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『超常現象の科学  なぜ人は幽霊が見えるのか』(リチャード・ワイズマン) [読書(オカルト)]

 占い、幽体離脱、念力、幽霊、予知など、様々な超常現象を信じてしまう心理メカニズムを解説するオカルト謎解き本。豊富な心理学の知見とともに、人語を話すマングース、人はなかなかお化けに気づかないことを示した実験など、様々なエピソードも楽しめる一冊。単行本(文藝春秋)出版は2012年2月です。

 「飼い主の心を遠隔地から読む犬」から始まって、様々な超常現象を話題として取り上げ、その真相を明らかにしつつ、心理学の実験を通して「なぜ人は超常現象を信じてしまうのか」を解明してゆく本です。

 全体は七つの章に分かれています。

 「第1章 占い師のバケの皮をはぐ」では、コールドリーディングをはじめとする占い師が使うテクニックの数々が解説されます。どちらともとれる言葉、曖昧な表現でさぐりを入れる、誰にでも当てはまること、外れたときの逃げ道、などの(姑息に思える)トリックがうまく組み合わされると、どのような威力を発揮するのか、読者はその効果に驚かされることになるでしょう。

 「第2章 幽体離脱の真実」では、「魂が身体から抜け出て外界を彷徨う」という体験がいかにして起こるのかが追求されます。幽体離脱中に「肉眼では確認できない場所のことを正確に描写した」という事例をどう解釈すればいいのか。死の瞬間に体重が減少するという実験結果は何を意味しているのか。

 ここで読者は、そもそも脳は「自分が存在している場所をどのようにして知るのか」、「自分の身体をどうして自分の身体と感じるのか」、といった興味深い問題、そして意外な知見へと導かれます。

 「第3章 念力のトリック」では、極めて簡単なトリックで世界一の超能力者という評判を獲得した事例を取り上げ、さらに降霊術、インドの導師の不思議な技、スプーン曲げの方法などの話題を散りばめつつ、「超能力」を信じさせるための基本原則について学ぶことになります。

 「第4章 霊媒師のからくり」では、スピリチュアリズム(降霊術)の起源と隆盛に至る歴史が語られ、テーブル・ターニングやウィジャ・ボード(西洋式こっくりさん)、自動筆記といった話題に進みます。

 「第5章 幽霊の正体」では、幽霊を目撃するという体験がいかにして生ずるのか、そのメカニズムに迫ります。建物に染みついた記録が再生されるという説、磁場が引き起こす幻覚説、超低周波音による混乱説、など興味深い議論が示され、最後に「幽霊とは無縁の家で起きたできごとの記録」や、「ラトクリフ波止場の幽霊」といった有名な「何のトリックも使わずに、人為的に幽霊を目撃させてみせる」実験の結果を示し、暗示の力がどれほどのものかを明らかにします。

 「第6章 マインドコントロール」そして 「第7章 予知能力の真偽」では、予知夢が「的中」するメカニズム、カルト教団が信者を支配するやり方、テレパシーなどの「奇跡」の演出、催眠術で相手に望まない行動を強制することが可能なのか、といった話題を扱います。思い込みの効果を試した数々の心理学実験についても解説されます。

 内容的には類書でよく知られているものが多いのですが、所々に挿入されているエピソードが楽しい。

 マン島に現れた「人語を話すマングース」が、自分のことを「世界で八番目の不思議」だと自慢したというエピソード。幽霊に扮した実験者が公園や墓場をうろつき回ったのに誰にも気づいてもらえず、ついには映画館のスクリーンの前を堂々と横切ってみたが、多くの観客がそれでも気づかず、気づいた人々の証言も実にいい加減だった(「北極熊がどたどた横切っていった」など)という実験など。

 全体的に語り口がユーモラスで、また読者に自分で色々と試してもらうコーナーも充実しており、愉快な本になっています。懐疑主義の立場に立っているものの、ビリーバーを非難したり見下したりするような不快な文章がなく、また著者の超常現象に対する愛着も感じられ、肯定派・否定派、どんな立場の読者も楽しめるように工夫されています。


