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『「他者」の起源 ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』(トニ・モリスン:著、森本あんり:解説、荒このみ:翻訳) [読書(随筆)]

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 人はいったいどこでどうやって人種差別主義者になってゆくのだろうか。それを問うたのが本書である。モリスンは、その問いに「他者化」というプロセスを示して答える。人がもって生まれた「種」としての自然な共感は、成長の過程でどこかに線を引かれて分化を始める。その線の向こう側に集められたのが「他者」で、その他者を合わせ鏡にして見えてくるものが「自己」である。このプロセスは、本書で取り上げられた作品が物語るように、明白な教化的意図をもって進められることもあれば、誰の意図ともつかぬしかたで狡猾に社会の制度や文化の秩序に組み込まれて進むこともある。
(中略)
 われわれはしばしば、他者の一部を切り取って自分の理解に囲い込み、それに餌を与えて飼い続ける。やがてそのイメージは手に負えないほど肥大化し、われわれを圧倒して脅かすようになる。
 それでも、人は知ることを求める。知って相手を支配したいと願うからである。それは、相手を処理されるべき受け身の対象物となし、かたや処理する側の自分を正統で普遍的な全能の動作主体として確立することである。
(中略)
 それゆえ本書の主題となっているのは、単にアメリカ国内に限定された人種や差別のことではない。それは、西洋と東洋、白人と有色人、キリスト教と他宗教、権力をもつ者ともたざる者といった多くのパターンに繰り返しあらわれる人間に共通の認識様式である。この認識様式は、合理的な思考や明晰な意識にのぼらない領野で神話的な構想へと転化し、他のすべての神話がそうであるように、われわれの見方や考え方を背後から支配する力をもつ。
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新書版p.6、9


 人種問題から見たアメリカ史、アメリカ文学、そして自作解説。2016年にトニ・モリスンがハーバード大学で行った連続講義を再構成した一冊。新書版(集英社)出版は2019年7月です。


 人種差別の構造を読み解き、アメリカ文学がそれとどのように関わってきたのかを分析してゆく内容ですが、トニ・モリスン自身による自作解説が多く含まれているのも見逃せません。特に、『パラダイス』と『ビラヴド』については著者の意図や狙いが詳しく語られており、読み直したくなる発見に満ちています。


 ちなみに、本書はトニ・モリスンの訃報が流れる数週間前に発行されており、追悼出版というわけではありませんが、どうしても彼女の「遺言」が届いたという気持ちになります。この機会にトニ・モリスンが残した作品を読み返す必要があると思います。この世界の今を生きてゆくしかない私たちは。


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 わたしたちが、なぜふたたびこのような状態にいるのかを理解するために、アメリカが生んだ最高の作家・思想家であるトニ・モリスンがいることは、なんと幸運であるか。モリスンの仕事は歴史にその根があり、ひどくグロテスクな歴史的事象からも美しさを引き出してくる。その美は幻想ではない。歴史がわたしたちを支配していると考える人びとのひとりに、モリスンが数えられているのも驚くにあたらない。『「他者」の起源』は、この理解を詳細に説いている。過去の呪縛からただちに解放される道が提示されなくとも、その呪縛がどうして起きたのかを把握するための、ありがたい手引きになっている。
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新書版p.26




[目次]

第1章 奴隷制度の「ロマンス化」
第2章 「よそ者」であること、「よそ者」になること
第3章 カラー・フェティッシュ(肌の色への病的執着)
第4章 「ブラックネス」の形状
第5章 「他者」を物語る
第6章 「よそ者」の故郷




第1章 奴隷制度の「ロマンス化」
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 どうやって奴隷制度が成立していたのか? 諸国家が奴隷制度の腐敗をうまく処理したのは、非情な権力の行使によって、あるいは奴隷制度の「ロマンス化」によってである。
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新書版p.34


