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『プラスマイナス 134号』 [その他]

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねて最新号をご紹介いたします。

 今号には深雪さんの作品が三作掲載されています。それぞれ異なる趣向の作品ですが、どれも好きです。「ゲンコーかいたぜよ!」というウサギのイラストも素敵。


[プラスマイナス134号 目次]

巻頭詩 『恋』(深雪)、イラスト(D.Zon)
俳句 『微熱帯 32』(内田水果)
随筆 『目黒川には鯰が 術後治療編 6』(島野律子)
詩 『家』(島野律子)
詩 『新潟のおじいさん』(深雪)
詩 『精神安定剤』(多亜若)
随筆 『香港映画は面白いぞ 134』(やましたみか)
詩 『朝』(深雪)
イラストエッセイ 『脇道の話 73』(D.Zon)
編集後記
「あのときあのひと」 その7 多亜若


 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、講読などのお問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
http://shimanoritsuko.blog.so-net.ne.jp/


タグ:同人誌
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『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか』(鈴森康一) [読書(サイエンス)]

 ISSのロボットアームとタカアシガニ、ルンバとカブトガニ、ショベルカーと象。ロジカルな工学設計による機構が、意図せずして生物に似てしまうのはなぜか。また逆に車輪構造や金属骨格を生物が採用しない理由は。機械工学の本質に迫る好著。新書(講談社)出版は、2012年04月です。

 「本来は生き物をまねることをまったく目指していないにもかかわらず、結果的に生き物と似たような外観や動きを持ってしまったロボットや、一見生き物と似てはいないが、子細に観察すると内部構造やしくみが生き物にそっくりになっているロボットがいる」(単行本p.21)

 産業用ロボットのアーム構造は、人間の腕の解剖学的構造と一致しています。ヒト型ロボットASIMOの手の内部構造は、別に真似る必然性はないにも関わらず、人間の手の筋肉配置と腱による指の駆動系そのもの。

 掃除ロボット「ルンバ」の動きはカブトガニに酷似しているし、国際宇宙ステーション搭載の日本の実験モジュールに装備されているロボットアームはタカアシガニの足にそっくり。

 さらには、単に基本構造が似ているというだけにとどまらず、飛行姿勢、歩行中に多足を動かす順序など、その動きや制御アルゴリズムまで、意識して設計したわけでもないのに、ついつい生物に似てしまうロボットは多いのです。

 なぜそうなってしまうのか。その背後には、力学法則による制限、幾何学による制限、この二つが制限があることを、ロボット工学の専門家が詳しく解説してくれるのが本書です。

 背後に共通の制限がある故に、ロボット設計と生物進化、両者が同じ解答に辿り着いてしまう。本書の前半では、このような実例の数々を取り上げて、そうなる理由を詳しく見てゆきます。

 後半(6章以降)では、今度は逆にロボットと生物で機構が異なる部分に注目。具体的には、アクチュエータと筋肉、生物にはほとんど見られない車輪構造、そして生物が金属を材料として使わない理由、といった話題が中心となります。

 この難問に対して、本書が与えてくれるのは、工学的に明快な解答。詳しくは本書を読んで頂きたいのですが、生物の身体構造の「生産」には、ロボット工学者が使えない技術が用いられていることがキーとなります。すなわち、自己複製という「生産手段」、生きて活動している現場を生産拠点としても使う「生産方式」、これらがロボットと生物の違いの本質的な原因だというわけです。

 表面的な類似や相違の、その背後にある工学的本質に迫ってゆくところは素晴らしくエキサイティング。

 なぜ生物は車輪を使わないのか、と学生たちに問うと、必ず「段差のある環境では車輪より脚の方が移動しやすい」、「車輪では木を登ることが出来ない」という反論が返ってくるそうです。

 「私が不満を覚えるのは、このような反論が工学の可能性を狭めるからだ。(中略)一般に言われていること、それも、いかにももっともらしい説明を根拠にして言われていることを、頭から鵜呑みにしてしまうのはあまりにももったいない。万に一つでも秘められているかもしれない「新たな可能性」の芽を、完全に摘んでしまうことになるからだ」(新書p.200)

