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『わたしの好きな日』(和田まさ子) [読書(小説・詩)]

 この社会で生きてゆくことのしんどさとそこからの逃避をうたった詩集。単行本(思潮社)出版は2010年10月です。

 一日も欠かさず生きてゆく、仕事をする、生活する、というのは思いのほか大変なことで、逃げたり、投げたり、降りたりしたくなるときは誰にでもあるもの。そんなとき、逃げ込むのならおすすめは言葉の中。

  私は壺の横にすわった/だんだん壺になってゆくようだ/わたしもきれいな模様がほしいと思った
(『壺』より)

  いてほしくない怪物みたいな人も/飲みたくないコーヒーも/したくない根回しも/なくていいこの世が別にある/そうさ/地上十センチにはね
(『地上十センチ』より)

  わたしはもっと泳いでいたいのだ/きらきらしている水面は/金の粉を撒いた膜/それに守られているわたし
(『金魚』より)

  あらしのなか/インドで暮らすことを夢見る/川のそばに住む/大道芸人だという彼の滑稽な芸をときどき見て笑う/生きるスピードはそのくらいがいい
(『河原で』より)

 壺になったり、金魚になったり、ちょっと浮いたり、インドに行ったり。きちきちの社会的存在であること(のために続ける不断の努力)を休止したい気持ち。共感を覚えます。

 もっとも、個人的にはもっとわけのわからない、変な、妙な、恐ろしい、ユーモラスな言葉に惹かれてしまうのですが。

  「それでなんなの、用は?」/詰問すると/「寒いので」/と、ぬか床/「あたりまえよ いやなら出て行って」/「がまん します」/ぬか床が答えた/意外に同居相手にいいのかもしれない
(『あずかりもの』より)

  船にのることを夢見ている女はなにかを切り刻むために包丁を出す砥石でみがいた包丁の歯はゆがんでいるいつか何かあった名残だ
(『快楽の種』より)

  あとでとりに行こうかと思う/すべてはあとでという宗教を/生きるために選択した
(『理由は靴でもいい』より)
 
  かどの八百屋が/ベジタブルランド「やおきん」/に変わった
(『叡知あるもの』)

 あああ、この感じ。私がどうしようもなく好きなのは、こういう言葉で出来ている詩です。ベジタブルランド「やおきん」、とか。

 というわけで、人生に、生活に、仕事に疲れたときに、ふと手にとって読んでみると、いい感じになる詩集です。


タグ:和田まさ子
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