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『火事場泥棒地震詐欺、その他』(笙野頼子) [読書(随筆)]

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第57回。

 「新潮」2011年8月号に掲載された2ページの随筆です。内容は、震災後の近況報告などが中心。原稿料は全額寄付とのこと。

 タイトルにある「火事場泥棒」というのは、「みんなが悪い自分も悪い」という本来は謙虚な声の主語を盗んでゆく泥棒のこと。

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 「みんな」、「自分」等の一般的な、簡単な主語に物事を帰結させると、直接の責任者が隠れてしまうのだ。判りやすい表現になり納得だけ発生し、終始感まで出て」(p.211)
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 「地方に原発を押しつけておいて、電気の恩恵だけは享受していた東京都民」の一人として、私も反省すべきだとは思うのですが、しかし、そういうことを声高に、どこか得意気にいう声に、かの「一億総懺悔」の響きを感じて、妙ないらだちを感じてしまうのです。

 被害者に「自主的に」反省させ責任をとらせて、直接やっていた連中をなにげなく免罪した上、すでに総括済という雰囲気を作って事象の分析評価をも封じてしまう。「わたしたち誰もが」加害者なのだから、これは「文明災」なのだから、みたいな大仰なことをいって、物事を変えるための地道な議論をさせないようにする。

 そういう嫌な構図がまかり通っている様子を、「火事場泥棒」という言葉でずばり表現してくれました。寛容で真心がこもっているはずの言葉に何でこうもいらつくのか不思議でしたが、ああそうか、盗まれていたのか。

 主語泥棒防止の呪文用例もついてますので、気になる方は「新潮」2011年8月号のp.230~231で確認してみましょう。

 一方、タイトルの「地震詐欺」が指しているのは、地震の不安につけ込むリホーム詐欺のこと。作者のところにもやってくるらしく、「海神の生贄とか人柱になれお前ら」(p.231)。怒りのあまりちょっと金毘羅はいって、祟りが、怖。

 詐欺といえば、放射能排出食品詐欺なんてのもありますね。それから、再稼働しないと(電力不足で)子供や高齢者など社会的に弱い立場の者から死んでしまうぞ、という、これは詐欺というより人質たてこもり犯みたいな、そんな言説も横行してたり。

 他に、被災者の尊厳無視のマスコミ態度、都知事の「天罰」発言、webちくまの連載の件、立教大学大学院特任教授としての授業のこと、そして女流文学賞辞退に関するツイート鼠からのいちゃもんへの回答など。

 こまめで丁寧な随筆で、何度も「申し訳ない」という謝罪の言葉が挟み込まれ、読者も心痛を覚えます。粗暴犯、泥棒、詐欺などの片棒を担いでいる言説ばかりが目につく昨今、そうでない言葉を読める幸福をかみしめずにはいられません。


タグ:笙野頼子
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