SSブログ

『整形前夜』(穂村弘) [読書(随筆)]

 「全てが駄目。でも、そのせいで命を奪われるようなことは何ひとつない。この手応えのなさはなんだろう。燃えあがるような入道雲の下で、13歳の私はどろどろのトマトジュースを啜りながら、自分の目の前に続いている筈の厖大な時間を怖ろしく思った」

 思春期の思い出、社会生活に対する違和感、読書、言葉。歌人にして名エッセイストでもある穂村弘(愛称「ほむほむ」、ムーミン谷の住人かよって、けーっ)が、得意の自虐的ユーモアから言葉に対する繊細な感覚まで総動員した、バラエティ豊かなエッセイ集。単行本(講談社)出版は2009年04月、私が読んだ文庫版は2012年07月出版です。

 『世界中が夕焼け』の序文で歌人の山田航さんが「穂村弘が書いてきたエッセイはすべて、自らの短歌に対する膨大な註釈である」と断言していますが、それを裏付けるかのように、本書に収録されたエッセイの多くが、最後を短歌で締めくくっています。それまでの文章はすべて最後の一行、その短歌を味わってもらうための解説だったというわけですね。

 ですから、著者にとって短歌がどのような成分から構成されているのか、極めて散文的に理解することが出来ます。

 こじらせた思春期の残滓、社会とか世間とか普通とされていることへのどうしようもない違和感、女性に対する憧れと畏怖、そして言葉(の組み合わせ)から生まれる「驚異」への尽きることなき好奇心、読んできた書物の数々。そういった成分を適度に配合して、ほむほむと出来上がるのが短歌である、たぶんそういうことなんじゃないでしょうか。

 といっても、もちろん堅苦しい本ではありません。

 本棚に詰まった黒糖ロールパンの袋から感じられる「「今」をきっちり生きることができないために、そこから先の未来が次々に腐ってゆく」感覚。素敵なおじさまを目指してオシャレなミストサウナに入り、もうもうたる湯気の中でつい腕組みして「赤影参上!」と激しく叫んでしまうほむほむ。

 つるつるすべすべでいい匂いの相手を抱くわけだから男にとってセックスは「得」だけど、逆にごつごつざらざらしたものに抱かれる女は「損」じゃないの、と女性に尋ねたところ「それがいいのよ。ああ、私って女だ、って実感できるから」とあっさり云われて「ちょっとびびる」ほむほむ。

 自意識過剰に苦しんだ挙げ句、ぼーっとしたキャラを演じることで交友関係をしのいでいた若い頃、不意に「もしかして、わざとやってる?」と云われ、あまりの絶体絶命に恥ずかしさを突き抜けて恐怖を感じ鳥肌が立った思い出。

 何もかもがダサくて駄目でイケてなくて「ふーん」で済まされてしまう自分の前にある手応えのない厖大な時間に圧倒され途方に暮れた中学生の夏の日。

 5000円で買ったばかりの本がすぐ隣の店で1000円で売っているのを見つけて動揺し、思わず手が延びそうになる。というのも、今は4000円損した気分だが、これを買えば二冊で6000円、一冊当たり3000円になって「傷が浅くなる」。

 本の世界に無心に没頭した若い頃。古本屋で「異次元のおかず」を探す今。日々を「生き延びる」ために必要な言葉と、驚異を孕む「生きる」ための言葉。西荻窪の両端に広がる巨大な滝壺。

 ときどきショートショートなのか詩なのか判然としない作品が混ざっているのがまた素敵で、個人的には『アロマテラピー』がお気に入り。アロマ?、テラピー?、とかそーゆーもの?、に対する漠然とした不安感。
「君のせいだよ。どうする気? おばあさんだよ。怪力なんだよ。脚はやいんだよ。顔中に熱い血を浴びるのが大好きなんだよ。研ぎたてのぴかぴかだよ。ハサミ。」

 というわけで、女性読者をして「ほむほむって、可愛いっ」、男性読者をして「ほむほむって、いい奴だなあ」、うかうかとそう思わせてしまう魅力に満ちた一冊です。短歌を解説した『世界中が夕焼け  穂村弘の短歌の秘密』と合わせてどうぞ。


タグ:穂村弘
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: