『晩夏』(浅暮三文)
『禅ヒッキー』(斉藤直子)
『本能寺の大変』(田中啓文)
『ラムネ氏ノコト』(森深紅)
『サロゲート・マザー』(小林泰三)
『検索ワード:異次元/深夜会議』(片瀬二郎)
『スペース蜃気楼』(宮内悠介)
『メロンを掘る熊は宇宙で生きろ』(木本雅彦)
『ダマスカス第三工区』(谷甲州)
『アトラクタの奏でる音楽』(扇智史)


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