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『11DANDY  TOKYO DANCE TODAY #7 近藤良平ソロダンス公演』(近藤良平) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 先週の金曜日(2011年10月23日)は、人気コンテンポラリーダンスカンパニー「コンドルズ」を率いる近藤良平さんのソロダンス公演を観るために、夫婦で青山円形劇場に行ってきました。

 南米とサッカーをモチーフにしており、近藤良平さんが次から次へとわけのわからんラテンなおっさん(数えなかったけど、タイトルからしてたぶん11人)に扮しては妙な寸劇や脱力ギャグをかまし、間を映像でつなぎつつ観客を翻弄し、最初と最後に卒倒するほどかっこいいダンスでノックアウト。そんな公演でした。

 何やってても身体の動きのキレが気持ちよく、理屈抜きの楽しさ。「コンドルズ」とはまた違った面白さがありましたし、何といっても近藤良平さんの凄いダンスをすぐ目の前でたっぷり観ることが出来たので大満足です。


タグ:近藤良平
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『ダイニングテーブルのミイラ  セラピストが語る奇妙な臨床事例』(ジェフリー・A・コトラー、ジョン・カールソン) [読書(教養)]

 自分のことをターミネーターだと思い込んでいる男性。幽体離脱して自分を治療した女性。浮気が不安で妻をロープで木に縛りつけて一晩中監視した男性。死んだ母親を密かにミイラ化してこれまで通り生活を共にしていた家族。米国の著名セラピスト32名が「これまでに出会った最も奇妙な事例」について語った驚異のインタビュー集。単行本(福村出版)出版は2011年8月です。

 「あなたがこれまで出会った中で最も奇妙な事例について教えて下さい」

 米国の著名セラピストにこの質問を投げかけたところ、返ってきたのは奇妙奇天烈な事例の数々でした。症例そのものが奇妙この上ないクライアントもいれば、治療の過程で見られた印象的なドラマ、あるいはセラピスト自身が巻き込まれた事例もあります。

 ある男性は、自分はターミネーターであり、彼が収容されている精神病院は極秘の研究施設だと信じていた。セラピストは、あなたの正体はターミネーターではなく実はアーノルド・シュワルツェネッガーであると説得し、同意した彼に「模範的な患者」を演じるという難しい課題に挑戦してみろとけしかけることで、彼を現実に適応させることに成功した。

 ある家族は、母親が死んだという事実に耐えられず、彼女を密かにミイラ化してこれまで通り普通に生活していた。朝はミイラと食卓を囲み、夜になるとベッドにミイラを運んで夫が一緒に寝ていた。家族は精神的にも社会的にも全く正常であった。

 ある女性は、母親から激しい身体的虐待を受け、父親からは性的虐待を受け続けた結果、三歳にしてアルコール依存症に陥るという悲惨極まりない幼児期を過ごしていた。

 ある男性は初体験でラバとセックスしたせいで、その後に女性数千人(!)、男性200人(!)とセックスしたにも関わらず、ラバを見ると欲情してしまうのが悩みだった。

 別の男性は、片足の女性とのセックスにしか満足できなかった。なぜかとインビューアーが尋ねると、セラピストはこう答えた。「それは言わぬが花でしょう」

 また別の男性は、妻が浮気するのではないかという不安から、彼女を拉致して沙漠に連れ出し、ロープで木に縛りつけて一晩中監視した。

 ある夫婦は深く愛し合いセックスもうまくいっていたが、それでも悩みは尽きなかった。夫も妻もそれぞれ同性愛者であり、異性との性交は変態的なものだったせいである。

 別の夫婦はひたすら夫婦喧嘩を続け、セラピストの言うことを完全に無視した。セラピストが匙を投げて治療を打ち切ると言うと、二人で抗議してきた。彼らは、他人の目を気にせず思いっきり罵倒しあう機会を奪われたくなかったのだ。