 そして、車輪構造を用いて「木を登るロボット」、「車輪の半径よりも大きな段差を乗り越えるロボット」の構造を示すことで学生たちが鵜呑みにしている考えを論破し、その上でより本質に迫った議論を展開してゆくのです。

 その議論のゆきつく先は、「ロボット設計者が行う自由な発想や、便利なものは積極的に組み合わせるという柔軟性のあるデザインに比べて、生き物のデザインはバリエーションが少なすぎる」という考えです。その理由は、進化というものが抱えている大きな制約にあります。

 というわけで、生き物が進化により編み出してきた機構の素晴らしさに敬意を払いつつ、そこからさらに先の「新たな可能性」を追求してゆく姿勢、この両方を教えてくれる好著です。大学で工学を学んだ者として、個人的に大きな共感を覚えた一冊です。


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『人生相談  比呂美の万事OK』(伊藤比呂美) [読書(随筆)]

 「不倫に、離婚に、セックスレスに/いじめ、しゅうとめ、借金苦/最後は、介護で、苦労のしどおし」(テーマソング『万事OK節』冒頭部)。世の女性たちの悩みに寄り添い、進むべき道を指し示す。西日本新聞の人生相談コーナーから抜粋した相談事と回答をまとめた一冊。単行本(西日本新聞社)出版は、2012年05月です。

 伊藤比呂美さんの『たどたどしく声に出して読む歎異抄』のなかに、こんなエピソードが出てきます。伊藤さんが空港で出国審査を受けていたとき、パスポートをチェックした審査官から「いつも楽しく読んでいます」と言われたというのです。

 伊藤比呂美さんといえば日本を代表する現代詩人の一人ですが、彼女の詩集を「いつも」「楽しく」読んでいるというのはどういうことでしょうか。

 一瞬だけ困惑しましたが、すぐに察しがつきました。どうやら西日本では伊藤比呂美さんといえば「新聞の人生相談コーナー担当のおばちゃん」であるらしい。つまりいつも楽しく読んでいるというのは、その人生相談コーナー『万事OK』のことなんだろうと。

 というわけで、いつも楽しく読まれている人生相談コーナー担当のおばちゃん、伊藤比呂美さんが女の悩みに答えまくった一冊が本書です。寄せられた相談事は、夫の浮気、借金、暴力。そして離婚。失恋、不倫、依存症、姑、育児、介護、家族との不和、セクハラ、孤独、自己嫌悪、厭世感。うわっ。

 何と女の人生は苦に満ちた凄絶なものであることか。慄然としつつ、いやまあ悪いけど男に生まれて良かったよ自分、などと素早く逃げたり。

 でも伊藤比呂美さんは逃げず、相談者に寄り添います。ときに辛辣な指摘をしても、決してその悩みを軽んじません。叱咤することがあっても、相談者への敬意を忘れません。そして相談者が最も切実に求めているもの、すなわち共感を最大限に与えてくれるのです。

 「うう、あたしはあなたの手をとって、いっしょに泣きたいくらい。これまでほんとによくがんばってきました」(単行本p.51)

 「がんばれがんばれがんばれがんばれと、あなたに、100回言ってあげたい。大丈夫だよ大丈夫だよ大丈夫だよと、がんばれを上回る110回言ってあげたい」(単行本p.194-195)

 「あたしがあなたのそばにいて面と向かってしゃべることができたら、あたしはまずあなたの話をひたすら聞き、心ゆくまで、お母さんや前夫や職場の悪口をいっしょに言いたいと思いました。これまで、よくがんばってきたあなたです」(単行本p.197)

 ま、ときには

 「あなたがたはたぶんセックスの量が足りません」(単行本p.33)

などとあけすけな言い方もして、個人的にはそこが気に入ってますけど。

 いかにも「女の人生、苦労して、辛酸なめて、艱難辛苦を乗り越えて、ようやく吹っ切れたおばちゃん」を思わせる著者の顔イラスト(描いたのはペコロス岡野さん)も、いい味出してます。

