『首里の馬』(高山羽根子) [読書(小説・詩)]
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未名子が貯めて保存したデータはすべて、宇宙空間と南極の深海、戦争のど真ん中にある危険地帯のシェルター、そうして自分のリュックに入ったぎっしりのマイクロSDカードに入っていて、そのカーボンコピーはいつだれが読んでもいい、鍵のないオープンなものにしてある。ただ、その場所はすべて、地球のとても深いレイヤーに混ぜ込まれていた。誰もが希望すれば容易にアクセスは可能な、でも、まちがえてやって来るような人はまず訪れない場所。
この島の、できる限りの全部の情報が、いつか全世界の真実と接続するように。自分の手元にあるものは全世界の知のほんの一部かもしれないけれど、消すことなく残すというのが自分の使命だと、未名子はたぶん、信念のように考えている。
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単行本p.150
沖縄。個人が収集した様々な情報を集めた小さな資料館。そこで資料の整理をする未名子は、世界中の孤立した場所にいる孤独な人間にオンラインでクイズを出すという奇妙な仕事に従事していた。あるとき自宅に迷い込んできた宮古馬(ナークー)を駐在に引き渡した彼女は、その馬を改めて盗み出すことを決意する。誰にも省みられない瑣末で多様なものを守るささやかな抵抗をえがく長編。単行本(新潮社)出版は2020年7月、Kindle版配信は2020年7月です。
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ただ、首里周辺の建物の多くは戦後になってから昔風に新しく造られたものばかりだ。こんなだった、あんなだった、という焼け残った細切れな記録に、生き残った人々のおぼろげな記憶を混ぜこんで再現された小ぎれいな城と建物群は、いま、それでもこの土地の象徴としてきっぱり存在している。
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単行本p.4
個人の記憶、断片的な情報。それらから再構成されたような風景のなか、記憶と情報をめぐる物語が始まります。最初に登場するのは小さな歴史資料館。
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この資料館に通うようになってからも、未名子は自分のいる土地の歴史や文化にあまり強く興味を持つことはなかった。ただ資料館に積まれたものを見て、そこにあるいろんな事情を読み解くことは楽しかった。そのとき、人間というものに興味が持てないのだと思いこんでいた未名子は、でも、順さんの集めた資料を見ることで、自分のまわりにいる人たちや人の作った全部のものが、ずっと先に生きる新しい人たちの足もとのほんのひと欠片になることもあるのだと思えたら、自分は案外人間というものが好きなのかもしれないと考えることができた。
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単行本p.15
次に登場するのは、主人公の仕事場。ここで彼女は世界中の孤立した場所(宇宙空間、南極の深海、戦場のど真ん中)にいる孤独な相手にオンラインでクイズを出す、という奇妙な仕事をしているのです。
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未名子のここでの仕事は、定められた時間、遠方にいる登録された解答者にクイズを読み、答えさせることだった。問題を読む未名子と、答える相手は常に一対一で、相手はいつも同じではない。というより、そもそも通信での音声の質がその都度ばらばらなので、名前がなければ同じ人物であるのかどうかもわからない。
(中略)
彼らの話に漂う孤独なるものは、同情や脅威を生むものというより、未名子の送る毎日の生活に絶えず漂っているのとほとんど同じものに思え、未名子はこの会話によって、すぐ近所に暮らしている人と悩みを分かち合っているような気持ちになっていた。
(中略)
自分の知らない知識をたくさん持っている人たちとの、深すぎない疎通も心地よかった。きっとここを利用する何人もの解答者も、こういうささやかな感情のやりとりを求めて通信をしているんだろう。そうして未名子自身も、彼らと同じくらいに孤独だという実感があった。ようするに、未名子はこの仕事が好きだった。
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単行本p.31、36、60
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クイズというものは、未名子が思っていたよりもずっと気持ちの動きがある遊びだった。知識の周辺にまとわりついた彼らの生きてきた過程で興味のあることや、今まで自分が生きてきた経験に追加していけそうな発見を確認していく作業は、ただ問題を読み上げるだけの自分のほうにも感情の動く余地がたくさんある。仕事をくり返すごとに、未名子はこのことを実感していた。
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単行本p.39