 ある女性は自分の脈が痛くて仕方ないと訴えた。催眠術をかけると、彼女は幽体離脱して外側から自分の肉体の「感度」を調整した。痛みは完全に消えた。

 あるクライアントは、自分は火星人であると主張し、わけのわからない宇宙語を話した。困ったセラピストが同僚に相談してみると、彼も同じように意味不明な言葉を話すクライアントを抱えて困っていた。そこで二人のクライアント同士を合わせてみたところ、二人は意気投合して嬉しそうに宇宙語で会話し始めた。二人のセラピストにとって彼らの会話は全く意味不明だった。

 さらには、セラピストを敵視して徹底的に反抗してくるクライアント、セラピストに対して訴訟を起こすクライアント、あるいは悲惨極まりない境遇から驚異的な精神力で回復したクライアントなど、本当に様々な事例が挙げられています。

 これら奇妙な症状を読むだけでも充分エキサイティングですが、治療をめぐるドラマの数々を通じて、人間の心というものの多様さ、不思議さにしみじみと感じいることになります。また、米国におけるセラピーの現場を垣間見るという点でも興味深いものがありました。

 オリバー・サックスの著作が気に入っている方、心理療法やカウンセリングに興味がある方、自分の悩みがあまりにも突拍子もないので誰にも相談できないでいる方、単に奇妙な話が好きな方、どなたにもお勧めできる一冊です。ただし、そのテーマからしてどうしても性的な話題(近親相姦、獣姦、性的虐待、異常性癖など)も多く含まれていますので、そういうのが苦手な方は避けた方が無難かも知れません。


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『われら猫の子』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“星野智幸を読む!”、第11回。

 何とも奇妙で不条理な設定により、家族や自己認識にまつわる固定観念を鋭くえぐる短編集。単行本(講談社)は2006年10月、私が読んだ文庫版(講談社)は2010年2月に出版されています。

 互いの亡父が生きてるふりを続けることで家族の再生をもくろむ男女。紙になるために全身くまなく文字を書いてもらう女。世界を内包する書物を読む老人。股間でこっそり鳥の雛を育てる子供。

 下手をすると馬鹿馬鹿しく感じられるかも知れない奇妙な設定ばかりですが、こうした超現実的とも思える物語があぶり出すのは私たちの常識や固定観念のあやふやさ。家族はこういうもの、男女関係はこういうもの、世界はこういうもの、そういった思い込みの虚構性があらわにされるときの目眩を感じさせる作品が集まっています。

 個人的な好みでいうと、まず冒頭に置かれた『ててなし子クラブ』。会員資格は、父親がいないのに「いるふり」を真剣に続けること。そんなクラブを結成する話です。仮想父との生活を詳しく設定し、互いに報告しあううちに、その設定があまりにもリアルになってきて、ついには親子喧嘩で殴られて怪我をしたり、恋人と互いの仮想父の四人で「家族ぐるみのお付き合い」をしたり。家族って、親子って、いるふり設定や仮想存在とは実際のところ何がどう違うんでしょうね。

 搾取する側の一員たる豊かな日本人であることを恥じ、反政府ゲリラの一員になって戦うべく、内戦が続く中米の小国に向かう青年をえがく『チノ』も好み。日本人であることを捨てるぜ俺は、みたいな青臭いことを息巻いている若者ですが、現地では誰も日本なんて知らず、東洋人は全てチノ(中国人)と呼ばれる。反発して、俺は日本人だ、と主張するも相手にされない若者。そこに反政府ゲリラが襲ってきて・・・。

 「最初の一文を読み終わったときにはもうその文を忘れてしまうので、誰かが止めてやらないと死ぬまで最初の一文を繰り返し読み続けることになる」書物を扱った『砂の老人』。もちろん書物の所有者はボルヘスです。

 他に、紙(神ではなく)になろうとする女の執念を描く『紙女』、処女受胎で授かった息子が妊娠出産の根絶を目指す宗教を創設する『トレド教団』、股間に鳥の雛が生えて日に日に大きくなる『雛』、などが印象に残りました。

