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『ベンチの足(考えの整頓)』(佐藤雅彦) [読書(随筆)]

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 私は、映像や書物などで表現活動を長い間行ってきた。
 そのほとんどは、視聴者や読者に、ある表現を提示し、それによって、新しいものの見方や考え方を獲得してもらうという意図を持っている。
 例えば、私がこの10年間作ってきたピタゴラスイッチという幼児教育番組がある。この番組の理念は、「考え方を伝える」というもので、従来の教育番組が知識伝達を重視していたのに対して、「考え方を伝える」ことを主眼にしたものである。(中略)それは別の言い方をすると次のようになる。
『ある考えやものの見方を見つけると、それまで繋がっていなかった事が繋がる。そして、それが達成されたあかつきには、面白さを覚えたり、時として衝撃さえ生まれる』
 そして、私は、その時の「面白さ」「衝撃」こそ人間的であると考えている。(中略)
 このように、それまで繋がっていなかったものが繋がった時、頭の中に、強いショックが走る。歴史的な発見・発明には、発見者の中に、そのショックが必ずあったはずである。さらに、それが生まれた後には、新しい神経の繋がりを持った新しい脳により、世界もまた新たに解釈され始めるのである。私は、大小を問わず、新しい脳の中の繋がりを生むための表現を求めて、昼夜、もがいているとも言えるのである。
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単行本p.90、91、92


 だんご三兄弟、ピタゴラスイッチ、Eテレ0655/2355、考えるカラス、などを生んだ佐藤雅彦さんが「暮しの手帖」に連載しているエッセイから選んで再配置した一冊。単行本(暮しの手帖社)出版は2021年3月です。

 数学的ロジックや思考方法などを子どもに教える教育番組を観ていても、佐藤雅彦さんがからんでいると必ず驚きのある印象的な伝え方や、主旨は分かるけどなんでそれを選んだと言いたくなるような変な表現が出てきて、ちょっと忘れがたいものがあります。本書でもそのあたりの狙いが詳しく書かれていて、なるほどと思いました。


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 私は、これまで、文章を書く時や番組を作る時には、できるだけみんなが分かるように解釈を伝えようと心がけてきた。説明こそが自分がとるべき姿勢だと思っていた節もある。
 自分がやっていることはアートではなく「説明」、言い換えれば思考の整理整頓だと言いきかせてきた。それ故、不明で曖昧な要素が入っている「妙さ」に対しては、避けようとする嫌いがあった。だから、何故か、知らない間にすっと自分の表現に入ってきてしまう「妙」の要素に対して、見て見ぬふりをしてきた。(中略)
 そう、解釈には、まず魅了されることが必要だったのである。惹きつけられるから、解釈する気持ちも自然と湧き起こるのである。
 読者や鑑賞者が求めているのは「準備された説明」ではなく、それを自分で見つけたくなるほどの「妙」であったのである。そして、それは、作者にとっても、書いたり撮影したりという大変なことを乗り越えるだけの動機を与えてくれるものでもあるのだった。
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単行本p.266、267


 こういう作品や番組の裏話めいたもの以外にも、うまく位置づけられない「妙」な感覚や出来事がいっぱい詰まっていて、どれも驚きがあります。著者自身が本書に登場する話題を紹介している部分を引用してみます。


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夜中の散歩中に偶然見かけた妙に背の高いベンチと妙に大きい足。
電車で隣の小学生が思わず漏らした妙な言葉。
愛用のボールペンがインクの切れ際に書かせた言葉の畏さ。
金属の巻き尺が持っていたルーズさに対しての勝手な憐れみ。
新品のおもちゃを友だちがこぞって壊しだす時に感じた新種の責任感。
板場の女性が実の息子に目をそらされた時、必死に何かに掴まろうと空をもがく腕。
名優の言葉に対して、正直者の漁師たちが示した全員否定の妙。

 このように並べると、筆の重い自分をして、毎回、文章を書かせてくれたのは、沢山の「妙」に他ならないことが分かる。
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単行本p.262


 えっ何それどういうこと?
 と思った方はぜひ本書をお読みください。たくさんの「妙」とロジカルな「理解」のあいだを巧みにつなぐ文章にきっと感動します。





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