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『ブラック・アゲート』(上田早夕里) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 『華竜の宮』で日本SF大賞を受賞した著者による受賞第一作。人間の身体に卵を植えつける新種の寄生バチを扱ったバイオサスペンス長編です。爆発的に増え始めた寄生バチの脅威を前に崩壊しつつある社会、そして極限状況下で試される人間性。単行本(光文社)出版は2012年2月です。

 芋虫などの宿主に植えつけられた卵が体内で孵化し、たくさんの幼虫が宿主の身体を食い荒らしてゆく。やがて息絶えた宿主の表皮を食い破り、寄生バチたちがぞろぞろ這い出して飛び立ってゆく・・・。

 寄生バチの生態について知ったときの嫌な衝撃を忘れられない方も多いのではないでしょうか。そして、誰もがきっとこう思ったはずです。もし、人間を宿主とする寄生バチがいたとしたら・・・。

 本書はまさにそのような新種の寄生バチが大量発生する話。

 アゲート蜂と名付けられたこの寄生バチは、人間を刺して体内に卵塊を植えつけます。微細な卵は血流に乗って全身に回り、やがて孵化して幼虫に。幼虫は筋肉組織に食い込んでゆき、患者は衰弱死に至る。確実な治療法はなく、寄生されたら基本的に死を待つのみ。

 しかも、幼虫は化学物質を分泌することで宿主の脳を機能不全に陥れるため、患者は人格変異を起こし、一部の患者は狂暴化する。そして死んだ患者の身体からは、成虫したアゲート蜂がわらわらと飛び立ってゆく。

 設定から『天使の囀り』(貴志祐介)を連想する方もいるでしょうが、あれほど“生理的”に嫌な話にはなりませんのでご安心ください。もちろん“心理的”な嫌さはまた別ですが。

 何しろすでに基盤がぐずぐずになっている日本社会。医療、介護、雇用、貧困、過疎地域、孤独死、といった問題をアゲート蜂が突いたのです。ホームレス、貧困者、独居老人といった弱い者がどんどん食い荒されていることに社会が気づくのが遅れ、行政の対策も後手後手に回ってしまう。

 政府に対する不信感を肥やしに流言蜚語が広まり、患者への差別がまかり通り、やがては介護疲れによる心中事件、患者が引き起こす通り魔事件、自警団によるリンチ殺人、といった凶悪事件が続発するものの、取り締まる人手も足りないという世も末状態に。

 原発事故、政治不信、医療崩壊といった現実を巧みに滑り込ませることで、社会的パニックの設定を絵空事と感じさせない手際はさすがです。

 小説の主要舞台となるのは瀬戸内海に浮かぶ小島。患者が発生したことから島全体が封鎖され、脱出しようとする者は特務機関によって容赦なく射殺される、という非常事態になります。

 幼い娘の命を救うために命がけで島を脱出しようとする主人公と、彼を見つけて始末すべく全力で追う特務機関のリーダー。この二人の間で展開される緊迫感あふれるマンハント。最後までこのシンプルながら力強い展開で押し切ります。

 SF色は薄く、基本的にバイオサスペンスから冒険小説へと進む作品ですが、途中から「極限状況にあっても人間性は信じるに足るものなのか」というテーマが浮かび上がってくるのが、いかにもこの作者らしいところ。この問いに対する答えをめぐって二人の主人公が戦う、という話として読むことも出来るでしょう。

 安易な悪人を登場させず(敵役の人物造形は見事で、主人公よりむしろこちらの方に感情移入してしまいました)、また脅威となるアゲート蜂を決してモンスターに仕立てることなく、人間や社会をどこまで信じられるか試してみるような筆致がいつものように素晴らしい。結末に待つほのかな希望をどこまで信じるか、それは読者に任されています。

 というわけで、前半のバイオサスペンス、後半の冒険小説、いずれも面白い、手に汗握る傑作です。ど真ん中の本格SFもいいのですが、こういう小説を手堅く、深みの感じられる作品にきっちり仕上げてくれるのも嬉しい。


