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『顔』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2017年10月24日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って佐東利穂子さんのソロダンス公演『顔』を鑑賞しました。自身による二種類のテキスト朗読録音に、踊りながらライブで声を重ねてゆく驚異の60分。

[キャスト他]

演出・照明: 勅使川原三郎
出演: 佐東利穂子

 佐藤さん自身がテキストを朗読した録音を流し、マイクを装着した佐藤さんが、踊りながらライブで応答してゆきます。録音された朗読とライブ発声が対話し、響き合い、それにダンスが加わる、という贅沢なポリフォニーが展開します。

 使われたテキストは二種類。まず、ガルシア・マルケスの『マコンドに降る雨を見たイサベルの告白』の一部。ひたすら続く長雨がもたらす倦怠感と絶望感、それらがやがて終末感や宗教的啓示へと展開してゆく幻想的な短篇ですが、このテキストは2015年12月に初演された勅使川原三郎さんの『ある晴れた日に』でも使われていました。『ある晴れた日に』でも朗読は佐東利穂子さんだったので、もしかしたら同じ音源を使ったのかも知れません。

 朗読が流れた瞬間、あ、これは以前の公演でも使われていた短篇だ、と思った途端、佐東利穂子さんが「この話は前に聞いたことがあるわ」と発話したのが妙におかしかった。

 このマルケスのテキストに雨音がかぶさり、さらに同じ部分が何度も何度もリピートされることにより、閉ざされた、どこにも行き場のない、という閉塞感が高まってゆきます。

 もう一つのテキストは、スタニスワフ・レムの『ソラリス』をもとに勅使川原三郎さんが創作したオペラ『ハリー』より。自分がソラリスの海によって恋人の記憶から創り出された幻のような存在であること、自分が本物のハリー(何年も前に死んでいる)ではなく、人間ですらなく、死ぬことも、消えることも、いやここから出て行くことすら出来ない、と知ったハリーの絶望の叫びです。

 これらのテキストが朗読されるなか、押しつぶされそうな閉塞感と絶望感に抗い、立ち続ける佐東利穂子さん。ただ静かに歩いているだけで観客を圧倒するような存在感を放っています。やがて手がゆるやかに弧を描き、指先が精微な動きを見せ、空間を大きく掻き混ぜるようなムーブが始まります。

 今まで何度も佐東さんのダンスは観てきたはずなのに、まるで初めて観たような衝撃です。同じ動きが繰り返されることなく、シンプルなのに複雑な残像が波動のように広がってゆくような錯覚に陥ります。自分が何を観ているのか分からなくなる瞬間が何度もありました。

 驚くべきことに、激しく踊っていても、発声が揺るがない。呼吸音もほとんど聞こえません。ご本人とは関係なく、発声だけが独立して存在しているかのような気配です。声質が異様に可愛いというのがまた、非現実感を高めます。



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