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『野生の蜜  キローガ短編集成』(オラシオ・キローガ) [読書(小説・詩)]

 「怪奇小説は短いほど凄味が増す。描写や演技や背景は最低限に節し、血の凍る光景、その一点めがけて語りきる。これは簡単そうで難しく、居合抜きのような才が必要だろう。キローガはそれを備えた作家だ」
(牧眞司氏による書評より。SFマガジン2012年08号p.120)

 麻痺して動けない男に迫る密林アリの大群、なすすべもなく衰弱してゆく女の羽根枕に潜んでいたもの、患者の舌をメスで切断する歯科医。南米文学が誇る短篇の名手、キローガの作品30篇(大半が本邦初訳)を収録した短篇集。単行本(国書刊行会)出版は、2012年05月です。

 ウルグアイの作家、オラシオ・キローガの傑作集です。収録作の多くが南米の密林地帯を舞台とした衝撃的な幕切れを伴う怪奇小説で、好みは分かれそうですが、いずれも忘れがたい印象を残してくれる切れ味鋭い傑作です。

 「キローガ作品の大きな特徴のひとつは、多くの作品に見られる死の存在の圧倒性である。「死の作家」という称号すら与えられているほどで、キローガは生涯にわたって様々な死の形を繰り返し描き続けている」(単行本p.338)

 訳者による解説にある通り、ほとんどの作品で登場人物たちは死の運命にとらわれ、なすすべもなく理不尽な死を迎えることになります。確かに理不尽ではありますが、何しろ南米の密林を舞台としているため、その有無を言わさぬ不条理な「死」の存在感には、むしろリアリティが感じられます。

 『ヤベビリの一夜』ではマラリア、『羽根まくら』では吸血生物、『日射病』ではタイトル通り、『鼠の狩人』では毒蛇、『狂犬』もタイトル通り、『野性の蜜』ではアリの大群、といった具合に、登場人物たちは敵対的な自然の前に無慈悲、無意味に命を奪わます。

 家族が、友人が、飼い犬が、手をつくして助けようとしても、その努力は無駄に終わり、そしてあまりにもあっけない死がやってきます。その衝撃的な死の光景が読者の脳裏に焼きついて離れません。

 死の罠は自然環境に潜むものばかりではありません。『エステファニア』や『呼び声』では拳銃、『頸を切られた雌鶏』や『死んだ男』では刃物、『愛のダイエット』では食事制限、『炎』では何と音楽が、いずれも致死的な凶器として登場人物の命を奪います。

 死と共に、抗いようのない力で登場人物を支配するのは狂気。狂気を主観的に描写した作品は実に恐ろしい迫力に満ちています。

 『舌』では歯科医が復讐のために患者の舌を切り取ってしまうのですが、切れば切るほど舌は増殖してゆき、やがて大きく開いた患者の口から大量の舌が洪水のようにあふれ出て、歯科医の名を・・・。恐ろしい狂気のシーンが炸裂します。

 家族が自分を殺そうとして家の中に毒蛇をまいているというおぞましい妄想から一家惨殺の凶行に走る『狂犬』、妻を助けようとして爪がすべてはがれるまで墓荒らしをやめない『ヴァンパイア』、妻の腐乱死体を抱えて衰弱しながらひたすら密林を歩き続ける『入植者』、娘を死の運命から守ろうとして果たせなかった母親のぞっとするような告白が、果たして狂気なのかどうか判然としない『呼び声』など、腑に落ちない不安と戦慄が残り続ける作品です。

 一方で、南米の密林地帯で働く労働者(人夫)を扱ったいくつかの作品は、その豊かな物語性と人物造形で読者の心に強く訴えかけてきます。自分を平手打ちにした白人を常軌を逸した執念でつけ狙い、ついに復讐をなし遂げる『平手打ち』。いいかげんだが、したたかで、妙に憎めない愛嬌とガッツを持った魅力的な人夫を描いた『ヴァン・ホーテン』、『故郷喪失者』、『先駆者たち』など。

 他に、人間が猿へ変身する話(『転生』、『恐竜』)、自然と人間の対立を動物の側に立って描く話(『フアン・ダリエン』、『アナコンダの帰還』)、映画のなかの人物が実体化して襲ってくる恐怖譚(『幽霊』、『吸血鬼』)などの作品があります。

 最後に収録されている『完璧な短編小説家の十戒』は、前置きも何もなくいきなり「短編作家の心得十カ条」が並んでいるという短いエッセイ。「ラテンアメリカの多くの短編作家が参照引用する有名な文章」(単行本p.341)とのことです。

 さすが短編の名手と讃えられるだけのことはあり、どの作品も読後に強烈な印象を残します。死と狂気に彩られた作品が中心ですが、個人的には、南米労働者、人夫たちの生きざまを鮮やかに切り取ってみせる短篇が気に入りました。

[収録作品]

『舌』
『ヤベビリの一夜』
『羽根まくら』
『エステファニア』
『日射病』
『鼠の狩人』
『転生』
『頸を切られた雌鶏』
『狂犬』
『野性の蜜』
『ヴァンパイア』
『入植者』
『ヒプタルミックな染み』
『炎』
『平手打ち』
『愛のダイエット』
『ヤシヤテレ』
『ある人夫』
『ヴァン・ホーテン』
『恐竜』
『フアン・ダリエン』
『死んだ男』
『シルビナとモント』
『幽霊』
『野性の若馬』
『アナコンダの帰還』
『故郷喪失者』
『吸血鬼』
『先駆者たち』
『呼び声』
『完璧な短編小説家の十戒』