[収録作]

『ててなし子クラブ』
『ペーパームーン』
『われら猫の子』
『味蕾の記憶』
『チノ』
『砂の老人』
『紙女』
『夢を泳ぐ魚たち』
『トレド教団』
『雛』
『エア』


タグ:星野智幸
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『平成幸福論ノート  変容する社会と「安定志向の罠」』(田中理恵子) [読書(教養)]

 格差の拡大、貧困の増加、少子高齢化、非婚化、孤独死、ガラパゴス化、保守化、排外主義の横行。日本を覆っているこの不安、不幸感はいったい何に起因するものなのか。社会学者であり、詩人であり、育児中の母親でもある著者が、様々な論点から日本人の「幸福」を分析した力作。新書(光文社)出版は2011年3月です。

 雇用から家庭まで様々な社会制度が時代に合わなくなり、崩壊しつつあるのに、何をどうしていいか分からず、孤立化し、途方に暮れて立ちすくんでいる。日本が置かれているそんな状況を多角的に論じた一冊です。

 まず、様々に唱えられている「幸福論」を取り上げて、その限界を明らかにします。そして、改めて平成日本における「幸福論」を展開してゆくのですが、その論点は驚くほど多岐に渡っており、まるで社会学の主要な研究領域を全て横断するような幅広さ。

 ざっと挙げてみるだけでも、家庭(非婚化、家計モデル、女性労働問題)、職場(雇用、世代間格差、財政)、若者(保守化、孤立化、ニート)、地域(社会保障、コミュニティ、つながり)、といった具合です。

 一つの主張を掘り下げてゆくタイプの本ではないため、内容の要約は困難ですが、大筋では、古い制度や価値観が時代と合わなくなり、不安にさらされた個人がリスクを嫌って消極的選択を行うことにより社会の硬直化が進む、そのような悪循環に日本は陥っており、それが人々から幸福感を奪っている、ということになるでしょうか。

 「人々の醸成する気分は、その時代と適合的な場合は幸福感を補強するが、時代遅れな場合には、さながら怨念のように人々にとりつき、結果として幸福を遠ざけてしまう。「内向き」「懐古趣味」「過度の安定志向」、さらには「保守化」といった諸現象はいずれも昭和が怨念化し、人々や組織にとりつき、具現化した結果ともいえる」(新書p.179)

 というわけで、社会から家庭までどのように「昭和の怨念」にとりつかれているかが多種多様なデータを元に詳しく分析されます。

 「可能性の十全な追求ではなく、断念と次善の策の選択が、多数派を占めている。(中略)現在の日本は、社会の変革や可能性の追求のような「積極的選択」のコストが高くつく社会なのだ」(新書p.54)

 「これまでの日本では、「男性の孤独」も「地域社会の解体」も、高く安定した婚姻率のおかげで、問題化せずに済んできたにすぎない」(新書p.77)

 「日本社会の制度疲労は、積極的な「女性差別」というよりも「女性無視」の結果である」(新書p.98)

 「この国では、若年層ほど人生に高いリスクを追わされている。その根源にあるのは、硬直した雇用慣行と、社会保障の世代間格差である」(新書p.154)

 リスクを回避する消極的選択の果てに、男は孤立、女はひたすら無視され、若者は生まれながらにして経済的に虐待されている。なるほど、幸福感が得られないのも無理はありません。

 その先にあるのはどのような世の中か。

 「「消極的選択」の結果が、人々の孤立と理想の生活からの乖離を生んでいる。一人の生活を選んだわけではなくても、結果的に一人になり、そしてその生活を守るための生活防衛が、いよいよ人と人との結びつきを弱める社会になってきている」(新書p.111)

 「孤立化リスクが高い社会では、多くの人が自らが排除されているという事実に耐えられないことから、ときに他のより劣悪な環境にある人を排除しようとする」(新書p.164)

