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『哲学の練習問題』(西研) [読書(教養)]

 「いま物を考えようとする若い人たちの多くが、彼と同じような難問につきあたっていると思う。つまり、何かの宗教や思想を盲信するのも、自分の感覚を信ずるのも危険に思えるが、しかしそのままでは元気が出ない。どこに「信」をおいていいかわからない」(文庫版p.261)

 哲学とは何なのか、それは私たちが抱えている具体的で切実な悩みや苦しみにどう役立つのか。簡明な言葉で哲学をどう活かすかを解説した一冊。単行本『自分と世界をつなぐ 哲学の練習問題』(NHK出版)出版は1998年01月、私が読んだ文庫版(河出書房新社)は2012年12月に出版されています。単行本に対して「全体の三分の一がまったくの書き下ろし」だという、「大増補版」です。

 哲学の入り口となるような様々な「問い」を並べ、それに対して短い「答え」を与える形で書かれた哲学入門書。非常に分かりやすく書かれており、ヘーゲル、ニーチェ、フッサールなどの哲学者たちが何をどう考えたのか、中学生にも理解し納得できるようになっています。

 全体は、プロローグとエピローグにはさまれた4つの章から構成されています。

 「第一章 神秘・科学・哲学をどう捉えるか」では、客観的現実というものがあるのか、オカルトや神秘的なものをどう考えるべきなのかなど、私たちが探求すべき世界について考えます。

 「第二章 人間の本性をテツガクする」では、私たちが悩み苦しむのはどうしてかということを考え、「第三章 「生きる意味を問う」では、他人と分かり合えない、本当の自分が分からない、といった個人の悩みを取り上げます。

 「第四章 自分と社会はどうつながっているか」では、社会がどうあるべきか、それと自分はどう関わっていけばいいのか、を考えます。

 扱われている「問い」には、「客観的現実のリアリティは何によって支えられているか」、「宇宙に果てはあるか」、「物質世界と意味世界、どちらが根底的か」、といったいかにも“哲学的”なものもあります。しかし、中心となるのは、次のような誰もが日常的にぶつかる悩みの数々です。

  「客観的なただしい考え方はあるか」
  「正義に確かな根拠はあるか」
  「人間の悩みは脳科学で解決できるか」
  「名誉や恋を求める「欲望」は悪か」
  「「他人に嫌われること」が怖いのはなぜ」
  「死をどうやって受け入れればいいか」

 なかには、いっけん哲学とは関係ないような疑問も混じっていたりして、これがまた面白い。

  「幽霊はいるか」
  「タイム・スリップの謎はとけるか」
  「スピリチュアルな言葉をどう受けとめればいいか」
  「クラゲに前後の区別はあるか」
  「ウサギに「訴える権利」はあるか」

 読み進めるうちに何度も指摘されるのは、正しい答えより何より、まず「正しく問う」ことの大切さ。

 「人は意外なほど、ほんとうは自分は「何が」気になっているのか、をわかっていないもの。そこを見つめようとする勇気と、つきつめて根っこからわかろうとする意志から「考えること」ははじまる」(文庫版p.14)

 「人はしばしば、いちばん大切なこと(問題の核心)にまっすぐに向かわずに、それを不適切なかたちで問うのである」(文庫版p.33)

 「私たちはしばしば、何かにせきたてられるようにして「答えの出ない問い」を問い続けるが、そのときには、この問いはどこから出てきたのか、と自分に向かって問う以外に出口はない」(文庫版p.145)

 そして自分の生きる困難や苦しみを適切なかたちで「問い」にしたとき、哲学がそれにどう応えてくれるのかを丁寧に教えてくれるのです。

 「こうして人間の意味世界ないし意味体験に着目し、そのあり方を問う学問が必要とされることがわかる。そしてこれを行うのが狭義の哲学なのだ。(中略)哲学はつねに、喜怒哀楽を生きる人間の意味世界を解明することを試みる」(文庫版p.67)

 「じつは哲学も、宗教と同じく「生と死の意味についての問い」から生まれてきた面があって、その点では宗教の後継者といえる。しかし哲学は、宗教のようないろいろな答えではなく「だれもが納得できる原理的な考え」を求める点がちがう」(文庫版p.169)

 「あらゆる理論(哲学にかぎらず社会学や心理学でも)は、そのほとんどが、何か具体的な「生」の状況から生じてくる。生きているなかで抱え込むさまざまなこと(多くは個人的な苦しみや時代的な困難だったりする)から、著者は何かの「問い」をかたちづくり、そしてその問いに自分なりに答えを出そうとして本を書く」(文庫版p.256)

