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『ブラック・アゲート』(上田早夕里) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 『華竜の宮』で日本SF大賞を受賞した著者による受賞第一作。人間の身体に卵を植えつける新種の寄生バチを扱ったバイオサスペンス長編です。爆発的に増え始めた寄生バチの脅威を前に崩壊しつつある社会、そして極限状況下で試される人間性。単行本(光文社)出版は2012年2月です。

 芋虫などの宿主に植えつけられた卵が体内で孵化し、たくさんの幼虫が宿主の身体を食い荒らしてゆく。やがて息絶えた宿主の表皮を食い破り、寄生バチたちがぞろぞろ這い出して飛び立ってゆく・・・。

 寄生バチの生態について知ったときの嫌な衝撃を忘れられない方も多いのではないでしょうか。そして、誰もがきっとこう思ったはずです。もし、人間を宿主とする寄生バチがいたとしたら・・・。

 本書はまさにそのような新種の寄生バチが大量発生する話。

 アゲート蜂と名付けられたこの寄生バチは、人間を刺して体内に卵塊を植えつけます。微細な卵は血流に乗って全身に回り、やがて孵化して幼虫に。幼虫は筋肉組織に食い込んでゆき、患者は衰弱死に至る。確実な治療法はなく、寄生されたら基本的に死を待つのみ。

 しかも、幼虫は化学物質を分泌することで宿主の脳を機能不全に陥れるため、患者は人格変異を起こし、一部の患者は狂暴化する。そして死んだ患者の身体からは、成虫したアゲート蜂がわらわらと飛び立ってゆく。

 設定から『天使の囀り』(貴志祐介)を連想する方もいるでしょうが、あれほど“生理的”に嫌な話にはなりませんのでご安心ください。もちろん“心理的”な嫌さはまた別ですが。

 何しろすでに基盤がぐずぐずになっている日本社会。医療、介護、雇用、貧困、過疎地域、孤独死、といった問題をアゲート蜂が突いたのです。ホームレス、貧困者、独居老人といった弱い者がどんどん食い荒されていることに社会が気づくのが遅れ、行政の対策も後手後手に回ってしまう。

 政府に対する不信感を肥やしに流言蜚語が広まり、患者への差別がまかり通り、やがては介護疲れによる心中事件、患者が引き起こす通り魔事件、自警団によるリンチ殺人、といった凶悪事件が続発するものの、取り締まる人手も足りないという世も末状態に。

 原発事故、政治不信、医療崩壊といった現実を巧みに滑り込ませることで、社会的パニックの設定を絵空事と感じさせない手際はさすがです。

 小説の主要舞台となるのは瀬戸内海に浮かぶ小島。患者が発生したことから島全体が封鎖され、脱出しようとする者は特務機関によって容赦なく射殺される、という非常事態になります。

 幼い娘の命を救うために命がけで島を脱出しようとする主人公と、彼を見つけて始末すべく全力で追う特務機関のリーダー。この二人の間で展開される緊迫感あふれるマンハント。最後までこのシンプルながら力強い展開で押し切ります。

 SF色は薄く、基本的にバイオサスペンスから冒険小説へと進む作品ですが、途中から「極限状況にあっても人間性は信じるに足るものなのか」というテーマが浮かび上がってくるのが、いかにもこの作者らしいところ。この問いに対する答えをめぐって二人の主人公が戦う、という話として読むことも出来るでしょう。

 安易な悪人を登場させず(敵役の人物造形は見事で、主人公よりむしろこちらの方に感情移入してしまいました)、また脅威となるアゲート蜂を決してモンスターに仕立てることなく、人間や社会をどこまで信じられるか試してみるような筆致がいつものように素晴らしい。結末に待つほのかな希望をどこまで信じるか、それは読者に任されています。

 というわけで、前半のバイオサスペンス、後半の冒険小説、いずれも面白い、手に汗握る傑作です。ど真ん中の本格SFもいいのですが、こういう小説を手堅く、深みの感じられる作品にきっちり仕上げてくれるのも嬉しい。


タグ:上田早夕里
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