タグ:上田早夕里
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『カラス/Les Corbeaux』(振付・出演:ジョセフ・ナジ、音楽・演奏:アコシュ・セレヴェニ) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 先週の金曜日(2012年2月17日)は、夫婦で世田谷パブリックシアターに行ってジョセフ・ナジの新作を観てきました。ナジの舞台を観るのは、2007年の『遊*ASOBU』(黒田育世、斉藤美音子、そして大駱駝艦のメンバー四名を共演させるという驚嘆の公演)以来。今回はダンサーを起用せず、自ら踊るというから期待が高まります。

 ちょっと見怪しげなガジェットの数々(実は楽器)と白いスクリーン、机などがごちゃごちゃと並べられ、雑然とした印象を受ける舞台。出演者は二名だけ。アコシュ・セレヴェニが前衛的音楽(音響)を響かせ、それに合わせてジョセフ・ナジが奇怪な、カラスのようなダンスを踊るという趣向。

 まずアコシュ・セレヴェニの演奏が凄い。明らかに設計者の想定外だろうという変則的なやり方で楽器を「演奏」し、思いもよらぬ音を出してみせる。硬いものをこすり合わせるようなきしり音、銅鑼の響きのような深みのある音、リズミカルなスタッカート音、空気を裂く呼吸音、などなど、一見して楽器に見えない様々なものから飛び出してくる耳慣れない音が、不思議な音楽を形作ってゆきます。

 天井から吊るした逆円錐形のバケツ、そこから流れ落ちる砂を金属製の筒(砲弾の薬莢?)に当てて「さらさら」という音を出してみるなど、色々と実験というか子供の悪戯みたいなことをやったり。「バイ、ジョン・ウッド、アンド、ポール・ハリスン」というナレーションが聞こえてきそうな二人。

 そしてナジが踊り始めます。手首を変な角度に曲げてビシッとポーズ決めたり、決然と片足を踏み出したり、鳥類の首の動きで手を振ったり、なるほど「カラス」です。

 まるで人間の身体に慣れてないナニカが無理やり歩こうとしているような、ぎくしゃくしたグロテスクな動き。そして転倒。見たことがないと思わせる奇怪な動作が繰り返される様には思わず息を飲んでしまいます。

 全体的に暗闇に沈み込んだような舞台で、照明で観客の視線を誘導するのですが、ときどきその隙をついてこっそり物を動かしたりすり替えたりしていたような気がしてならない。たぶん気のせいですが、そう感じさせるのも演出意図かも。

 そして舞台上にいつの間にか現れた大きな壺。中には黒々とした液体がたっぷり。水面で照明が反射して、壁にその揺れがうつし出されています。静かにそこに沈み込んでゆくナジ。ポスターやプログラムの表紙であらかじめ知ってはいたのですが、やはりびっくりします。

 全身からぼたぼたと黒い液体(たぶん顔料)を垂らし、それを墨汁に見立てて床の白紙に撒いたり、手をなすり付けて「絵」を描いたり、全身真っ黒のままカラス踊りを再演したり、やりたい放題。どこまでも「ASOBU」のひとだなあ。

 というわけで、ダンスを中心に、舞台上で描く絵、実験的音響、照明効果など、様々な要素を組み合わせて異界を作り上げた舞台。世田谷パブリックシアターを皮切りに全国を回る予定だそうで、以下に今後の上演予定を書いておきます。もちろん責任は持てませんので、興味がある方は必ず劇場に確認して下さい。

『カラス/les Corbeaux』上演予定

2月21日(火)・22日(水)愛知芸術文化センター
愛知芸術文化センター 052-971-5511 

2月25日(土)・26日(日)AI・HALL [兵庫・伊丹市]
アイホール  072-782-2000

3月3日(土)・4日(日)金沢21世紀美術館 [石川・金沢市] 
金沢21世紀美術館・交流課 076-220-2811 

3月9日(金)・10日(土)富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ
富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ 049-268-7788  


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『第六ポンプ』(パオロ・バチガルピ) [読書(SF)]

 ベストSF2011海外篇第二位に選ばれた長編『ねじまき少女』の著者による短編集。環境汚染による知能劣化が進む悪夢の近未来を舞台とした表題作、「ねじまき世界」に属する短編二篇など、全十篇を収録。単行本(早川書房)出版は2012年2月です。

 環境破壊により滅びつつある世界、そして失われゆく人間性。収録された作品は暗い話ばかりですが、どれも重く心に響く傑作ぞろい。驚嘆すべき短篇集です。

 設定やアイデアはさほど目新しくない、というか凡庸といってもよいくらいありふれたものですが、それが「このまま環境破壊を続けるとこんなことに」という警告のために作られた薄っぺらい風刺的設定とは到底思えず、まるでその世界の空気を呼吸し、匂いを嗅いでいるような、そんな生々しい感触に驚かされます。

 善人でも悪人でもなく、ただ生き延びるために必死になっている登場人物たち。彼らから伝わってくるリアルな生活感もまた素晴らしいものがあります。SFとしてどうのこうのいう前に、まず小説としての出来ばえに唸らされます。

 『ポケットのなかの法』は、生物工学により「育成」されつつある近未来の有機的都市を舞台に、ブレードランナー風の物語が展開します。少年が手にいれたチップに入っていた禁断のデータ、その正体は何か。デビュー作だけあって、まだまだ不器用な印象を受けますが、展開はいかにもバチガルピ。

 『フルーテッド・ガールズ』の「フルーテッド」というのは、「フルート化された」という意味で、本作はバイオテクノロジーによって身体を文字通り「楽器」に改造された姉妹をめぐる官能的な物語。その扱われ方は、「ねじまき少女」エミコの原型にも思えます。作中、姉妹が全裸で絡み合い、互いの身体を「演奏」するシーンが強烈で、ちょっと忘れられない。

 『砂と灰の人々』は、傑作揃いの収録作中でも、一二を争う出来ばえ。自然環境が徹底的に破壊されつくした未来が舞台。人々は「ゾウムシ技術」と呼ばれる魔法のようなバイオテクノロジーの力で、ほとんど不死身の身体を手に入れ、砂を食べるだけで生きてゆけるように改造されています。

 そんな世界でかろうじて生き延びていた一匹の野良犬。その運命に重ね合わせるようにして、自然環境から乖離してしまった人類が「人間性」を喪失してゆく様が描かれます。気が滅入る話ですが、これ、もしかしたら『ねじまき少女』のラストの、その先にある未来かも知れません。

 『パショ』は、商業都市で学問を学び、故郷に戻ってきた若者の物語。知識と技術によって生活水準を上げようとする若者と、伝統文化と民族性を守るため聖戦を企む祖父の対立が描かれます。静かな緊迫感と、ラストの劇的かつ皮肉な展開が印象に残ります。

 『カロリーマン』と『イエローカードマン』は、長編『ねじまき少女』と同じ「ねじまき世界」を舞台とする先行作品。特に『イエローカードマン』は長編における主要登場人物の一人の過去を扱っており、アンダースンやエミコもちらりと登場します。『ねじまき少女』を気に入った方は、こちらも必読。

 『タマリスク・ハンター』は、水資源が枯渇しつつある近未来の米国が舞台。渇水により都市が次々と滅びゆくなか、必死で生き延びようとあがく人々の姿を描きます。いかにもバチガルピ風の作品。

 『ポップ隊』は、不老不死を実現する技術が普及したため、子供を産むことが厳禁されている未来社会が舞台。違法な子供や赤ん坊を見つけては撃ち殺すという仕事に就いている主人公の悩みと葛藤を描きます。他の作品に比べてはるかにマシな背景世界、ほとんどユートピアにも思える世界を舞台にしながら、やっぱり陰鬱なバチガルピ作品。

