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『フェッセンデンの宇宙』(エドモンド・ハミルトン) [読書(SF)]

 「ハミルトンはもっぱら痛快無比の宇宙活劇(スペースオペラ)の書き手として知られている。英米ではこの点が災いして、通俗作家としてかたづけられることが多い。(中略)しかし、ハミルトンには途方もない奇想を情感たっぷりに語る短篇の名手という側面もあり、わが国では早くからこの側面が強調されてきた」(文庫版p.436)

 「キャプテン・フューチャー」シリーズ等で名高いエドモンド・ハミルトンの短篇傑作集。単行本(河出書房新社)出版は2004年04月、私が読んだ文庫版は2012年09月に出版されています。文庫版では、単行本に対して『世界の外のはたごや』、『漂流者』、『フェッセンデンの宇宙(1950年版)』の三篇が追加されています。

 SF、ホラー、秘境探検、など様々なジャンルに属する短篇を幅広く集めたバラエティ豊かな傑作選です。特筆すべきは、名作『フェッセンデンの宇宙』の異なる版が両方とも収録されており、読み比べが可能であること。

 本書の元となる単行本が「奇想コレクション」の一冊として2004年に出版されたときには、『フェッセンデンの宇宙』の雑誌掲載版(1937年版)が収録されていました。今回、文庫化にあたって、アンソロジー収録時に手直しされた改訂版(1950年版)が追加され、こうして異なる2バージョンが揃ったというわけです。

 1937年版はいかにも奇想を中心としたアイデアストーリーで、登場人物も非常にシンプル。ブラッドリーは単なる語り手、設定も心理描写も最小限になっています。フェッセンデンはいかにも傲慢で、自分の天才ぶりを見せつけようとし、その偉大さを否定され逆上して悲劇を招く、という幼児的で嫌なマッドサイエンティストに過ぎません。

 これに対して1950年版では、フェッセンデンの「偉業」に感銘を受けたブラッドリーは、科学者(天文学者)として期待と興奮にわくわくしながら彼の「実験」を見守る、というように書き直されています。そして、「自分たちの罪深さ、邪悪さに思いいたった」(文庫版p.430)ブラッドリーは、「あんなことをしてきた彼への憎しみと、それを分かち合ってきた自分への憎しみ」(文庫版p.431)に駆られ、フェッセンデンと対立します。心理の動きが自然で、説得力があります。

 一方、フェッセンデンも、1937年版に比べれば傲慢さもやや薄れ、自分の「偉業」が決して世間に受け入れられることはないだろうという孤独感に耐えきれず、親友にして科学者たるブラッドリーなら理解してくれるかも、という期待にすがっているように読み取れます。その親友に拒絶され、失望のあまり逆上して悲劇を招くという、むしろ哀れな人物という印象が強い。

 そういうわけで、個人的には、二人の人物像にそれなりに深みを持たせ、心理ドラマの書き込みにより「科学研究がはらむ倫理問題」というテーマを浮き上がらせた1950年版の方が好み。もっとも、「禁断の実験に手を染めたマッドサイエンティストが因果応報で破滅(そして屋敷炎上)」という定番パターンをきちんと守っている単純明快な1937年版にもシンプルゆえの力強さがあり、こちらを好む人がいるのも分かります。ぜひ読み比べてみて下さい。

 さて、本書には、「このくだらない世界は実は「偽物」で、いつか自分だけは「本当の世界」に帰るときが来るのではないか」という、思春期前の(特に、SFを読むような、いじめられっ子タイプ)男子が必ず考えることをベースにした作品が数多く収録されているのが印象的です。

 具体的には、『追放者』、『夢見る者の世界』、『漂流者』。それぞれ、「この世界は自分が空想で作り上げたものではないか」、「この世界と異世界を往復するうちにどちらが「現実」なのか判らなくなる」、「自分は別の世界からこの世界にやってきた調査員なのかも知れない」という中二的発想が基になっており、まあ、ハミルトンの少年期がしのばれます。歴史上の偉人たちが別世界でこっそり集会しているという『世界の外のはたごや』にも、似たような感触があります。

 生まれながらにして背中に翼があり空を飛べる男。恋と世俗的成功のために翼を切り落としたものの、大空への憧れを抑えることが出来なくなって・・・、というのが『翼を持つ男』。破滅が待っていると知っていながら、女や仕事を捨てて彼方の世界へ行ってしまう身勝手さを、男のロマンだ何だと感傷的に肯定するタイプの作品は、SF読者にも人気が高いようです。映画『グラン・ブルー』なんかもそうですね。

