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『不死細胞ヒーラ  ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生』(レベッカ・スクルート) [読書(サイエンス)]

 医学や生物学の研究に欠かせないツールとして世界中で広く用いられている「ヒーラ細胞」。その輝かしい名声のかげで、ヒーラ細胞の“母”であるヘンリエッタ・ラックスのことは誰からも無視され、その子供たちは母親の細胞が生き続けていることさえ知らなかった。一人の黒人女性とその家族が辿った数奇な運命、そしてヒーラ細胞をめぐる様々な社会問題に迫る衝撃と感動のノンフィクション。単行本(講談社)出版は2011年6月です。

 史上はじめて分離・培養された、ヒト由来の細胞株、ヒーラ細胞。この異常なまでの増殖能力を持つ不死化した(ヘイフリック限界、つまり細胞分裂の回数制限、が失われた)癌細胞は、ワクチン開発、化学療法、クローニング、遺伝子マッピング、体外受精、そしてもちろん癌研究と、あらゆる研究に広く活用され、医学界に革命を起こしてきました。二十世紀後半の急激な医学進歩は、ヒーラ細胞なしではありえなかったことでしょう。

 「ある科学者は、今までに培養されたヒーラ細胞をすべて秤に載せたら、五千万トンを超えるだろうと言う。個々の細胞の重さが限りなくゼロに近いことを考えると、これは想像を絶する量だ」(単行本p.14)

 ヒーラ細胞は、元をたどればヘンリエッタ・ラックスという黒人女性の腫瘍病変から切り取られた組織です。では、彼女はどのような女性だったのでしょうか。ヒーラ細胞が採取されたとき、彼女に何が起きていたのでしょうか。

 本書においては、この問いをめぐって三つの物語が並行して語られます。

 最初の物語は、ヘンリエッタ・ラックスとその家族の物語。少女時代から、癌で死亡するまで、一人の人間としてのヘンリエッタの人生が活き活きと描かれます。そして残された家族を待っていた過酷な運命。ある者は殺人罪で刑務所に放り込まれ、ある者は施設に閉じ込められたまま消息不明に。児童虐待、そして性的虐待。10代での妊娠。家庭内暴力。麻薬。病気。貧困と根強い人種差別に押しつぶされてゆく人生。

 ヒーラ細胞の採取とその利用についてヘンリエッタ・ラックスには何も知らされておらず、もちろん同意もなく、さらに家族がヒーラ細胞について知るのはそれから20年以上も後になってから。ヒーラ細胞が輝ける成果と莫大な利益を生み出しているその一方で、彼らは貧しさゆえに満足な医療も受けられないままでいた、という事実には、驚かされると共に強い憤りを感じます。

 第二は、ヒーラ細胞が引き起こした医学革命の物語。ポリオワクチン開発などの素晴らしい功績と共に、ヒーラ細胞とマウス細胞の融合という人を不安にさせる研究から、ヒーラ細胞を被験者に注射して癌に“感染”するか確かめようとした生体実験(しかも被験者はユダヤ人)というナチスまがいの極悪な研究まで、その影の部分も語られます。

 そして発覚した深刻なヒーラ細胞汚染。まったく別の患者から採取したヒト細胞株がいつの間にかヒーラ細胞に侵されて「ヒーラ化」していた、という恐ろしい事例が多発し、研究者たちはパニックに陥ります。

 「それがどれほど手ごわい敵であるかは想像もしていなかったのだ。ヘンリエッタの細胞は、塵の粒子に乗って空中を漂うことができた。洗っていない手や使用済みのピペットを介して、培養物から他の培養物へと移ることも、さらには、研究者の白衣や靴に付着して、あるいは換気システムを通じて、研究室から研究室へと移動することも可能だった」(単行本p.216)

 「そのうえヒーラ細胞は強力だった。培養皿にたった一個落ちただけで、すべてがヒーラ細胞に置き換わる。ヒーラ細胞は、培地をすべて食べ尽くし、あらゆるスペースを埋め尽くしてしまうのだ」(単行本p.216)

 鉄のカーテンで遮断されているはずのソ連の医学研究施設でも同じ問題が発覚し、ヒーラ汚染問題が世界中に拡がっていることが明らかになります。無限に増殖する不死細胞。他の培養細胞株を乗っ取ってゆくヒーラ細胞。それはあたかもヘンリエッタの怨念が乗り移ったかのよう。

 そして第三は、本書の執筆のために著者がヘンリエッタの家族に取材する物語。母親の細胞を盗んで、家族に何も知らせないままそれで大儲けした白人に対する彼らの怒りと不信の念は強烈で、白人である著者の取材は激しい拒絶に会います。

 何度も足を運び、粘り強くコンタクトを続ける著者。やがてヘンリエッタの娘、デボラと著者の間に生まれる信頼感と絆。ヘンリエッタという一人の女性のことを知りたい、そして世に知らしめたい、という想いが、人種の壁を越えて共鳴してゆきます。

 「あたしが望んでるのは、ヒーラって呼ばれてる母さんのほんとうの名前はヘンリエッタ・ラックスだってみんながわかるように、ちゃんと歴史に残すことだけなんだ。それに、母さんのことをもっと知りたい」(単行本p.334)

 「母さんの話は人種差別がテーマじゃない。この話には二つの面がある。それを引き出したいんだよ。もしも研究者たちをとっちめたいって話にしちまったら、母さんの真実の話は伝えられない。この話は、医者たちを罰したり、病院を中傷するためのものじゃないんだ。そんなことにはしたくないんだよ」(単行本p.355)

 「でも正直に言うと、医療保険は欲しいよね。そうすれば、母さんの細胞のおかげで作られたんだったかもしれない薬のために、あんなに毎月お金を払わなくてもすむからね」(単行本p.363)

 デボラがどれほど困難な人生を歩んできたか今や知っている読者にとって、彼女の言葉は一つ一つが強く胸をうちます。感動を呼び起こします。

 インフォームド・コンセント(治療に対する患者の理解と合意)、ニュルンベルク綱領(人体実験の制約に関する国際合意)、患者の権利範囲(例えば自分の組織標本や遺伝子情報に関する知的所有権)、医療と人種差別の根深い関係、福祉や司法制度の問題点など、さまざまな医療倫理・社会問題を鋭く追求し、ときに怒りがほとばしる箇所があるにも関わらず、本書から人間と社会への温かい視線と信頼感が感じられるのは、デボラ・ラックスの人柄によるものも大きいように思えます。

 というわけで、ヒーラ細胞の歴史について学びたい方、医療倫理問題に興味がある方、そして感動的な人間ドラマを求めている方にも、文句なくお勧めできる好著です。また個人的には、深刻な社会病理(特に人種差別)を抱える一方で、それと粘り強く闘ってあきらめずに改善してゆく健全さ力強さ、その両面ともに強烈なものがある米国社会の姿にも、改めて感銘を受けました。


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