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『はじめての動物倫理学』(田上孝一) [読書(教養)]

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 動物もまた主体でもありえるのならば、動物もまた権利を持ちうる可能性がありえることを意味する。これが「動物の権利」論の問題設定であり、動物倫理学の最も重要な理論的問題である。
 この一点だけからでも、動物倫理学というものが容易ならざる、という以上に「不穏」な学問であることが分かるはずである。何しろ動物にも権利を認めろというわけで、ここだけを理由もなく聞かされれば世迷い言の類いに思われるだろう。
 しかしもちろんこの動物の権利の主張には理由がないどころか極めて強固な根拠があり、そのために動物倫理学の主要内容として理論化されているのだが、その具体的な内容は後の章に委ねるとして、ここではなぜこうした一見すると荒唐無稽な主張が一定の広まりをみせたのか、その社会的な背景を考えてみることにしたい。
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単行本p.16


 動物を虐待せずなるべく優しく扱いましょう、ではなく、動物にも人間と同じ権利を認めるべきだとする動物倫理学。その理論的根拠はどこにあるのか。これまでどのような論争があったのか。そして、肉食、動物実験、動物園、狩猟、ペット化といった様々な論点について、動物倫理学の立場からはどのように判断されるのか。動物の権利をめぐる議論と実践について一般向けに平易に紹介する本。単行本(集英社)出版は2021年3月です。


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 この本で詳しく説明した現代社会で動物が置かれた状況や、動物に対して倫理的にどう振る舞うべきかという議論は、初めて知ったという読者も多いのではないかと思う。そして我々が常日頃から親しんでいる習慣を容易に変えることができないことも、十分に弁えているつもりである。
 本書では肉食をはじめとする動物利用を明確に批判しているが、その意図はあくまで倫理学の立場からする問題提起である。肉食をするもしないも個人の自由とした上で、しかし個々人が自発的に肉食を抑制するのが倫理的に適切だと主張するということだ。あなたが食べている肉を取り上げて罵声を浴びせかけるようなことは全く意図されていない。このことをどうか理解していただきたいと願ってやまない。
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単行本p.248


目次
第1章 なぜ動物倫理なのか
第2章 動物倫理学とは何か
第3章 動物とどう付き合うべきか
第4章 人間中心主義を問い質す
第5章 環境倫理学の展開
第6章 マルクスの動物と環境観




第1章 なぜ動物倫理なのか
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 常識的な耳は、動物倫理と聞いて犬猫や動物園の動物を思い浮かべ、それらの動物を人間がどう扱うべきか、虐待せずに大切に扱わなければいけないというようなことを説くのが動物倫理学なのではと思うのではないか。確かに動物は虐待すべきではなく、犬猫や動物園の動物を丁重に扱うのは大切なことではある。だがここで全く問われることがなく当たり前の前提とされている見方こそが、本当の問題なのだ。それは常に人間が主体であり、動物は客体だとされていることだ。(中略)
 何を当たり前なと思われるかもしれないが、まさにこれこそが動物倫理学が問い質す主眼である。つまり本当に動物とは人間がその趨勢をほしいままにできる客体なのかどうか。それは実は不当な偏見であり、動物もまた主体でありうるし、主体とみなされなければいけないのではないかということを問うのである。
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単行本p.14、15

 まず動物倫理学とはどのような学問であるかを紹介し、前提となる「倫理学」の概要と、その中心となるいくつかの学説を取り上げます。




第2章 動物倫理学とは何か
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 現代の常識である動物福祉的な見方というのは、動物を人間の手段として利用することを前提にしながらも、動物に対してできる限り思いやりのある扱いをするというものである。カント同様に、動物が人間同様に目的視されることはないが、かといって全く好き勝手に扱って虐待をしてはならないという考え方である。
 このような考えは現代では常識として、これに異を唱える人はいないだろうし、実際動物を虐待したら法律でも罰せられるようになっているが、実はこのような常識に、動物の側に立って異を唱えるのが、現代の動物倫理学の基本観点なのである。
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単行本p.47

 デカルトやカントから、シンガーやレーガンらによる動物倫理学の確立まで。現代の動物倫理学が成立するまでの歴史と議論を概観します。




第3章 動物とどう付き合うべきか
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 社会改良から変革への道筋としては、動物利用の全廃を目指しつつも、今ある動物利用のあり方をできる範囲で改善していくような問題提起と働きかけが求められるだろう。
 このような社会運動の局面に対して個人的実践の場合では、より理念に近づいた所作を実現できる余地が大きい。動物利用の廃絶という理念と対応する個人的実践は、まさに動物を使わない日常生活ということになるからだ。(中略)
 そこでこれから、動物倫理の具体的な諸問題に関して、こうした視座に基づきながら、平均的な個人が常識的な努力で実現できるのが倫理的実践であるという大前提を踏まえつつ、個々の事例について考察してみたい。
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単行本p.109、111

 動物の権利を守るために具体的に何をすればよいのか。まず肉食が抱えている環境問題、倫理問題を掘り下げ、続いて動物実験をめぐる議論、野生動物の狩猟・駆除・家畜化、動物園や水族館やサーカスや競馬の是非、そしてペットをめぐる様々な問題などを取り上げて、動物倫理学の立場から論じてゆきます。




第4章 人間中心主義を問い質す
第5章 環境倫理学の展開
第6章 マルクスの動物と環境観
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 人間中心主義批判を共通のパラダイムとしつつも、動物の主体性や自律性を強調する動物倫理学的思考になお大きな問題点があることが指摘されている。それは環境倫理学からの問題提起で、伝統的哲学が囚われていた人間中心主義的偏見を克服しようとするのはよいが、なおそこにはまだ伝統哲学と共通する旧弊が乗り越えられぬままになっていると問いかけるのである。
 ではその問い質しはどのようなもので、動物倫理学の何が問題だというのだろうか。
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単行本p.202

 キリスト教的な人間中心主義、環境倫理学からの批判、そしてマルクスの資本主義批判。動物の権利を中心に置く動物倫理学の立場から、様々な哲学的立場との関係を論じます。




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