 『向こうはどんなところだい?』は、宇宙開発や科学技術の負の側面を書いた傑作。

 火星でウラニウム鉱脈が発見され、資源開発への期待から、大規模な探検隊が送り込まれる。だが、事故、疫病、食料不足で、次々と死んでゆく隊員たち。絶望のあまり自暴自棄の反乱が起き、何人もの隊員が処刑されるが、そういったことはすべて伏せられ、地球では「勇敢な英雄たちの活躍」、「人類の未来を切り開く原子力」といった明るい報道ばかりが流される。

 仲間の大半を失い、地獄を生き延びてようやく地球に帰還した主人公。ヒーローとして大歓迎を受け、みんなから「向こうはどんなところだい?」と親しみをこめて尋ねられるが、誰にも本当のことは言えないのだった。

 「安い原子力を手にいれ、あんたたちが洗濯機やTVやトースターをもっと動かせるようにするために、あの連中が犠牲になったり、ぼくらが地獄をくぐりぬけたりする値打ちはなかったんだ!」(文庫版p.115)

 主人公の声なき叫び。今読むと、原発労働者や原発事故難民の叫びそのまんまに思えてきて、心が痛みます。1952年に発表された本作に書かれているような社会の構造が、21世紀になってもその本質的なところは何一つ変わってないことに、暗澹たるおもいを禁じ得ません。

 他に、墓場で奇跡的に生き返ったものの、いまさらどこにも行き場がないことに気づいて打ちのめされる『帰ってきた男』。秘境探検ロマンスに「生きている風」というアイデアをからませた『風の子供』。地球強奪をもくろむ彗星人の陰謀を扱った荒唐無稽な冒険活劇『凶運の彗星』。水星でプラズマ生命体と出会った探検隊が人類の限界を思い知らされる『太陽の炎』。ハミルトンの作風の幅広さを実感できるラインナップです。

 というわけで、ハミルトンといえば通俗スペオペ作家だと思っている方、『フェッセンデンの宇宙』の異なる版を読み比べてみたい方、50年代SFの素朴で力強いアイデアストーリーにたまらない魅力を感じる方、などにお勧めの古典SF短編集です。

[収録作品]

『フェッセンデンの宇宙』
『風の子供』
『向こうはどんなところだい?』
『帰ってきた男』
『凶運の彗星』
『追放者』
『翼を持つ男』
『太陽の炎』
『夢見る者の世界』
『世界の外のはたごや』
『漂流者』
『フェッセンデンの宇宙(1950年版)』


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『精神のけもの道  つい、おかしなことをやってしまう人たちの話』(著:春日武彦、漫画:吉野朔実) [読書(随筆)]

 「人は現実が何だか微妙に「わからなく」なることがある。しかもその状態から日常へと引き返すことをせずに、いつしか意味の真っ白な場所へたどりついてしまうことがある」(文庫版p.158)

 天井裏に潜む幻の同居人、神の啓示で空飛ぶ円盤を建造した男、会話に延々とインチキ英単語を混ぜてしまう日本人。本人のなかでは整合性があるらしいものの、どこかで道を踏み間違えたような心の有り様について、精神科医が語ってくれる一冊。文庫版(アスペクト)出版は、2012年07月です。

 「精神のけもの道とは、人の心の働きにおいて、なるほど論理的で整合性はあるもののそれが「普通の人の日常的な文脈」からは逸脱してしまい、しかも何か過剰なものを現出させてしまっている人物の精神の様相を指す言葉である」(文庫版p.14)

 最初に登場するのは、病死した姉が好物だったというドラ焼き二十個を懐に入れて投身自殺した老女。この痛ましいニュースを読んだ著者は、ふと、こう考えるのです。

 「果たして飛び降り自殺に臨んで懐に入れねばならないものなのか。(中略)おまけにドラ焼きが二十個というのは多過ぎないか」(文庫版p.15)

 さすが精神科医。人間の心に潜む妙なものに敏感です。

 異常というほどではない、不可解というわけでもない、でも考え始めると妙に気になってきて、その先を想像するとなんだか戻れなくなるようなかすかな不安を感じる、そんな「精神のけもの道」に踏み込んでしまった人々の逸話を、ご自身が扱った患者、ニュース記事、文学作品などから取り出して、あれこれ語ってみせるエッセイ集です。

 例えば、天井裏に怪人が潜んでいると訴える老婦人。誰がそんな狭いところにわざわざ隠れているのかと問われていわく、「可哀相な人なんじゃないかしら」(文庫版p.34)。

 「わたし自身、幻の同居人を語る老人とはかなり多く出会っている。おそらく日本全国では、とんでもない数の怪人が天井裏に潜んでいるに違いない。どこの町にも、天井裏へと精神のけもの道が続いている家がある」(文庫版p.37)