 『やわらかく』は、衝動的に妻を殺してしまった男が主人公。警察に自首すべきか、それとも逃げようか。迷いながら彼はとりあえず妻の遺体を風呂につけて「やわらかく」するのだった・・・。特にSF的な設定はなく、一般小説といってよい作品。正直、らしくない作品に思えました。

 『第六ポンプ』は、環境汚染による少子化と知能劣化が深刻になっている近未来のニューヨークを舞台に、下水処理場で働く主人公がトラブルに遭遇する話。汚染浄化システムの第六ポンプに異常が生じていることに気づいた主人公は、その修理方法を調べてゆくうちに、社会全体がいつしか絶望的な状況に置かれていることに気づきます。

 汚染物質のせいでなかなか子供が生まれず、しかも生まれてくる子供のうちかなりの割合が動物レベルにまで知能が劣化している。問題の解決を先送りしたまま数世代を経た今では、もはや誰も解決どころか、そもそも問題を認識するだけの知能がある人がほとんどいないという惨状に。

 かなり無茶な設定であるにも関わらず、その悪夢のような社会状況はぞっとするほどリアルで生々しく感じられます。環境問題に対する私たちの先送り意識が取り返しのつかない事態を招いてしまうということを、心の底で薄々感じているせいでしょう。

 破滅SFやポスト・ホロコーストSFなど「大災厄(核戦争や疫病など)による大量死を経て滅びゆく人類」を描いた作品と比べると、少しずつ着実に脳に汚染毒が回って世代を経るごとに劣化してゆく人類という、本作の設定にはかなり嫌なインパクトがあります。

 というわけで、何をどう書いてもバチガルピ風としかいいようのない独特の感触になってしまう強烈な個性と存在感には感心させられます。『ねじまき少女』を気に入った方は、ぜひこちらもお読みください。

[収録作]

『ポケットのなかの法』
『フルーテッド・ガールズ』
『砂と灰の人々』
『パショ』
『カロリーマン』
『タマリスク・ハンター』
『ポップ隊』
『イエローカードマン』
『やわらかく』
『第六ポンプ』


タグ:バチガルピ
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『捏造される歴史』(ロナルド・H・フリッツェ) [読書(オカルト)]

 アトランティス大陸、マウンド・ビルダー、異端の天地創造説、衝突する宇宙、デニケン仮説、『黒いアテナ』論争。世にはびこる代表的な疑似歴史(偽史)の提唱者はどのような人物で、その怪しい説はなぜ普及したのか、そしてどんな問題を引き起こしたのか。歴史学者が詳細に調べ上げた偽史の歴史。単行本(原書房)出版は2012年2月です。

 歴史学者、考古学者が明確に否定しているにも関わらず、大衆文化にしっかりと根を下ろし、容易に消え去ろうとしない様々な異端の歴史説。歴史学者である著者は、そのような疑似歴史(偽史)のうち代表的なものを取り上げて、その歴史を明らかにしてゆきます。

 疑似歴史の批判が主眼ではなく、疑似歴史が提唱されてから世間に広まるまでの経緯、いわば「偽史史」ともいうべき歴史を、さすが本職の歴史学者、微に入り細を穿つように詳しく調べ上げてゆきます。圧巻。

 全体は六つの章に分かれています。

 最初の「第一章 アトランティス 疑似歴史の母」では、アトランティス大陸をはじめとする「幻の古代大陸」がテーマ。おそらく最古の疑似歴史である「アトランティス大陸」、その実在説をめぐる数百年に渡る論争を概観します。

 真剣な学術論争から異端説へ、そしてオカルトから大衆文化へと変わってゆくアトランティス実在説の歴史を詳しく知ることが出来ます。ブラヴァツキー夫人が創設した神智学や、シュタイナーの人智学、アカシックレコードなど、もっぱらオカルトの文脈で語られることが多い話題も、歴史として丁寧に解説してくれるのが嬉しい。

 「第二章 「新大陸」は誰のものか? 古代アメリカ大陸の発見と定住にまつわる疑似歴史」では、コロンブス以前に新大陸を発見し定住した民族、あるいはネイティブ・アメリカンの起源、といった話題を扱います。

