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『ふわふわの泉』(野尻抱介) [読書(SF)]

 女子高生が化学部の実験中に創り出してしまった新物質、それはダイヤモンドより堅く、空気よりも軽い、驚異的な立方晶窒化炭素だった。「ふわふわ」と名付けられたその夢の新素材が、人類を大空へ、そして宇宙へと導いてゆく・・・。

 『南極点のピアピア動画』の原型ともいうべき伝説的ライトノベルハードSFがついに復刊。エンターブレイン・ファミ通文庫版の出版は2001年04月、ハヤカワ文庫版の出版は2012年07月です。

 アーサー・C・クラークの代表作に『楽園の泉』というのがありまして、軌道エレベータの建造過程を、ただそれだけを書いたハードSFの傑作です。

 この作品における宇宙への架け橋は、壮大で、重々しく、その建造には神話的といってよい困難さが伴います。主人公は、技術、名声、資金、人脈、交渉力、持てるすべてのものを費やし、それでも足りないところは(蝶の姿をとった)「神の啓示」に助けられ、最後には自身の命をも捧げ、ついに偉業を達成。異星人がやってきて「若い種族にしては立派な仕事」と人類を褒めてくれる、というような話です。

 若い頃、この小説を読んでどれほど感激したことか。尿漏れするほど興奮して床をごろごろ転がって、そして自分が生きているうちに軌道エレベータの完成を見ることはまずないということに気付いて、どれほど打ちのめされたことか。何もかも懐かしい。

 しかし、今にして思えば、この作品はあまりに重々しく、荘厳すぎるのではないでしょうか。何かすごくしんどそうだし、「そんな思いをしてまで宇宙にいかなくてもいいや」と思う若者もいそう。

 そもそも「あらゆる犠牲を乗り越えて偉業を達成する感動の物語」には、危険な副作用があります。そういう物語が社会に浸透すると、すぐ犠牲を払うことそれ自体が目的化したり、偉業とやらのために他人にどれだけ非道な犠牲を強いるかを競う忠義者合戦が始まったり。ああ、嫌だ嫌だ。一番嫌なのは年寄りの愚痴だ。

 前ふりが長くなりましたが、そこで『楽園の泉』を今の時代にあうように、もっと軽く、ライトに、ふわふわにして、若者たちに「ちょっと宇宙に行ってみようかな。楽しそうだし」と思ってもらえるような、そんな作品。それが本書『ふわふわの泉』です。

 本書の特徴は、何といってもその軽さ。女子高生が化学部の実験中にダイヤモンドより堅く、空気よりも軽い、驚異的な新素材「ふわふわ」を創り出してしまう、という導入も軽いし、勢いで町が空に浮かび、成層圏プラットフォームが完成し、軌道カタパルトで手軽に宇宙へ行けるようになったら、異星人がやってきて「お友達になりましょう」と言ってくれる、気づいたときはもうシンギュラリティ、そんな話。

 厳密な計算と正確な洞察に裏打ちされたハードSFであるにも関わらず、それを感じさせないような「軽さ」を強調する表現があちこちに登場します。

  「努力しないで生きたいと思わないか」(文庫版p.30)

  「軌道カタパルトはふわふわっと完成した」(文庫版p.210)

  「なにごとも気の抜けたムードでいくべし」(文庫版p.214)

  「やったー。ふわふわだー。体が軽い軽い」(文庫版p.226)

 軽さ、しなやかさ、自由であること。安くて、手軽で、ノリが良くて、何より楽しい。宇宙開発は、人類の未来は、そんな感じであってほしい。という思いは、『南極点のピアピア動画』にも共通しています。

 軽く、形にとらわれず、重力から自由で、しかし極めて堅く、圧力に潰されない。そんな「ふわふわ」という素材は、「若さ」あるいはそこに内在している「可能性」の象徴として読むことも出来ます。そう、若者は、誰もが自分の中に「ふわふわ」を持っているのです。うん、いいこと言った。

 というわけで、何やら時代の閉塞感とやらにうちひしがれているという若者たちに、ぜひ読んで欲しい一冊です。未来は、君たちのものなんですよ。


タグ:野尻抱介
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