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『怒る! 日本文化論  よその子供とよその大人の叱りかた』(パオロ・マッツァリーノ) [読書(随筆)]

 「正しく怒ることこそが、社会と人間関係をよりよい方向へ導く最良の手段なのに、みなさん先入観にとらわれていて、そこんところを、なかなかわかっていただけない」(単行本p.80)

 電車のなかの迷惑行為、早朝の騒音、ささいなルール違反。怒りを覚えたときに私たちはどうすべきなのか。謎の自称イタリア人、反社会学の不埒な研究者、パオロ・マッツァリーノ氏が真面目に指南する正しい他人の叱り方。単行本(技術評論社)出版は、2012年12月です。

 「法を補完するのは道徳ではありません。コミュニケーション能力です。他人と関わる能力と気力です。個人と個人のコミュニケーションを伴わない道徳なんて、善人の自己満足にすぎません」(単行本p.263)

 というわけで、イラっときたときにそれをガマンするのではなく、相手との直接コミュニケーションにより解決を図るべし、と主張する本です。すぐに、真面目な顔で、具体的に、声を荒らげず、交渉のつもりで、深追いしないで、完璧な結果を期待しないで、などなど、他人に苦言を呈する際のコツを、自らの体験にもとづいて詳しく解説してくれます。

 しかし、何といっても著者らしさがはじけるのは、「昔の人は公衆道徳をきちんと守っていた。しかるに近頃の若者ときたら・・・」とか「昔の大人はちゃんと子供を叱っていた。しかるに近頃の大人ときたら・・・」といった類の言説がホンマかどうか検証してゆく反社会学研究レポートの部分。

 過去の新聞記事を詳しく調べて、庶民がどのように生活していたのかを確認してゆくのです。

 人前や電車の中で化粧をする女性はやっぱりいた。「昔の人はお年寄りにはすぐ席を譲ってくれたのに最近の若者ときたら」と愚痴る老人もいた。「若い娘さんならともかく見苦しい老婆のくせに席を譲れなどと厚かましいんだよ」と暴言を(投書欄に)書きこむ若者もいた。いずれも大正時代の話。そして、他人に迷惑をかけている人をその場で注意することが出来ず、あとから新聞に投書してイイネ!のコメントをもらって満足する人々が大勢いた。

 「私が唱えている庶民史の法則、“いまだれかがやってることは、必ず過去にもやってたヤツがいる”が裏づけられました。どんなに時代が変わっても、人間はアホなまま。人間の考えそうなことも一緒。だから、おんなじようなことをやらかします」(単行本p.189)

 サザエさんを全巻読破した上で、「少なくとも現在読める単行本では、全編中、波平の「バカモン」はゼロ、「バカもの」と怒ったのが一回きり」(単行本p.74)ということを発見、「昭和の父親は厳格で威厳があった。しかるに・・・」説が無根拠な思い込みに過ぎないのではないかと指摘したり。

 ネットを駆使することで、「西洋においては、人前で化粧するのは売春婦だけ」という言説の真偽を確認してゆき、電車で化粧をする女性は世界中にいること、売春婦説は都市伝説であること、そんなことを言っているのは日本人だけ、という事実を暴いたり。

 「勝手なことをする人間と、それを不愉快に思いながらも叱れない人がいて、結局は勝手な人間がのさばり続けるという世間の構図は、戦前もいまも、ずーっと変わっていないのです」(単行本p.23)

 「じつは歴史分野でもっとも捏造や思い込みに汚染されてるのは、庶民史、庶民文化史なんじゃないかと私は危惧しています。捏造に気づいてすらいない例が多いんですから。むかしはよかった、とノスタルジーで語るのでなく、むかしはどうだったか、もっと真摯に調べるべきでしょう」(単行本p.208)

 というわけで、他人を正しく叱るべき、という話から、いつの間にか、「今の世のなか間違っとる。昔はこうじゃなかった」といった類の思い込みを斬りまくる、いつもの反社会学本に。パオロ・マッツァリーノ氏の愛読者のみなさんは、何だか今回の本は毛色が違うようだから読まなくてもいいか、などと思わずに、一読してみることをお勧めします。


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