そしてあるとき、庭に迷い込んできた宮古馬を保護して駐在に引き渡した未名子。やがて仕事を辞め、資料館もなくなったとき、彼女はささやかな抵抗を始めるのです。まずは馬を盗み出す。次に自分が集めて整理した雑多な情報を「地球のとても深いレイヤー」に混ぜ込んでしまう。決して消せないように。
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未名子や順さんのような人間が、世の中のどこかになにかの知識をためたり、それらを整理しているということを、多くの人はどういうわけかひどく気味悪く思うらしいということに気がついたのは、あるときいきなりじゃなく、徐々にだった。
未名子は社会のほかの人たちに対して、とりたててなんの文句もいうことなく、ただ黙って資料の整理をし続けていただけだ。いや、もし未名子がなにか世の中のことについて文句をいっていたり、多少の迷惑をかけていたとしたって、それとは別に集めてきた知識がなんの非難にあたるというんだろう。人がなにかを集めること、自分の知らないところでためこまれた知識を警戒することは、ひょっとしたら本能なのかもしれない。無理やり聞きだすわけでもなく、ただ聞いて調べ記録していくことも、ある人たちにとってはとても卑怯で恐ろしいことに思えてしまうんだろうか。
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単行本p.92
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馬勝負という華やかな文化がなくなる。そういうささやかな悲劇が起こるための原因はいくつも重なっていて、同じように飢餓ひとつにしても、そこにはするためのたくさんのファクターがある。それらの要因はでも、当時は細かく範囲もひろかったので、紐づけて考えられてはいなかっただろう。事実として記録し続けていれば、やがてどこかで補助線が引かれ、関係ない要素同士であっても思いがけぬふうにつながっていくのかもしれない。
だから、守られなくちゃいけない。命と引き換えにして引き継ぐ、のではなく、長生きして守る。記録された情報はいつか命を守るかもしれないから。
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単行本p.122
資料、クイズ、馬という三題噺のような三つのプロットが別々に進み、次第に世の中の風潮(例えば沖縄の歴史が意図的に抹消されるような)に対する抵抗の象徴となってゆきます。歴史と記憶を保存するために主人公が選んだ方法が印象的で、個人的にこれはサイバーパンクではないだろうか、と思いました。
未名子が貯めて保存したデータはすべて、宇宙空間と南極の深海、戦争のど真ん中にある危険地帯のシェルター、そうして自分のリュックに入ったぎっしりのマイクロSDカードに入っていて、そのカーボンコピーはいつだれが読んでもいい、鍵のないオープンなものにしてある。ただ、その場所はすべて、地球のとても深いレイヤーに混ぜ込まれていた。誰もが希望すれば容易にアクセスは可能な、でも、まちがえてやって来るような人はまず訪れない場所。
この島の、できる限りの全部の情報が、いつか全世界の真実と接続するように。自分の手元にあるものは全世界の知のほんの一部かもしれないけれど、消すことなく残すというのが自分の使命だと、未名子はたぶん、信念のように考えている。
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単行本p.150
沖縄。個人が収集した様々な情報を集めた小さな資料館。そこで資料の整理をする未名子は、世界中の孤立した場所にいる孤独な人間にオンラインでクイズを出すという奇妙な仕事に従事していた。あるとき自宅に迷い込んできた宮古馬(ナークー)を駐在に引き渡した彼女は、その馬を改めて盗み出すことを決意する。誰にも省みられない瑣末で多様なものを守るささやかな抵抗をえがく長編。単行本(新潮社)出版は2020年7月、Kindle版配信は2020年7月です。
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ただ、首里周辺の建物の多くは戦後になってから昔風に新しく造られたものばかりだ。こんなだった、あんなだった、という焼け残った細切れな記録に、生き残った人々のおぼろげな記憶を混ぜこんで再現された小ぎれいな城と建物群は、いま、それでもこの土地の象徴としてきっぱり存在している。
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単行本p.4
個人の記憶、断片的な情報。それらから再構成されたような風景のなか、記憶と情報をめぐる物語が始まります。最初に登場するのは小さな歴史資料館。
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この資料館に通うようになってからも、未名子は自分のいる土地の歴史や文化にあまり強く興味を持つことはなかった。ただ資料館に積まれたものを見て、そこにあるいろんな事情を読み解くことは楽しかった。そのとき、人間というものに興味が持てないのだと思いこんでいた未名子は、でも、順さんの集めた資料を見ることで、自分のまわりにいる人たちや人の作った全部のものが、ずっと先に生きる新しい人たちの足もとのほんのひと欠片になることもあるのだと思えたら、自分は案外人間というものが好きなのかもしれないと考えることができた。
