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『息吹』(テッド・チャン、大森望:翻訳) [読書(SF)]

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 商業デビューして以降、現在までの29年間に出した本は、本書を含めてわずかに2冊。数ページの掌篇4篇を含め、全部で18篇の中短篇しか発表していない。なのに、ヒューゴー賞、ネビュラ賞、シオドア・スタージョン賞、星雲賞など世界のSF賞を合計20冠以上獲得。短篇1本書くだけで世界中のSF読者のあいだでセンセーションを巻き起こすのはこの人くらいだろう。(中略)
 そのテッド・チャンの待望ひさしい二冊目の著書が、本書『息吹』。チャンの全小説作品のちょうど半数にあたる9篇が収録されている。(中略)この一冊をまとめるのに17年の歳月を費やしただけあって、作品の質の高さは『あなたの人生の物語』にもひけをとらない。最近10年のSF短篇集では、おそらく世界ナンバーワンだろう。
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単行本p.415、416


 『あなたの人生の物語』でセンセーションを巻き起こしたテッド・チャン、待望の第二作品集。単行本(早川書房)出版は2019年12月、Kindle版配信は2019年12月です。


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 著者がここで語っている問題を、「避けられない困難に直面したとき、知性はどうふるまうか」と言い換えれば、本書のほとんどの作品がこのテーマに関連している。理解しようと努力することに意味があるという表題作のポジティブなメッセージと、知性が持つポテンシャルに対する信頼が通奏低音となって、それぞれタイプの違う9つの物語をひとつにまとめあげる。科学と技術の問題だけでなく、つねに心の問題を中心に置く点が、ジャンルの垣根を越えてテッド・チャン作品が広く読まれつづける理由かもしれない。
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単行本p.420


[収録作品]

『商人と錬金術師の門』
『息吹』
『予期される未来』
『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』
『デイシー式全自動ナニー』
『偽りのない事実、偽りのない気持ち』
『大いなる沈黙』
『オムファロス』
『不安は自由のめまい』




『商人と錬金術師の門』
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 過去と未来は同じものであり、わたしたちにはどちらも変えられず、ただ、もっとよく知ることができるだけなのです。過去への旅はなにひとつ変えませんでしたが、わたしが学んだことはすべてを変えました。そして、こうでしかありえなかったのだということを理解しました。もしわたしたちの人生がアラーの語る物語なら、わたしたちはその聞き手であると同時に登場人物でもあり、そうした人生を生きることによって教訓を学ぶのです。
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単行本p.45


 未来や過去は完全に決まっており、何一つ変えることが出来ないとしたら、私たちは何のために生きるのだろうか? アラビアンナイトの世界にワームホール型タイムマシンを導入し、未来や過去を訪問した者たちの物語を語りながら「決定論的宇宙を生きる」ことの意味を問う作品。『あなたの人生の物語』の発展形。


『息吹』
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 どのぐらい遠い未来のことかは知る由もないが、あなたがたの思考もいつか停止すると仮定しよう。あなたがたの命も、われわれの命とおなじように終わる。万人の命が必ずそうなる。どんなに長くかかるとしても、いつかはすべてが平衡状態に達する。
 願わくば、そのことを知って悲しまないでほしい。願わくば、あなたがたの探検の動機が、たんに貯蔵槽として使える他の宇宙を探すことだけではなく、知識への欲求、宇宙の息吹からなにが生まれるかを知りたいという切望であってほしい。なぜなら、たとえ宇宙の寿命が有限であっても、その中で育まれる生命の多様性には限りがないからだ。
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単行本p.67


 微細構造メカニズムを通って高気圧領域から低気圧領域へと大気が移動するときのパターンそのものが「意識」として存在する生命とその文明。だが宇宙における気圧格差は次第に失われてゆく。いずれは大気圧が完全な平衡状態に達し、あらゆる意識が維持できなくなるときが来るだろう。そしてこの原理は、すべての宇宙、すべての生命にとって普遍的な運命ではないだろうか。物理法則によって終末が運命づけられた宇宙で、私たちの命が束の間存在することにどんな意味があるのか。SFでしか書けない思弁によって「人生の有限性」の意味を問い直す作品。


『ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル』
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 経験は最上の教師であるばかりか、唯一の教師でもある。もしアナがジャックスを育てることでなにか学んだとすれば、それは、近道などないということだ。この世界で20年生きてきたことから生まれる常識を植えつけようとすれば、その仕事には20年かかる。それより短い時間で、それと同等の発見的教授方法をまとめることはできない。経験をアルゴリズム的に圧縮することはできない。
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単行本p.188


 経験によって学び、成長してゆくAI。仮想ペットとして売り出されたAIの知能は、何年もかけて人間と交流することで、子供に匹敵するまでに育ってゆく。しかし売れ行きは頭打ちとなり、開発元によるサポートは打ち切られ、AIが走るインフラ仮想空間も時代遅れになって見捨てられる。長年かけて大切に育ててきた「子供」を簡単に廃棄することなど出来ないユーザたちは、彼らを最新インフラ上に「移植」するプロジェクトに期待するが、それには多額の資金が必要だった。

「真に自己学習するAIが登場すれば、それはコンピュータ時間で超高速学習を継続するため、ごく短期間に人類を越えるまで知能を高め続けるだろう」という、いわゆるシンギュラリティ論の前提に異議をとなえ、経験から学ぶこと、AIに対する人間の愛情、そしてAIとの交流が人間を変えてゆくことについて、様々なエピソードを通じて思弁する作品。


『偽りのない事実、偽りのない気持ち』
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 わたしたち全員が、さまざまな状況であやまちをおかし、残酷な行動や偽善的な行動をとるが、そのほとんどを忘れてしまう。それはわたしたちが、ほんとうの意味では自分を知らないことを意味している。自分の記憶を信用できないとしたら、わたしがいくら個人的な内省に時間を費やしているといっても、どれだけ説得力があるだろう。あなたの場合はどうだろう?
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単行本p.264


 自分が過去に体験したことをすべて映像として記録し続けるライフログ。そしてライフログを検索して求める過去のシーンをすばやく再生してくれる検索エンジン。それらは非常に便利なツールだが、問題はないのだろうか。私たちは実際の体験をほとんど忘却して、勝手に作り上げた記憶から自分に関する「物語」を作り上げることで生きている。アイデンティティの中核となっている「過去の記憶」や「自分のイメージ」の虚構性が明白にされるとしたら、私たちはどう反応するだろうか。


『オムファロス』
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 たとえこの宇宙がつくられたのが人類のためではないとしても、わたしはやはり、宇宙の仕組みを理解したいと願っています。わたしたち人間は、“なぜ”という疑問の答えではないかもしれませんが、“どんなふうに”という問いの答えを探しつづけるつもりです。
 この探求がわたしの目的です。主よ、あなたがわたしのためにお選びになったからではなく、わたしが自分でそれを選んだからです。
 アーメン。
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単行本p.315


 この宇宙のすべては、今からおよそ9000年ほど前に創造された。神による天地創造が科学的に証明された宇宙で、科学者たちは「神の意図を明らかにする」という明確な目標を持って研究に取り組んでいた。しかし、神がこの宇宙と人類を創造したということと、神が人類のことを気にかけているということとの間には、実は大きな違いがあったのだ。信仰の危機をむかえた一人の科学者を語り手にして、信仰と科学と自由意思について問い直す作品。


『不安は自由のめまい』
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「わたしは自分の決断に意味があるかどうかを知りたいのよ!」その声は思った以上に大きく響いた。ナットは息を吸ってから先をつづけた。「殺人のことは忘れて。そういうことを話したいんじゃなくて、正しいことか、まちがったことか、どちらかをする選択肢があるとき、わたしはいつも、さまざまな分野で両方を選んでいるの? もし毎度毎度、だれかに親切にするのと同時に、いやなやつみたいに振る舞っているとしたら、どうしてこのわたしは親切にしなきゃいけないの?」
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単行本p.383


 起動する度に量子論的世界分岐を起こすデバイス。このデバイスを通して、分岐した二つの世界の間での通信が可能になるのだ。何か決断する前にデバイスを起動して、別々の選択肢を選んだ自分同士が会話できるとしたら、それは私たちの倫理にどのような影響を与えるだろうか。量子論的多世界解釈を前提に、人生における選択の意味を問い直す作品。





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