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『中国化する日本  日中「文明の衝突」一千年史』(與那覇潤) [読書(教養)]

 今、世界を支配しつつある政治経済体制の元祖は、一千年前の中国、宋朝で完成した社会システム。その導入(中国化)と反動(江戸時代化)のせめぎ合いによって日本史は形作られてきた・・・。源平合戦から、江戸時代、明治維新、日中戦争、バブル経済、小泉改革まで、一千年の歴史を斬新な歴史観で語り直す快著。単行本(文藝春秋)出版は2011年11月です。

 最初にお断りしておきますが、タイトルを見て「ああ、いわゆる“中国脅威論”を煽る本ね」と判断しないで下さい。全然違います。

 本書のいう「中国化」とは、今から一千年前、宋の時代に完成された社会システム(郡県制、権威集中、経済自由化、機会均等、競争社会、小さな政府、自由で流動性が高いが疲れる冷酷な社会)の導入を示す言葉で、対する「江戸時代化」あるいは「再江戸時代化」とはそれに対抗する社会システム(封建制、権力分散、強い社会保障、家職や土地の固定化、大きな政府、安定しているが窮屈でストレスフルな社会)を指す言葉に過ぎません。

 わざわざ刺激的な言葉をキーワードとして持ち出すあたり、挑発的な姿勢に満ちていますが、内容がまたそれに輪をかけて挑発的。日本(を含む東アジア)のここ一千年の歴史を、この「中国化」と「江戸時代化」のせめぎ合い、というストーリーでもって読み解いて見せるのです。

 そこに立ち現れるのは、高校の授業で学んだものとは全く異なる斬新な歴史像。最初は「ええーっ?」とか思うのですが、著者の軽妙で巧みな語りにだま・・・、乗せられて、次第に「おおーっ!」と納得してゆきます。

 例えるなら、道路のあちこちに書かれた歪んだ図形や奇妙な線を「歴史」だと思って一生懸命に年表暗記していたのが、ちょっと別の場所に立って眺めてみると、何とそこに描かれていたのは巨大な立体視アートだと気づいたっ、みたいな感動。

 むろん独断による奇説ではなく、歴史研究の専門家の間では常識化しているが一般にあまり知られていない歴史観(に基づく著者なりの整理)なのだそうで、疑問に思うならちゃんと自分で調べてみなさい、とばかりに、ほぼパラグラフ毎に(箇所によっては一文一文)参考文献を示してくれます。

  内容はいたって真面目で真剣ですが、文章は実に軽快で、あちこちに強烈なイヤミやら、おちゃらけやら、映画ネタやら、様々な工夫で読者を引き込むように書かれています。日中戦争を「ナウシカ」、中東戦争を「ガンダム」と、四文字で例えてしまうなど、真面目な学者が眉をひそめるようなことを平気で書いてしまうのも読み所。

 雰囲気としては、社会学におけるパオロ・マッツァリーノ氏(反社会学の不埒な研究者)のような感じ、といえば分かりやすいでしょうか。

 歴史学というのは、ほぼ確立したストーリーを元に細部を詰めてゆく学問、みたいなイメージがあったのですが(高校の授業ではそういう感じでしたから)、それは大きな誤解だということがよく分かります。専門家にとっては、全体像すら容易にひっくり返る、実にダイナミックで白熱的な研究分野なんですね。

 というわけで、読んで驚愕、次第に納得、刺激を受けて学習意欲がもりもり湧いてきた読者に本棚いっぱいの参考文献を示してくれる、そんな新鮮な歴史解説書です。

 歴史ファンを自認する方、高校の歴史授業に「退屈だった」という思い出しかない方、いわゆる歴史認識問題をめぐる諍いにうんざりしている方、パオロ・マッツァリーノ氏の著作が好きな方、それからもちろん最近の歴史学では何が議論されているのか知りたいという方にも、お勧めです。熱烈推薦。


タグ:與那覇潤
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『驚くべき雲の科学』(リチャード・ハンブリン) [読書(サイエンス)]

 まさにUFOそっくりのレンズ雲、雲中に出来る光輪(グローリー)、この世の終わりの光景を彷彿とさせるストーム・クラウドの雲底、戦闘機が音速の壁を突破した瞬間に発生する衝撃波雲。奇跡のような珍しい雲をとらえた美麗カラー写真の数々に、どうしてそんな雲が出来上がるのか気象学から解説を加えた、雲のサイエンス本。単行本(草思社)出版は2011年9月です。