 「無前提に何かの真理が存在するのではない。ある問い(課題)に対する答えとしてみたとき、強い考え方と弱い考え方が存在するのである」(文庫版p.256)

 個人的に強い共感を覚えたのは、若い人たちに向けて、「社会」に対する信頼を取り戻そうと訴えるところ。

 「「社会について語ること」が全体を見晴らす特権的位置に立つことではなく、同じ社会に生きている人々の存在を信じ、そこに生じることを「われわれの」問題としてとりあげ改善しようとする努力であるなら、それがなくていいはずがない」(文庫版p.189)

 「ふりかえってみれば、二十代のぼくが社会をリアルに感じられなかったのも、そのような努力をしている人々がこの世の中にちゃんといるとは思えなかったからだ。社会がリアルに感じられるかどうかは、「多くの人間たちの誠実な努力」を信じられるかどうかの問題なのである」(文庫版p.189)

 というわけで、哲学なんて何の役に立つのか分からない、という方、特に若者に読んでほしい一冊です。自分の悩みを適切な「問い」の形にするのは練習が必要な難しい作業であること、しかし適切な「問い」さえ得られれば哲学は驚くほど役に立つこと、そして哲学することは社会にともに生きる他の人々との関係を築く上で大切であること。そういったことが納得できるに違いありません。


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『やわらかい檻』(川口晴美) [読書(小説・詩)]

 「右半身を下に横向きになって、茹でられた海老のようにきつく丸まっていなきゃ眠れないなんて、いつから、だっただろう。今夜も壁際の寝台の上でもぞもぞと安定する場所を探して身動きを繰り返す。それは昨日の場所とも一昨日の場所とも同じではないから新しく見つけなければならなくて、クルシイ。クルシイけどわたしの体が生きていて昨日とも一昨日とも違ってしまっているからなのだと考えると、少しだけ安心する」
  (『夜の欠片』より)

 眠りと死について、児童殺害とホラー映画について。怪奇小説のような緊迫感に満ちた詩集。単行本(書肆山田)出版は、2006年05月です。

 「きみ、このまえ道で吐いていたでしょう、と男はわたしの顔を覗き込む。笑っていた。夕暮れの光の中で男の不揃いな前髪が揺れ、このひとは道端に跪いてわたしが吐いたケチャップまみれのスパゲティに顔を寄せくんくんにおいを嗅いだのだとおもうとわたしは何だかもう逆らうことのできない気持ちになる」
  (『椅子工場、赤の小屋、それから』より)

 ママのいいつけを破って小学校帰りに寄り道をしていた幼い少女が、見知らぬ男に声をかけられる。男の着ているセーターには何かの染み。そして彼女は「壁も床も天井も、内側はぜんぶ、赤い色に塗られている」小屋に引き入れられる。それから・・・。

 まるで怪奇小説のように読者のイマジネーションを刺激する作品がならんでいます。子供が惨殺されるイメージが複数の作品にまたがって繰り返されますが、実際にはそんな場面は登場しません。これは現実なのか悪夢なのか。それとも生々しい記憶なのか。読んでいてどきどきして、嫌な感じに息苦しくなってきます。

 「深い眠りはたくさんの色を塗り重ねてできる濁った灰色をしていて、その下に何があるかはもう見えなかった。わたしはそれを見たくない。見たくない。ひと夏中、ホラームービーを見続けた。数え切れない死体と飛び散った何リットルもの血が、眠りの壁に隔てられ触れられないところで、積み重なっていく」
  (『壁』より)

 「ママが手招きしている。歩道の終わりで、車を止めて、わたしを迎えに来てまっている。目を閉じていても青白い指がゆらゆら揺れているのがわかる。わたしはそこへ向かって歩いている。汗がとても冷たい。いいえちがう。ママは台所にいた。細くて長い指で包丁をにぎりしめ、背を向けて」
  (『サスペンス、ワイド、いつか』より)
 
 双子の弟が行方不明になり、次第に様子がおかしくなってゆく母親。殺されたのは弟なのか自分なのか。

 視界のいちばん端に見える二本の足。

 無数の壁が秩序なく入り組みねじれた忌まわしい建物。

 ああ、確かにホラー映画や恐怖漫画で描かれる、これはあの悪夢の感触。ふと目をさまして、悪夢と記憶と空想が混濁していて、またずるずると眠りに滑り落ちてゆくときの手触りが濃厚に感じられます。

