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『地球最後の日のための種子』(スーザン・ドウォーキン) [読書(サイエンス)]

 文明崩壊後も生き残った人類が農耕を再開できるようにするため、北極圏の永久凍土の地下に設けられた種子貯蔵庫「ドゥームズディ・ヴォルト」。農作物の遺伝的多様性をめぐる様々な問題、そして種子バンクが辿ってきた苦難の道のりを解説する科学ノンフィクション。単行本(文藝春秋)出版は2010年8月です。

 永久凍土層に覆われたスヴァールバル諸島にある「世界種子貯蔵庫」、通称“ドゥームズデイ・ヴォルト”(地球最後の日のための貯蔵庫)。例えば地球温暖化の進行を食い止めることに失敗したとき、たとえ一部であれ人類が生き延びるための最後の希望。ここに保存されているのは、数百万種類におよぶ重要な農作物の種子なのです。

 「目に見える入り口は一カ所しかない。この入り口から貯蔵庫の最奥部までの長さは146メートル。その内部には一本の長い廊下があり、これが山の深部に位置する3つの冷凍室につながっている。(中略)エアロック機構の装甲ドアを4つ通らなければ入室できない」(単行本p.193)

 「原則として貯蔵庫内に職員は常駐しない。そこにあるのは種子を密封した袋を納めた箱だけで、その数は現在のところ約250万におよぶと推定されている。ここに保存された小麦の種子は、1700年間にわたって発芽力を保つことができる」(単行本p.194)

 なぜ、こんなに厳重に農作物の種を守らなければならないのでしょうか。あるいは、なぜこんなにも多種多様な種子を保存しなければならないのでしょうか。最も優秀な(生産性の高い)数種類の品種だけ保存すればいいのでは。

 本書のテーマは「種子バンク」そして「遺伝的多様性」。植物学者ベント・スコウマンの生涯を追いながら、「すべての品種は保全されなければならない」という種子バンクが担っている使命の意味を探ってゆきます。

 まず「プロローグ 小麦を全滅させる疫病」は、アフリカで発生した新種の黒さび病"Ug99"の物語から始まります。

 「この黒さび病は初めて見るものだ。ほとんどすべての品種に対して感染力がある。それに今も移動を続けている。すでにケニアに達したと報告を受けた」(単行本p.8)

 「壊死率は80パーセントに達した。CIMMYTのケニア試験場からは、Ug99がさらなる突然変異を遂げ、さらにもうひとつの防御遺伝子を打ち負かしたという報告が届いた。その間にも、Ug99は紅海を越え、イエメンに侵入していた。インドとパキスタン(中略)にUg99が到達したら? CIMMYTの病理学者は、両国の小麦の97パーセントまでが壊滅すると予測した」(単行本p.9)

 これはディザスター小説の一部ではありません。Ug99との戦いは2008年に実際に起こった出来事なのです。もし科学者たちが新種の黒さび病に対する抵抗力を持った小麦の遺伝子を発見出来なかったなら、世界の小麦生産量は激減し、飢餓が(そして戦争が)世界を覆っていたことでしょう。

 最も生産効率が高い「優良」品種だけを大量に作付けする、いわゆる大規模単一栽培(モノカルチャー)が抱える脆弱性がここにあります。疫病や気候変動、生態系の変化により、あっさり全滅してしまう恐れがあるのです。

 対抗策はたった一つ、ありとあらゆる品種の遺伝子をどこかに保存しておき、危機的状況に陥ったとき、解決策がそこにあることを祈るのです。その保存施設は、種子バンク、あるいはジーンバンクと呼ばれており、世界中に1400ヶ所ほど存在しています。それなしに人類は存続できません。

 本書は、ベント・スコウマンという一人の植物学者の生涯を通じて、種子バンクというアイデアが生まれ、発展していった歴史を語ります。政治に翻弄され、資金不足に悩み、さらに人材不足、また保存した種子のデータを共有し誰でも検索できるようにすることの技術的困難にぶつかる、種子バンク構想。

 それに加えて、大企業が遺伝子に関する特許を取得し、種子の利用に対して知的所有権を主張し始めたことが、種子バンクの存在を脅かします。加えて、新興国からの非難(先進国は世界中の遺伝的資源を収集して、その産地には何の見返りも与えることなく利用している。これは発展途上国に対する生物資源略奪行為=バイオパイラシーである)の矢面に立たされるはめに。

 まさに苦難また苦難。しかも、遺伝子組み換え技術の発展が問題をさらに先鋭化してゆきます。それでも、あらゆる遺伝的資源は誰もが自由にアクセス可能で無償で利用できなければならない、という理念を信じ貫き通そうとするスコウマン。

 農作物の様々な原種を収集するために辺境の地に赴いて泥にまみれる植物学者たちの姿から、北極圏の永久凍土の下に至るドゥームズデイ・ヴォルトの威容に至るまで、様々なエピソードを通じて「遺伝的多様性の保護」がいかに重要な、まさに人類の生存がかかった問題であるか、本書を読めばよく分かります。

 本書によると、現在でも10億人近くが飢えに苦しみ、一日あたり25000人が餓死しているそうです。毎日、2.5万人が飢えで死んでいるのです。それでも人口はどんどん増え(先日、世界人口が70億人を突破したことが国連から発表されました)、耕作可能な土地はほとんど残されていません。そして哺乳類の25パーセントが絶滅に向かっており、植物に至っては70パーセントが絶滅する見込みです。

 地球の食料供給がいかに危機的状況にあるか、そして遺伝的多様性がなぜ重要なのか、改めて知ることの出来る一冊です。種子バンクとその存在意義について知りたい方はもちろん、農業問題、遺伝的多様性、遺伝子組換作物、遺伝子特許などの話題に興味がある方にお勧めします。


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