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『猫のエルは』(町田康) [読書(小説・詩)]

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猫のエルは生きてるだけで儲け
そしてそれを仕事を怠けてぼんやり見ている人間である俺は
見ているだけで儲け
見ているだけで儲け
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単行本p.91


 シリーズ“町田康を読む!”第66回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、『猫にかまけて』『猫のあしあと』など猫エッセイの姉妹編ともいうべき猫短篇集。単行本(講談社)出版は2018年9月、Kindle版配信は2018年9月です。


[収録作品]

『諧和会議』
『猫とねずみのともぐらし』
『ココア』
『猫のエルは』
『とりあえずこのままいこう』


『諧和会議』
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「いま私はここにいる全員、と申しあげた。それは間違いがない。ただ、そう、議長がおっしゃった猫君、彼らだけは全然、会議にも出てこないし、諧和ということをまったくしようとしない。調和もしない。幸いにして進歩や発展はしておらないようですが、私たちとの会話を拒絶して無言を貫き、好き放題をやらかしている。みんなで分与しようと思っておいてあった魚肉を食べ散らかす。それでも腹が減っているのであれば許します。ところが食った直後に、ぶわあああっ、と嘔吐したりしている」
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単行本p.9


 人類滅亡後、言葉を獲得した動物たち。「理性と悟性によってなる諧和社会」を実現した彼らが集まって諧和会議していたところ、猫君の暴虐ぶりが議題にのぼる。遊び半分で小動物を虐殺する。「無表情で、なんともいえない虚無的な目をして」壺を割る。「割れるものは割るし、噛み砕けるものは噛み砕くし、或いは咥えていって高いところから落としたり、パソコンとかスマホなんてものは小便をかけて壊しちゃう」。このような暴挙を説得して止めさせるべきではないかという動議に対して、そもそも猫は言葉がわかるのか、という根本的な疑問が提起され議会大混乱。すぐさま調査委員会が発足するが……。

 言葉を獲得したせいで人間の駄目なところまで引き継いでしまった動物たちと、そんなもの意にも介さず自由奔放に振る舞う猫。形骸化した言葉を風刺する抱腹絶倒の動物寓話ですが、実は「猫あるある小説」ではないかと。


『猫とねずみのともぐらし』
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 猫とねずみは一緒に暮らしていました。ふたりは、冬になって食べ物がなくなったときに備えて、おいしい油の入った壺を買い、教会の祭壇の下においておきました。
 しかし、冬にならないうちに猫は、そのおいしい油をひとりでうまうまなめてしまったのです。
 冬になってそのことがわかり、ねずみは怒りました。
「ふたりで買った、おいしいあぶらを君はなぜひとりでなめてしまうのか。冬になって私たちの食べるものがなくなってしまったではないか。どうするつもりだ」
 そう言ったねずみの目は真っ赤でした。
 そう言われた猫の背中の皮が、びくびくっ、と震えました。
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単行本p.51

 グリム童話『猫とねずみのともぐらし』って、猫に対してあまりにもひどい話だと思いませんか。昔、猫とネズミは仲良く一緒に暮らしていました。ところが蓄えておいた食料を猫が勝手に食べてしまい、さらには怒って抗議したネズミまでぺろりと食べてしまいました。それからというもの、猫はネズミを見つけると追いかけて食べてしまうようになったのでした、おしまい。……、それはあんまりだろう。

 というわけで、大技を使って、猫は何も悪くないネズミが一方的に悪い、という大逆転をキメてみせた猫びいきパンク童話。


『ココア』
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 猫は静かな悲しみに満ちた、でも、静かに怒っているようでもあり、同時に、静かにふざけているような、しかし最終的な印象はおまえはそんなことでいいのかと批判しているような感じのまん丸な眼で私をじっと見ていた。
 よく知っている眼だった。
 こんな眼で私を見るものはこの世にひとりしかいなかった。私方に二十二年間住まった錆猫、ココアである。
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単行本p.79


 猫と人間の立場が入れ替わった世界。そこに迷い込んでしまった語り手が、野良人としてひどい目にあい死にかけていたところを、かつての飼い猫ココアに拾われる話。野良猫の生活がどれほど厳しいものか、人が猫に対してどれほど酷薄にふるまうか、それを身をもって体験することになります。「野良猫はのんびり日向ぼっこしているだけの気楽な生活でうらやましいなあ」などと素朴に思っている人に、ぜひ読んでほしい一篇。『猫にかまけて』の読者はきっと泣く。


『猫のエルは』
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医師は、医学的には死んでいる、と言った
妻が医師に、まだ生きて動いているものを死んでいるというのが医学的
立場だとしたら医学になんの意味があるのか、と言った。
医師は、やってみる、と言った
そしてエルは助かった
奇蹟を体験した
私は運転をしながら泣いた
妻も泣いた
エルはキャリーケースのなかでぼんやりしていた
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単行本p.90


 保護した直後に死にかけ、奇跡的に生き延びた子猫、エルを讃える詩。『猫のあしあと』の読者はきっと泣く。


『とりあえずこのままいこう』
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 俺は廊下を横切り、和室に行き、床柱にマーキングをし、掛け軸に登って、座布団で爪研ぎをした。そんなことをしてなにになろう。なににもならない。ただ愉快なだけだ。でもいいじゃないか。ドンドンパンパンドンパンパンで行こうじゃないか。霊魂だって猫だって。俺はかつて家の人が好きだった。大分忘れたけど好きだった。そしてこの後、それも忘れてしまうかも知れない。でもいいじゃないか。いまはまだ覚えているし、思い出すことができる。いまは一緒に居ることができている。それでいいではないか。だから俺は、とりあえずこのままいこう。それ以上のことを望むことはできないし、望んだって叶わない。というか自分がなにを望んでいるのかもわからない。だから、とりあえずこのままいこう。
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単行本p.129


 死んでしまった犬が、生まれ変わって飼い主に再会する。しかし何ということか、猫に転成してしまったため、行動は猫そのもの。落ち着いた理知的な犬だった頃の記憶も次第に薄れ、ドンドンパンパンドンパンパン、猫大暴れ。でも再会できたからいいじゃないか、生きてるんだからいいじゃないか。『スピンクの笑顔』の読者はきっと泣く。



タグ:町田康
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