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『全身翻訳家』(鴻巣友季子) [読書(随筆)]

 翻訳家がつづる格調高きエッセイ集。翻訳、言葉、料理、旅、家族、知人、そして奇妙な出来事。あらゆる話題が著者を通して「翻訳」され、あたかも一篇のしゃれた海外短篇小説のような魅力を放ちます。元になった単行本『やみくも』(筑摩書房)の出版は2007年12月、私が読んだ文庫版『全身翻訳家』(筑摩書房)の出版は2011年7月です。

 心に染みる、極上のエッセイ集です。その教養の広さと深さ、話題の面白さ、文章の魅力、何もかもが素敵。

 はじめて翻訳家を志したときのこと。ひとりで翻訳に取り組んできた時間が累計すると六万時間にもなること。

 「『嵐が丘』を訳していたときは、まる一カ月間、一歩も(郵便受けに行くまでの二歩をのぞいて)家から出ず、一度だけ乗った乗り物が救急車だった」
 (『六万時間の孤独』)

 若いころに古典を読んで素直に感動できる「単純力」の素晴らしさ。微妙にずれた翻訳のムズムズする気持ち悪さ。『風と共に去りぬ』の最後の一行、世界でもっとも有名な一行をどう訳すか、どう訳されてきたのか、という探求。

 翻訳という仕事の奥深さ、そして翻訳家という不思議な人々の生態について、知れば知るほど興味が湧いてきます。

 翻訳以外の話題も豊富です。料理や旅、若き日のアウトドア生活、家族や知人のこと。

 「テニスやスキーをせっせとやり、せっせと恋をして泣いたり笑ったりしていたのはきっと別なだれかで、本物のわたしはくすんだ絵のなかで炬燵にあたり、その女の物語を本で読んでいただけなのだ」
 (『スキーをする私』)

 しかし、個人的には、何だかよく分からない奇妙な出来事や、まるで海外の現代小説に登場するエピソードのような体験に、どうしても惹かれてしまいます。

 義姉と指輪を交換して、互いにしらばっくれた。著者にも義姉にも、それぞれ事情があるのだった。「女性の指ですり替わっているリングは、贈り主の男性が知っている何倍、何十倍にものぼるのかもしれない」。
 (『テセウスの指輪』)

 初対面の五歳の女の子と話をしていて、小さな子の話はベタだなあなどと思っていたら、彼女は不意にシリアスな面持ちになって「いま話したなかで、わたしはひとつだけ嘘をついている」。
 (『ボレロ夢想』)

 都心の大きな公園。それぞれに都合がある無関係な人々が、不意の雨のため小さな休憩所に集まる。最初は決まり悪そうにしていた人々だが、ある出来事がきっかけとなって妙な連帯感が生まれる。
 (『イパネマの娘』)

 自宅に打ち合わせにやってくる人々が誰も彼も「弦巻」という町に住んでいるという不思議な偶然が続き、次にやってきた編集者が別の町に住んでいるというのでむしろ「意外の感すら覚えた」が、差し出された名刺を見ると名字が「弦巻」だった。「当然そう来るだろうな」という諦念に包み込まれる著者。
 (『横暴な偶然』)

 「けさ、後ろ向きに歩く老婆を見た」という衝撃的な書き出しで始まり、色々と考察しているうちに、「けさ、家を出ると、また同じあたりで、後ろ歩きの老婆に出くわした」と続き、そういえばアフリカの小説に後ろ向きに歩く死者が出てくる、といったことを紹介しているうちに、「けさ、家を出ると、いつものあたりで、またまた後ろ歩きの老婆に会った。老婆はふたりに増えていた」。
 (『老婆』)

 何とも魅力的なエッセイの数々に、読んでいてどきどきしてきます。どれもこれも素晴らしい。解説を歌人の穂村弘さんが書いているのも見逃せません。


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