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単行本p.15
次に登場するのは、主人公の仕事場。ここで彼女は世界中の孤立した場所(宇宙空間、南極の深海、戦場のど真ん中)にいる孤独な相手にオンラインでクイズを出す、という奇妙な仕事をしているのです。
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未名子のここでの仕事は、定められた時間、遠方にいる登録された解答者にクイズを読み、答えさせることだった。問題を読む未名子と、答える相手は常に一対一で、相手はいつも同じではない。というより、そもそも通信での音声の質がその都度ばらばらなので、名前がなければ同じ人物であるのかどうかもわからない。
(中略)
彼らの話に漂う孤独なるものは、同情や脅威を生むものというより、未名子の送る毎日の生活に絶えず漂っているのとほとんど同じものに思え、未名子はこの会話によって、すぐ近所に暮らしている人と悩みを分かち合っているような気持ちになっていた。
(中略)
自分の知らない知識をたくさん持っている人たちとの、深すぎない疎通も心地よかった。きっとここを利用する何人もの解答者も、こういうささやかな感情のやりとりを求めて通信をしているんだろう。そうして未名子自身も、彼らと同じくらいに孤独だという実感があった。ようするに、未名子はこの仕事が好きだった。
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単行本p.31、36、60
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クイズというものは、未名子が思っていたよりもずっと気持ちの動きがある遊びだった。知識の周辺にまとわりついた彼らの生きてきた過程で興味のあることや、今まで自分が生きてきた経験に追加していけそうな発見を確認していく作業は、ただ問題を読み上げるだけの自分のほうにも感情の動く余地がたくさんある。仕事をくり返すごとに、未名子はこのことを実感していた。
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単行本p.39
そしてあるとき、庭に迷い込んできた宮古馬を保護して駐在に引き渡した未名子。やがて仕事を辞め、資料館もなくなったとき、彼女はささやかな抵抗を始めるのです。まずは馬を盗み出す。次に自分が集めて整理した雑多な情報を「地球のとても深いレイヤー」に混ぜ込んでしまう。決して消せないように。
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未名子や順さんのような人間が、世の中のどこかになにかの知識をためたり、それらを整理しているということを、多くの人はどういうわけかひどく気味悪く思うらしいということに気がついたのは、あるときいきなりじゃなく、徐々にだった。
未名子は社会のほかの人たちに対して、とりたててなんの文句もいうことなく、ただ黙って資料の整理をし続けていただけだ。いや、もし未名子がなにか世の中のことについて文句をいっていたり、多少の迷惑をかけていたとしたって、それとは別に集めてきた知識がなんの非難にあたるというんだろう。人がなにかを集めること、自分の知らないところでためこまれた知識を警戒することは、ひょっとしたら本能なのかもしれない。無理やり聞きだすわけでもなく、ただ聞いて調べ記録していくことも、ある人たちにとってはとても卑怯で恐ろしいことに思えてしまうんだろうか。
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単行本p.92
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馬勝負という華やかな文化がなくなる。そういうささやかな悲劇が起こるための原因はいくつも重なっていて、同じように飢餓ひとつにしても、そこにはするためのたくさんのファクターがある。それらの要因はでも、当時は細かく範囲もひろかったので、紐づけて考えられてはいなかっただろう。事実として記録し続けていれば、やがてどこかで補助線が引かれ、関係ない要素同士であっても思いがけぬふうにつながっていくのかもしれない。
だから、守られなくちゃいけない。命と引き換えにして引き継ぐ、のではなく、長生きして守る。記録された情報はいつか命を守るかもしれないから。
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単行本p.122
資料、クイズ、馬という三題噺のような三つのプロットが別々に進み、次第に世の中の風潮(例えば沖縄の歴史が意図的に抹消されるような)に対する抵抗の象徴となってゆきます。歴史と記憶を保存するために主人公が選んだ方法が印象的で、個人的にこれはサイバーパンクではないだろうか、と思いました。
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