 タイトル通り、ページをめくるたびに目に飛び込んでくる、驚くべき雲の写真。こんな雲がある、というより、あり得るとは想像もしてなかった、仰天するような雲の写真が詰め込まれた、基本的には雲の美麗写真集です。

 全体は5つの章に分かれています。

 最初の「1. 雲を上から見る」に掲載されているのは、飛行機や人工衛星から見下ろした雲の写真。雲塊の縁を上から見た写真、軌道上から見下ろした雷雲、美術作品のような雲のカルマン渦、溶岩の湖を見下ろしているような、夕焼けに照らされたフォールストリーク・ホール。そして、ハリケーン「カトリーナ」の目の内部に突入した観測機が写した驚異的な光景。

 最初の章は基本的に「美しい」写真ばかりですが、次の「2. 奇妙な雲」になると、呆然とするような変な雲の数々に目を奪われます。空を覆い尽くす乳房雲、UFOそのままのレンズ雲、手前から消失点の彼方へと真っ直ぐに駆け抜けるようなロール雲、リング状の飛行機雲(あまりに奇妙なので「ケムトレイルだ」と騒がれる)、山頂を覆うキャップ雲。

 そして「3. 光の効果」になると、神々しいというか、絵画のような世界が広がります。雲の中に出来た虹の輪(グローリー、光輪)、雲を突き抜ける虹、雲中に出来た裂け目にかかる虹、妖しい夜光雲の絶景、真っ赤に染まる真珠母雲、そして雲そのものが虹色に輝く彩雲。

 「4. 劇的な雲たち」は、いわば第2章のパワーアップ版。上から迫りくる銀色の巨大母船、竜巻から地表に降り注ぐ電光、サウス・ジョージア島の超現実的なレンズ雲(単行本p.99に掲載されているこの写真が、個人的なお気に入り)、フォールストリーク・ホールから雲が「落下」してゆく写真、ダストストームやガストフロントがこちら目掛けて襲いかかってくる恐ろしい写真。迫力満点の竜巻やトルネードの写真、満載。

 最後の「5. 人間によって作られた雲」では、人為的に生み出された奇妙な雲の写真が集められています。ミサイルが作り出した蛇行する夜行雲(輝く龍そのもの)、戦闘爆撃機の翼をすっぽり覆うウィング・クラウド、旋回するプロペラからリボンのように垂れ下がる雲、打ち上げ直後のスペースシャトルが残した奇妙にもつれた飛行機雲、黒い煙が輪となって雲に貼り付けられている写真、そして最後を飾るのは戦闘機が音速を突破した瞬間に衝撃波によって出来る雲をとらえた珍しい写真。

 それぞれの写真には、そのような気象現象がどのようにして起きるのか、簡単な解説が添えられています。写真に息をのみ、解説を読んで改めて感嘆する。雲という普段から見慣れているはずの現象について自分が何も知らなかったことに気づく、この興奮と喜び。

 というわけで、珍しい雲の写真集にして、分かりやすい気象学入門書です。雲を見るのが大好きな方も、そういえば最近は雲を見上げたことなんてないなあという方も、本屋さんで見かけたらちょっと手に取って眺めてみて下さい。それと、見慣れない雲を見るとすぐ、ケムトレイルだ、地震雲だ、前兆現象だ、と騒ぐ人にもぜひ読んでほしい一冊。


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『リリエンタールの末裔』(上田早夕里) [読書(SF)]

 『華竜の宮』で第32回日本SF大賞を受賞した著者による待望のSF短篇集です。空、海、脳、そして時間に挑む短篇四篇を収録。文庫版(早川書房)出版は2011年11月です。

 人間性というものを腑分けしてゆくような尖ったバイオ・医療SFから、スケールの大きな冒険SFまで、SFジャンルだけをとってもその幅広い作風で読者を圧倒し魅了してやまない上田早夕里さん、待望のSF短篇集。以前の短篇集はホラー風味が強かったので、いわば純粋SF作品集としては本書が初めて、ということになるのではないでしょうか。

 冒頭をかざる表題作は、『華竜の宮』と同じ背景世界を舞台とした短篇です。

 山中の寒村に生まれた主人公は、幼いころから大空に憧れ、いつか自由に空を飛ぶという夢を実現するために、海辺の都市に出て働き始める。厳しい労働、そして根強い差別。しかし少年は決して夢を捨てなかった・・・。