 「冷房のききすぎたスーパーの食料品売り場を歩いていたら後頭部を強打されたような眠気がやってきて今すぐこのスーパーの床でいいから横たわって眠りこけてしまいたいという強烈な欲望にとらえられ、こらえて部屋まで戻ってくのは吐き気がするほどの苦痛だった。眠りはわたしの体内いっぱいに漲り、部屋にたどり着いてドアを閉めたところで皮膚を内側から食い破って溢れこぼれてしまう」
  (『小鳥屋』より)

 「夕立の音で目が覚めたと思ったら、シャワーを浴びながらいつのまにか浴室のタイルに横たわって寝ていたのだった。夢は、ずっと見ているような気はするのだけど一つも覚えていない。起きている時間が短すぎるから反芻して記憶に定着させる暇がないのだろうという考えが深い眠りの沼から泡のように浮かびあがって、すぐに消える。また起きたら続きを考えることができるだろうか」
  (『小鳥屋』より)

 それは眠りすぎ。


タグ:川口晴美
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『東日本大震災 石巻災害医療の全記録  「最大被災地」を医療崩壊から救った医師の7カ月』(石井正) [読書(教養)]

 「東日本大震災は2万人近くが死亡・行方不明となる未曾有の被害をもたらした。本書の舞台となった宮城県石巻圏は、その4分の1にあたる5000名近い命が奪われた被害の最も大きい地域である。(中略)ここに全国からのべ約3600チームもの多くの支援医療班が駆けつけ、被災者の救護活動に懸命に取り組んだ。本書は宮城県災害医療コーディネーターとして、その指揮統括の任にあたった石井正医師の7ヶ月間の闘いの記録である」(「解説」より)

 突如、22万人の命を背負うことになった一介の外科医は、そのとき何を考えどう行動したのか。東日本大震災における最大の被災地で、災害医療コーディネーターとして闘い続けた医師による詳細な手記。新書版(講談社)出版は、2012年02月です。

 「2011年03月26日に発足した「石巻合同救護チーム」は、7カ月という長期にわたる救護活動を終え、9月30日、解散した。活動した救護班はのべ3633チーム、約1万5000人。1日に最大59チームが活動した日もあり、のべ5万人を診察した」(新書版p.266)

 宮城県石巻市。東日本大震災で壊滅的打撃を受けたこの地域で、災害拠点病院となったのが石巻赤十字病院でした。地域の医療機関の大半が機能停止し、行政も麻痺、通信はシャットアウトして情報が入らない、被害状況すら不明、という悪夢のなかで、全国から駆けつけた救護チームを指揮し、医療崩壊や疫病流行を未然に防ぐことで22万人の命を救った一人の医師。NHKスペシャル等でも大きく取り上げられた著者による、災害医療活動の実態について書かれた一冊です。

 「26日現在で石巻市の死者は2127人、行方不明者は約2700人を数えていた。また合同教護チームの把握している圏内の避難所は302ヶ所で、避難所暮らしを余儀なくされている住民の数は4万3596人に達していた。(中略)避難者総数は約7万人にのぼっていた」(新書版p.100、101)

 現場はどんな状況で、何が問題となり、どうやって解決していったのか。なぜ人々は彼について行ったのか。

 事前の対策、震災当日の状況、すべての避難所をしらみつぶしかつ継続的にアセスメントするという驚くべき決断、医療の枠を超えた活動、組織化の困難、民間からの支援、マスコミ対応など、時系列に沿って石巻合同救護チームがどう動いたのかを詳しく解説してくれます。

 「これは、日赤救護班、各大学病院から派遣された救護チーム、宮城県を通して石巻医療圏に入る各都道府県の公立病院を中心とした救護チーム、宮城県や石巻市などの医師会や歯科医師会から派遣された救護チーム、さらにはDMATや自衛隊など、すべての救護チームを、宮城県の災害医療コーディネーターである僕が一元的に統括し、すべてのチームが協働して震災と闘うためのコマンド(部隊)だった」(新書版p.99)

 被災後の混乱のなかで、のべ1万5000人にものぼるチームを組織化し、一元統括して効率的に動かす。さらには企業や民間組織、ボランティアグループの支援申し出に対して適切に対応する。そして22万人の被災者、7万人の避難者の生命と健康を守る。

