SSブログ

『スピンクの笑顔』(町田康) [読書(随筆)]

――――
 私にとってスピンクがいるということは大丈夫だということでした。生きるための杖でした。横を見ればスピンクがいて、笑っていたり、ふざけていたり、うまそうに食べていたり、寝そべっていたり、飛び跳ねていたりして、それによって私は生きていたのです。
(中略)
 スピンクがいなくなって家の中は静かです。
 静かでスカスカです。
 その静かな家の中に私は息を潜めて踏ん張って立っています。
 スピンクがいつも居た場所に立っています。
――――
単行本p.425、429


 シリーズ“町田康を読む!”第61回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、町田家の飼い犬であるスタンダードプードルのスピンクが、家族と日々の暮らしについて大いに語るシリーズ、『スピンク日記』『スピンク合財帖』『スピンクの壺』に続く第四弾、そして最終巻。単行本(講談社)出版は2017年10月です。

 いつもの通り、犬のスピンクが飼い主であるポチ(人間名=町田康)や他の家族との生活について語る楽しい連作エッセイです。


――――
 そのときポチはちょうど外出しようとしているところで、キッチンの壁のフックから家の鍵と車の鍵を上衣のかくしにしまい、引き戸を開けて出ていこうとしているところでした。このまま出ていかれると噛めないので、私は慌てて駆け寄り、後ろ足で立って両肩に手をかけ、上衣の襟首を噛んで引っ張りました。したところ主人は、
「うわっ、うわっ、うわっ、なにすんね、なにすんね、スピンク、なにすんね」
 とかなんとか言いながら他愛なく、尻餅をつくように腰を落としました。といって私が無理に引き倒したというわけではなく、半ばはポチ本人の意志で、なぜポチがそうするかというと、頑張って立っていると上衣の襟首が私の牙によって裂け、破れてしまうからです。しかし、そうなるとこっちはより噛みやすくなり、私はここを先途とポチにのしかかり、全体重で押さえつけながら、腕を噛んで引っ張り、或いは、耳をジョリジョリなめるなどしました。
 気がつくと、その周囲を、ワッショイワッショイワッショイワッショイワッショイワッショイワッショイ、と言いながらシードが尻を振りながら、まるで行司のように駆け回っていました。
――――
単行本p.299


――――
シードは、
「文学にしろ音楽にしろ、なんだって同じことだ。最後は人間性なんだよ。その人間のすべてが表れるんだよ。だから、迂遠なように見えて長い目で見れば人間としての徳を高めるのがもっとも早道なんだ。ポチ先生よろしくそうすべし」
 と言ってトットットッと壁際に歩いて行き、片足をあげ、スタンドに立てかけてあるポチの大事のギターのボディーに、シャアー、と小便をかけ、それから、椅子の背に掛けてあったポチの上着をくわえて引きずり下ろし、首を左右にムチャクチャに振ってこれを振り回し、結果的にボロボロにして、
「こんなことで怒るようじゃ、修行が足りないんだよ」
 と言い捨てて去って行きました。
――――
単行本p.396


 スピンク、キューティ、シード、そして後から加わった(またもや虐待されていた犬を引き取った)チビッキー。四匹の犬たちとの楽しい生活が、犬のスピンクの視点から語られます。主人であるポチの言動を、わりと辛辣な感じで描写しているのがたまらなく可笑しい。


――――
「ウンババ、ウンババ、ウンババ、イェー」ばかり言っています。けれども気味が悪いので誰もそれに触れません。
 その、「ウンババ、ウンババ、ウンババ、イェー」は午後まで続き、夕方になって漸く止みました。その止むか止まぬかの際の頃、ポチは美徴さんに、
「これ言うときって僕、やばいときなんだよね」
 と呻くように言ったのです。その後、ポチは、極端な蟹股で部屋の中を歩き回り、
「僕がなにをやっているかわかるか。睾丸が一尺もある人の形態模写だ。ウンババ、ウンババ、ウンババ、イェー。ウンババ、ウンババ、ウンババ、イェー。きいいいいいいいいっ」
 と言いました。私たちはなにも言えませんでした。
――――
単行本p.97