 思わずたじろぐほどストレートな作品です。大空への憧れ、社会との軋轢、それを乗り越えようとする意志。SFの原点ともいうべき風景を力強く描き出します。新型グライダーで大空を舞うシーンには大興奮。

 次は、意識と現実認識の問題を扱った医療SF『マグネフィオ』。

 事故による脳障害で意思疎通が不可能になった患者とコミュニケーションをとるために開発されたテクノロジーと、その先にある脳神経系の拡張をテーマとした作品です。他者に対する愛とは何か、主観と切り離された客観的現実とは何か。脳構成に手を入れる技術が生み出す問いかけが、私たちの世界観を揺さぶります。

 そして、海洋SFと医療SFを融合させた『ナイト・ブルーの記録』。

 海洋無人探査機に遠隔神経接続して操縦するオペレータが主人公。探査機のセンサを通じた海中探査を続けるうちに、次第に脳の構造が変化し、彼は仮想的な「海棲人」になってゆく。陸に住む人間には経験することも理解することも出来ない感覚と体験の世界に踏み込んだ彼を待っていたものは・・・。

 この作者のSF作品を読むと、「人間は、その構成要素をどこまではぎ取っても、あるいは置換しても、なお人間でいられるのだろうか。その本質はどこにあるのだろうか。そもそもあるのだろうか」という思考実験を繰り返しているような印象を受けます。まさに現代SFど真ん中にいる作家ではないでしょうか。

 巻末に置かれているのは、本書のための書き下ろし中篇『幻のクロノメーター』。個人的には、この作品が最も気に入りました。

 実在した18世紀の伝説的な時計職人、ジョン・ハリソンを主人公とした作品です。長期航海に耐えて精度を保つクロノメーターを創り出そうとする超人的ともいえる彼の努力、そして社会との軋轢を、ハリソン家で働いていた一人の若い娘が語るという形式で書かれています。しかし、一世紀前の出来事を活き活きと語る彼女は、なぜ今も若い娘のままなのでしょうか。

 SF的な仕掛けはありますが、基本的には工学の天才による前人未到の挑戦、そして社会との闘いを、実話ベースに描いた感動作です。ハッカー気質、ギークな性根を持った読者であれば、時計というものの不思議さに魅せられてゆく少女に否応なく感情移入。そして、伝記小説のように重厚な物語が、最後の最後にSFの領域へと軽やかに飛翔してゆく様には、大いなる感動を禁じ得ません。

 というわけで、空(宇宙)、人間性、時間、それらの限界に挑み、それを踏み越えたところにひらけるビジョンを描くという、SFの醍醐味を味わうことが出来る短篇集。著者はSFジャンルの枠内にとどまる作家ではありませんが、これからもSFを書き続けてくれることを期待したいと思います。

[収録作]

『リリエンタールの末裔』
『マグネフィオ』
『ナイト・ブルーの記録』
『幻のクロノメーター』


タグ:上田早夕里
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『高慢と偏見とゾンビ』(ジェイン・オースティン、セス・グレアム=スミス) [読書(小説・詩)]

 「これは広く認められた真理であるが、人の脳を食したゾンビは、さらに多くの脳を求めずにはいられないものである」

 18世紀末、ゾンビの群れが徘徊する英国南部の田舎町を舞台に、ベネット家の五姉妹の戦いを描いた、『高慢と偏見』のマッシュアップ小説。全米で100万部を売り上げ、『SFが読みたい!』ベストSF海外篇17位に選ばれた怪作。文庫版(二見書房)発行は2010年2月です。

 ベネット家には五人の娘がおり、鍛え上げられた戦士としてゾンビ退治に奔走していた。五姉妹のなかでも最も蛮勇に富んだ次女エリザベスは、少林寺拳法の流れをくむ七星拳の達人にして、七つの傷を持つ女、として恐れられていた。

 舞踏会の場に乱入してきたゾンビの群れを、五姉妹が力を合わせて放つ超必殺技で退治する様を見た裕福な紳士ダーシー氏は、エリザベスに惹かれる。

 その態度から感じられるごう慢さや、悪い噂によってダーシー氏に反感を覚えていたエリザベスは、彼の求婚を自分と師匠に対する侮辱と受け取り、彼の喉笛を掻き切るべく襲いかかる。