 あるいは、日記マニアの長期入院患者。全く無内容な日記を何年にも渡ってひたすら書き続けるその様に、著者はこのように感じるのです。

 「わたしは彼の日記に心を動かされる。その理由はおそらく、運命に対する無頓着さがありありと伝わってくるからなのである」(文庫版p.51)

 こういう精神科医らしい印象的な洞察があちこちに散りばめられています。

 「神経症的に生きるということは、つまらないことを糧に生きること、あえて人生を単純化して生きることであり、それは数多くのワーカホリックたちと大差ないとも言える」(文庫版p.84)

 神の啓示に従って張りぼての空飛ぶ円盤を一生かけて作り上げた人、自宅の裏に本格的なマイ踏切を作ってしまった人、泡沫候補と揶揄されつつも選挙のたびに立候補をくり返す人など、本書に登場する神経症的な人々と、いわゆるワーカホリックというか仕事熱心なデキる社員とでは、どこか違うのでしょうか。

 他にも、鍵をかけ忘れたのではないかと心配で仕方ない人、自分を励ましてくれる言葉を聞くまで引き下がらない人、何の意味もなく安っぽい嘘を平然とつく人、他のことはすべて覚えているのに自分の身元だけ記憶喪失して人生リセットかけてくる人、そして自己嫌悪に苦しんだ挙げ句に意味不明な自虐行為に走る人。

 「突飛な妄想に駆られたり、不可解な「こだわり」で身動きのとれない人たちが興味を惹くのはもちろんだが、自己嫌悪に囚われた人こそが一番わたしの琴線に触れてくる」(文庫版p.162)

 随筆に華を添えるのが、吉野朔実さんのコミック。各章ごとに、扉絵と見開き2ページの漫画が提供されています。文章に書かれている内容をそのまま絵にしたというわけではなく、独立したコミック作品になっているのが素晴らしい。

 例えば、「つまらないことほど大切」という章に添えられた漫画はこう。

 知人の旅行中に猫の世話をするために部屋に入ったところ、クローゼットの扉が開いていることに気づいてしまう。このままでは自分が開けたと疑われるかも知れない。でも他人の部屋のものに勝手に手を触れては駄目だ。どうする、どうする、さあ、どうする。悩んだ挙げ句に、猫の手を使って扉を閉めるのであった。(実は、もともとクローゼットの扉を開けたのはその猫だった)

 他にも「何がなんでも安心したいという欲望」という副題がついた章の扉絵では、「火葬場で生き返らないように、一滴残らず血を絞ってから焼いてね」と一言。「愚かさがまぶしい」の章に添えられた扉絵に描かれているのは、安っぽい浴槽の湯に、笑顔で超高級ワインを注いでいる婦人。

 文章と絵、それぞれ微妙にずれた感じを出していて、味わい深いものがあります。どこか変な人々、他人の行為から感じられる何とも言えない違和感、日常のなかにふと開いている意味不明な空白へとつながっているマンホール。そんなものに心惹かれる方にお勧めです。


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『戦場の都市伝説』(石井光太) [読書(教養)]

 「極限の恐怖と不安が交錯する戦場ほど、都市伝説が語られやすい空間はないといえるだろう」(新書版p.4)

 大量虐殺後に見つかる巨大魚、決して倒せない白服の自爆テロ犯、ユダヤ人の遺体から作った石鹸、さまよう少年兵の霊、喰われた内臓を探す亡霊たち。戦場の真実を赤裸々に物語る噂の数々。新書版(幻冬舎)出版は、2012年09月です。

 兵士は敵の奇襲に怯え、民間人は無差別殺戮に震え上がり、誰もが処刑や拷問の恐怖に押しつぶされてゆく。そんな状況下で広がっていった噂や都市伝説を紹介してくれる一冊です。恐ろしい話、極悪非道な話、ときには哀しい話。極限状況に置かれた人間の心が垣間見えるような物語の数々には、思わず息をのみます。

 単に「こんな都市伝説が流布した」で終わらず、その背後にある、隠蔽された事実や、抑圧された人々の心理などを、丁寧に読み解いてゆくところが素晴らしい。

 「私はそれらの物語を一つ一つバラバラにしていくことで、そこに潜んでいる国家が隠してきた大罪、兵士たちの語られざる心境、住民たちの軍人への恐怖心などを、浮き彫りにしていきたいと思う」(新書版p.5)

