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『令和の雑駁なマルスの歌』(町田康) [読書(小説・詩)]

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 けれども人々はこれに逆らえない。なぜなら人々は優しさを求め、優しさを願っているからである。またそれと同時に優しさを恐れてもいた。なぜなら優しさの集団は優しくない者に対しては酷烈で、多くの場合はこれをはげしく糾弾し、これが滅びるように仕向けたからである。
 もしそれが自分に向かったら。
 と考えるとき市中の人々は優しさの集団を恐れた。なぜなら人の心には自己本位な部分が多分にあり、個々人はそれを自覚していたからである。
 だからそれを打ち消す、またはバランスを取るため無理から優しさの集団に共鳴しているようなところがあった。
 かくして優しさの集団の勢力は強大であったのである。
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Kindle版No.150


 シリーズ“町田康を読む!”第70回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、石川淳「マルスの歌」にもとづく短篇。Kindle版(U-NEXT)配信は2020年10月です。


 現代のマルスの歌、それは勇ましい軍歌ではなく、優しさと正しさで人々の心を支配し煽動するもの。


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 音は耳から脳に伝わり、人の考えに影響を及ぼす。歌は音として耳から脳に入り込み、脳で当人の意志とはかかわりなく考えに変換されるということである。音の中には意味が含まれているが、その意味は心地よい音にくるまれている。だから心地よさを齎しながら耳を通過する。そして脳に渦巻いてとてつもない快感をもたらす。そして暫くすると、音は消えてなかにあった意味だけが残る。もとよりそれは論理的な筋道を持たない絶対的で空虚な言葉であるが、がため、考えの中心に君臨できるとも言える。
 かくして春頃には主婦、学生、OL、クリエーター他、いろんな立場の人が自分の考えによって優しくなり正しくなっていた。その人たちはもはやあの集団とも無縁であった。あの集団の存在を知らない人も多いように思えた。そしてその優しさと正しさはあの夜私と室谷が語ったが如く邪悪を滅ぼすための酷烈な優しさであった。
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Kindle版No.268


 それはそうとして、作家の「私」は、知人の室谷から、新田という奴に何もかも奪われた許せん、という激烈な訴えを聞くのであった。


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「これまではさ、ただ悲しいだけだったんだけど、やっぱりああいう、新田みたいな奴は滅びるべきなんだって、滅ぼしていくべきなんだって、なんかそんな感じの……」
「新田を殺すってこと?」
「ううん。そうじゃない。それは殺人罪になるから。そうじゃなくって、滅ぼすの。神様や同僚に頼るんじゃなくって、僕が僕としてキチンと滅ぼすの。そうすることが正義っていうか」
「正義っていうのは違うんじゃない?」
「なんで?」
「だって個人的なことじゃない」
「いや、違うでしょう。あんな奴がのさばってるのはやっぱり間違ってるんだよ。正しくないんだよ。あんな奴は滅びるべきなんだよ。それを誰もやらないなら自分がやるしかないじゃない。それが本当の優しさだと思うし、正義だと思うんだよ、うん」
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Kindle版No.81


 暴力ではなく、優しさと称賛で堕落させ滅ぼす。この優しさ正しさの時代にふさわしい復讐をくわだてる室谷。


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 自分から女を奪い、功績を奪い、自分を踏み台にして出世をして行く男。これを讃嘆供養すること。それは自分を激しく痛めつける行為である。
 しかしそれをやって初めて相手を滅ぼすことができる。
 そしてこれは呪詛ではない。呪いでなく、怨みでない。またテロでもない。苛烈な自己犠牲に裏打ちされた、無限無窮の優しさの発露としての力、佛としての武力であり、同時に正義の実現なのである。
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Kindle版No.238


 優しき復讐に奔走しいつしか音信不通になる室谷。一方、その室谷をふって新田にはしったという美女が「私」のもとへやってくる。


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「私、とても心配なんです。もし私のことで新田さんが殺されて、室谷さんが犯罪者になってしまったら、私……」
「そりゃ、つらいですよねえ」
「ええ、そんなことになったら会社にも居づらくなりますし。私、いまの仕事辞めたくないんです」
 そこかいっ、そこかいっ、そこかいっ、そこかいっ、という叫びが頭の中に木霊して、ファンキーな、「やんれ節 鈴木主水白糸口説き」にシンクロして溶けた。
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Kindle版No.354


 SNSなんかでもよく見られる優しさ暴力がゆきつく果てを幻視するようなしないような好短篇です。





タグ:町田康
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