 いかにも新聞社の出版物らしく、途中で「男女共同参画センター」、「ギャンブル依存症自助グループ」、「弁護士」などの相談窓口の紹介と連絡先が掲載されていますので、新聞に投書している場合じゃないほど切羽詰まっている方はご活用ください。まだ余裕がある方で、西日本新聞を講読してらっしゃる方のために、巻末(単行本p.206)に万事OKの相談連絡先が載っています。


タグ:伊藤比呂美
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『社会派ちきりんの  世界を歩いて考えよう!』(ちきりん) [読書(教養)]

 豊かさとは、文化とは、経済体制とは。おちゃらけ社会派ブロガー「ちきりん」さんが、これまで世界中を旅しながら「考えた」ことをまとめた、前著『自分のアタマで考えよう』の実践篇ともいうべき一冊。単行本(大和書房)出版は、2012年05月です。

 「おゃらけ社会派」ブロガーとして様々な社会問題や時事ネタについて独自の視点で「考えた」結果を、親しみやすく楽しい文章でアウトプットし、実に面白くて刺激的な記事に仕上げてみせる人気ブロガー「ちきりん」さん。彼女の三冊目の著書です。ちなみにブログは『Chikirinの日記』(http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/)です。

 今回は、若いころから50ヶ国を旅してきたという著者が、異国を歩きながら考えたことを教えてくれます。

 ソビエト連邦末期のロシアでは「共産主義経済のなれの果て」を目の当たりにし、インドで外貨での支払いを要求する店員を見て「自国通貨に対する信頼」について学び、欧州の美術館は国によって展示品の収集過程や展示手法が異なることを観察しそれが各国の歴史と深い関係があることに思い至る。

 貴重な文化遺産を見て、それが生み出されるために必要とされる「虫けらのように扱われる大量の人命」について想像する。物乞いの人々を見て、それが資産の社会的再分配機構であることに気づき、社会保障について考える。

 シンガポール航空のサービスがなぜ世界最高なのか、その根本的な理由を学ぶ。ベトナム難民の祖国を訪れて、メディアで報道される外国のイメージと実際の印象の間にある大きなギャップを知る。そしてアフリカのサファリで、「ただ生きる」ことの価値を感じる。

 扱われているシーンはニュースや紀行文などでよく知られていることばかりです。いわば「知識」としては読者もよく知っていること。ところが、著者は実際に各国の現場を歩き回り、それら表層的な「知識」の背後にあるものを「考えて」ゆくのです。社会がどう動いているのか、お金がどう回っているのか、人々はどのような動機で動いているのか。

 その視点は鋭く、その表現には思わず「なるほど」と膝を打つような驚きがあります。自分だって同じことを「知識」として知っていたはずなのに、いかに自分で何も考えてなかったか、いかに何も学んでこなかったか、しみじみと思い知らされることに。

 個人的に特に気に入ったのは、「第10章 豊かであるという実感」。ここでは、私たち日本人が享受している「豊かさ」について発見したことが書かれています。

 「本当に貧しくて困った状態というのは、「それがお金の問題ではなくなった時」なんだと気がつきました。(中略)食料がどんなに高くても、資源がどんなに貴重でも「お金で手に入る」のであれば、それは豊かな世界です」(単行本P.195)

 「「格差の認識」こそが、日本が豊かな社会であることを示しています。格差が当然のように存在する社会では、格差問題自体が(少なくとも当事者には)認識されないのです」(単行本P.197)

 「豊かさと貧しさを強烈に分けるのは「光」と「水」の存在でしょう」(単行本P.206)

 「彼はむしろ私に伝えようとしていたのでしょう。「家や車やお金なんて持っていても、私の生活は決して豊かとは言えない。豊かな人生というのは、あなたのように希望や自由や選択肢のある人生なんだ」と、彼は言いたかったのです」(単行本P.218)

