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『たどたどしく声に出して読む歎異抄』(伊藤比呂美) [読書(随筆)]

 『読み解き「般若心経」』で読者を驚嘆させた伊藤比呂美さんが挑む『歎異抄』の現代語訳。単行本(ぷねうま舎)出版は、2012年04月です。

 現代詩の言葉が、親鸞、その妻、弟子の言葉をひらいてゆく。伊藤比呂美さんの現代語訳によって、彼らの声が活き活きと伝わってきます。

 「アミダにおまかせするしかない悪人は/浄土にいちばんちかいところにいる」
(『歎異抄』より、単行本p.22)

 「人の心はほんとは清いのに/この世に/まことの人はいなくなった」
(『和讃より、単行本p.99)

 「ふつうの人もとうとい人も悪い人もおしえをそしる人も/心をあらためればみな同じになる。/この海に/いろんな水が流れこみ/たったひとつの水になるように。」
(『正信念仏偈』より、単行本p.127)

 「おまえについて伝え聞くことは、こんなことばかりだ。もはや、おれは親ではない。おまえを子とも思わない」
(『親鸞書簡より、単行本p.80)

 「この手紙を書いて送るのも、おとうさまが生きてらしたときはいう必要もなかったので、いわなかったからなのです。なくなった今は、「こういう人であった、こう生きた」と、あなたの心のなかでだけでも考えてもらいたくて書き記しているのです」
(『恵信尼書簡』より、単行本p.106)

 こちらの心が汚れているせいか、読んでもその思想や教義にはぴんとこないのですが、とにかく言葉のリズムや響きの美しさは格別。気持ちのよい声です。

 そして、それらの声に重ね合わされるようにして、伊藤比呂美さんの「旅のつづき。」が挟み込まれます。米国の家族と、日本の親、双方を何度も何度も往復する苦しみ。

 「飛行機のなかで、あるいは空港のすみで、野垂れ死ぬかもと思いながら旅をつづけた。どうしても避けられぬ事情があって、旅をつづけた。」(単行本p.14)

 「一度だけ、日本の国を出るとき、旅券を戻されながら、にっこりとされて、いつも楽しく読んでいますといわれた。うれしかった。その日のためにこれまで何十回もこの苦痛をくりかえしてきたのかとさえ思った」(単行本p.14)

 親鸞たちの声と旅の苦役、両者が交互に書かれ、やがて重なり合ってゆく様は感動的。伊藤比呂美さんの人生相談コーナーに投稿しようと思っている方も、本書を読めばその必要がなくなるかも知れません。

 なお、タイトルにもある「たどたどしく声に出して読む」というのが何を指しているのかは最初の章に書かれていますが、個人的に、けっこう衝撃的でした。詩人はこんな風にして、声と言葉をすり合わせてゆくのか、と。


タグ:伊藤比呂美
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