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『あるときはぶかぶかの靴を、あるときは窮屈な靴をはけ』(河野聡子) [読書(教養)]

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 新しい本、見慣れぬ本を読むというのは、つねに自分の足にあった靴を選んで履くようなものではありません。しかしぶかぶかだったり窮屈だったりする靴を履く経験も私にはたいへん実り多いものでした。この本に取り上げた書物からひとつでも「履いてみたい靴」をみつけていただければ幸いに思います。
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 西日本新聞に寄稿された書評から外国文学を中心に再録した一冊。44冊分の書評に加えて、「ユリイカ」2018年5月号「アーシュラ・K・ル=グィンの世界」に掲載された『所有せざる人々』の書評も収録。単行本(TOLTA)出版は2018年11月です。


 目次(取り上げられている本の一覧)および購入はこちらから。

 「あるときはぶかぶかの靴を、あるときは窮屈な靴をはけ」
  https://tolta.stores.jp/items/5beb80da626c84170a00053c

 TOLTAオンラインショップ
  https://tolta.stores.jp/


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 西日本新聞の書評欄は「読書館」というコーナーですが、元の本がどんな大作であろうとも約860字でまとめなければなりません。当然、細かく分析したり論じる余地はなく、内容の紹介という性格が強くなります。おおまかな要約に加え、私が「読みどころ」と思ったポイントをどうにか原稿用紙二枚くらいにまとめるわけです。
(中略)
 たとえ題材や表現が興味深くても私の好みには合わなかったものもありますが、選んだ以上はどんな本でも注目すべき肯定的なポイントを見い出すように、考えて書いたつもりです。ここにまとめた文章は基本的に「入口」にすぎず、それぞれの書物の深いところまで立ち入ったものではありませんし、そのつもりで読んでくださるとありがたいと思います。
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 いくつか書評の一部を引用しておきます。どれがどの本についての紹介なのか、目次(前述のTOLTAオンラインショップの本書用ページに、取り上げられた作品の一覧が掲載されています)を眺めながらあれこれ推測してみて下さい。読みたくなったら、まずは本書を手に入れるところから。


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 圧倒的な面白さだ。第二次世界大戦から現代に至る戦争と暴力の記憶、無辜の者が機械的に殺され「処理」される不条理な世界が、幻想的なイメージやユーモアとペーソスに満ちた無数のエピソードの集積によってもたらされる豊饒な言語空間とオーバーラップする。二段組み800頁の大作だが、登場人物の造形のユニークさやストーリーテリングにページをめくる手が止まらない。その上、最後まで読み終わった途端、もう一度読まずにはいられない仕掛けが施されている。(中略)この豊饒な仕掛けにはまれば最後、散りばめられた符号に呼応する深層の理解を求めて、読者は果てしなく物語の細部へ降りていくことになる。
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 回想記として始まった本書は突然「私」がいるプラハやパリの物語へ脱線し、かと思うと「本」の物語のべつの階層へ飛躍する。文字と事物、虚構と現実、物語と物語の境目はめまぐるしく移動するが、その感触は心地よい霧に包まれて上質の夢を見ているようだ。場合によっては展開のスピードに振り落とされないよう必死についていく必要もあるかもしれないが、これもまた夢にありがちなことである。
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 本書の細部の完成度は、先住民の神話や現代の金融用語、円盤族とも呼ばれるニューエイジ教団が宇宙へ放つメッセージといった、通常は同じ文脈に乗ることのない語彙、言葉たちをたくみにまとめあげる驚異的な技量にあらわれており、そこには舌をまかざるをえない。「超越文学」と呼ばれる所以だろう。グローバル化した現実がこの一冊に詰まっている。
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 読みはじめればすぐわかるが、とにかく主人公がひどい人物である。いわれのない他者への憎悪に満ち、性格はひねくれて狡猾で、自身の保身や蓄財のためには他人を陥れることにためらいがなく、嘘つきで、美徳の一切に欠けている。ところがそんな主人公が偽造文書の作成を通じて諜報活動を行っていく過程は大変おもしろいのでたちが悪い。なにしろ偽文書をつくる腕は超一流で、歴史に自分の創作した文書が「本物」として残ることに生きがいを感じている人物である。「何かを存在させるにはそれについて書くだけでいい」と豪語しているくらいだ。彼は歴史の創作者たらんともしていたのである。
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 現代と冠された文学や詩には純粋に「カッコイイ!」と熱狂できる作品、今風に言えば「萌え」ることのできる作品が少ない。これは現代の文学の多くが、構成の複雑さや描写の難解さによって、慣れない読者をカッコよさの享受以前の段階に立ち止まらせてしまうせいだと思う。しかし嬉しいことにここに反例がある。(中略)重要なのは登場人物たちのイメージが圧倒的にカッコイイことだ。西部劇映画の傑作を文学で味わう喜びとでも言えばいいか。この喜びの源流が文章にあることはいうまでもなく、ことに翻訳の見事さにはため息をつくほどだ。色彩豊かで動きに満ちたイメージがリズミカルに繰り出され、マンガの決めゼリフのような名フレーズが続出する。
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タグ:河野聡子
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