 武器を手に防戦するダーシー氏だが、彼女にかなうはずもなく、強烈な一撃を食らって倒れてしまう。しかしその後、ダーシー氏が世間で云われているような高慢な人ではないと知り、エリザベスの心は揺れ動いてゆくのだった・・・。

 「著作権が切れた古典に勝手に手を入れて、別の作品として売り出して儲ける」というマッシュアップ小説の嚆矢、商業的成功例として名高く、もしや『高慢と偏見』の登場人物を使った二次創作、パロディかと覚悟して読みましたが、まったくそうではありません。

 原作の文章をほぼそのまま流用し、ストーリー展開も、セリフも、ほとんど変えることなく、ゾンビアクション小説に仕立ててしまったという驚愕の奇書です。

 何しろ登場する追加要素が、ほとんど全てバカすぎる。作者は手加減抜きに、ゾンビだのニンジャだの「駄目なネタ」を、恐るべき俗悪さ、皮肉っぽさ、執拗さで描写してゆきます。

 ちなみに原作通りのシーンは印象が薄く、おそらく作者はロマンス小説にはさほど興味がないのでしょう。他方、馬鹿ネタの何と多彩でくだらないこと。

 襲いかかるニンジャ部隊。馬車を取り囲むゾンビの群れ。犠牲者の脳を喰うゾンビたち。日本庭園にジンジャ、ゲイシャ。火炙りにされるゾンビ。短剣で首を刎ねられるゾンビ。まだ脈動している心臓を素手で抜き出して喰らったり、腸を引きずり出してそれで首を絞めたり、切り落とした生首を掲げて勝利の雄叫びをあげるシーン。

 現代の読者であっても「今さらそんなネタを持ち出されても・・・」と心から戸惑い、その身も蓋もない描写に思わず失笑してしまいます。米国で量産される駄目なゾンビ映画やニンジャ映画を覗き見る低俗な好奇心も満たされ、それも含めて時代が変わってもアメリカの阿呆がいかに変わらないものか、改めて思い知らされます。

 ロマンス小説史上屈指の名場面、後に様々な作品にて流用・応用されることになる名シーンが、次々と台無しにされてゆく様には脱力の他はありません。

 病気にかかった姉を見舞うため数マイルもの道を徒歩で歩き通し、服を返り血で濡らした上に肉片までつけた姿で到着するエリザベス。上流階級たるキャサリン夫人が放つニンジャ軍団をあっさり倒してしまう腕前。ヒロインの強さ、野蛮さ、そして修行の成果などがよく表れています。

 一方で、求婚してきたダーシー氏と戦う場面では、エリザベスの蹴りが決まって吹っ飛ばされ、マントルピースに激突して血まみれになりながらも、火かき棒を手に反撃してくるダーシー氏、二人の拳と拳がはじめて交差する名シーンとなっています。その後、何度か戦闘シーンを重ねるごとに、二人の成長や変化が猛々しい筆致で見事に表現されてゆきます。

 ダーシー氏の日本庭園を訪れた折りにジンジャでスシ喰ってて彼にばったり出会い、その印象が以前と大きく変わっていることに、あの脳天への一撃が効いたのかしらと思うエリザベス。

 そのダーシー氏が妹の名誉を守るため密かに妹の恋人を暴行して骨を折ってくれたと知り、自分でも気づかないうちに心を決めるエリザベス。

 そして彼から手を引くよう要求するニンジャ軍団首領キャサリン夫人に一歩も引かず対決するエリザベス。忍法の秘術と拳法の奥義が激突し、ドージョーを血に染めて、ついに最後の戦いが始まった・・・。

 ここまでやっても、意外にも原作の雰囲気が壊れてないことには、さすが200年もの間、多くの読者に愛されてきた古典だけのことはあると感心させられます。

 なお、訳者あとがきによると2009年11月に「ゾンビを30パーセント増量した」デラックス愛蔵版も出版されたそうですが、私が読んだ通常版では、期待したほど大量のゾンビは出てきません。(期待する方が悪い)

 訳者によると原作の文章を八割以上そのまま使っているそうなので、これからお読みになる方は、まずはロマンス小説の古典『高慢と偏見』を読んでおくことを強くお勧めします。その上で、わずかな改変と追加により、どうやって作品を変えてしまうのか、そのマッシュアップのテクニックを鑑賞する、というのが本書の正しい味わい方ではないかと思います。というか、さすがに真面目に読むわけにもいかないでしょう。