 それこそアトランティスの生き残りから、ユダヤの失われた10部族、古代中国人、古代エジプト人、古代フェニキア人といった具合に、地球上のあらゆる民族がこぞって新大陸に移住したと唱えられていることが分かります。

 また、「新大陸はもともと白人(マウンド・ビルダー)が住んでいた。それを奪ったのが今のネイティブ・アメリカンなのだから、白人が取り返したのは正義」といったように、人種差別をはじめとする様々な忌まわしいイデオロギーの正当化に疑似歴史が使われてきたことがよく分かります。

 この問題は、続く「第三章 天地創造説のなかの人種差別と疑似歴史I マッドピープル、悪魔の子、クリスチャン・アイデンティティー」および「第四章 天地創造説のなかの人種差別と疑似歴史II マッド・サイエンティスト、ホワイト・デビル、ネーション・オブ・イスラム」でさらに先鋭化した形で示されることになります。

 この二つの章は、それぞれ黒人排斥カルトと白人排斥カルトが唱える異端の「天地創造説」を取り上げています。云うまでもなく、両者は極めて似通っています。つまり自分が属する人種は神によって創られ、他の民族はそれが堕落したか、悪魔によって創られたものであり、そして自分たちを滅ぼすべく虎視眈々と邪悪な陰謀を進めている、というものです。

 出来れば関わり合いになりたくない話題ですが、そうもいってられなくなるのは、例えば黒人カルト教団「ネーション・オブ・イスラム」が、その教義に大衆文化、特にSFを取り込んでいること、そしてその神話に「日本人」も取り込まれていることです。

 「日本人はネーション・オブ・イスラムの味方であり、力を合わせて邪悪な白人と闘うはずであった。(中略)アフリカン・アメリカンの社会の片隅にうごめくいくつもの集団は、実際に日本人を崇拝したのである」(単行本p.254)

 狂信的カルト教団が「近いうちに日本から“巨大な円盤”が飛び立ち、白人を皆殺しにしてくれる」と信じて祈っている、というのです。ううむ。ときどき「日本人は世界中から尊敬されている」と言い張る方がいらっしゃいますが、こういうことなんでしょうか。

 「第五章 疑似歴史家の共謀 プソイドヒストリア・エピデミカ」では、もう少し「明るい」話題になります。

 すなわちヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』、チャールズ・ハプグッドのポールシフト説、氷河期文明説、そして「ピリ・レイスの地図」、エーリッヒ・フォン・デニケンとゼカリア・シッチンによる太古宇宙人飛来説、グラハム・ハンコック『神々の指紋』というように、疑似歴史家たちが互いの説を無節操に取り込んで妄想を膨らませてゆく過程を、例によって歴史として詳述します。

 最後の「第六章 『黒いアテナ』論争 歴史はフィクションなのか」では、古代ギリシア文明はエジプト文明、フェニキア文明に由来する、という、それだけを見れば歴史学の専門的な話題に過ぎない説が、いかにして社会現象となったかを扱います。

 西欧文明の出発点とも見なされている古代ギリシア文明が、実はアフリカ起源であった、いわば黒人の文明こそが西欧の母、という説は、先鋭的アフリカ中心主義と結託することで、いかなる批判や反論に対しても「批判者は黒人を貶めたいという動機で難癖をつけているのだ」と反撃するようになり、ついには一般読者が「歴史学者なんて人種差別主義者の集団」、「歴史に“真実”などない」といったポストモダン的たわごとに拍手喝采を送るという事態に。

 それまでの章では比較的冷静だった著者も、歴史学者をコケにされては黙っていられないらしく、この話題については筆に熱がこもってしまうのが妙に微笑ましい。

 というわけで、オカルト本でも疑似科学批判本でも割とあっさり流されがちな「疑似歴史そのものの歴史=偽史史」を、本職の歴史学者が詳しく丹念に調べた本として、そういう話題に興味がある方に強くお勧めします。


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