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『質屋七回ワクチン二回』(笙野頼子)(「群像」2021年12月号掲載) [読書(小説・詩)]

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 金がなかったらまず時間が止まってしまう。支払うまで何も出来ない。誰にも連絡出来ないし気軽に現状の説明も出来ない。どこにも出ていけない。誰かに説明すると相手も気の毒に黙るしかない。対処しようないもの。(中略)貧乏とは何だろう。もう死ぬかもしれないのにケチのまま死ぬ事だ。残っているおいしいものを食べようとしていきなり吐き気がして来る事。自分の健全な欲望というか生きている肉体を罰したくなっている。が、……。
 しかしこの危機の以前私はどうすれば良かったのか、何か対策の方法があったであろうか。結局は時間も世の中も止まったまま、自分だけがダメな人として輪の外にいる。
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「群像」2021年12月号p.223


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第137回。


「お金がない。毎月が危機。カード破産したり住宅ローン事故ったりになりかねない連続」(「群像」2021年12月号p.214)


 長編原稿の連続ボツをくらって金銭的危機に陥った作家。ワクチンは何とか二回接種できたけど、質屋に何度も通うはめに。猫も暮らしも文学も、危機また危機のとぎれなし。『増殖商店街』から三十年、現代の「私小説家の貧乏話」(「群像」2021年12月号p.214)はどのように書かれるのか。掲載誌出版は2021年11月です。


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 各種料金はスケジュールをこしらえて少しずつ遅らせてカードで回転させ、それで詰まってくると貴金属を売る。と言ってもそんなに持っているわけではないし売れるものは少しだ。今年の前倒しは小さい版元に節分に頼んで四十万、これは本当にかき集めて出してくれた。
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「群像」2021年12月号p.216


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 金欠は若いころから確かに慣れているものだ。でも今は何かしらついに違う感触。既に危機の段階に突入してから二年。足元に迫る感じから顎の下まで浸かった。やはりこれは前世紀の貧乏と違う。(中略)
 かつて若い日の節約に奇妙な楽しさがあったのは国全体が未来を持っていたからで、今の変質はけして自分の老化のせいではなく時代のせいだ。安い新鮮な野菜を食べてチクワ、ツナ、油揚げを活躍させ最適化しても、気がつくと日本は落ちつつある。自分にも先がない。
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「群像」2021年12月号p.219


 猫とふたり貧乏暮らし、というと『増殖商店街』ですが、あの頃のどこか楽しげで明るかった貧乏にくらべて、どうにも未来がない希望がない道理がないという感じが悲しい。


 それでも、手元にある貴金属等を質屋さんで売るしかないという追いつめられた状況を「「何もない、こんな時代に(とすかしてみせる)」、さて新しい価値をどうやって手に入れるか」(「群像」2021年12月号p.226)と自己啓発本みたいに表現するところは思わず笑ってしまいます。各章のタイトルも「悠久の自己責任」「輝く貧困」「ときめきの家捜し」「素敵な破れかぶれ」「めくるめく倦怠感」などとユーモラスな感じになっているのですが、しかし読んでいるとたとえば『居場所もなかった』を思い出してつらくなります。


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 要するに相手方、日本左翼は、はるか昔にもう貴族化していたのだ(と思い知った)。右も左もなく強弱と上下で格差の広がる、新世紀日本。それは巷で金やプラチナを身に着ければ、憎まれるだけの没落国。そもそも今はコロナで集まりとかない。なおかつこっちは既に難病と判明、どこにも出ない。貴金属も着けない。なのに? 売るとなると焦る!
 全ては金庫の中、取り出して見ることさえなくなっていた。が、売りはじめてみると、ここから何か消えたという事の感触は不思議と発生した。まだそんなに辛い手放し方はしていないが悔やむ感じは多分これから始まる。だってもし次の原稿が売れなかったら?
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「群像」2021年12月号p.229


 所持している装身具や貴金属などの紹介、質屋めぐりの顛末、ワクチン接種と副反応の不安、猫の不調、などを丁寧に書いているなかで、背景事情を部分的、断片的に語ってゆきます。興味本位で流し読みする読者には気づかれないよう、慎重な手つきで、細かく分散させて、あえてキーワードを省略して。


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 私は名出しの上で声を上げていた。しかし発禁と言ったって十七年前に出した本の復刻版を、ただ私の作品だからと言って怒ってくるのである。相手は唯心論者で私はアカの魔女だ。
 しかも今年は七月に長編の書き直しまで返ってきた。これで貧乏が一段と深まった。私は書けないのではない。リスクのある作家になってしまったのだ。だけど何も差別とか私はしていない。唯物論者なので偽りが書けない。結果が今の困難である。(中略)
 長編二回というと、書き直しではあるが全部書き直したので、総計五百枚。疲れ果てていてなおかつ金がない。書けば換金出来る筆で前借りまで可能にして三十年超、歳で衰えたわけでないのは、この原稿が返って来た時の一社の感想で分かっている。
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「群像」2021年12月号p.221、222


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 ていうか私が今までしてきた事が全部逆転している。世の中が今から引っ繰り返るのか? でももしそうならそれは前世紀からというより多分、生まれたときからだ。女は嫌いだから消すというすごく単純な昔々の世界。生まれた瞬間からお前を潰してやると言っていた何か大きな古臭い「神」がまた育ってきやがった。
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「群像」2021年12月号p.223


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 人前で質屋の封筒から出して支払い後で気がつく。隠すものなのか、でも別に恥ずかしくない。私は貧乏して貴金属を売った。でも徹夜で仕事した。何も変な事も書いていない。テーマ、女という言葉、概念、主語、その大切さ、女の歴史を消すな、だけであって……。
 つまりは自分が女である事を、医学、科学、唯物論、現実を守るために書いた。
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「群像」2021年12月号p.239


 女が安心していられる場所、どころか女という概念や定義を、ぐずぐずに溶かして、気兼ねなく奪ったり踏んだりできるようにしようという「世界現象」、それをサポートするイカフェミニズム。それらを文学で「報道」する長編なんだろうなと個人的には想像しています。多くの読者が待ち続けている作品、どうか日の目を見ますように。





タグ:笙野頼子
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