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『おうむの夢と操り人形 年刊日本SF傑作選』(大森望、日下三蔵、藤井太洋、宮内悠介、西崎憲、水見稜、円城塔、高野史緒) [読書(SF)]

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 どんなシリーズにも終わりは来る。人それを最終巻という――。という訳で、十二年もの長きにわたってご愛読いただきました《年刊日本SF傑作選》も、本書をもって終了ということに相成りました。
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文庫版p.7


 2018年に発表された日本SF短篇から選ばれた傑作、および第十回創元SF短編賞受賞作を収録した恒例の年刊日本SF傑作選、最終巻。文庫版(東京創元社)出版は2019年8月です。


[収録作品]

『わたしとワタシ』(宮部みゆき)
『リヴァイアさん』(斉藤直子)
『レオノーラの卵』(日高トモキチ)
『永世中立棋星』(肋骨凹介)
『検疫官』(柴田勝家)
『おうむの夢と操り人形』(藤井太洋)
『東京の鈴木』(西崎憲)
『アルモニカ』(水見稜)
『四つのリング』(古橋秀之)
『三蔵法師殺人事件』(田中啓文)
『スノーホワイトホワイトアウト』(三方行成)
『応為』(道満清明)
『クローム再襲撃』(宮内悠介)
『大熊座』(坂永雄一)
『「方霊船」始末』(飛浩隆)
『幻字』(円城塔)
『1カップの世界』(長谷敏司)
『グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行』(高野史緒)
『サンギータ』(アマサワトキオ)




『レオノーラの卵』(日高トモキチ)
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「二十五年前のその日、叔父が呼び出した男は三人。ピアノ弾きと時計屋、そしてやまね、あんたもその場にいたんだよな。長生きな鼠だ」
「いたっけなあ」眠そうな答えが返ってくる。
「よく眠るのが長生きのヒケツだって、赤木しげる先生も仰せだからなあ。あれ、水木だっけ、斉木だっけ」
「あんたの記憶は当てにはならんね」
 工場長の甥は、白い歯を見せて笑った。
「ここはひとつ、時計屋の首に教えてもらおうと思う。この場所で、四半世紀前に何があった」
 煙に霞む時計屋の首は、そのときたしかに笑っていたように思う。
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文庫版p.86


 工場長の甥、チェロ弾き、やまね、首だけの時計屋。『不思議の国のアリス』風の登場人物たちが集ったのは、お茶会のためではなく、ギャンブルのため。レオノーラが産んだ卵から孵るのは男か女か賭けようというのだ。同じ賭けがその昔、レオノーラの母エレンディアのときにも行われた。そして一人の男が撃ち殺された。何があったのか。ルイス・キャロルとガルシア・マルケスを混ぜて独特の風味を生み出して見せた傑作。


『おうむの夢と操り人形』(藤井太洋)
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「どうだろう。パドルと話すことの意味を製品の名前にしない?」
「いいね。例えば?」
「パロットーク(おうむ返し)だ。パドルに心はない。それを忘れないようにしよう」
 決まり、と言った飛美は席を立ってオフィスを出ていった。
 私の願いはすぐに裏切られることになった。
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文庫版p.186


 ロボットに対して人間が抱く不信感をどうすれば払拭できるか。「家庭用ロボット」という夢を実現するためにどうしても乗り越えなければならない、その解決に取り組む技術者の姿を描くロボットSF。人間の錯覚を利用してロボットに共感させることが倫理的に正しいことなのか。知能は個体の中にあるのか、それとも個体を取り巻く環境に内在しているのか。社会や組織を動かす意思決定はどのレベルで実行されているのか。様々な問い掛けが浮上してくるのが読み所。


『東京の鈴木』(西崎憲)
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 東京の鈴木をめぐる一切は曖昧模糊としている。しかしそれは夢ではない。何かはたしかに起こった。何かがここにやってきて、人間の歴史に少し触れた。おそらく人間の意思に関係のない何かが。
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文庫版p.223


「トウキヨウ ノ スズキ」を名乗る相手から警視庁にメールが届く。どこかテロ予告めいた、しかし意味不明の文面。最初はいたずらと思われたものの、とうてい不可能と思われる状況で、予告通りに事件が起きてゆく。巧みな視点配置を使って“人智を超える出来事”に直面した感触を見事に描いてみせる作品。


『アルモニカ』(水見稜)
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 フランツは考える。音楽とは、地球全体、いや宇宙の大きな運動に源があるのだと。光、風、水、熱。こうしたものの大きく複雑な流れが人と接点を持つのが音楽だ。つまり今は宇宙と人間の関係がうまくいっていないということだ。人間は傲慢になりすぎたのか。
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文庫版p.259


 18世紀パリ。ドイツ人医師であるフランツ・アントン・メスメルは、パリ王室アカデミーからの召喚状を受け取った。彼が提唱し治療に用いている動物磁気と楽器アルモニカについての審問にかけられるのだ。モーツァルトをはじめとする著名人物が登場し、宇宙と人間と音楽をつなぐ「大きく複雑な流れ」を幻視する作品。老年SFファンはまず著者名に涙する。


『クローム再襲撃』(宮内悠介)
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 ボビイと最初に会ったのは、空がまだわずかに春の輝かしさをとどめている五月のはじめだった。それから一夏かけて、僕たちは何かに取りつかれたようにプール一杯ぶんのビールを飲み干した。
 ボビイはカウボーイだ。
〈ジェイズ・バー〉はそんなカウボーイや鉱山堀り、ガジェット好きがたむろするバーで、だいたいにおいて、煙草やウィスキーの香りが層をなしてカウンターに淀んでいた。ボビイはそこでいつも目にする若年寄りの一人だった。
 堅気のエンジニアは、データの塔が無限につらなる広場のなか、雇い主に自らをつなぎとめ、職場をとりまく炎の壁で自らをも取り囲む。僕たちはというと、その伸び広がった人類の神経系を外側から物色し、データやコインをかすめ取っていく。馬はボビイのハードウェアで、ロープは僕のソフトウェア。二人で一つ。
 それが僕たちの2022年のライフ・スタイルだった。
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文庫版p.355


 ある種の物語はタイトルを見ただけでネタが分かってしまうものだ。僕に理由を聞かれても困る。おそらくすべての物語にはどこかそういうところがあるし、そうでない物語にはまた別のタイトルをつけるべきなのだ。いずれにせよ、著者がこういうの書くとべらぼうにうまいという事実はまた別の物語で、便宜的にそれは2010年のある春の日にはじまったといえる。そもそも何かにはじめがあるとしてだけれども。



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