SSブログ

『目覚めよと人魚は歌う』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

 星野智幸さんの著作を順番に読んでゆくシリーズ“星野智幸を読む!”、その第4回。今回は三島由紀夫賞を受賞した著者の長篇を読んでみました。単行本(新潮社)出版は2000年5月、私が読んだ文庫版は2004年11月に出版されています。

 いざこざで人を殺めてしまい、逃亡中の日系ペルー人の青年が語り手の一人となります。彼は恋人とともに、伊豆高原にある人里離れた家に逃げ込むのですが、そこには、もう一人の語り手となる女性が、自閉気味の息子、そして家の所有者である男と共に住んでいました。男は、自分たちはここで疑似家族として生活している、と語るのですが。

 思い出にとらわれ、今はなき夫との幻想の逢瀬に夜な夜な溺れている女性(タイトルの「人魚」は彼女のことでしょう)、自分の過去との連続性に実感が持てず自我がうまく統一できないでいる青年、この二人を中心に作られる疑似家族を描いた作品です。

 前作『嫐嬲(なぶりあい)』も同じく疑似家族の誕生と崩壊を扱った小説でしたし、どうやら作者にとって疑似家族は重要なテーマのようです。ただし『嫐嬲』と違って、本作における疑似家族は、精神の均衡を欠いた青年を現実から引きはなし永遠に取り込んでしまおうとする罠(人魚の歌声)であるかのように書かれています。

 冒頭で、青年が様々な苦難や「儀式」を経てたどり着くのをみても分かりますが、舞台となる家は黄泉の国のような異界として扱われており、その感じを出すために、語り手の頻繁な切り換え、ときには段落の途中で三人称から一人称にすっと移行するといった視点の移動、感覚を刺激する執拗な描写、そういった技法が存分に駆使されています。

 人魚の誘いをかわした青年は家を出て現実へと向かって歩み去ってゆき、幻想の彼を手に入れた人魚はそれで満足して再び永遠の過去にとらわれる。予想通りの決着ですが、しかしそうしたストーリーはさほど重要ではなく、やはり文章で読ませるタイプの小説だといってよいでしょう。

 余談ですが、本作のヒロインがとらわれている過去の夫の名前が蜜夫(ミツオ)、息子の名前が密生(ミツオ)。これはデビュー作『最後の吐息』の主人公である蜜雄(ミツオ、ミツ)を露骨に連想させます。自分も過去の作品にとらわれているという自虐ネタでしょうか、それともデビュー作に落とし前をつけるという意志表示でしょうか。ちなみにヒロインの名前は糖子で、あわせて糖蜜。だから二人がからむ幻想シーンはとても甘美に。作者はそういうベタな言葉遊びがけっこう好きなのかも。


タグ:星野智幸
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: