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『ポップ・スピリチュアリティ メディア化された宗教性』(堀江宗正) [読書(オカルト)]

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 宗教についても心理学や医学などの知識についても、ある程度は知っているが、それを全面的には支持せず、心や魂の問題を理解して解決するのに使えるものは使うというプラグマティックな意識を持った人々のスピリチュアリティ、その中でも理解しやすく、実践しやすく、人気を基準として選別されたもの、SNS上で人々自身がメディアとなって流通させてゆくもの、本書が扱うのはそのような「ポップ・スピリチュアリティ」の、21世紀に入ってからのテーマ別の動向である。
(中略)
 「宗教」を相対化し、宗教ではないけれど、何か自分にとって大切な価値観を表明し、伝えようとする人々がいる。そのような人々が日々に更新し続けているポップ・スピリチュアリティの世界は、現代的な現象ではあるが、むしろ文字以前の、つまり「宗教」以前の人々の精神生活の有様に近いものであるかもしれない。
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 江原啓之、生まれ変わり、パワースポット、そしてアニメに登場する西洋魔術。21世紀の日本において人気があり普及しているスピリチュアルなもの、ポップ・スピリチュアリティについての論説集。単行本(岩波書店)出版は2019年11月です。


〔目次〕

第1章 スピリチュアリティとは何か――概念とその定義
第2章 2000年以後の日本におけるスピリチュアリティ言説
第3章 メディアのなかのスピリチュアル――江原啓之ブームとは何だったのか
第4章 メディアのなかのカリスマ――江原啓之とメディア環境
第5章 スピリチュアルとそのアンチ――江原番組の受容をめぐって
第6章 現代の輪廻転生観――輪廻する〈私〉の物語
第7章 パワースポット現象の歴史――ニューエイジ的スピリチュアリティから神道的スピリチュアリティへ
第8章 パワースポット体験の現象学――現世利益から心理利益へ
第9章 サブカルチャーの魔術師たち――宗教学的知識の消費と共有




第1章 スピリチュアリティとは何か――概念とその定義
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 米国では、個人的スピリチュアリティがキリスト教から逸脱することを警戒する傾向がある。とくにキリスト教に代わる新時代がやってくると主張する「ニューエイジ」に対する保守的なキリスト教徒の反発は強い。カトリックの教皇庁はニューエイジ批判の公式文書を出している。それに対して「スピリチュアリティ」という言葉はキリスト教でも使われるために、「ニューエイジ」ほどの抵抗を引き起こさない。一方、キリスト教の衰退の著しい英国では、宗教と距離をとる「ニューエイジ」への抵抗はさほど大きくない。
 日本では「宗教」に対する警戒心の方が強い。このような違いは、スピリチュアリティ言説の展開にどのような影響を与えるだろうか。
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単行本p.11


 それはニューエイジ思想や心霊主義とは、そして宗教とは、どのように関連しているのか、いないのか。まずは「スピリチュアリティ」という概念と定義を明らかにし、欧米と日本との違いを浮き彫りにしてゆきます。


第2章 2000年以後の日本におけるスピリチュアリティ言説
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 スピリチュアリティ現象は、アイディアとしては英語圏の心理学的思想やニューエイジの輸入というスタイルをとりながら、ポピュラーなレベルで受容される過程で、実質的には伝統回帰と日常生活の保守的な肯定とに変容していった。「癒し」はもともとの自発的治癒力の活性化という意味を離れて、現世利益的な消費行動をうながすキャッチフレーズとなった。知識人の「スピリチュアリティ」概念は「霊」信仰との決別を目指していたが、霊への草の根的な関心とは逆行したため、ポピュラーなものとしては定着せず、マス・メディアでは、逆に霊信仰とポップ心理学と英国スピリチュアリズムの折衷を図った江原的「スピリチュアル」、ポップ・スピリチュアリティに押されていく。
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単行本p.37


 トランスパーソナル心理学、トラウマ、アダルト・チルドレン、癒しブーム、オウム事件、心霊ブーム、江原啓之。メディアとの関連のなかで、21世紀日本におけるスピリチュアリティがどのように変遷していたのかを見て行きます。


第3章 メディアのなかのスピリチュアル――江原啓之ブームとは何だったのか
第4章 メディアのなかのカリスマ――江原啓之とメディア環境
第5章 スピリチュアルとそのアンチ――江原番組の受容をめぐって
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 超越的な存在や力を前提とする信念や儀礼であっても、「特殊な拘束集団」と関わりがなければ、つまり個人的信念にとどまるものや社会的通念に達したものであれば「宗教」とは呼ばず、許容し、享受するという態度が、メディアを中心に――とくにメディアの影響を受けやすい若者に――定着していると考えられる。
 江原のように、個人相談をおこなわず、教祖になることを自ら避けて、メディアでのみ「スピリチュアル」なことを語り実践するような存在は、このような環境に極めて適応的である。
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単行本p.56


 日本で「スピリチュアル」という言葉を普及させるのにもっとも貢献した人物、江原啓之。その言動、メディアにおける扱い、そして視聴者の反応、それぞれの観点から詳しく分析してゆきます。


第6章 現代の輪廻転生観――輪廻する〈私〉の物語
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 『ムー』は輪廻の特集に消極的だったし、『ぼくの地球を守って』は、前世共有者を求める投稿のパロディ、後追いである。つまり、メディアは「前世ブーム」の原因ではなく、結果にすぎない。時代的に先行する『幻魔大戦』の影響は否定できないが、単なるフィクションが、なぜ大きな影響を与えたのか。この作品がなければ、前世への関心は起きなかったのか。(中略)どの場合も先行する影響、カウンター・カルチャーや新宗教があり、これらの作品がなくても、別の作品が「きっかけ」を与えただろう。つまり、輪廻転生を受け入れる土壌が、日米で同時に人々の間に育まれていたと考えた方がよい。本書の主題であるポップ・スピリチュアリティの好例と言える。
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単行本p.124、125


 生まれ変わり、輪廻転生という考えは、日米でほぼ同時期に広まっていった。それは従来の宗教的概念とはどう違うのか。なぜ定着したのか。現代的輪廻転生観のルーツと展開を探ります。


第7章 パワースポット現象の歴史――ニューエイジ的スピリチュアリティから神道的スピリチュアリティへ
第8章 パワースポット体験の現象学――現世利益から心理利益へ
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 パワースポットは、長年来のニューエイジャーにとっては国内に限られるものではないし、神社に限られるものでもない。しかし、2000年代以降は、伊勢神宮や出雲大社のような神道の聖地が「パワースポット」として再発見され、結果的にパワースポット現象はある種の復興に吸収されそうになっている。パワースポットへの関心は個人的スピリチュアリティと伝統回帰の間を揺れ動いており、世俗化(私事化)かポスト世俗の宗教復興/再魔術化かという二項対立図式に収まらない興味深い研究領域を形成している。
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単行本p.172


 パワースポットへの関心はどのようにして高まっていったのか。パワースポットとしての神社の再発見、神道的スピリチュアリティの動きは、どこを目指しているのか。日本におけるパワースポットをめぐる言説を追います。


第9章 サブカルチャーの魔術師たち――宗教学的知識の消費と共有
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 「魔術」関心層はアニメおよびそれに関連するサブカルチャーに親しんでいる。そこで、テレビアニメのなかで「魔術」および広い意味で「宗教」に関わる語彙が登場する作品にどのような傾向があるかを、2012年から13年の2年に絞って確認した。(中略)
 テレビアニメを取り上げることには調査の戦略上の利点がある。原作がアニメ以外のメディアであるものがほとんどであり、ラノベ、マンガ、ゲームのなかでも人気のある作品がテレビでアニメ化されるため、一定程度のポピュラリティが保証されるという点である。(中略)したがって、アニメを分析するといっても、純粋にアニメだけを取り上げることにはならない。アニメが一つの結節点となっている魔術・宗教的語彙を用いた様々なメディア作品が織りなすサブカルチャーの内容的特徴をすることが可能になるのである。
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単行本p.243


 『とある魔術の禁書目録』を中心に、マンガ・アニメ・ゲームに登場する「魔術や宗教に関わる語彙」を分析してゆきます。さらにそれらの用語「事典」の出版ブーム、サブカルチャーの受け手と作り手の境界の曖昧さなど、サブカルチャーの特徴と宗教との関連を考察します。





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