 「社会から排除された者が、互いを排除し合うことによりようやく自らのアイデンティティを担保しようとすることが一般化するのである。その場で繰り広げられるのは、弱者同士の不毛なつつき合いでしかない」(新書p.166)

 「やがて国内には、保守的で社会の問題解決や変革に何ら興味のない層しか残らなくなる」(新書p.54)

 ぞっとするような寒々しい光景ですが、これが絵空事とは思えません。というか嫌になるほどのリアリティを感じてしまうのです。

 では、どうすればいいのでしょうか。

 類書ではここで高所から壮大な(あるいは極めて抽象的な)「提言」を偉そうに述べたりするのですが、そこはさすが子育て中の母親でもある著者。子育て相互支援を中核とした地域コミュニティの再生、といった非常に具体的な策を足掛かりに論じてゆくのです。説得力を感じます。

 というわけで、日本社会が抱えている問題を様々な面から分析した好著です。なぜ日本の将来に希望が持てないのか、何がこんなに不安でいらだたしいのか、どうして人心が荒れてヘイトスピーチがまかり通っているのか、真剣に考えてみたい方のための入門書としてお勧めします。本書を皮切りに、個別の問題についてより詳しく論じた本へと読み進めてゆくとよいでしょう。


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『詩を読んで生きる  小池昌代の現代詩入門』(小池昌代) [読書(教養)]

 詩になじみの薄いリスナーを対象に、とかく難解なイメージのある現代詩の読み方を解説してくれるNHKカルチャーラジオのテキスト。単行本(NHK出版)出版は2011年10月。

 「第一回 詩への誘い」から「第十二回 生きる時間の秘密」まで、2011年9月30日から12月16日まで放送される全12回のラジオ講座です。リズム、音律、改行、物語、翻訳、歌詞、定型など、毎回テーマを提示して、それに沿って名詩を示して鑑賞のコツを教えてくれます。

 「詩は一瞬のなかに宿るものです。読む者も、詩を読むとき、この「一瞬」のなかへと、降りてゆくよう促されます。もしかしたら、詩を読むことは、別名、一瞬を生きるトレーニングだと言ってもいいくらいです」(第二回「詩とリズム」テキストp.21)

 「詩では、何を表しているのだろうとか、何をこの詩人は言いたいのだろう、というようなことは、考える必要はありません。詩人も何か、特別なことを言いたくて詩を書くわけではありません」(第二回「詩とリズム」テキストp.23)

 「詩の言葉は垂直方向へ降りてゆく傾向を持っているため、確かに明確なストーリーは流れにくいのです。非常におおざっぱな言い方をすれば、「起承転結」の承と転だけでできているのが詩だとも言えます」(第六回「家族の詩II 詩と物語」テキストp.76)

 「詩は人間を個へと戻しますが、そのもっとも個人的な感覚を、連帯へと押し広げる回路も持っています」(第七回「詩と孤独」テキストp.102)

 「何か課題、とりわけ戦争という大きなテーマを与えられたとき、自由詩はどうも、作品としてあまり面白いものになりません。「何かのため」という目的を持ったとたん、詩は堕落するのでしょうか。詩は詩それ自体に目的があり、まず言葉、言葉そのものに価値が置かれるのです」(「第十一回 様々な詩のかたち」テキストp.148)

 こんな感じで、説明は非常に分かりやすく、予備知識や経験は一切不要です。とりあげられている現代詩には難解なものも多いのですが、さっぱり分からないものをどう鑑賞すればいいのか、というコツを丁寧に教えてくれるのが嬉しい。

 というわけで、とりあげられた数十篇の名詩を解説に沿ってじっくり読むだけで、何だか詩が読めるような気になれるテキストです。今まで詩なんて真面目に読んだことがなかったけど、この講座で詩を読む面白さに気付いた、もっと読んでみたい、という方には、同じ著者の編集による『通勤電車でよむ詩集』もお勧めです。


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