 人間的な側面を強調し、それを大切にするふりさえして、奴隷制度を好ましいものとして描いてきたアメリカ文学。『アンクル・トムの小屋』を題材に、奴隷制度の実態とその「ロマンス化」について語ります。


第2章 「よそ者」であること、「よそ者」になること
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 奴隷が「異なる種」であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった。人間に属する者と絶対的に「非・人間」である者とを区別せねばならぬ、という緊急の要請があまりにも強く、そのため権利を剥奪された者にではなく、かれらを創り出した者へ注意は向けられ、そこに光が当てられる。(中略)「よそ者」に共感するのが危険なのは、それによって自分自身が「よそ者」になりうるからである。自分の「人種化」した地位を失うことは、神聖で価値ある差異を失うことを意味する。
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新書版p.56


 「よそ者」を規定し、「非・人間」化すること。それを前提としたアイデンティティを持つこと。人種差別の底にあるメカニズムと、それを自作『マーシィ』『パラダイス』でどのように扱ったのかを語ります。


第3章 カラー・フェティッシュ(肌の色への病的執着)
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 わたしは肌の色ではなく、文化によって、黒人像を描き出すことに興味を持つようになった。「肌の色(カラー)」だけが忌み嫌うものである状況のとき、肌の色が偶発的で知りえないとき、あるいは意図的に隠している状況のとき、ごく注意深く書くことでもたらされる、ある種の自由と同様、それは「カラー・フェティッシュ(肌の色への病的執着)」を無視する、まれなる機会を与えてくれた。
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新書版p.75


 フォークナーやヘミングウェイを題材に、アメリカ文学におけるカラー主義、肌の色に対する病的な執着を分析し、自作『パラダイス』の有名な冒頭「かれらは最初に白人の娘を撃った。その他の者にはゆっくり時間をかけられる」に込められた狙いを語ります。


第4章 「ブラックネス」の形状
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 自分たちの純粋性の基準を強調した黒人町成立の理由は何か、そしてその成功とは何だったのか? 『パラダイス』では、「ブラックネス」の形状を改変したかった。
 黒の純粋性がより劣悪なもの、あるいは不純なものによって脅かされると、純粋性の条件はどうなるのか、町の人びとはどのように反応するのかたどってみようと思った。
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新書版p.90


 黒人だけが住む居住地の建設を題材に、「カラー」とは何なのかを追求し、さらに自作『パラダイス』の解説を提示します。


第5章 「他者」を物語る
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 物語は、統御された荒野を提供し、「他者」としての機会を、「他者」になる機会を提供する。「よそ者」になること。同情を抱きながら、明白に、また自己分析の危険を伴って。この反復において、作者であるわたしにとっての究極的な「他者」とは、取り憑く者であるその子、ビラヴドである。騒ぎ立てながら要求している、キスを求めて永久に騒ぎ立てながら要求している。
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新書版p.116


 わが子を殺した逃亡奴隷の実話を題材に、自作『ビラヴド』についての解説を提示します。


第6章 「よそ者」の故郷
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 それは心をかき乱す遭遇だが、世界規模で踏み込んで来る人びとのわたしたちを動揺させる圧力・圧迫にいかに対処すべきかを教えてくれるだろう。その圧力によってわたしたちは、自分たちの文化・言語に狂信的にしがみつくいっぽうで、他の文化・言語は退ける。時代の流行に沿ってわたしたちを鼻持ちならぬ悪の存在にする圧力。法的規制を設けさせ、追放し、強制的に順応させ、粛清し、亡霊やファンタジーでしかないものに忠誠を誓わせる圧力。何よりもこれらの圧力は、わたしたち自身のなかの「よそ者(外国人)」を否定し、あくまでも人類の共通性に抵抗させるようにわたしたちを仕向ける。
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新書版p.132


 文学にあらわれるアフリカへのまなざしを題材に、グローバリゼーションや大量難民によってわたしたちの意識がどのような影響を受けているのかを探ります。



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