――――
ウェディングドレスを着用しての生活に疲れ果てたポチは美徴さんに、白無垢への変更を申し出ました。これに対して美徴さんは、ウェディングドレスと白無垢は別のものであり、白無垢への変更は認められないとしてこれを却下しました。しかしウェディングドレスをどうしても着たくないポチは粘り強く交渉、角隠しも着用することを条件に白無垢への変更を勝ち取りました。
 これら交渉の一部始終を見ていたシードは、たとえ白無垢に変更したところでポチの精神は持たぬだろう、と予測しました。
 さて、それから一ヵ月が経って実際にどうなったでしょうか。結果を先に申し上げますとさすがはシードですね、シードの予測は的中しました。
――――
単行本p.282


――――
ポチは偏屈です。意固地です。ならば、自分の変なところを改めよう、とは考えません。どうせ変と思われるのであれば、逆に攻めていこう。つまり、自分が変であることを隠して隠しきれず変、であるよりは、自ら変であることをアッピールしていこう。おまえらの評判などまったく気にしていない、というよりこっちは変であることを積極的に楽しんでいるのだ、好きでやっているのだ、という態度でいこう、と考えるのです。
 もちろんこれは虚勢です。内心では、好奇の目で見られることが嫌で嫌でたまらない、迫害されることが悲しくてたまらない。孤独がつらい。孤独に耐えられない、と思っています。けれどもそれを正直に言うことができず虚勢を張り、ポチは、得意のネットオークションで蛇皮線をゲットし、外出の際にはこれを首からぶら下げるようになりました。
 そして後日の述懐によるとポチは、浜辺に座り、「花嫁」「マッハGOGOGO」「花笠道中」「喝采」「悲しみのアンジー」といった得意のナンバーを涙を流して絶唱しました。
――――
単行本p.284


 いつもの町田文学。

 そうして楽しく暮らしているうちにも、終わりは近づいています。知ってから読み返すと、ここそこに予兆や暗示が見られるのです。


――――
 交差点の真ん中に昨日見たあの美しい黒猫が長く伸びていました。
 腹のあたりから血が一筋、長く道路に伸びていました。右折レーンのある広い交差点を横断しようとして車に轢かれたようでした。それからポチは暫くの間、「なんで出てくるんだよー。なんで轢くんだよー」と言っても詮のないことを繰り返し呟いていました。
 駐車場に車を停め、園路を歩き出してもまだ呟いていました。園路の至るところにその匂いが残っていました。私は内心で「おまえは失敗したんだな」と黒猫に話しかけていました。
「シードはああ言うが私たちだって失敗する。だから心配するな。私もあと何年かすれば必ずそっちに行く。そのときはこの美しい梅の園を歩いたことやその他のことについて話そうや。おまえはいま安らかだろう」
――――
単行本p.59


――――
 私もこうして皆さんに話をするようになってから随分と老いました。私は分類的には大型犬ということになっています。大型犬の平均寿命は小型犬に比べると随分と短く、私はもう五年もすればこの世にいないと思います。
 というのは人間からすると随分と儚い命のように思うかも知れませんが、私たち犬は人間と違ってこの世から消滅するということに哲学的宗教的な意味を感じません。ただ、ぽそっ、と生じたものが、ぽそっ、と消える。それが自分であるかどうかは関係がない、ととらえています。なので飼い主の人は私たちが死ぬと嘆き悲しみますが、私たちにしたら逆に恐縮というか、こんなことでそんなに嘆く必要ないんですよ。困ったな、どうも。みたいな感じになります。もちろん、私たち自身が死んで悲しいと感じることもありません。
――――
単行本p.11


 そしてスピンクの物語は唐突に終わりを迎え、読者は最新長篇『ホサナ』に書かれていたあれこれを思い出しながら、それを見届けることになるのです。

 さようなら、スピンク。



タグ:町田康
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。