 国が豊かであるということは、一人当たりGDPであるとか、貿易取引額であるとか、世界競争力ランキング順位であるとか、そういうことで測れるものではない、ということがよく分かります。そして日本人にとって重要なことは、ある国や地域の豊かさが「失われて」ゆくとき、何に注目すればそのことを的確に知ることが出来るか、という点でしょう。

 というわけで、単に観光ガイド、紀行文として読んでも充分に楽しめる上に、自分の体験からいかに社会について「考える」のかを学ぶことが出来る好著。前作『自分のアタマで考えよう』の実践篇ともいうべき一冊なので、そちらと合わせて読むことをお勧めします。


タグ:ちきりん
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『エステルハージ博士の事件簿』(アヴラム・デイヴィッドスン) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 30年以上眠り続ける童女の謎、熊に変身する男、ローレライの贈り物、純金よりも純度の高い黄金の秘密、皇帝閣下のバイロケーション。20世紀初頭、バルカン半島に位置する架空の帝国を舞台に、博学多才この上ないエステルハージ博士が数々の怪事件に遭遇する。世界幻想文学大賞を受賞し、『SFが読みたい!』ベストSF2011海外篇第6位に選ばれた連作短篇集。単行本(河出書房新社)出版は、2010年11月です。

 今から百年以上前、東欧に存在したという小国。あまりにも完璧に滅亡したため、もはやわれわれの記憶にすら残っていない幻の帝国。それがスキタイ=パンノニア=トランスバルカニア三重帝国です。

 この架空の、あるいは存在した証拠が一切残っていない、東欧の小国を舞台に、法学博士、医学博士、哲学博士、文学博士、そして理学博士でもあるエンゲルベルト・エステルハージ博士が活躍する短篇8篇をおさめた連作集です。

 ガス灯と電灯が並び、馬車と蒸気自動車が並走し、鉄道網と封建制が共存する19世紀と20世紀の境界。骨相学のようないかがわしい近代科学、錬金術、心霊術、魔術、そして狼男や人魚など民間伝承、怪しいものがごった煮になったような物語が次々と展開してゆきます。

 30年以上も眠り続けているという童女の秘密をめぐる奇譚(『眠れる童女、ポリー・チャームズ』)。盗まれた宝冠の行方をエステルハージ博士が追う『エルサレムの宝冠または、告げ口頭』。悪魔崇拝の邪教集団をエステルハージ博士が策略であっさり片づけてしまう『神聖伏魔殿』。

 『熊と暮らす老女』では狼男、『真珠の擬母』では人魚、『夢幻泡影 その面差しは王に似て』ではバイロケーションあるいは幽体離脱、『イギリス人魔術師ジョージ・ペンバートン・スミス卿』では魔術、『人類の夢不老不死』では錬金術、といった具合に、とにかく怪しいネタが満載。

 すっきり解決する話もあれば、謎が謎のまま不気味な雰囲気で終わるもの、ユーモラスな喜劇調の作品もあり、どう展開するか予想がつきません。というよりプロットはさほど重要ではなく、作品のキモは長々と語られる蘊蓄(あるいは法螺)にあるような気がします。

 怪談ともミステリとも幻想小説ともつかない、この何ともいえないジャンル未分化感。さらにストーリー展開など気にもとめない勢いで奔流のように繰り出される蘊蓄、耳慣れない異国風の単語、元ネタを見つけてみろと挑発するかのような子細。そして最初は読みにくいと感じられるものの、その独特の気取った調子が醸しだすユーモアに慣れてくると、だんだん癖になってくる不思議な文体。

 あまりにも個性的な作品で、好みは分かれるかも知れませんが、好きな人は猛烈にハマるかも知れません。20世紀初頭の東欧を舞台に繰り広げられる古式ゆかしい奇譚、ときいて惹かれる方にお勧めします。

[収録作品]

『眠れる童女、ポリー・チャームズ』
『エルサレムの宝冠または、告げ口頭』
『熊と暮らす老女』
『神聖伏魔殿』
『イギリス人魔術師ジョージ・ペンバートン・スミス卿』
『真珠の擬母』
『人類の夢不老不死』
『夢幻泡影 その面差しは王に似て』


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