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『山が見える日に、』(田中庸介) [読書(小説・詩)]

 『スウィートな群青の夢』で夏の午後のすっぽ抜けた困惑感を味わせてくれた田中庸介さんの第一詩集。単行本(思潮社)出版は1999年10月です。

 「恐怖。関東バスに乗った/コンクリート製駐車場には言語感覚/区民のみなさま/理由があったからだ、あたたかい/水耕栽培のプラント」
(『今日、電話をかけて』より)

 「おしゃれなパラソルだった詩人さんパラソルだったパプリカパラシュート草原のおしゃれな詩人さん夏の、パラソルだったら走る、夏の。」
(『アフリカ』より)

 何が何やらよく分かりません。しかしまったく無意味かというとそうでもなさそう。そこが微妙にもどかしい。言葉のリズムだけを頼りに、か細い意味のつながりを求めてふらふらする、そんな読み方を求められる詩がいっぱいつまった作品集です。

 通学、墓参り、山登り、仕事の愚痴、といった実体験を書いていると思しき作品が多いのですが、意味的には無関係な単語がぞろぞろ混入されて、オンドクする他に味わう術がないような事態に。でもときどき、妙に可笑しい表現がこっそり紛れ込んでいます。例えば。

 「おおおかやま駅にはびこる<おおお>の群れ」
(『穴もぐり』より)

 「お墓ころがしは禁止されております霊園ですから」
(『お饅頭。おはぎ、』より)

 「こんな仕事はやる気がしないと一応ひねくれてみるのが高尚」
(『桜の花のように』より)

 「去っていく日の陰りが一番高いとき/株を売る。暴落する陰謀」
(『桜の花のように』より)

 収録作のうち最も意味がよく分かるのが『嗜虐的お化け屋敷の様相』という作品で、これはお化け屋敷に仕掛けられた落とし穴にはまって地下鉄のホームまで転がり落ちそのまま貨物車に積み込まれてどこかに運び去られてゆく、という内容。意味は分かるけど意味分かんねえよ。

 というわけで、言葉の音感だけを頼りに読むことを強いられるので、結構疲れます。言語疲れ。個人的な好みでは、第二詩集『スウィートな群青の夢』の方が美味しそうでいいなと思います。


タグ:田中庸介
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