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『高慢と偏見とゾンビ』(ジェイン・オースティン、セス・グレアム=スミス) [読書(小説・詩)]

 「これは広く認められた真理であるが、人の脳を食したゾンビは、さらに多くの脳を求めずにはいられないものである」

 18世紀末、ゾンビの群れが徘徊する英国南部の田舎町を舞台に、ベネット家の五姉妹の戦いを描いた、『高慢と偏見』のマッシュアップ小説。全米で100万部を売り上げ、『SFが読みたい!』ベストSF海外篇17位に選ばれた怪作。文庫版(二見書房)発行は2010年2月です。

 ベネット家には五人の娘がおり、鍛え上げられた戦士としてゾンビ退治に奔走していた。五姉妹のなかでも最も蛮勇に富んだ次女エリザベスは、少林寺拳法の流れをくむ七星拳の達人にして、七つの傷を持つ女、として恐れられていた。

 舞踏会の場に乱入してきたゾンビの群れを、五姉妹が力を合わせて放つ超必殺技で退治する様を見た裕福な紳士ダーシー氏は、エリザベスに惹かれる。

 その態度から感じられるごう慢さや、悪い噂によってダーシー氏に反感を覚えていたエリザベスは、彼の求婚を自分と師匠に対する侮辱と受け取り、彼の喉笛を掻き切るべく襲いかかる。

 武器を手に防戦するダーシー氏だが、彼女にかなうはずもなく、強烈な一撃を食らって倒れてしまう。しかしその後、ダーシー氏が世間で云われているような高慢な人ではないと知り、エリザベスの心は揺れ動いてゆくのだった・・・。

 「著作権が切れた古典に勝手に手を入れて、別の作品として売り出して儲ける」というマッシュアップ小説の嚆矢、商業的成功例として名高く、もしや『高慢と偏見』の登場人物を使った二次創作、パロディかと覚悟して読みましたが、まったくそうではありません。

 原作の文章をほぼそのまま流用し、ストーリー展開も、セリフも、ほとんど変えることなく、ゾンビアクション小説に仕立ててしまったという驚愕の奇書です。

 何しろ登場する追加要素が、ほとんど全てバカすぎる。作者は手加減抜きに、ゾンビだのニンジャだの「駄目なネタ」を、恐るべき俗悪さ、皮肉っぽさ、執拗さで描写してゆきます。

 ちなみに原作通りのシーンは印象が薄く、おそらく作者はロマンス小説にはさほど興味がないのでしょう。他方、馬鹿ネタの何と多彩でくだらないこと。

 襲いかかるニンジャ部隊。馬車を取り囲むゾンビの群れ。犠牲者の脳を喰うゾンビたち。日本庭園にジンジャ、ゲイシャ。火炙りにされるゾンビ。短剣で首を刎ねられるゾンビ。まだ脈動している心臓を素手で抜き出して喰らったり、腸を引きずり出してそれで首を絞めたり、切り落とした生首を掲げて勝利の雄叫びをあげるシーン。

 現代の読者であっても「今さらそんなネタを持ち出されても・・・」と心から戸惑い、その身も蓋もない描写に思わず失笑してしまいます。米国で量産される駄目なゾンビ映画やニンジャ映画を覗き見る低俗な好奇心も満たされ、それも含めて時代が変わってもアメリカの阿呆がいかに変わらないものか、改めて思い知らされます。

 ロマンス小説史上屈指の名場面、後に様々な作品にて流用・応用されることになる名シーンが、次々と台無しにされてゆく様には脱力の他はありません。

 病気にかかった姉を見舞うため数マイルもの道を徒歩で歩き通し、服を返り血で濡らした上に肉片までつけた姿で到着するエリザベス。上流階級たるキャサリン夫人が放つニンジャ軍団をあっさり倒してしまう腕前。ヒロインの強さ、野蛮さ、そして修行の成果などがよく表れています。

 一方で、求婚してきたダーシー氏と戦う場面では、エリザベスの蹴りが決まって吹っ飛ばされ、マントルピースに激突して血まみれになりながらも、火かき棒を手に反撃してくるダーシー氏、二人の拳と拳がはじめて交差する名シーンとなっています。その後、何度か戦闘シーンを重ねるごとに、二人の成長や変化が猛々しい筆致で見事に表現されてゆきます。

 ダーシー氏の日本庭園を訪れた折りにジンジャでスシ喰ってて彼にばったり出会い、その印象が以前と大きく変わっていることに、あの脳天への一撃が効いたのかしらと思うエリザベス。

 そのダーシー氏が妹の名誉を守るため密かに妹の恋人を暴行して骨を折ってくれたと知り、自分でも気づかないうちに心を決めるエリザベス。

 そして彼から手を引くよう要求するニンジャ軍団首領キャサリン夫人に一歩も引かず対決するエリザベス。忍法の秘術と拳法の奥義が激突し、ドージョーを血に染めて、ついに最後の戦いが始まった・・・。

 ここまでやっても、意外にも原作の雰囲気が壊れてないことには、さすが200年もの間、多くの読者に愛されてきた古典だけのことはあると感心させられます。

 なお、訳者あとがきによると2009年11月に「ゾンビを30パーセント増量した」デラックス愛蔵版も出版されたそうですが、私が読んだ通常版では、期待したほど大量のゾンビは出てきません。(期待する方が悪い)

 訳者によると原作の文章を八割以上そのまま使っているそうなので、これからお読みになる方は、まずはロマンス小説の古典『高慢と偏見』を読んでおくことを強くお勧めします。その上で、わずかな改変と追加により、どうやって作品を変えてしまうのか、そのマッシュアップのテクニックを鑑賞する、というのが本書の正しい味わい方ではないかと思います。というか、さすがに真面目に読むわけにもいかないでしょう。


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