 例えば、ウガンダ内戦後にビクトリア湖の魚が巨大化した、という噂。虐殺された大量の遺体が湖に捨てられ、それを食べた魚が肥え太った、という恐怖譚です。同じ噂はポル・ポト派による大量虐殺が起きたカンボジアでも流れ、また日本でも東京大空襲後に東京湾の魚が大きくなったという噂が流れるなど、世界各地で類似した物語が語られているとのこと。

 「最近でもテレビや雑誌に世界の「巨大魚伝説」のニュースが報じられていることがある。ゴールデンタイムのバラエティ番組が、世界の怪魚・珍魚を追ったりすることも珍しくない。だが、よくよく見てみると、こうした番組の舞台となっている国は、少し前まで戦争をしていた、アフリカや中南米の国であることが多い」(新書版p.21)

 こういったことを知ると、「世界びっくりニュース。どこそこの奥地で謎の巨大生物が目撃された!?」といったUMAネタを聞いても、そんな噂の背後にある人々の恐怖や怨嗟を想像してしまい、もう二度と気楽に楽しむことが出来なくなります。

 911テロのとき犠牲者にユダヤ人が一人もいなかったという噂。イスラエルに出没する「白服を着た不死身の自爆テロ犯」。メキシコ麻薬戦争で遺体に隠して密輸された大量の麻薬。ナチスがアウシュビッツで製造していたユダヤ人の遺体から作った石鹸。アフガニスタン内戦当時、地面から生えてきた小さな女たちの首。ベトナム戦争当時、生きたまま埋葬された南ベトナムの負傷兵たち。

 読み進めるにつれて沈鬱な気分になってきます。戦時下で人間はどんな恐怖に襲われ、どんな非道なことをするのか。戦場の都市伝説には、血のしたたる無念の訴えがカミソリの刃のように埋め込まれており、ぞっとするほどリアルな衝撃を与えてきます。

 後半はもっと恐ろしい。

 コンゴ内戦で強制徴用された少年兵たちの亡霊が、「お守り」を探してさまよい歩く。カンボジア虐殺の犠牲者たちの怨霊が、喰われた自分の内臓を返せと生者を襲って腹を切り裂こうとする。湾岸戦争で死体の修復に従事した労働者が発狂して自殺、その死体は同僚の手で淡々と修復される。シエラレオネ内戦で負傷した兵士が、四肢切断された住民たちに取り囲まれ、長時間かけて手足を切り取られる。

 もう勘弁して下さい、というような恐ろしい話が次から次へと。解説がまた、実際にどんなことが行われたのかを詳しく説明してくれるもので、もう気分が悪くなります。噂よりも事実の方が陰惨だし。

 しかし、これで終わりではありません。最後に待っているのは、こういう話。

 中国国共内戦において、「国民党は猿の軍団を使っている。殺人術を仕込まれた猿が、自らの死を恐れず、嬉々として残忍に人間を殺し回っている」という奇怪な噂が流れ、共産軍の兵士たちは震え上がった。「猿」の正体は、残留日本兵のことであった。

 中国黒竜江省ハルビンにて、全身に黒い斑点が浮かび上がり高熱を発する奇病が発生した。調査の結果、患者はみんな日本軍の七三一部隊跡地を訪れていた。現地で祈祷したところ、症状はぴたりと止んだ。残虐な人体実験で殺された犠牲者たちの怨念が引き起こしたことに違いない。

 大戦中に日本軍によって強制連行され沖縄で殺された大量の朝鮮人の霊は、いまだに慰霊碑の周囲をさまよっている。沖縄の平和祈念公園を訪れたときは、決して朝鮮語を口にしてはいけない。もし口にすれば、祖国に帰りたいと願う亡霊たちに取り憑かれてしまう。

 他にも、南京大虐殺の犠牲者たちの遺体があまりにも大量に浮かび上がって長江をせき止めてしまった、岐阜県八百津町にある通称「朝鮮トンネル」の壁には工事のために強制徴用された朝鮮人の遺体が大量に埋められている、などなど。

 なお、こういった都市伝説や怪談を「反日プロパガンダ」と嘲ったり憤ったりするご立派な「愛国者」の方々がおられますが、歴史認識がどうであれ、殺された者やその家族の「怨念」は本物であり、反論や嘲笑では決して消えません。いつまでも過去のことで責められるのが嫌であれば、なおさら、どうすれば真の「慰霊」「鎮魂」が出来るのか、被害者側といっしょに真剣に考えてゆくべきではないでしょうか。

 というわけで、あまりの陰惨さと生々しさに、気楽に読むことは出来ない本です。噂や都市伝説を通じて、戦争とはどういうものか、戦争に巻き込まれるというのはどんなことなのか、そのむき出しの感触を確かめたい、という方だけ、それなりの覚悟を持ってお読み下さい。


