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『奇跡なす者たち』(ジャック・ヴァンス) [読書(SF)]

 その魅力的な異世界構築の技で幾多の作家に影響を与えてきたSF界のグランドマスター、ジャック・ヴァンス本邦初の短篇集です。編集と翻訳は浅倉久志さん。単行本(国書刊行会)出版は2011年9月。

 これまで刊行されていなかったのが不思議な「ジャック・ヴァンス傑作集」です。1950年発表の『フィルスクの陶匠』から、1966年発表の『最後の城』まで、八篇の短篇が収録されています。

 さすがに50年代に発表された短篇はいかにも古色蒼然たる「骨董SF」と感じられますが、60年代発表の二篇、『月の蛾』と『最後の城』は、今読んでも新鮮です。

 『月の蛾』は、全住民が常に仮面を付けて素性を隠して生活し、言葉はすべて楽器の調べに乗せて儀礼的・様式的に語られるという、奇妙な異文化の星に赴任してきた駐在官の物語。

 極めて個人主義的で、他人に素顔をさらすのが最大のタブーという、この異文化が驚くほど巧みに語られます。読者が充分にこの文化風俗に慣れたところで、発生する奇怪な事件。外世界から侵入した犯罪者が、誰かを殺してその人物に成りすましたらしい。ところが、誰もが仮面をかぶっているため、被害者が誰なのか分からない。

 話の展開はミステリ風ですが、読者に推理の手かがりは与えられません。あくまで特殊な文化圏でないと成立しない奇妙な事件を楽しむという趣向でしょう。最後の痛快な逆転劇は、伏線の張り方も含めてお見事で、さすが代表作の一つだと感心させられます。

 『最後の城』はヒューゴー/ネヴィラ両賞受賞作品。人類の末裔たちが城にこもって暮らしている遠未来。労働や技術は全て奴隷化した異星種族に任せ、自分たちは貴族を名乗って優雅に暮らしていたが、あるとき技術担当の奴隷種族が反乱を起こす。

 次々と城が襲われ住民が殺されているという報を受けながらも、紳士たるものそのような下賤なことでうろたえて品位を落としてはならじとばかり、パーティやら催しやらを止めない貴族たち。

 反乱を鎮圧しようにも、奴隷なしでは機械のメンテナンスすら出来ず、武器を扱うことも出来ず、対策会議を開いては互いに名誉だ品格だと空疎な言い合いを重ね、そもそもなぜ反乱など起こしたのだ、けしからん、これは我々に対する侮辱ですぞ、などと被害者ぶって憤りを表明するばかり。

 やがて反乱軍が隣の城を落としたとの知らせが入り、ここがいよいよ最後の城となったにも関わらず、何をどうしていいやら困惑し、それまでの日常をただ続けて、したり顔で他人を批判している限り、自分は大丈夫、と自らを偽ってわざと平然としている貴族たち。だが、現実を受け入れた少数者は、反撃のための行動を開始したのだった。

 作者によると、本作の設定は「日本の伝統社会における様式的主従関係」に着想を得ているそうですが、今読むと「日本の現代社会」を皮肉っているとしか思えません。

 この二作が飛び抜けて気に入りましたが、表題作『奇跡なす者たち』もまずまずです。科学技術が失われて呪術が台頭した異世界を舞台に、呪術をベースとした攻城戦をリアルに描いた作品で、後半の展開は後に書かれる『最後の城』にそっくり。科学的手法の「再発見」により呪術の限界を超えるというプロットは今では定番となっていますね。

 あとは『音』。月が交替するたびに赤・青・緑と強烈な原色に染め上げられる異星の風景。不時着した主人公は、その星で奇怪な現象の数々に遭遇する。全ては幻覚なのか、それとも理解を超えた異星存在とのコンタクトなのか。色彩感あふれる奇怪な幻想譚です。

 ジャック・ヴァンスといえば異世界の風景、異文化の描写に定評がありますが、こうして短篇集を通読してみると、なるほど確かに、納得させられます。50年代から60年代へ。SF基礎教養として、SF読みであればおさえておくべき一冊。

 なお、国書刊行会より、レムに続いて「ヴァンス・コレクション」が刊行される予定だそうで、購入すべきか迷っている方は本書で相性を確認してみるというのもよいでしょう。

[収録作]

『フィルスクの陶匠』
『音』
『保護色』
『ミトル』
『無因果世界』
『奇跡なす者たち』
『月の蛾』
『最後の城』


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