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『高慢と偏見』(ジェイン・オースティン) [読書(小説・詩)]

 「これは広く認められた真理であるが、独身の男性で財産にもめぐまれているというのであれば、どうしても妻がなければならないものである」

 18世紀末、英国南部の田舎町を舞台に、ベネット家の五姉妹の結婚騒動を描いた古典。サマセット・モームが世界十大小説のひとつに挙げ、夏目漱石が絶賛し、数限りない読者を魅了してきたロマンス小説の傑作。私が読んだ文庫版(河出書房新社)出版は2006年2月です。

 ベネット家には五人の娘がおり、母親は良縁探しに奔走していた。五姉妹のなかでも最も機知に富んだ次女エリザベスは、舞踏会の場で裕福な紳士ダーシー氏に出会う。ダーシー氏はエリザベスに惹かれる。

 その態度から感じられるごう慢さや、悪い噂によってダーシー氏に反感を覚えていたエリザベスは、彼の求婚を自分と家族に対する侮辱と受け取り、手ひどく振ってしまう。しかしその後、ダーシー氏が世間で云われているような高慢な人ではないと知り、エリザベスの心は揺れ動いてゆくのだった・・・。

 「恐い不良だといわれている先輩が雨の中で動物を助ける姿を見てこの人は本当は優しい人なのだわと気づく」黄金パターンの元祖、原典として名高く、もしやベタ甘のロブロマンスかと覚悟して読みましたが、まったくそうではありません。鋭い人間観察にもとづいた、辛辣きわまりない皮肉と諧謔に満ちた痛快作です。

 何しろ登場する英国のアッパーミドル層の人々が、ほとんど全て嫌な奴ばかり。作者は手加減抜きに、人間の「駄目な資質」を恐るべき的確さ、辛辣さ、執拗さで描写してゆきます。

 ちなみに好感が持てる登場人物は定型的で印象が薄く、おそらく作者は人間の尊敬すべき資質についてはさほど興味がないのでしょう。他方、感じの悪い登場人物造形の何と多彩でリアルなこと。

 愚劣、気取り屋、尊大、卑屈、小物、不寛容、非洗練、恥知らず、放埒、うるさい、間抜け、うぬぼれ、偏狭、狭量、虚栄心、無礼、無知、無教養、怠け者、偽善、毒舌、ゴシップ好き、自分勝手、追従、気分屋。

 現代の読者であっても「いるいる、こういう奴」と心から共感し、その身も蓋もない描写に思わず吹き出してしまいます。高尚ぶった俗物の醜態を覗き見るゴシップ、キャンダル好きの気質も満たされ、それも含めて時代が変わっても人間の本質がいかに変わらないものか、改めて思い知らされます。

 ロマンス小説史上屈指の名場面、後に様々な作品にて流用・応用されることになる名シーンが、次々と登場する様には感嘆の他はありません。

 病気にかかった姉を見舞うため数マイルもの道を徒歩で歩き通し、服を濡らした上に泥はねまでつけた姿で到着するエリザベス。上流階級たるキャサリン夫人のいちいち尊大な態度にもひるまない姿勢。ヒロインの意志の強さ、頑固さ、そして自尊心の高さなどがよく表れています。

 一方で、求婚してきたダーシー氏と口論になる場面は、タイトル通り、二人が共に持っている高慢さと偏見が交錯する名シーンとして有名。その後に何度か出会いのシーンを重ねるごとに、二人の成長や変化が瑞々しい筆致で見事に表現されてゆきます。

 ダーシー氏の地所を訪れた折りに屋敷で彼にばったり出会い、その印象が以前と大きく変わっていることに戸惑うエリザベス。そのダーシー氏が妹の名誉を守るため密かに骨を折ってくれたと知り、自分でも気づかないうちに心を決めるエリザベス。そして彼から手を引くよう要求するキャサリン夫人に一歩も引かず対決するエリザベス。

 その人物描写の妙と辛辣なユーモアには、さすが200年もの間、多くの読者に愛されてきた古典だけのことはあると感心させられます。

 なお、さまざまな翻訳が出ていますが、私の読んだ河出文庫版(阿部知二訳)は1960年代に訳されたもので、訳文があまりにも直訳調で硬くて古めかしく、読みやすいとはとてもいえません。これからお読みになる方は何冊か読み比べて選ぶことをお勧めします。


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