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『ラブリーバカキノコナイト』(振付:伊藤千枝、珍しいキノコ舞踊団) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 2012年10月13日(土)は、夫婦でパルテノン多摩に行って、珍しいキノコ舞踊団の公演を鑑賞しました。パルテノン多摩開館25周年記念事業の一環としての特別企画とのことですが、もちろんいつものキノコ。伊藤千枝さんを含む五名が踊る一時間強の公演です。

 今年の年初に上演した『ホントの時間』からの抜粋、および年末に上演予定の『動物の〇(えん)』からの抜粋を組み合わせて構成した、いわばキノコ2012年総決算的な楽しい舞台。伊藤千枝さんによるトークや、メンバー紹介のコーナーもあり。

 キュートでにぎやかな雰囲気を盛り上げる舞台美術。グローヴァー・ワシントン・ジュニアから薬師丸ひろ子まで、おなじみのヒットナンバーの数々が流れるなか、とぼけたユーモアと観客を戸惑わせる不穏な感触をあわせ持った独特のダンスが踊られます。体力の限りを振りしぼる力強さ、そしてチャーミングさ。

 観れば観るほどキノコはクセになるというか、中毒性があるというか、脳内にどばどば溢れる多幸感がヤバすぎるというか。

 次のキノコは年末頃の予定。待ち遠しい限りです。

[キャスト]

構成・振付・演出: 伊藤千枝
出演: 山田郷美、篠崎芽美、茶木真由美、梶原未由、伊藤千枝


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『アンドロイドの夢の羊』(ジョン・スコルジー) [読書(SF)]

 「善人はただそれだけ。でも、悪人になれば結果がでるのよ」(文庫版p.420)

 「アンドロイドの夢」と名付けられた羊を一週間以内に見つけろ、さもなければ地球はおしまいだ。捜索を開始した主人公を狙うのは、冷酷な暗殺者、腕利きのハッカー、謎の宗教団体、そしてエイリアン種族の策略。迫り来る世界の終りを前に、ハードボイルド・ワンダーランドで羊をめぐる冒険が始まる。文庫版(早川書房)出版は、2012年10月です。

 暗殺者につけ狙われたり、権力闘争に巻き込まれたり、いきなり銃撃戦に放り込まれたり、何度も死にそうな目にあいながらもしぶとく生き延びるタフガイが、世界を救うために「羊」を追いかける。だが、その背後には恐るべき陰謀が隠されていたのだった。そんな小説を読みたいとは思いませんか。

 片手に拳銃(実弾8発装填済、弾薬補充不可)を持ち、もう片手に美女(ときおり辛辣なコメントをするだけで、戦闘能力なし)を抱えた主人公が、強大なエイリアン艦隊に包囲される。やむを得ず敵戦闘部隊にたった一人で戦いを挑む主人公。そして、艦隊どころか、敵の惑星まるごと制圧してしまう。そんな小説を読みたいとは思いませんか。

 ぜひ読みたいとおっしゃる方に、お勧めしたいのが本書です。(他にもお勧めしておいたほうがいいと思われることは色々ありますが、他人の人生にケチつけるのも何ですし、やめておきます)

 「この教会はできるだけ人目を引かないことを好んでいて、メンバーたちの選り好みの激しさと、そもそも三流SF作家の必死の策略から生まれた教会に加わりたがるのは特殊な人びとだけだという事実により、規模が拡大することもなかった」(文庫版p.154、155)

 痛快スペースオペラ『老人と宇宙(そら)』シリーズで知られる作者による独立した長編です。タイトルからはP.K.ディックの代表作が連想されますが、別にパロディというわけでもなく、内容的にはほぼ無関係。「老人と宇宙(そら)」シリーズと同じく多種多様な知的生命ひしめく宇宙を舞台に、あるエイリアン種族と一触即発の危機に陥った地球を救うため、主人公が大活躍する話です。

 「きみたちがコミュニケーターに応答するためにセックスを中断するという事実は、大銀河連邦の隅々までひろがるスキャンダルなのだ」(文庫版p.265)

 前半はハードボイルド探偵、後半はスペースオペラ、いずれも典型的なノリで展開する娯楽小説になっています。あちこちに見られるユーモアや軽口の応酬など、スコルジーらしさは健在。というか、同じテイストの小説しか書けないのではないかと思われ。

 というわけで、読者の期待を裏切らないスコルジーらしい作品。巻末の「訳者あとがき」によれば、『老人の宇宙(そら)』シリーズの新作(連作短編集)が来年出版される予定だそうで、こちらも翻訳されるのが楽しみです。


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