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『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか』(鈴森康一) [読書(サイエンス)]

 ISSのロボットアームとタカアシガニ、ルンバとカブトガニ、ショベルカーと象。ロジカルな工学設計による機構が、意図せずして生物に似てしまうのはなぜか。また逆に車輪構造や金属骨格を生物が採用しない理由は。機械工学の本質に迫る好著。新書(講談社)出版は、2012年04月です。

 「本来は生き物をまねることをまったく目指していないにもかかわらず、結果的に生き物と似たような外観や動きを持ってしまったロボットや、一見生き物と似てはいないが、子細に観察すると内部構造やしくみが生き物にそっくりになっているロボットがいる」(単行本p.21)

 産業用ロボットのアーム構造は、人間の腕の解剖学的構造と一致しています。ヒト型ロボットASIMOの手の内部構造は、別に真似る必然性はないにも関わらず、人間の手の筋肉配置と腱による指の駆動系そのもの。

 掃除ロボット「ルンバ」の動きはカブトガニに酷似しているし、国際宇宙ステーション搭載の日本の実験モジュールに装備されているロボットアームはタカアシガニの足にそっくり。

 さらには、単に基本構造が似ているというだけにとどまらず、飛行姿勢、歩行中に多足を動かす順序など、その動きや制御アルゴリズムまで、意識して設計したわけでもないのに、ついつい生物に似てしまうロボットは多いのです。

 なぜそうなってしまうのか。その背後には、力学法則による制限、幾何学による制限、この二つが制限があることを、ロボット工学の専門家が詳しく解説してくれるのが本書です。

 背後に共通の制限がある故に、ロボット設計と生物進化、両者が同じ解答に辿り着いてしまう。本書の前半では、このような実例の数々を取り上げて、そうなる理由を詳しく見てゆきます。

 後半(6章以降)では、今度は逆にロボットと生物で機構が異なる部分に注目。具体的には、アクチュエータと筋肉、生物にはほとんど見られない車輪構造、そして生物が金属を材料として使わない理由、といった話題が中心となります。

 この難問に対して、本書が与えてくれるのは、工学的に明快な解答。詳しくは本書を読んで頂きたいのですが、生物の身体構造の「生産」には、ロボット工学者が使えない技術が用いられていることがキーとなります。すなわち、自己複製という「生産手段」、生きて活動している現場を生産拠点としても使う「生産方式」、これらがロボットと生物の違いの本質的な原因だというわけです。

 表面的な類似や相違の、その背後にある工学的本質に迫ってゆくところは素晴らしくエキサイティング。

 なぜ生物は車輪を使わないのか、と学生たちに問うと、必ず「段差のある環境では車輪より脚の方が移動しやすい」、「車輪では木を登ることが出来ない」という反論が返ってくるそうです。

 「私が不満を覚えるのは、このような反論が工学の可能性を狭めるからだ。(中略)一般に言われていること、それも、いかにももっともらしい説明を根拠にして言われていることを、頭から鵜呑みにしてしまうのはあまりにももったいない。万に一つでも秘められているかもしれない「新たな可能性」の芽を、完全に摘んでしまうことになるからだ」(新書p.200)

 そして、車輪構造を用いて「木を登るロボット」、「車輪の半径よりも大きな段差を乗り越えるロボット」の構造を示すことで学生たちが鵜呑みにしている考えを論破し、その上でより本質に迫った議論を展開してゆくのです。

 その議論のゆきつく先は、「ロボット設計者が行う自由な発想や、便利なものは積極的に組み合わせるという柔軟性のあるデザインに比べて、生き物のデザインはバリエーションが少なすぎる」という考えです。その理由は、進化というものが抱えている大きな制約にあります。

 というわけで、生き物が進化により編み出してきた機構の素晴らしさに敬意を払いつつ、そこからさらに先の「新たな可能性」を追求してゆく姿勢、この両方を教えてくれる好著です。大学で工学を学んだ者として、個人的に大きな共感を覚えた一冊です。