 これは想像を絶するほどの困難な仕事です。それを一人の医師がいかにしてなし遂げたのかが、詳しく、具体的に書かれています。

 「彼はぶれない心と強いリーダーシップで、医療の枠を超え、何事に対しても抜群の実行力で闘い続けた。震災発生後、政治や行政など、この国のあらゆるところで失われてしまったものが、ここにはあった。(中略)誰もが石井正になれるわけではない。だが、本書はこれからの災害医療にとって確固たる指標となるはずだ」(「解説」より)

 読み進めるうちに、真のリーダーシップというものが、まざまざと浮かび上がってくるようです。単純に災害ドキュメンタリーとして読んでも抜群に面白く、災害医療のあり方、組織の動かし方、リーダーシップについて学ぶことの多い良書です。


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『動物の○(どうぶつのえん)』(振付:伊藤千枝、珍しいキノコ舞踊団) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 2012年12月09日(日)は、夫婦でVACANTに行って珍しいキノコ舞踊団の新作公演を鑑賞しました。狭い倉庫のような空間で4名のダンサーが踊る(天丼も喰う)1時間ほどのこじんまりとした公演です。

 何といっても観客との距離が極端に近い。すぐ目の前で踊るどころか、観客と観客の隙間に踏み込んできて踊る。下手に身動きでもしたら、山田さんにはたかれるかも、篠崎さんに蹴飛ばされるかも。

 開演前からメンバーが観客に混じって雑談したりと、物理的距離だけでなく心理的距離も極端に縮めてきます。くつろぐー。私たちが観た回は児童OKだったので、子供たちのはしゃぎ声もまたアットホームな雰囲気を盛り上げます。

 全員で組んで象さんになったり、お猿さんのようにうっきうっき跳ねたり、海の軟体動物めいたちょっとあやしい動きで魅了したり、動物をテーマにしたと思しきダンスはいつもの通り素晴らしい。

 至近距離で踊っているのを観ると、その身体コントロールの凄さに感心させられます。というか、ほんとすぐ横で手足振り回して踊るので、バランス崩されたらとても困る。もちろんそんなヘマをするはずもなく、観客も彼女たちと一緒に踊ったような気持ちになるところが素敵なんです。

 踊りながら歌う、踊りながら飲み食いする、などけっこう難しそうなシーンも印象的ですが、電飾つけて階段からじわじわ顔を出す、飲み食いダンスの後で床を丁寧に拭き掃除する、など伊藤千枝さんのどうということもないパフォーマンスがなぜか強烈に記憶に残っています。

 何だかあっという間に終わってしまって心残りな、至福の1時間でした。今年、最後に観た公演がキノコでほんと良かった。

[キャスト]

構成・振付・演出: 伊藤千枝
演出補: 小山洋子
出演: 山田郷美、篠崎芽美、茶木真由美、伊藤千枝


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『ホルスタイン』(プロジェクト大山、振付:古家優里) [ダンス]

 2012年12月08日(土)は、夫婦であうるすぽっとに行って、プロジェクト大山の新作公演を鑑賞しました。女性ダンサー7名が踊る1時間の公演です。

 笑わせるシーンもありますが、基本は真面目に踊ります。前半はコネタを畳みかけ、後半は、ラストに備えた体力温存のためか、海の底にいるようなゆったりとした舞台。ラストにはかなり長丁場の群舞を持ってきて盛り上げて終わる、という構成。

 初めて観たカンパニーですが、メンバーはいずれもかなりの踊り手のようで、感心しました。

 タイトルが「ホルスタイン」なので、もちろん牛ネタが含まれます。牧神よろしく牛柄の服を着たダンサーたちが胸からトイレットペーパーの「乳」を引き出したり、ミス牛乳(と書いた「たすき」をかけたダンサー)がマリリン・モンローよろしくハッピーバースデーを歌いながら牛乳をごっくんうっふんあはーんと飲んで見せる等。

 しかし、小泉今日子だ、モンローだと、若いお嬢さんの作品にしてはネタが考古学というか、ターゲットとして想定している客層がいまひとつよくつかめません。

 惜しいと思ったのは、個々の場面の演出は悪くなのに、どうも全体としてまとまり不足というか、個々のコネタが単発で終わってしまい、散漫な印象が残ること。むしろ全体を引き締めていたのは衣装で、これは非常にセンスが良いと思いました。牛ドレスもぐっときますが、ポスターにも使われた青い鎖帷子みたいな服装がいいですね。

[キャスト]

構成・演出・振付: 古家優里
出演: 加藤未来、田上和佳奈、長谷川風立子、松岡綾葉、三浦舞子、三輪亜希子、古家優里


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